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ACT9 アキラとケン

 クリッシーの言う通り、僕の額の傷は非常に早いスピードで回復した。抜糸をしてすぐにそれはかさぶたとなり、外敵の侵入を防ぐ形となり、日常生活を送る分には何ら問題無くなった。

 僕はジャパニーズレストランで皿洗いとして働き始め、職場のみんなとも仲良くなった。その職場で働く人々は、オーナーを除いた全員がビザの切れた不法滞在者であり、そしてそれはオーナーの力によるものだということだった。僕は自分を紹介してくれたエディさんや、ロサンザルスに滞在するために話し合ってくれたホステルのみんな、そして迎え入れてくれたレストランのみんなの気持ちに報いるべく一生懸命働いた。

 昼はレストランで働き、夜はホステルの雑用を行った。ホステルでは主に日本人客の世話係をし、夕食の準備を手伝い、皿を洗い、ミックと一緒に備品のメンテナンスを行った。ジョンとデイビッドに同行して、彼らが何かしらの商談を行う間、運転席に座って待っていることもあった。警察がやってきたらそこらへんを一周して再び同じ場所に戻ってきて彼らを待つのだ。免許証はジョンが用意してくれた。僕は車に乗るときや、時折彼らとディスコに出かけたりするときなどには“ケス”というノルウェー国籍の人間になった。“ケス”はノルウェー生まれのロサンゼルスリトルトーキョー育ちであるという設定で、その免許書をIDカードとして使っていたのだが一度も怪しまれることはなかった。ジョンがいうには

「タクシーがそのIDで捕まるんだったら俺らはもうロサンゼルスにはいないよ」

ということだった。とにもかくにも、僕はロサンゼルスで金を稼ぎ、暮らすことができるようになった。

 半年が過ぎた頃、僕はその頃自分でも気づかなかったのだが、冒険の場所であったはずのそこを日常として捉えるようになっていた。日本を出たころの不安が入り混じった野心のようなものは全て消えうせ、未来も過去も何も考えず、ただそこでの暮らしを考えていた。僕はそれを永遠と勘違いしていたのかもしれない。

 ホステルの近くにはホリデーインがあり、日本人観光客の多くはそこに泊まっているらしかった。しかし旅慣れしたバックパッカーは思っていたより多くホステルを利用しており、そして彼らのほとんどが僕より英語が流暢だった。喜ぶべきか喜ばざるべきか、あるときジョンに

「何で俺達が彼らとあまり話をしないか分かるか?彼らはタクシーより英語は上手くしゃべる。でも言葉はあくまで方法でしかないのさ。伝わりにくい言葉だからこそ、そいつがマジで何かを伝えようとしているのかどうかが分かる。純粋にお前と話すほうが楽しいし、そういう奴はあまりいない」

と言われたことがあった。よく捉えれば僕は彼らと心通じているのだと言えるが、悪く言えば相変わらず英語力が成長しないのだ。

 そんなジョンたちが接点を持とうとしない日本人たちは、何故かしら僕にとってもあまり魅力があるとはいえない人ばかりだったのだが、その中に僕の日常に甘んじる考えを砕いてくれた二人がいた。彼らはある夜、まるで闇討ちにやってきた侍のような風貌でホステルに現れた。

 その夜、ホステルにいる奴らは、とある日本人の女の子に夢中になっていた。三泊四日で旅行に来た日本人の女の子のうちひとりは、いわば可愛い娘だった。どこかのアイドルグループの一人とか、そういった感じだ。もう一人のほうは、何というか、かなりエキゾチックな、アジアンテイスト丸出しな顔つきで、少し男っぽい感もあった。

 昼に僕が彼女たちの受付をしたとき日本語でホステルの仕組みなどを説明すると「日本語が上手ですね」と声を揃えて言ってきた。一瞬何を言っているのか理解できず「日本人ですから」と答えると、再びセリフを合わせたかのように「あー、そうなんですか、メキシコの人かと思って」と言った。確かに僕はそのとき休みのたびにビーチに出かけすぎていたし、ホステルの住人であるイギリス人の美容師のリンダにアーミーのような髪型にしてもらって、少し髭を生やして迷彩のタンクトップを着ていて、加えて言うなら僕はメキシカンハンバーガーショップによく通って、メキシコ人のおじさんとも仲良くなったけど、いきなり僕をつかまえてメキシコ人は無いと思う。同じ国籍の、しかも同年代くらいの女の子にそんなことを言われると、何だか少しショックだ。言っておくが僕はメキシコ人の知人は多くいた、ハンバーガーショップのおじさんを筆頭に。でも僕は日本人なのだ。そういうことはきちんと考えてから言ってほしい。

 そういったわけで僕はその二人を(悪気は無かったのだろうが)、ちょっと嫌いになった。だからリビングにいてもまるで放っていたのだが、ホステルの男どもはチラチラと声をかけていて、しまいには僕のところにやってきて「紹介しろよ」と言い出す始末だ。紹介も何も自分でくどけと思ったのだが、その女の子たちは僕が言うのも何だが見事に英語が話せず、ただニコニコしているのだった。僕から向かって右側がアイドル風の女の子で、左側がエキゾチックな女の子だ。右側だとは思いながらも「どっち?」と聞くと、男達は揃って「左側に決まってるだろ」と耳打ちしてきた。そのとき僕は国境のある所以を知ったような気がした。

 僕が(体裁上)その女の子二人に、ホステルの住人ひとりひとりの名前をとりあえず紹介すると、すぐに女の子を中心とした輪ができて、コミュニケーションとは絶対に呼びたくない会話を交わし始めた。ソファに座っていたジュエルはその光景を見て鼻で笑った。そんなとき、アキラとケンがやってきた。

 クリッシーが受付のドアを開き僕に「仕事だよ」と言った。リビングのドアを開くとそこには二人のアジア人が立っていた。一人は背が高くバンダナをしていて、鋭い目つきをしていた。もう一人は僕と同じくらいの身長でサングラスをかけ髪の毛を後ろで結んでいた。彼らは二人とも無精髭を生やしていた。

 僕はいつもアジア系の顔の客が来るとクリッシーに「仕事だよ」と呼ばれるわけなのだが、とりあえず最初はままならぬなりに英語で話すようにしている。日本人だと決めつけて日本語で喋りだすのは、ロシア人に向かって「ナイストゥミーチュー」と言うようなもので、それは失礼にあたると考えたからだ。僕の英語はかなり不完全ではあるが、ホステルのみんなと長くいるおかげで、ゆっくり喋ればそれなりに聞こえるくらいの発音はできるようになっていた。

 僕が、ハリウッドヒルズへようこそ、というところから、滞在日数や予定等を英語で尋ねると、サングラスの方は背の高い方を見上げた。どうやら日本人か、と日本語を喋りだそうとすると、背の高い方がいきなり英語で話し始めた。その英語はネイティブとまではいかないまでも、第二国語でそれを使う、ヨーロッパ人のような英語だった。僕は突然の対応に戸惑ってしまい、言葉が切れてしまった。すると背の高い男は、「あっ」というような顔をしてから言った。

「ごめんなさい、日本人です。僕はアキラ、彼はケンです。よろしく」

 それまでの緊張した雰囲気が二人の周りから一気に消え、僕らは日本人よろしくペコペコしながら挨拶した。

「最初英語で話されたから、こっちの人かと思ったんだけど、ちょっとスピード遅いからどっちかなぁって思ったんですよ」

 そう言ってアキラという男が笑うと僕は少し恥ずかしくなった。

「すみません、一応僕なりのルールみたいなもんで、最初は英語で話すようにしてるんです」

「大丈夫、結構その気持ち分かりますから」

 一通りの挨拶的な会話を終え、僕は彼らをリビングのテーブルに招いた。僕らが入って行っても、まだみんなはエキゾチックな日本人の女の子に夢中で、こっちを見向きもしなかった。アイドルは少し不満気だ。おかげで僕はゆっくりと二人の受付をすることができた。

「旅行ですか?」

「うん、まぁそんなもん」

「ロスの他にもどこか行くんですか?」

「行くよ」

 それまで口を開かなかったケンという男がサングラスを外し、愛嬌のある目を覗かせて言った。

「行くよ。僕らね、アラスカに行くんだ。オーロラを見に」

 僕はその言葉を、何か歌を聴くような気持ちで聞いた。アラスカに行くんだ、オーロラを見に。僕の中で何かがグラリと揺れ、そして実際に座りながら少しバランスを崩した。僕とアキラとケンのいるテーブルの空気の密度が少し濃くなって、リビングの他の人間の気配が薄れた。僕らはそのまましばらく無言で向き合っていた。


 アキラとケンは一週間ホステルに滞在することになった。僕らはその一週間、僕が働いている時間以外は行動を共にし、おかげでホステルの住人たちから異様な目で見られた。僕はそれまで日本人の滞在者と行動をすることは無かったし、極端に言うなら受付の時に言葉を交わすだけということばかりだったからだ。でもアキラとケンに僕は惹かれた。特別なことを話したりするわけでもないのだが、僕は彼らがアラスカに行くためにたどってきた、これまでの話を聞いているだけで満足だった。彼らは彼らで、僕がホステルの住人となるまでの経路や額の傷のことを話すと、とても楽しげに笑った。

 アキラとケンは共に二十四歳だった。アキラはサーファーでケンはバイカーだった。彼らは一年ほど前、とあることでサーファーとバイカーのグループ通しで喧嘩になったときお互いに襟首をつかみ合っており、何故かそのまま会話が始まり、いつの間にかそれぞれの仲間を放って二人で飲みに行ったのだという。それから彼らはいつも二人でつるむようになった。ある時アキラはケンがドラッグをやっていたことを知った。アキラも少しはやったことがあったが、ケンはかなり重症だった。丁度そのころの僕と同じ歳のときに、ドラッグを止めたのだが、アキラと出逢って少したったころからフラッシュバックに悩まされるようになった。ケンはドラッグを求め、アキラはそれを制止した。ケンの症状は次第に和らいでいったが、それでもまともな日常生活を送るのが難しい状態だった。

 アキラがサーフィンをしているビーチにケンが現れたとき、アキラは驚いた。アキラは誰にも言わずサーフィンに出かけ、通常人がやらないような岩場でサーフィンをしていた。そこの波はアキラを虜にしており、彼はいつか自分はここで岩に砕かれて死ぬのだろうと思っていた。そんな場所にやってきたケンはアキラが海から上がってきて「よっ、どうしてここ分かったんだ?」と聞いても黙って海を眺めていた。アキラはケンの隣に座り、車に積んでいたビールを下ろし飲みだした。ケンにも勧めたがケンは飲まなかった。夕陽が沈みかけ水平線が真っ赤に染まるとき、アキラはアラスカのオーロラの話をしていた。それはアキラが十代の終わりにカナダに半年間ホームステイしたときの体験談だった。何となしにその話をしていたのだが、ケンを見るとサングラスを外しジッとアキラの方を見ていた。そしてケンは言ったのだそうだ。「アラスカへ行きたい。オーロラを見たい」と。それを聞いたアキラは一瞬でそれがケンにとって非常に重要なことであり、そして同時に自分にとっても再びオーロラの下に立つことが重要であることを悟った。アキラは「OK、アラスカへ行こう」と言った。ケンはアキラの持っていたビールをうばい一気に飲み干し、これまで見せたことも無いような爽快な笑顔を見せた。

 ロサンゼルスを経由したのには理由があった。アキラが“ビッグウェンズデー”という映画の舞台となったハンティントンビーチでサーフィンをしてからアラスカに上りたい、と希望したからだ。ケンはルートに関してはアキラに全て任せていた。というよりむしろ、アキラの選んだルートでアラスカに辿り着くことにこそ意味があると思っていた。

 そんな話を聞いていると、僕はココに留まっている自分に対して恐怖を覚えた。非日常を求め旅してきた自分が再び日常に埋もれ、「そこから何処へも行けない」という感覚に襲われそうな気がしたのだ。日本を発つ前の自分のように。だからこそアキラとケンの話は僕にとって魅力的だった。そして僕は何度も彼らに「一緒に連れていって欲しい」と口に出しそうになった。しかしそういうわけにはいかないのだ。僕がもしそう言ったなら彼らは快く承諾してくれただろうが、彼らはあくまで二人で旅をして、オーロラの下に辿りつかなければならなかったのだ。もしそこで僕がついていったなら旅の目的そのものが崩壊し、三人がそれぞれそのことを後悔しなければならなくなったかもしれない。いや、後悔できる状況に辿りつけるならまだましかもしれないのだ。だから僕は決してそのことを口に出さなかったし、彼らも僕を気にいってはくれたが誘いはしなかった。

 彼らがハンティントンに発つ前日、一緒にベニスビーチへ出かけた。僕がベニスビーチでジミーに拾われた話をしたら、彼らが笑って「是非その歴史的な場所へ行きたい」と言ったのだ。ルームメイトのジェフも同行することになった。ジェフは日本人びいきだけあってすぐに彼らと馴染んだ。僕らはジミーの送迎により四人で夏のビーチに出かけた。

 ベニスビーチに辿り着くと、そこは鮮やかな色彩に溢れていた。海はきらめき、太陽は眩しく、ビーチにはパラソルが立ち、様々なファッションで身を包んだ人々が行き交う。路上にあるバスケットボールのコートではプロさながらの試合が行われており、長身の黒人選手がダンクを決めた。ビーチ沿いのサイクリングロードを歩いていると、ローラーブレードで滑りながらギターを弾いている髭を生やした男とすれちがう。彼はビーチの名物男で観光用の雑誌でも見かけたことがある。その男を見たアキラがローラーブレードをレンタルしようと言った。

 僕らはサンタモニカへ向かうことになった。ベニスビーチとサンタモニカを結ぶサイクリングロードを海からの風を受けながら走っていると、過去や未来が消え失せ、そこにはただ一瞬ごとに進行していく時間の流れに運ばれてゆく自分を感じ取れるようだった。不要なものは何処にもなく足りないものも無い、そんな感じだ。アキラは熟練のサーファーだけあってとても上手く滑って行く。少し先まで行っては、僕らのところまで戻ってきて再びUターンし追い抜いていく。

 しばらく滑ったところで、ジェフが休憩を希望し僕とケンもそれに賛同した。アキラは少し先の方に行って戻ってくると言い、行ってしまった。アキラはまさに風のように滑り行き、その姿はすぐに小さくなった。

残された僕ら三人は海に向かって椅子に腰掛けた。ジェフが背負っていたリュックから水を取り出し、一息で半分を飲んだ。残りを手渡され、僕とケンは半分ずつ分けて飲んだ。ありがとうと僕が言うと、ジェフが「問題無いよ、マイフレンド」と言った。

「素晴らしいね。これが永遠だと勘違いしてしまいそうだ」

 ジェフのその言葉に僕とケンは同感だと言った。僕らは三人とも海の方を眺めている。オーロラに出逢うことで自分達を変えようとしているアキラとケン。将来に対する失望を抱えながら、でもそこから逃れることはできず、何とか折り合いをつけようとしているジェフ。そして、ロサンザルスに辿り着いたことでゴールした気になっていて、でも実は何も終わっていなくて何も始まっていなかったことを知ったばかりの僕。それぞれが自分の中や周りにネットリとこびり付いた不純物の存在に対し、どうしていいか分からず楽園に対して永遠を望んでいた。僕らはあまり言葉を交わさず、自然が発する音にそれぞれ耳を傾けていた。

それから十五分ほどしてアキラが戻ってきた。

「もうちょっと行ったところにジャパニーズレストランがあってさ、何と食べ放題やってるんだけど行ってみないか?」

「イエス!寿司は大好きだ。その店は一度タクシーと行ったことがある店だよ。ヘイ、イーティングマシーン、その店の魚を食いつくしに行こう」

 ジェフはそう言うと颯爽と滑り出した。「何か急激に腹が減ってきた」ケンもジェフに続いて滑り出した。アキラと僕は並んで立っていた。

「タクシー、ケンは少し調子いいみたいだ。ああやって現実との接点をしっかり繋ぎとめていることができれば、不躾な過去の自分の来訪に悩まされずに済むんだよ」

「オーロラを見ればきっともっと調子良くなりますよ。きっと」

「うん、そう願ってる」

 親指を立ててアキラが滑り出し、僕もその後を追った。ビーチの恵みを体いっぱい使って享受し、喜びに溢れそうな僕の肉体にも異様なほどの空腹感がやってきて、涎が分泌されるのを感じ、先の方で「スーシー!」と叫んでいるジェフの声を聞きながら、今この時間、みんなシンプルな存在になることができたんだ、と思った。自分が自分であるために、僕らは自分の内側に潜む声に耳を澄ませなければならない。いいにしろ悪いにしろ、そうしないことには、きっと何も始まらないのだから。

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