第2話 天使と悪魔とお昼休み
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昼休みのチャイムが鳴ると同時に、教室のあちこちから椅子の音と笑い声が響き出す。
まるで開放された獣たちの群れのような勢いで、
クラスの連中はそれぞれの昼休みに向かって散っていった。
俺はというと、鞄の中から弁当箱を取り出しながら、教室の窓に目を向けた。
空は、春らしくよく晴れている。
雲ひとつない青い空に、ほんの少しだけ風が混じっていて、きっとあの場所は気持ちいい。
「……行くか」
誰に言うでもなくつぶやいて、席を立った。
廊下に出ると、予想通り若葉が待ち構えていた。
壁にもたれかかるようにしてスマホを弄っていた彼女は、俺に気づくと顔を上げて、にやりと笑った。
「おっそ~い。雅が来なかったら、置いていくとこだったよ?」
「そんな大げさな。まだチャイム鳴って五分も経ってないだろ」
「わたしのお腹時計は鳴ってたんだよ。今にも“ぐぅ”ってさ」
「……そんな擬音、口に出すなって」
若葉はスカートの裾をふわっと揺らしながら、俺の隣に並んで歩き出した。
その足取りは軽く、まるで踊っているかのようなステップだ。
「青葉は、先に行ってるのか?」
「うん。お姉ちゃん、今日のお弁当気合い入れてたからね。もう屋上でセッティング済みだと思うよ」
「セッティングって……ピクニックかよ」
「まぁ、似たようなもんじゃない?」
いたずらっぽくウインクしてくる若葉に、苦笑いしか返せない。
こういう距離感で来るから、ややこしいんだよな、こいつは。
階段を上がり、人気のない三階の突き当たりにある非常扉の前まで来る。
本来は立ち入り禁止――のはずなんだけど。
「鍵、まだ壊れたままなんだな」
「ふふん、こういう都合のいい壊れ方って、運命感じるよね〜」
若葉がそう言いながら扉を押し開けると、春風がふわりと吹き込んできた。
屋上に出ると、陽射しの柔らかさと静けさに包まれる。
フェンス越しに見える校庭では、男子たちが球技で汗を流していて、
その声がうっすらと風に運ばれてくる。
屋上の中央、銀色のレジャーシートの上に座っていたのは――
「雅、こっちこっち!」
青葉だった。
リボンをきちんと整えた制服姿に、柔らかなポニーテールが風に揺れている。
光を受けてきらめくその笑顔は、見慣れているはずなのに、毎回心がざわつく。
「来てくれてありがとう。三人で食べたかったんだ」
「感謝しなさいよねー。わたしみたいな高ランク女子が、庶民ランチに付き合ってあげるんだからさ」
「若葉、それ前も言ってたぞ」
「……あれ? そうだったっけ?」
青葉はそんなやり取りを聞いて、くすっと笑っていた。
「はい、雅。これ、今日のお弁当。唐揚げがメインだよ」
「ほんとだ、美味そうだな」
俺は自分の弁当箱を開ける。中身は昨夜の残り物と、自作の卵焼きと冷凍食品。
手作り感があるとは言い難いけど、まぁ食えればいい。
「んー、青葉の唐揚げってさ、なんでこんなにいい匂いするんだろう。魔法でも使ってるの?」
若葉がじっと青葉の弁当に目を奪われている。
「若葉のも、同じ味だよ?」
「同じなわけないじゃーん。これは“お姉ちゃんスペシャル”って顔してる!」
「顔で味変わるのかよ……」
「変わるよ、気持ちって大事だもん!」
若葉はそう言って、俺の弁当から唐揚げを一個すっと奪って口に放り込んだ。
「ん〜〜、おいし♡」
「ちょ、おま……」
「友情の証ってことで、ね?」
そんな強引な理屈を言いながらも、どこか楽しげな若葉の表情に、結局何も言えなくなる。
「雅の卵焼き、前より甘さ控えめになったね。お母さんのとは違う感じ」
「まあ、自分で作ったからな。甘すぎると弁当に合わなくてさ」
「ふふ、研究してるんだね。……なんか、そういうところも雅らしい」
青葉がふんわりと微笑む。
ただの弁当の話なのに、まるで褒められたみたいで、なんとなく照れくさくなった。
――たった三人。
それだけの、昼休み。
でも、どうしてだろうな。
こうして並んでいると、胸の奥がちくりと疼く。
「この屋上、やっぱ落ち着くな」
俺がふと口にすると、若葉が金網にもたれかかりながら振り返った。
「でしょ? ここって、ほら……現実からちょっとだけ、逃げられる気がしない?」
「逃げるって……別に俺は追い詰められてねえけどな」
「へー、そうなんだぁ? じゃあ……あたしとふたりきりになったとき、
ドキドキしてたのはなんでかな?」
「なっ……!」
若葉はにやりと笑って、俺の反応を楽しんでいる。
「やっぱ鈍感王子だよね〜、雅って」
「その呼び方やめろって……!」
俺が顔をそむけると、青葉がくすくすと笑い声を漏らした。
「ふふ、若葉、あんまりからかわないで。雅、困ってるよ?」
「えー、でもそういう顔するのが可愛いんだもん」
「……可愛いって、誰がだよ」
「雅だよ。誰に決まってるの」
さらりとした口調で、若葉は俺の目をまっすぐ見て言い切った。
その一瞬、目が合った。
若葉の瞳の奥に、いつもの悪戯っぽさとは違う、真剣な光が見えた気がした。
けれど、すぐに若葉はいつもの調子に戻る。
「ま、あたしが本気になると怖いから、今日はこのくらいで許してあげる」
「お前なぁ……」
「はいはい、そろそろ食べ終わったなら、あたしがデザート出すよ〜!」
そう言って、若葉はポケットから小袋入りのクッキーを取り出した。
「コンビニのじゃん」
「いーじゃん、こういうのでも。特別な時間に食べれば、何だってごちそうになるんだよ?」
「それは青葉が言うと説得力あるけど、若葉が言ってもただの言い訳にしか聞こえねぇな」
「ひっど! ねえ青葉、聞いた? 雅、あたしのこと“言い訳女”って」
「ううん、言ってないけど……でも、若葉が持ってきたクッキー、美味しいよ?」
青葉はぱくりとひと口、笑顔を浮かべる。
「ほんと? ……ふふ、じゃあ、許す!」
若葉はおどけて見せながら、俺の前にクッキーを差し出した。
「雅、ほら、口開けて」
「いや、なんでそうなる」
「いいから、ほら! あーん!」
「……はいはい、わかったよ」
観念して口を開けると、若葉は嬉しそうにクッキーを放り込んできた。
「……甘いな、思ってたより」
「でしょ? 意外とやさしい味するんだから」
俺が苦笑しながらうなずくと、青葉もそっと俺の弁当から卵焼きを摘んで、差し出した。
「じゃあ、私からも“あーん”してあげる」
「えっ、青葉まで……」
「ふふ、ほら、こっち向いて?」
どこか照れたような微笑みを浮かべながら、青葉は箸を差し出してきた。
俺は、視線を逸らしそうになるのを必死で堪えながら、そっと口を開けた。
「……美味い」
「良かった」
そのとき、風がまた強く吹き抜け、青葉の髪をふわりと揺らした。
まるで、時間がゆっくりと流れているかのようだった。
*
「ねえ、雅」
しばらくして、青葉がぽつりと呟いた。
「これからも、こうやって三人でお昼、食べられるかな?」
「なんだよ、急に」
「ううん、なんとなく。……もうすぐ期末テストだし、そのあと夏休みもあるし、
クラスの雰囲気も少しずつ変わっていくし……」
青葉はそう言いながら、空を見上げた。
澄み切った青空が広がっている。
「変わらなくていいものって、あるのかなって思っちゃって」
俺は、少しだけ考えてから、言葉を選んだ。
「……変わるかどうかってさ、たぶん“気持ち次第”なんじゃねえかな」
「気持ち?」
「俺は、青葉と若葉とこうやって一緒にいたいって思ってる。
だから、変わってほしくないっていうか……でも、もし変わるとしても、
それが“悪い変化”じゃないなら、別にいいかなって」
青葉は小さく目を見開いたあと、ふんわりと笑った。
「うん……そうだね」
「なに二人でいい雰囲気になってんの〜? まさかこのまま“雅の取り合い”展開とか、ないよね〜?」
「誰が誰を取り合うんだよ」
「ふふ、あたしはいつでも本気だけど?」
「はいはい……」
そのとき、昼休みの終わりを知らせるチャイムが鳴った。
「あ、戻らなきゃ」
「そうだね、急がないと」
三人で手早く片づけて、レジャーシートをたたむ。
「また明日も、ここで食べようね」
青葉のその言葉に、若葉もにっと笑った。
「しょうがないな〜、明日もあたしのデザート期待しててよね」
「甘ったるいやつじゃなければいいけどな」
「むぅ、また言ったな〜!」
「わはは、もう行くぞ!」
俺たちは笑い合いながら、屋上をあとにした。
背中に感じる、まだ少し名残惜しい風。
この“特別な日常”が、どうかもう少しだけ続いてくれますように
――そんな願いが、心のどこかで芽生えていた。