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プロローグ

Welcome to the Hostel-Hollywood Hills.

 今夜も月は大きく、そして明るい。ベランダの窓を開けると左手には、いつも通りのハリウッドサインが望める。遠い昔、ペグ・エントウィスルという女優が、映画の役が回ってこないという理由でハリウッドサインから飛び降り自殺したのだという。そのころは、“HOLLYWOOD LAND.”というサインだったそうで、ご丁寧にピリオドまでついていたそうだ。その後崖崩れを機に修復工事があり、今のスタイルになっている。

ペグの自殺を機に“LAND.”が撤去されたという話もあるが、自殺と工事の間には十年以上の月日が空いており、ペグが飛び降りた文字にしても、“D”だったとか“H”だったとか数説ある。だから事実上は関係無いのかもしれない。でも事実そのものはエンターテイメントにならない。事実と空想をミックスして、その中から素材になり得る要素を抜き出し再構築する、不要なものは捨てる、それがエンターテイメントであり人々が欲しがる情報だ。事実なんて、実のところ誰も欲しがらない。特にここハリウッドはそんなエンターテイメントを量産することで成立している街だとも言える。


 ちなみにペグが飛び降りた後、彼女の家に出演依頼の封書が届いたという話もある。そのせいだろうか。僕はここに住んだ約一年の間に幾度か、ハリウッドサインの方角からおそらく彼女のものであろう歌声を聴いた。彼女は決まって月の出る夜に現れ、ワルツのリズムにのせて歌を歌っていた。ハリウッドに集まってくる人々は、もしかしたら彼女の歌に引き寄せられて来るのかもしれない。その歌はいつの間にか聴こえていて、その内、頭の中で共鳴が起こるのだ。共鳴が起こると彼女の姿が目の前にぼんやりと浮かび上がる。その姿は僕にハリウッドこそが約束の地であると思わせた。

口にこそしなかったが僕が住むホステルの中には何人か、そのペグの歌に侵されている連中がいた。彼らは時折瞳をビーズのように固まらせ、ゾッとするような表情を浮かべた。その瞳を見ていると深海にでも引きずり込まれてしまいそうな、そんな表情だ。

彼らはハリウッドを出ようとしなかった。その姿が見えなくなったとしても、まだそこにいるのが分かるのだ。月の出る夜は特に強くその存在を感じた。そして見える、見えざるに関わらず、明らかにここにいる限りもう何処へも行けないと分かっていてもそこから動こうとしなかった。でもそんな連中のことを僕は好きだった。僕自身ペグの歌声に少なからず侵されていたからだろう。

 僕も連中同様、ここに留まる運命に足を踏み入れていた。でも僕は明日日本へ帰国する。祖父が亡くなったのだ。一昨日母が国際電話で知らせてくれた。祖父は僕がこのホステルへ辿り着いてから手紙で住所を知らせると、すぐに返事をくれた。その返事は英語で書かれていて、当時の僕は辞書を繰りながら何とか読解した。手紙の最後はこんな言葉で締めくくられていた。


Every truth has two sides「全ての真実には二つの面がある」


 帰国したらその意味について教えてもらおうと思っていたのだが、結局それ以来僕は祖父に会うことができなかった。でもきっとその言葉が僕をギリギリのラインで留まらせてくれたのだと思っている。ペグの歌によって生み出された僕の真実は祖父が亡くなったことを聞いた時、クルンと一回転して裏返り、そこにリアルがジワリと染み込んで、僕の中に新たな真実が生まれた。それはあまりにシンプルな真実で、その為か、僕はそれまでその存在にすら気づきもしなかった。電話を切った後、胸の奥から熱が首の方へ押し寄せ、その熱は涙となって僕の目からとめどなく流れ出した。全てが流れ出た後、このホステルでの一年は物語へと変わり、僕は始まりを思った。


 そんな物語に出てくる登場人物たちのことを書きたい。その人たちのことを書くのだから、この文章は小説とは呼べないかもしれない。かといって、この一年間に起こったことが全て現実かと問われると確信を持って、“YES”とは言えない。だからこれはノンフィクションとも呼べない。どちらにしても僕は、僕が何処かの空間で出会った人たちのことを書く。この文章を書くことが僕にとって大切なことだという、その事実に対してだけは少なくとも確信を持っているから。

You can checkout any time you like, but you can never leave.

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