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彼女はこくりと首肯すると、窓の外へと視線を移した。
「私は、……私の存在を認識してくれる人がいてもいいのではないかと思えるようになりました」
僕は彼女の横顔を見つめることしかできなかった。
「……そうか」
彼女の言葉の真意はよく分からない。でも、彼女が何かしらの変化を遂げたことは確かだ。彼女は窓から視線を外すと、再び僕の方を見た。その目に先程までの無機質さはなく、代わりに柔らかな光をたたえていた。
「私の存在を認めてくれる人がいるのならば、私は空気ではなく、ちゃんとした人間として生きられる気がします」
「うん、きっと大丈夫だよ。それにお兄さんだって、君の事を必ず思い出すよ」
根拠はなかったけれど、何故かそう思えた。
「だと、いいのですが……」
彼女は不安げに呟いた。僕はそんな彼女に向かって、無責任な笑みを向ける。
「きっと大丈夫さ」
「……」
彼女は僕から目を逸らすと、少しだけ考えるような仕草をした。
「どうしたの?」
「いえ、その……」
彼女は小さく首を振ってから、もう一度僕と目を合わせた。
「あの……、一つお願いがあるんですが……」
「なんだい?」
彼女は僅かに躊躇う素振りを見せた後、ゆっくりと唇を動かして言った。
「兄になってもらえませんか?」
「え?」
僕は一瞬固まってしまった。彼女は今なんと言った? 兄になって欲しいと聞こえたのだが。
「えっと……どういう意味?」
「そのままの意味です」
彼女は真剣な表情をしていた。冗談を言っているわけではないようだ。
「……僕が君のお兄さんになるっていうこと?」
彼女は小さく首肯した。
「ちょっと待って。そんなことできるわけないだろ」
「……ダメですか?」
彼女は悲しそうな顔をしていた。そんな表情を見せられても困る。
「……そもそも、君にはちゃんとお兄さんがいるじゃないか。なのにどうして、僕が君の兄にならなくちゃいけないんだよ」
「それは……あなたの雰囲気が以前の兄のそれと似ていて……」
「雰囲気が似ているから、兄になれって!?」
「ご迷惑なことは分かっています。それでも、あなたの力を貸してほしいのです」
「……」
僕を見つめる彼女の眼差しは本気のようだった。僕は困惑してしまう。
「……君のお兄さんの代わりになれるとは思えないんだけど」
「いいえ、あなたならなれます」
彼女はきっぱりと言い切った。その口調からは強い確信が感じられた。
「あなたならきっと兄を演じられます。……いえ、演じて欲しいのです」