DC-10 232便
※本作品は、日本航空123便墜落事故を元にしたファクション作品です。登場人物の名前は全て仮名であり、実際の人物にあった出来事とは異なるストーリーで構成しています。
ステープルトン国際空港から、シカゴオヘア国際空港へ向けて飛行していたDC-10 232便だったが、第2エンジンが故障する際に、その破片が油圧のパイプ管を破壊してしまった。
232便は、操縦不能な状態に陥ってしまったのだが、これは123便と同じような状況であり、絶体絶命の状況だった。果たして232便はどうなってしまうのか。
そして123便墜落事故から4年後の1989年7月19日、DC-10 232便が、乗員乗客296人を乗せ、ステープルトン国際空港から、シカゴオヘア国際空港へ向けて飛行していた。
当時のクルーは、機長は総飛行約30000万時間の飛行経験があり、副操縦士は20000時間以上、航空機関士は15000時間以上の飛行経験があった。
そして離陸から、1時間7分が経った頃、232便に大きな爆発音が鳴り響いた。
この時232便は、エンジンが3つあるうちの、垂直尾翼に取り付けられている第2エンジンが故障していた。
機長は、管制塔に第2エンジンが故障しているため、緊急降下を要請したのだが、この時の232便は、爆発によって油圧を失っていたため、機体は最大で38度に傾いては右に急旋回し、操縦不能な状態に陥っていた。
その原因は、第2エンジンの金属疲労により、第2エンジンのファンが破裂、その破片が、油圧のパイプ管を破壊したのだ。
123便の場合は、垂直尾翼が破壊された事で、全ての油圧が喪失したのだが、232便の場合は、エンジン爆破により全ての油圧が喪失し、尾翼の形状は保たれていた。
この状況は123便と同じような状況で、まさに絶体絶命だった。
そして123便と同じ、上昇と効果を繰り返す、フゴイド運動が始まった頃、232便の乗客に、DC-10の訓練審査官が乗っている事がコックピットに伝えられた。
彼は、123便墜落事故を教訓とし、油圧全喪失における操縦訓練を、シミュレーターにて自主的に訓練していたのだ。
そのパイロットがコックピットに現れると、左右のエンジン出力を調節する事で、機体をコントロールする、パワーコントロールを試みた。
そしてスー・ゲートウェイ空港に緊急着陸を試みたのだが、その最大限の努力により、滑走路を目視できるところまで来ていたのだ。
通常であれば、機体の機首を上げた状態で、着陸するのだが、操縦桿が効かない状態にあるため、着陸の瞬間にエンジン出力を上げる事で機首を上げ、機体の腹で空気抵抗を作る事で、速度を落とす試みで臨んでいた。
しかし、着陸寸前で、機体が右に向き始めた。
機長「左旋回!左旋回!スロットを絞るんだ!」
副操縦士「推力を全部絞って!」
機長「左旋回だ!」
副操縦士「スロットルレバーを全部引き戻して!」
訓練調査官「駄目だ、スロットを絞れない。制御できなくなってしまう」
機長「左スロットル!左!左!左!左!左!」
警報音「PULL UP」
機長「みんな衝撃に備えよ!」
機長「神よ!」
そして232便は、炎上しながら、滑走路を転がり、空港付近のトウモロコシ畑に突っ込んだ。
しかし、すぐに救助隊が駆け付けた事で、296人のうち、184人もの人が救出され、その生存者の中には、コックピットの4人も含まれていた。
操縦不能な状態に陥りながらも、滑走路に到達できたことは奇跡的な事であり、あの123便が、232便を救ったと言える事だろう。
そしてどちらも、航空業界の精鋭クルー達が最大限の努力を尽くした上での事故と言える。
また、これらの事故によって、世界中の航空業界に重要な教訓を与えた事から、航空安全基準や、整備不順の見直しに繋がる事となり、飛行機の安全は、失われた命によっても守られていると言える。
読んで頂き、本当にありがとうございます。
520人の命と、4人の生存者、そして遺族の方々と、関係者の方々の犠牲や尽力があった事を元に、こちらの【ラストメッセージ】を届ける事ができたという事を忘れないで下さい。
どうかよろしくお願い致します。




