ACT13 ホステル・ハリウッドヒルズ
ガランとした部屋の中で響くのは、僕が荷物を整理している音だけだ。約一年前にゲストとしてこの部屋を訪れた僕が、なんだかこの部屋の最後を看取っているような感じだった。
荷物の整理を済ませ、僕はしばらくその部屋の中を眺めていた。それぞれのベッドを眺めていると焦点が合わなくなっていくようで、なんだかそこにここを去っていったみんなの姿が見えるような気がした。それは多分、みんながここに残していった自分のカケラのようなもので、いつしか亡霊のような存在となり、僕を見ていたのだと思う。僕がどっちに転ぶのか、彼らは息をひそめて眺めていた。多分彼らにとって僕が今旅立つことは予想外だったのかもしれない。僕にとってもそうだ。自分の力だけではここを抜け出そうなんて思うことはできなかったのだと思う。祖父は僕を少しだけ泳がせ、ギリギリのところで自らの死をもって繋ぎとめてくれたのだ。多分そうなのだ。
アーミーバックを背負いシカゴブルズのボストンバックを肩にかける。来たときと全く同じスタイルで僕は部屋を出た。ドアを閉めるとき僕は「サヨナラ」と口にした。勿論部屋から返事は無い。鳥が裏山で鳴いただけだ。
リビングに下りると丸テーブルでミックが書き物をしていた。
「ミック、行くよ」
「あぁ、タクシー。本当に行くんだね」
ミックは眼鏡を外して立ち上がり僕の手を握り、固くハグをした。
「他のみんなは?」
「残念ながら僕と、ソファでテレビを観ているジュエルだけだよ。みんな忙しいんだ」
少し残念ではあったが内心ホッとしていた。ジミー、クリッシー、ジョン、そしてその他にもいる名前を知らない住人たち。あまり多くの人に会いすぎると、僕はここにカケラを落としていってしまいそうな気がする。
僕はジュエルとテレビの間に立って、ジュエルに「サヨナラ」と言った。ジュエルは僕を引き寄せハグをした。「サヨナラ、ボーイ」ジュエルはしばらくそうしていて、僕は後ろから流れるMTVの音を聞いていた。体を離した後僕はジュエルに
「ジュエルはテレビを観すぎるよ。気をつけてね」
と言った。
「知ってる。私には色々と問題が多いの。でも何とかするわ」
ジュエルはニッコリと笑って言った。その笑顔は僕に、深い森の奥にある城のようなものを思い起こさせた。何でそんなものを思い起こしたのかなんて分からない。でもとにかくそうだったし、僕は口にせずに彼女が無事にいるようにと願った。
ジュエルはソファから、ミックは丸テーブルから僕を見送った。ホステルの入り口のドアを閉めた手を離さないままで、僕はその建物を眺めた。そして今までそこにいたミックとジュエルの姿がスッと消えてしまうところを想像した。彼らはもう現実の僕がコンタクトできる場所にはいないのだとそう思い、ドアノブから手を離した。
ノース・ハイランド通りとハリウッド大通りの交差点に立ち、僕は最後にホステルのあった方向を眺めた。建物に隠れてその姿は見ることができなかったが、僕はその方向から静かだけどダイナミックなリズムと旋律が聞こえてくるような気がした。その遠く向こうには“HOLLYWOOD LAND.”という昔のままのサインが見えて、“LAND”の“L”の字の中に座ったペグが、ホステル・ハリウッドヒルズから流れる音楽に合わせてメロディを口ずさんでいた。
「ホステル・ハリウッドヒルズへようこそ」
僕はその歌をしばらく聴いていて、エンディングのコーラスに入ったところでその場を立ち去った。そのまま僕は後ろを振り返らなかった。