第1話 天使と悪魔な幼馴染との朝
長編です。
目覚ましが鳴るより一秒早く、俺は目を覚ました。
布団の中でぼんやりと天井を見上げながら、今日が何曜日かを確認する。火曜日。
一限は英語。朝からテンションが下がるやつだ。
でも、そうも言ってられない。
「……そろそろ来るな」
呟いた瞬間――
「雅ーっ!起きてるーっ!?」
インターホン越しに聞こえる、明るくて透き通った声。
案の定、来た。俺の家の前に。
俺は仕方なく起き上がり、髪をぐしゃぐしゃと直しながら玄関へ向かった。
ガチャリ、とドアを開けると、そこには朝日を浴びてきらきらと輝く笑顔があった。
「おっはよー雅! 今日も遅刻しそうだったねー!」
七瀬青葉。俺の幼馴染で、“天使”とまで呼ばれるクラスのアイドルだ。
柔らかな茶髪をポニーテールに結び、ふわっとした雰囲気で、誰にでも優しく、
悪口なんて一度も聞いたことがない。まさに天使。
だが――今日はいつもと違った。
「えっと、雅……朝からごめん!」
「え? なにが――」
突然、青葉がつまずき、俺の胸に向かって倒れ込んできた。
「ちょっ……!」
受け止めた瞬間、甘い香りがふわりと鼻をくすぐった。心臓が大きく跳ね上がる。
「ご、ごめんね! 靴ひも踏んじゃって……」
青葉は顔を真っ赤にして俺から慌てて離れたが、俺の心拍数はまだ正常に戻らない。
「だ、大丈夫……?」
「こっちは平気だけど……雅は?」
「え、ああ、俺も別に……」
言いながら、自分でも情けないくらい声が上ずっていることに気づく。
そんな俺を見て青葉はくすりと笑い、「やっぱり、優しいね」と小さく呟いた。
こんな天然な言動が反則だと思うんだよな……。
「ちょっと身支度してくるから待っててくれ」
「うん。でもあんまりのんびりしないでね?」
「へいへい。」
***
「待たせたな」
「ううん。それじゃ行こう!」
二人並んで登校していると、
いつの間にか肩が触れ合いそうな距離になっていることに気づく。
前からこうだったっけ……?
なんて考えていると、背後から聞き覚えのある声がした。
「おっはよー、恋愛耐性ゼロの鈍感王子!」
急に首筋に冷たい指先が触れ、飛び上がりそうになった。
「ひゃっ……つめたっ! 何するんだよ若葉!」
「ははは、朝のスキンシップだよー。目、覚めた?」
にやりと不敵な笑みを浮かべるのは、もう一人の幼馴染、七瀬若葉。
青葉の双子の妹で、“悪魔”の二つ名を持つ小悪魔系女子だ。
ショートボブの髪に小さなアホ毛、軽くて挑発的な口調。
見た目は青葉とそっくりなのに、中身は正反対だ。
「若葉、雅をからかい過ぎだよ」
「いいじゃん、お姉ちゃん。
こいつ、こういう刺激がないと一生自分の気持ちに気づかないよ?」
「おい、何の話だよそれ」
若葉は俺の耳元で囁くように言う。
「ホントにわかんない?……ま、だから『鈍感王子』なんだけどね」
若葉が離れた後も、俺の耳はじんと熱くなったままだった。
***
昔から三人一緒にいるのが当たり前だった。登校も、昼休みも、放課後も。
だが、いつの間にか俺は二人のことを幼馴染以上に意識している。それは確かだ。
そんなことを考えていると、不意に青葉が口を開いた。
「あ、雅。今日のお昼、久しぶりに三人でお弁当食べない?」
「三人って……若葉も?」
「うん、屋上で。いい天気だし、きっと気持ちいいよ」
屋上――本来は「立ち入り禁止」のはずだが、
去年の春に壊れた鍵が直される気配はなく、
俺たちはしれっと隠れスポットとして使っていた。
俺は少し考え、頷いた。
「いいよ。弁当作ってきたしな」
「やった!」
嬉しそうな青葉の笑顔を見ると、
それだけで今日が特別な一日になりそうな気がする。
だが――背後からまたしても不吉な気配。
「へぇ~、青葉の方から誘うなんて珍しいじゃん」
「わ、若葉!?」
「もしかしてさー……二人っきりになりたかったとか?」
若葉が青葉にひそひそ囁くと、青葉は慌てて首を振った。
「ち、違うもん! 三人がいいなって……」
「ふーん? ま、私はどっちでもいいけどさー」
若葉は俺をちらりと見てニヤリと笑った。
教室のドアが見えてくると、三人の足取りが自然と緩んだ。
青葉は隣のクラス。若葉は同じクラスだけど、席は離れている。
「じゃ、また昼休み!」
青葉が手を振って去る。
「まったねー」と若葉も呼応し、教室へ戻っていった。
***
一人、自分の席に座ると、急に教室の空気が重く感じられた。
黒板の英単語が何を意味するのか、いつものように頭に入ってこない。
チラリと窓の外を見ると、屋上の柵が遠くに見えた。昼休みの屋上で、
ふたりと一緒に過ごせる時間――。
その時間が、今日限りじゃないかもしれないという不安が胸を締めつける。
――もし、青葉が他の誰かと笑い合っていたら?
――若葉が他の男子とからかい始めたら?
想像しただけで、胸の奥がキリキリと痛んだ。
俺はそっと背筋を伸ばし、机の中から英語の教科書を取り出した。
ページをめくる手は震えていた。
「この関係を守りたい」
でも、それだけじゃ足りない。
「本当は、どちらかを選ぶ覚悟が欲しい」
そんな思いが、胸の奥で静かに灯った。
――特別な一日が、確かに始まったのだ。
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