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ACT5 ジョンとデイビッド

 ジョンとデイビッドはイギリス人だ。彼らは僕がホステルにやってきたときにはすでにいたし、ジョンは僕がホステルを去るときにもそこを去る気配は無かった。彼らはコンビでいつも一緒にいた。何をしているのかは謎に包まれていたが、ホステルの中で中心的存在であることは確かだった。

 エディさんと友達になり、僕の交友範囲はホステル在住一ヶ月を過ぎたころから一気に広がった。エディさんが直接皆に紹介してくれたわけでもないのだが、一緒に他のみんなと飯を食ったりしているうちにエディさんの流暢な英語と、僕の容赦なく駄目な英語が比較され、おもしろがられ、かつ必死で喋ろうとする僕が十九歳だということも認識されて皆に可愛がられるようになった。それに便乗して僕はボディランゲージと下手な英語で皆を笑わせるツボを掴んだ。約束してもいいが、その方法は日本で通用するものではない。日本という国は笑いとアニメーションにおいては他国を遥かに凌駕しているのだ。

 しばらくすると僕はエディさんがいないときでも他のみんなと何とかコミュニケーションが取れるようになった。フレディやジェフは勿論のこと、そのころやってきたジュエルやカミラ、その他名前も知らない滞在者たち(その中には三日間くらいしか顔を見ない人や確実に違法で長期滞在している人たちがいた)とも仲良くやれるようになっていた。

 そんな中でジョンとデイビッドとも話すようになった。最初にジョンが話しかけてきて、

「エディが日本語でしゃべりかける日本人はタクシーが初めてだよ。あいつ意地悪だから他の日本人には英語しか話さないんだ。だからこれまでここでエディに会った日本人はみんな彼のこと日系アメリカ人だと思って国に帰ったよ」

と言って笑った。よく意味が分からなかったけど、とにかく光栄なことなのだろうと思った。デイビッドは寡黙で、でもだからと言って無表情なわけではなく皆の会話に対していつでもスマートに笑った。話しかけるとキチンと返事してくれるし、何というか二人になって無言でいても不自然にならないやつだった。ジョンがヴォーカリストだとするとデイビッドはベーシストだった。実際にはデイビッドはベースではなくギターを弾いた。皆で酒を飲んでいるといつの間にかギターを持ってきて、BGMを奏でた。あまりポップなものは弾かなかったのだが、たまに皆が知っているスタンダードな曲をアレンジして弾くと、その音色の美しさから皆は会話をやめ、その音に耳を澄ませた。

 ジョンは特に歌ったりするわけではなかったが、彼が話し始めると皆、その声に耳を澄ませた。顔もかなりかっこよく、各国の女性宿泊者たちは一様にジョンに夢中になった。しかしジュエルは全くそういうことが無く、ジョンもジュエルに対しては、言うなれば頭が上がらない、または、敬意を表している、ように見えた。

 ともあれ、ジョンはカリスマ要素を持った男だった。僕が一応英語でコミュニケーションが取れるようになり、あるときジミーに「どこか夜遊びに行けるところは無いか」と聞いたら

「いっぱいあるさ。ここはロサンゼルスだ。大いに楽しむといい。でも出かけるなら必ずエディかジョンと一緒に行け。できればジョンはいたほうがいい」

と言った。僕はそのいいつけを守り、夜どこかへ行きたいときはジョンを誘って出かけた。ジョンはほとんど僕の誘いに応じてくれて、でもたまに断られた。断られたとき僕が「何か用事があるの?」と尋ねても「ビジネスさ」と言って女の子たちがコロッと落ちてしまいそうな笑顔を浮かべるだけだった。

 なんとなくジョンの凄さは分かった。そしてそのジョンと一緒にいるデイビッドの凄さも分かった。それはまるで中学や高校に入ったときに、クラスの中で一目置かれるやつが次第に分かってくるような感じに似ていた。そいつらは頭も良く、腕力もあるのだが僕らの目につくところでは目立った行為はせず、でも見えないところで何か力を持っていて、僕らの暴走をコンプレッサーのようにジワリと押さえ、歪んでしまうのを防いでくれるのだ。

 ロサンゼルスの夜の街に出かけ、地球の歩き方で「絶対に近づいてはいけません」というような奴らに会ってもジョンと一緒にいることで、僕は英語も流暢に話せないのにも関わらず、いわゆるブラザーとして扱われた。ディスコに行くと、まるでまづめ時の魚のように女の子たちがジョンに寄ってきて、ジョンはその中の一人と消えた。でもジョンは消える前に必ず僕がホステルに戻れるまでの安全を色々な方法で確保してくれた。おかげで僕は一人でホステルに戻ったことはなく、さらわれるんじゃないか、と思わせるような屈強そうなやつらにいつも送ってもらった。彼らは嫌な顔ひとつしなかった。僕はロサンゼルスにおける日中の歩き方をエディさんに教わり、夜の歩き方をジョンに教わった。平和な街にも危険な街にも最低限のルールがあって、その街に君臨できるようなやつだってそんなルールは守っているのだ。これは僕が人生を生き延びるために彼らから学んだ哲学だ。


 ジョンの力を具体的に感じた出来事があった。僕は住み始めてから三ヶ月くらい経ったころ、そこに住むためのお金が無くなっていた。働き先を探さなかったわけではないのだが、僕は上手くやることができなかった。確かにビザに対して厳しい国ではあったが、エディさんを通じて知り合った日本人数名はビザ無し、つまり違法で旅行代理店などで働いていた。僕のサガのようなものなのだろう。そういうところで上手くやることができない。

 僕の宿泊費が底をつきかけたことを皆に告白した夜、皆がジミーに僕がもっと住めるようにかけあってくれた。でもジミーは

「タクシーのことは好きだが、これは別の話だ。自分で金が払えないなら出ていくしかない」

と言って、車で出ていってしまった。皆はブーイングした。でも僕はジミーに対して申し訳ない気持ちになっていた。どう考えてもジミーの言ってることが正当で、僕が甘えていただけだ。エディさんとミックが僕をキッチンに呼び、エディさんが英語で僕に告げた。エディさんは厳しい顔をしていた。向かい合うとエディさんはゆっくり確実に僕に伝わるように話始めた。

「ジミーの言ったことを恨むなよ。お前は日本飛び出して、アメリカに来て、住むとこ見つけて、ゴールしたような気持ちでいるかもしれないけど、それは間違いでやっとスタートラインに立っただけなんだ。スタートラインから一歩踏み出したら後は自分の力で走るしかないんだ。会場すら分からなかったお前にスタートラインの位置を教えてくれたジミーに感謝すべきだし、それに、ここの経営だって楽ってわけじゃないんだ。ジミーは嫁さんと二人の娘を抱えてる。金が必要なんだ。皿洗いの代わりに飯を食わしてやるっていうのも例外のサービスだ。ただ生き方が分からず、とりあえずアメリカにやってきたお前とはわけが違う。お前は日本に帰れば家族がいるし、ここでの暮らしは言ってみれば遊びだ。お前が出ていけば新しい入居者を招くことができて金が入る。そしてその金は彼らにとってかけがえの無い金になる。それくらいギリギリでやってんだ、ここにいるやつらはみんなそうさ。ミックだってそこから賃金もらってるんだ。生きるためさ。いいか、お前はさっきブーイングたれたやつらに対して責任を持つべきだ。あの場面でジミーがブーイングされる言われは無い」

 全くもってその通りだった。僕は怒ってもいなかったし、悲しんでもいなかった。ただその言葉に同意見だった。ミックが何か僕を慰めようとしたが、エディさんが止めた。エディさんも少し悲しそうな顔になっていた。始まりがあれば終わりがある。それを分かっていることを彼らに告げたかったが言葉が出てこなかった。そんなとき、リビングで男が吼えるように怒鳴る声が聞こえた。

 僕ら三人が振り返るとリビングで黒人の大男が日本人の男の胸ぐらをつかんでいた。そこにいた皆が黒人の大男を抑えるのだが、その男の力はものすごく抑えた奴らが次々に引き倒されていった。

 日本人の男がコーナーまで追い詰められた。そこは受付のドアがあるところで、その奥でクリッシーは何事も無いように本を読んでいた。黒人の大男は僕がよく朝挨拶を交わす男で時折小さい娘を連れているところを見た。彼は確かに全身が鋼のような筋肉で覆われている格闘技でもやっていそうな奴だったが、僕はそれまで笑顔しか見たことが無かった。そして日本人の男の方は、確かホステルにその男がやってきたとき、スーツケースを部屋まで運んでやったことがあった。このホステルにスーツケースを持って来る奴なんていなかったからかもしれないが、ミックでさえ彼に対してはあまり友好的とは言えない態度を示していたのを覚えている。僕は彼がミックの受付の説明を受けているとき、ソファでショーンコネリーが出ている映画を観ていた。“メディスンマン”という映画だった。隣にはジュエルがおり、その隣にはカミラがいた。彼女たちはその日本人の男が入ってきたときチラッと見ただけで、後はそこにいないかのように無視していたようだった。映画が終わり、僕に「また後でね」と言うと二人とも部屋に戻って行った。

 日本人の男はあまりミックの説明も理解できていないようだったが、とにかくイエスと頷きながら意味も無く笑っていた。ミックは早口で喋っており、僕は彼の言葉が全く理解できなかった。

 金を受け取るとミックはその男に「ついて来い」と言い、さっさと階段を上っていってしまった。その後を急いで追いかける男はスーツケースとギターケースを持っていた。無意識に僕は、階段を上るのに苦労しているその男のスーツケースを持っていた。僕は力がある方なので、結構軽々とスーツケースを持ち、彼の先に立って歩いた。

「あ、ありがとう。日本人ですか?」

 そう聞いてきた男に僕は頷いた。三階まで上がると、そこでは待ちわびた顔をしてミックが立っていた。ミックは僕の姿を見ると意外な表情をして、少し笑った。僕は部屋にスーツケースを入れてやると、そのまま部屋を出ようとした。でも入口の所で我満できなくなり振り返って尋ねた。

「ギター、ですか?」

 男は心から嬉しそうな顔をした。

「うん、そうギター。ここの近くにMIっていう有名な音楽学校があってさ、そこに入るんだけど、住むとこ探すまでここにいようって思ってね。君ギターやるの?」

 僕は多少ギターも弾いたが「いいえ」と言って部屋を出た。後ろから「今夜どこか遊びに行かないか」と言われたが振り向かなかった。

それ以来まともに会っていなかったし、夕食の時間にたまに顔を見るくらいだった。彼はその後やってきた日本人とつるんでいて、他の外国人たちとはほとんど交流が無いようだった。


黒人の大男は右腕をいつでもストレートがぶち込めるように構えながら、何か大声で激しくまくしたてていた。多分もう、あと少しテンションが上がったらぶち込んでいたのだろう。いくら何でもそれはその日本人の男にとって悲劇的だと思い、僕も回りを囲む皆を割って止めに入ろうとしてエディさんに止められた。

「下手な正義感出すなや。死ぬぞ」

「だって」

「だってもくそもあるかい。あいつは何かしらルールを破ったんやろ。しゃあないわ。あの黒人は普段ええやっちゃねんけど、もうああなったらおしまいや。俺も何もできん」

 黒人の大男の声が少し静かになったが、しかしそれは落ち着いたというより、ぶち込む準備のようだった。そんなギリギリのラインに辿り着いたとき、ジョンとデイビッドが帰ってきた。「今夜のディナーは何だいハニー」そう歌いながら入ってきたジョンが騒動の中心に向いた。

「何してる?」

 一同は静まり返った。ジョンから黒人の大男に視線を移すと、大男は静かに日本人の男から手を離し、日本人の男はそこに座り込んだ。大男はゆっくり振り返りジョンだけに向かって「何でも、何でもないんだよジョン」と言って、ジョンと握手を交わすと部屋から出ていってしまった。

「今夜のディナーは何だいハニー」

 そう歌いながらジョンはキッチンに入っていき、その後を歩くデイビッドが僕の方を見てウィンクした。皆はざわめきながら散り散りになり、僕は日本人の男を見ていた。彼は流れる涙にも気づかないくらい呆然としていた。ルール、一体彼はどんなルールを破ったというのだろう。どんな過ちを犯してしまったのだろう。でもそれより僕はジョンが現れたシーンが胸に焼き付いていた。彼は何人もの男が抑えられなかった事件を、たった四つの単語で、まるで何も無かったかのように終わらせたのだった。

「What are you doing?」

 ただそれだけで。

強烈なシーンに時間を止められたように立ち尽くす僕の肩をエディさんが叩いた。

「ところで、あと何日分泊まれる金払っとるんや?」

 と言った。すっかり忘れていた。僕はここを出て行かなければならず、そのことについて非常に極めて真剣に考えなければならなかったのだ。僕はエディさんに

「あと三日」と答えた。

 僕らは日本人の男が立ち上がるまでその場で彼を見るともなく視線を動かせずにいた。

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