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もしかしたら自分はバラモンかもしれないと勘違いした女

作者: よしお

先日のことです。僕は車で信号待ちをしていました。シートにもたれかかり、ぼんやりと今日の夕飯どうしようかなんてことを考えたりしていました。しばらくすると目の前の横断歩道の信号の青が点滅を始めました。そしてそれは赤になります。僕は車を発進させるためにもぞもぞとお尻を動かして深く座り直し右手をハンドルにもってゆきました。そうしながら何気なく横断歩道の右側の方に目をやったのです。すると、向こうから、1台の自転車が、横断歩道に進入してきます。僕は思わず視線を上げて、信号の色を確認します。やはり、赤。つまり、「入るな」と言っています、信号は。しかし、彼女は入ります。そう、その人は女性でした。若い女性です。しかもどうやら日本人ではありません。見たところ、インド? よくわかりませんがとにかくそのあたりの人なのかなと思いました。さて、そのように彼女は赤信号の横断歩道に侵入してきたわけですが、別段、どうにも、急いでいるふうではないのです。さてこれがもし日本人ならば、こういった状況に飛び込むなどというはた迷惑で注目を浴びる挑戦をした場合、十中八九、その人の体勢は前がかりになる、お尻は浮く、そんなふうになって、一秒でも早いこのいたたまれない現場からの解放を願い、ぺこぺこしながら、横断歩道の左側にずらっと並ぶ車の搭乗員たちに「気持ち」を見せるために、ほんとうはこんなことをしてはいけなかったんだけどなにぶん急いでいたものでついやってしまった、ああまずかった、ばかなことをした、申し訳ない、という「気持ち」を見せるために、いかにも己を責めるような、申し訳ないことをしていることは重々承知している、はなはだ落胆恐縮しているというそういった顔、顔だけでなくペダルを漕ぐ体全体の「揺らし方」なんかにもああ俺はばかだというふうに恐縮を滲ませ、そんなふうにして「世間」の許しを請いながら、しゃかりきになってペダルを漕ぎ、その地獄の横断歩道を渡りきるというのがまっとうな日本人のだいたいのやりかたであると思います。これはとりもなおさず日本における「世間の渡り方」にも通じるものがあるでしょう。さて、しかし彼女はというとそんな日本の世間、いや横断歩道を渡ろうとしているのですが、やはり、どうにも、別段、急がない。僕はなにか、時空の歪みみたいなものを感じて、少し目が回りそうになります。


             ここはもしかしたら森林公園なのか?


なんてことを思います。そう、彼女はまるで人気のない森林公園の緑の中でも行くように、なんてことのない、リラックスした笑みを浮かべながら、その場の空気を風を匂いを楽しんでいるふうなのです。少なくとも、そんな彼女だけ見ていると彼女がいるその場所が、その前に車のずらっと並ぶすでに信号が赤に変わった横断歩道だということが、にわかには信じがたい気持ちになるのです。僕は思います。彼女はじつは別の場所にいるのではないか? あるいは俺がいるここ自体が、じつは目の前に横断歩道の走る、車道なんかではないのか? つまり俺は公園だかどっかの芝生の上で居眠りをしてしまい、車で町中を走る夢を見て、そして今、半分目覚めかけているのだろうか? すると今俺を取り巻いているこの車内のハンドルやら窓ガラスやら向こうに見えるガストやら道路、車、そして横断歩道、そんなものたちは今にもずるずる沈んでいって、そしてそこには黄土色の土の道、目の前いっぱいに生い茂る木々、そして青い空とまぶしい太陽、焦げ茶色の暗い土の上をまだらに漂白したみたいに白っぽく染めている木漏れ日、などが現れるのだろうか? そして俺の寝そべる芝生の前の黄土色の土の道を、彼女は涼やかに通り過ぎてゆくのだろうか?

そんなふうなことを思いながら、僕は完全に目覚めて、周囲の光景がそんなふうに入れ替わるのを待ちました。しかしなかなか、入れ替わらない。僕は運転席の窓ガラスの下部分をトントンと叩きました。そして左手をハンドルに持って行き軽く握り感触を確かめました。同時に背中をもぞもぞと動かし、シートの感触も感じ取ります。それから左側の助手席のあちこちに目をやり、外を見てそして車の後ろの座席に目をやりました。そのとき、その後部座席の諸々を目にした時、さっと、僕をある「確信」が貫いたのです。


          おいおいこれは


            現実だ!


              

僕はさっと「彼女」の方に目をやる。

彼女はさっきの様子と変わらない。相変わらず涼し気な様子をして、悠々とペダルを漕いでいます。もうすでに六月も半ば、少し蒸し暑い季節になっていましたが、彼女のまわりだけは常に涼しい香のよい空気が取り巻いているかのように見えました。

彼女はそんなふうに、赤信号の横断歩道を悠々と渡っています。そこには力みや気負いなどは微塵もありません。自己を責め、左側に居並ぶ「世間」に媚を売る様子など、その佇まいの中のどこにも見つけることはできません。背筋はすっと美しく伸び、ほとんど笑みさえ浮かべながらゆうゆうとペダルを漕いでいるのです。ほっそりとした体を包むワンピースのスカートの裾が、さわやかにに風に揺れます。

僕はそのとき、「異文化」を見ました。日本の風土にどっぷりと漬かっていた僕は、人間というものは赤信号を渡るときは冷や汗をかきぺこぺこと頭を下げながら必死さと自責の念を世間にアピールしながらしゃかりきになって渡るものであるという固定観念の中で生きていたのです。短い横断歩道ならともかく、ある程度の距離のある横断歩道に「赤になってから」飛び込むなどという、出来心にしろなんにしろ世間の非難を受けて当然なことをしたときには、そんなふうに、激しい恐縮をアピールしながら、ケツを浮かし顔を歪め、すみやかに渡り終えるというのが、まさに僕の中の常識であり、この世の暗黙のルールと認識していました。たとえつっぱった中高生でも、顔をふてぶてしく歪めながらも、やはり途中で耐えきれなくなり、ケツは浮いて、うつむきながら舌打ちをし、頭を反抗的に揺らしながらも結局スピードは上げるというのが、この場合のあたりまえであると僕は思っていたのです。


ところで、ここで話は本筋から少々脱線します。

というのもペコペコしなくともよい渡り方というのがじつはひとつあるにはあるので、まあこの機会にそれについて少しここでご紹介しておくのもわるくないだろうとふと思ったからです。


さてみなさんは「赤信号、みんなで渡れば怖くない」という言葉をご存じでしょうか。

そう、まさに恐縮してしゃかりきにペダルを漕がなくともよい方法とは、ずばり、「赤信号をみんなで渡る」なのです。

つまり、「集団の中に埋もれる」のです。


さあ、あなたは百人で横断歩道を渡るのです。どうですか? さきほどとは、全然風景がちがって見えませんか? さきほどとはちがって、自分に力強さを感じませんか? かかってこい!かかってこいよ!矢でも鉄砲でも持って来い!という気分になりませんか? さて車道側の信号はとっくに青に変わっているのに待たされている車たち、その車の中の一台が、ブーッとクラクションを鳴らしたとしたら、百人の群衆の中にいるあなたは、その群衆の中から飛び上がって、クラクションを鳴らした車に対して中指を突き立てるかもしれませんね。笑顔が弾けます。隣の仲間と肩を組みます。興奮した顔でガッツポーズを作り、うおーっと叫びます。このようにみんなで渡れば、色々、怖くないのです。色々。あなたは赤信号を一人で渡っている間、孤独でした。みんなの「こいつマジか?」という視線の中で、自信は失われてゆきます。渡り終えてしばらくしたらまあまた戻ってくるのでしょうが、渡っている間はあなたはたった一人、世間の非難を浴びる中で、自信は粉々になり「自分はダメだ」という思いでいっぱいになるのです。

しかし今、あなたには百人の仲間がいます。なんと心強いことでしょう。ふと道路向こうの誰かがあなたをあきれ果てたような目つきで見ていることに気づき、思わず自信を失いそうになったらば、まわりの仲間に目を向ければよいのです。隣の男はうおーっと言いながら元気に進んでいます。前にも後ろにも頼もしい仲間たちがあなたに寄り添いあなたの肩に手をまわします。そうするとあなたはその道路向こうの彼に対して不敵な冷笑的な挑戦的な笑みを見せ、また中指を突き立てるかもしれませんね。そうしながらやがてみんなでクラクションを鳴らした車をひっくり返したり赤色を示す信号機を押し倒すなんてこともやりだすかもしれません。しかしまあひとりで渡るときはやはり、孤独に耐えかねて、思わずうつむいて、たとえふてくされた顔はしていても、やっぱりケツは浮き、ペダルを漕ぐ足に力は入ってしまうものなのです。


しかし先ほどの女性、彼女は一人で渡っているにもかかわらず、どうやら世間からの孤独や疎外を免れているようなのです。それが証拠に、彼女の様子には、微塵も、縮こまったところがありません。「逸脱者」であることから逃れるためにしゃかりきになって、私はあなた方とおんなじですよ、異分子ではございませんよと訴えかけ、そんなふうにして「世間」に迎合しようなどとする気持ちは、その必死さとは無縁の力の抜けた表情、佇まいからも、一切持ち合わせてなどいないことは、一目瞭然です。それにしても、いったい彼女は何者なのでしょうか。この日本国において赤信号の横断歩道をちんたら横断する者というのは、ほぼほぼそのパーソナリティーになんらかの甚だしい欠陥を抱えた人間に限られてくるものなのではないでしょうか。しかし彼女はそうでしょうか? いえちがいます。それどころか、僕は彼女から、その姿全体から漂ってくる何かから、とても円満で調和した人格を感じざるを得ないのです。そう、たしかに彼女はインド人です(たぶん)。しかし日本人でないからという理由だけで、ここまで「ちがう」ものなのでしょうか。たしかに目の前には「異文化」が展開されていますが、しかし異文化とはこうもすべて、日本とはかけ離れているものなのでしょうか。そのとき僕は閃きました。バラモン? 彼女はたしか手塚治虫のブッダとか他の漫画やらでなんか出てきてたような、なんかすごい、なんか、すごい上の人、なんか他とは人種が違うくて数も少ない、美しい、高貴な、そんな人、なんか、カースト最上位だったとかそんな、たしかそんなだったような、つまり、スクールカーストだとかママ友カーストだとか、そんなチンケ亜流じゃなくて、ものほんのカーストの、いうなればもはやビシュヌとかラクシュミーとかそんな神に近い、とにかく、あの、バラモンなのか? と。


さて、いずれにしろ、僕はそんな彼女の姿に、思わず半開きの口になって目を奪われていましたが、ふと、なにかの拍子に目が合ってしまったのでした。すると彼女は、軽い、やわらかな笑みを浮かべ、僕に向かって、わずかに、うなずいたのです。僕の口からは「ヒ、ィっ」と小さな呟きのような叫声が漏れ、そして目は伏せられ、つづいて頭はかくっかくっと二度小刻みに前後しました。全身がぴくぴく震えています。さて、そのとき、僕の中から、僕の()()()()は、消え去っていました。僕という人間は、そのとき、完全に、()()()()()()いました。巣に蜜を運ぶミツバチに、イワシの群れが一斉にその進む向きを変えるときのその中の一匹のイワシに、自由意志などはないように、そのときの僕にも、そんなものは、なかったのです。ゴッドハンドの前の使徒、イケメンホストの前の頂き女子、頂き女子の前のおじさん、の如く、そのとき、己の自由意志などどこかに吹っ飛んでしまい、僕の思考も感情も挙動も行いもすべて、そのとき、他の強烈な何かによって乗っ取られ支配されてしまっていたのです。


                  ちくしょうっ!


僕は左拳をぐっと握りしめました。彼女は僕の車のフロントガラスの前を黒い艶やかな髪を優雅にたなびかせながら通り過ぎ、隣の車にも、あの親しげなやさしいうっすらとした微笑みを向け、そして、わずかに、うなずいてみせるのでした。僕にはとっくに青信号に変わっている車道の上の、隣の車の男の間抜けな姿が頭に浮かびました。とっくに青信号になっているのに進もうともせずぼんやりと、ちょこんと座席の上に乗っかっている隣の車のハゲおやじの姿が(知りませんが)、浮かびました。そしてそのおやじは微笑まれうなずかれて、僕と同じように軽く悲鳴を上げてうなずいたんじゃないでしょうか。そして生意気にもえらっそうにこきたないおやじの分際で! 若干のチンケな屈辱なんぞを感じたやもしれません! しかし彼のことだからそれはあっという間にこきたない快楽に取って代わられたのはまずまちがいないでしょう! 僕は思わず心の中で、「下民めっ!」と吐き捨て、睨みつけそうになりました。

さて、彼女は横断歩道を渡り終えました。車道の信号はというと、もちろんもうとっくの昔に、青になっています。しかし彼女はカースト最上位の女、つまり我々の中で最も神に近い存在です。我々のように神から離れすぎている者は、完成された清浄なる究極の美と調和であるところの神の威光は届かず、智慧とは無縁の薄汚れた化外の地でこ狡くあさましく日々を貪りと醜い争いの中で浪費しているわけですが、かたや彼女の上には、その究極の完成であるところの神の威光が、惜しげもなく降り注ぎ、その全身を包み込んでいるのです。つまり、彼女は我々とはまったく「次元」を異にしているのです。我々にしたって、道を歩いているとき、左からカナブンや芋虫やヤモリなんかが歩いてきたとして、わざわざそのために歩みを止めるでしょうか? おや? とは思うかもしれません。しかしわざわざ彼らが道を横切るのをじっと待っていたりはしないでしょう。ですから、彼女にしたって渡るのです。そうしたら「下民」たちは止まります。虫たちには人間の偉さは理解できませんが、我々にはわかります。彼女が渡っているということは車道側の信号が赤であろうと青であろうとすなわち赤です。そして彼女が渡る横断歩道は、常に、青なのです。彼女にとっても、我々にとっても。さて、彼女は渡り終えたわけですが、その背筋は美しくすっと伸びたまま、肩のあたりにもその全身にも、いささかの力みもありません。おそらく、今しがたの取るに足らぬ出来事など、まだそれがあってから数秒ほどしか経ってはいませんが、彼女の頭からはもうすでに消え失せていたことでしょう。いえそもそもそこで「なにか」があったとすら、思ってはいないことでしょう。夏の日の公園で道を歩いているときにふと目をやるとそこにカナブンがもそもそ動いているのが見えたからといって、それがいったいいかほどのものだというのでしょうか。あなたは気にせず道を渡るでしょう。それはあなたにとって「なにか」でしたか? ようするに、そういうことなのです。

そして彼女は涼やかに、まるで天女の羽衣が風に流れてゆくかのように、去ってゆきました。


さて、あなた。

あなたはもしかすると、まねをしてみようと思いましたか?

いやいや、それは絶対やめておいたほうがよいでしょう。

だってあなたはおそらく、骨の髄まで庶民じゃないですか。

ですからまちがいなく、ぶざまな姿をさらすことになります。こんなふうに。


あなたは出来心で赤信号のそれなりの距離のある横断歩道に侵入する。するとあなたのことだから自然に、つま先はペダルを強く踏み込もうとしますし、ケツは浮き上がろうとするでしょう。しかしあなたはそれらを懸命になだめなければならないわけです。つまりあなたはあなたの心の肉体に対するこの場合そのあなたの心にとって極めて自然な指示であるところの「ケツを上げろ」「ペダルを強く踏み込め」という有無を言わせぬ日本の庶民なら心から当然湧き上がってくるそんな指示に逆らい、ケツはサドルにぽてんとくっついたまま、ペダルは緩慢な円を描くに任せたままという、とにかくこんな庶民にとっては極限といえるような状況の中で、あなたはそれから脱する努力を、放棄しなければならないわけです。

苦しみが、あなたを襲いますね。庶民の中の庶民のあなたは、このような状況において、呼吸が乱れ始めるでしょう。そして自転車のハンドルを握る手のひらにはじっとりとした汗が滲み始めるでしょう。ほら、車の中から、みんながあなたを見ています。フロントガラスの向こうから。どんな目つきであなたを見ているのでしょうか。車道側の信号はもう青になっています。なのにあなたはちんたらと自転車を漕いでいます。みんなどんな目つきであなたを見ているんでしょうね。あなたは、自然と、うつむいてしまいそうになるでしょうが、だめです、顔は上げていなければなりません。だってさっきの女性は、べつにうつむいてなんかいませんでしたよ。涼やかな顔をして、口元に淡い笑みを浮かべ、まっすぐ前を向いていましたよ。さて、あなたにはまだやらなければいけないことがありますね。そう、余裕の表情を浮かべることです。そしてフロントガラスの向こうの顔に、やわらかく微笑みかけ、うなずいてみせなければならない。もちろん、おそろしいプレッシャーがあなたにのしかかるでしょう。あなたは、今こうして、赤信号の横断歩道をちんたらちんたらやってるのも、苦しくてならないはずです。あなたの左半身は、左側にずらっと並ぶ車のガラスの向こうから放たれる、まさに突き刺さってくるような視線に、ほとんど麻痺したような状態になっていることでしょう。唇が手が太ももが震え始め、もうまっすぐ走ることもおぼつかなくなり自転車はふらふら揺れ始めるでしょう。あなたはなんとかそれを必死に安定させようとします。目は強張り、冷や汗が全身を流れます。しかしなんとか踏ん張らねばならないのです。そして「リラックス」せねばならないのです。ぺこぺこしては絶対いけません。いわゆる典型的な庶民のあなたは、こういうときすぐにぺこぺこして相手側の自分に対する敵意をなだめようとします。しかしさっきの女性の姿を思い出してください。必死でしたか? 苦しんでいましたか? ぺこぺこしていましたか? さてあなたはそんな状況で、さらに、左に並んだあなたを視線で殺してやろうと目論んでいるのではないかとあなたが勘繰っているガラスの向こうの顔のひとつひとつに対して、うっすら微笑みかけ、そして、その微笑みのまま、うっすらうなずきかけるという、明らかに身の丈を超えた、失敗すればあるいは命がないかもしれないという挑戦が残っています。というのも、もしかすると彼らのうちの一人や二人は、「何がだ!?」と言わんばかりに逆上して、思わず反射的にアクセルを踏み込んでしまうかもしれないからです。なぜなら、彼らはあなたが憎ったらしくてしょうがないからです。彼らはこう思っています。「なんなんだおまえはっ!?何をやっているんだっ!?おまえはちがう!おまえは全然ちがうだろうがっ!下民めっ!何を勘違いしているんだっ!?身の程を知れっ!」と。彼らの目に宿る憎しみ、侮蔑、嫌悪、苛立ち。思わずアクセルを踏み込みそうになるのを必死に堪えています。実際あなたの目の前の1台が、あなたを威嚇するように、ブオンと20センチほど前進します。あなたはそれを見てビクリと体を震わせ、心臓が縮み上がり、思わず悲鳴のような声が出そうになります。どこからかクラクションがブーッと鳴ります。あなたはまたビクッとします。それを契機にあちこちからブーブーブーブークラクションの大合唱が始まります。そして一台の車の運転席の窓ガラスがウィーンと開き、開いた窓から男が顔を突き出し、そして言います。「おいおまえどないなっとんねん!?気ぃ狂たんかっ!?」あなたはもう頭の中が真っ白で何も考えられなくなっています。ただ気ぃ狂たんか気ぃ狂たんかと頭の中でひたすら気ぃ狂たんかがリフレインしています。長い、長すぎる。わすが50メートルの長さの横断歩道が、未だ、スタートラインに立つマラソンを走るランナーが、これからの長い行程を思う気持ちと同じくらい、遥かなものに感じます。あの、向こうに見えているはずの、横断歩道の終わり、もう三十メートル足らずほどしかないはずのその地点、横断歩道の終わりはたったそれだけの距離のなのに、あなたはどうしてもそこに辿り着ける気がしません。

苦しい。

苦しい。

あなたは歯を食いしばり、意を決し、挑戦を始めます。一台の車の運転席の女に向かって、ひきつった笑みを向け、がくんとうなずきます。すると女は目をカッと見開き、歯を剥き出します。女の中を、このなにやら勘違いしている女に思い知らしてやりたい、という欲望が突き上げます。反射的にアクセルを踏み込みそうになりますが、なんとかすんでのところで踏みとどまります。しかし叶えられなかった、どうにもこの女に絶対、絶対、思いしらせてやりたいんだという強烈な赤黒い復讐心は彼女の中でさらに烈しくマグマの如く煮えたぎり、その烈火の如き思いは腹から彼女の右肩、そして右腕全体にまで流れ込むと、彼女は総合格闘技の選手が相手選手をマットに引き倒すときのような鋭いグルンとしたその右腕の動きでハンドルの中央部のクラクションめがけて手のひらの手首に近い部分を思いっきりガツン!と押し込みます。


ブーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっっっ!!!!


あなたに対する猛烈な敵意を含んだけたたましい音が、あなたのすぐ横で爆発する!

あなたは思わずバランスをくずし、右側に倒れそうになるがなんとか踏ん張る!あなたはがくがくと震える頭をその左側の車に向けようとするが首が固まってしまってほとんど動かない!

それであなたはパニックになって強張った見開いた目だけをギョロリとその車のフロントガラスの向こうに向ける!

するとそこには、鬼が、歯を剥き出し、血走った目を見開き、そんなまるで韓国映画の殺人鬼が今にも斧を振り下ろそうとしているときのような顔をして、右手を相変わらずクラクションに押し付け、死ね! 下の下の女めっ! あんたは下の下の女なんだっ! 何を勘違いしているんだっ! 死ねっ! とばかりに、睨みつけているのでした。

クラクションは途切れることなく爆音を響かせつづけています。あなたはその爆音の中、猛烈な敵意に取り囲まれ、茫然自失、何も考えられなくなり足からは力が抜けて、とうとうその場に崩れ落ちます。


イィヤッホぉうっっっっっっ!!!!!!


そこに居合わせた複数の車の搭乗者たちの心に湧き上がったそのスカッとした気持ちを音にしてみたらこんな感じになるでしょうか。そして彼らは倒れているあなたに向かって心の中でつばを吐きかけざまあみろ!調子に乗ってんじゃねえ下民がっ!とでも呟いたかもしれません。

こんなふうに人間というものは、身分不相応な振る舞いをする人、勘違いをしている人、ガチョウなのに孔雀ぶっているような人孔雀になろうとしているような人を決して許しません。しかし逆に「本物」には滑稽なほど卑屈になってしまうものなのです。さて、だいたいあなたには自信が足りません。あなたは「疑って」います。にも関わらず勘違いして孔雀として分不相応に振る舞おうとしていたのです。だからよけい彼らはムカついたのでしょう。さっきのバラモン(たぶん)の女性を思い出してください。彼女は「疑って」いましたか? いえ、なにも疑っていません。彼女は根っからの「バラモン」なんです。だから僕は彼女にうなずかれて、うなずきました。ええうなずきましたとも。隣のおじさんもたぶんうなずいたでしょう。そしてあなたを地面に引き倒した、韓国映画の殺人鬼のような目をしたあの女、あの女にしたって、もしあの場にいて、彼女に微笑まれうなずかれたならば、口をいささかへの字に曲げながらも、こくんとうなずいたんじゃないでしょうか。そしてその直後憮然とした顔になる。そして軽やかに涼やかに美しく厳かに去ってゆく彼女の背中を、最初は上目遣いに、相変わらず口をへの字にいささか曲げたまま、どんよりとしたどことなく恨みがましそうな妬ましそうなしかし己の敗北を認めてしまったもの特有の「屈服」と「恭順」の力のない目つきで見つめ、そして彼女のその優雅な天女のような去ってゆく後ろ姿、彼女を目にした彼女がゆく歩道の脇を歩く人々のはっとした様子を見るにつけ、やはり彼女はバラモン、と確信に捉えられ、すると女の口から「はあっ」とせつなげな吐息がもれ、その顔には悲痛な羨望と憧れ、そしてうっとりとした恍惚が浮かび上がることでしょう。そして彼女が角を曲がり消えてしまうと、思わず女はその彼女が消えていった方にふるふると震える手を差し伸べてしまったのではないでしょうか。


さて、あなたに戻りましょう。地面に倒れたあなたはショック状態で身動き一つしません。ひざから血が出ていますがほとんど気づきすらしません。目を見開いてその目からは涙とそして鼻水も出ています。車の人たちは、そんなあなたがなんだか気の毒になってきます。そして先ほど気ぃ狂とんかと罵倒したおじさんがふたたび運転席の窓から顔を出し、「ねえちゃん、大丈夫か?あかんでそんなん、信号赤やん?なっ?悪いで自分そんなん。なっ?大丈夫か?立てるか?」しばらくしてあなたはそろそろと立ち上がります。おじさんは皮肉な顔をしてははっと笑います。「ねえちゃん、身の程をわきまえなあかんで、身の程を。あんたいっこもえらぁないで」あちこちの車で意地の悪いくっくっという嘲弄が起こっています。ざまあみろ··· おまえは全然ちがうんだよ··· みっともねえ勘違い女··· あなたは自転車を少し押してからそれにまたがります。そして前傾姿勢になり体を固くして何も考えず目線はすぐ目の前の地面に据えたまま動かさずそして固く身動きしない体のなかでただペダルを踏む足だけを動かします。あなたは本来車道に沿う道をまっすぐ行く予定だったのですが1秒でも早く彼らの視線から逃れるためにすぐに脇道に入ってしまいます。そしてそのまま用事はうっちゃって自宅を目指します。家に着くと布団を敷き掛け布団を頭から被ります。あなたは何時間も何も思わず身じろぎもせず布団にくるまります。やがて、あなたは泣き始めます。うーうーと呻きながら、掛け布団をぎゅうっと握りしめたり敷き布団をどんどんと叩いたりしながら、泣くのです。


おわり





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