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北見探偵の綺談  作者: 瀬野真下
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北見家(後編)

「どうして俺の生活の話が出てくるんですか⁉」

「それは、平吾さんがまだ学生であることやバイトでは賄いきれない生活を保障するために」

「いや、確かにありがたいですけども、申し訳ないですし…そもそも、そこに何故太朗さんが介入する必要があるんですか?」

「太朗さんが君のことを放っておけないからだよ」

佐久弥の言葉に太郎は頷いた。

「これは僕の直感ですが」

と、太朗は言った。柔らかな、けれどもどこか見透かしている視線は平吾の方へ向けられていた。

「平吾さん、いや平吾『くん』とお呼びした方がいいでしょうか」

「何ですか」

「あなたは、ただの一般人ではないですよね」

「一般人じゃないって…人外とでも言うんですか」

「いいえ。ただ“特殊な人間”だということです」

一呼吸置き、太朗は平吾を見ていた。「いい加減、直接話したら」と佐久弥は気怠そうにしながら促した。

「そうだね。そうしようか」

「だから何なんです。俺には意味が―」

「平吾くん、あなたのお母様―栄口美恵子さんは北見家の長女だということですよ」

平吾の目は見開いていた。「どうして…」とようやく振り絞った声で呟いた。

「どうして、か…ここの探偵事務所は大きく宣伝していません。余程の顔見知りでもありませんでしたら、寄る人はいないでしょう。それと、探偵としては反則なことですけどね」

太朗は懐かしむような、悲しむような微笑みを作った。

「あなたの顔は、美恵子さんによく似ているんです」


***


母―美恵子は自分によくこう言い聞かせた。

―あなたは、栄口家の子よ。『北見家の人間ではない』わ。

どうして、なんで、と聞いても口を閉ざし続けていた。

それに加えて、母と父―実父の元―は北見家の人々に会いに行っていたらしいが、自分はそういった機会を与えられなかった。だから、北見家の人間に会うのは太郎さんと佐久弥さんが初めてである。

父もそういった事情について話そうとはしなかった。自分に聞かれる度に、ただ困ったように笑っていた。

だからと言って、母は北見家の人間を嫌っている様子はなかった。その証拠に、家を出る前に北見探偵事務所の名刺を渡したのだ。困ったことがあった時に、自分に頼れない時にはここに頼むようにと言って。

そして一度だけ、気にかかる言葉を聞いたことがあった。

―『呪い』さえなければ、きっと、大丈夫よ。

母は何故北見家を、自分から避けていたのだろうか。


***


「教えてくれませんか」

ぼつりと平吾は呟いた。見上げた顔には、決意が秘められたような表情をしていた。

「どうして、母が俺を、北見家から避けていたことを」

「平吾くんは僕たちが美恵子さんの事情を知っていると思う?」

「思うも何も、答えは一つしかないでしょ」

傍観気味だった佐久弥が言った。

「自分の息子を北見家の“呪い”から守る為でしょ」

「…呪い?」

平吾は佐久弥の言葉を繰り返した。

「そう。呪い」

「…母さんも、昔同じことを言っていた。一体、『呪い』って何のことですか」

「そうだね。それを話す前に一つ自分から質問があるよ」

「質問?」

「どうして、太朗さんが探偵業をやっていると思う?」

「それは…太朗さんは優しいから、人助けの為に探偵をしているんじゃないですか。逆に」

ムッとしかめっ面をして、平吾は佐久弥に聞き返した。

「佐久弥さんはどうして探偵業をやっているんです?人嫌いというには人と接する機会がきっとたくさんあるでしょうに」

「ははっ確かにそうですね」

太朗は笑っていたが、佐久弥のことも平吾のことも馬鹿にしている様子ではなかった。次の瞬間には、至極真面目な顔になった。

「平吾くんの考えは確かに的を得ているように見えますけど、実は別の理由なんです」

「…佐久弥さんの質問に答えてから、そうなんじゃないかと思っていました」

「ああ、ということは」

「“呪い”と関係しているから、ですか」

「そうです」

息を呑むように見ていた平吾に、太朗は語りだした。

「僕と佐久弥くん、美恵子さん―北見家の人間はね、“奇怪に必ず遭う”という特性があるんです」


***


北見家の呪い。

北見家は代々一種の特性を請け負っている。それは、必ず「奇怪」に巻き込まれること。平凡の地で生きていても、平凡な人間として生きていても、孤独に生きていても、北見家の人間は奇妙な出来事または事件に遭遇する。呪いと呼ばれるようになったのは、代を重ねるに連れて奇怪に関する記述が残されるようになったためである。

この特性から逃れられた北見家の人間はいなかった。逃れようと試行錯誤をする者もいたが、結局は受け入れざるを得なかった。

その中で、北見家五男―太朗、佐久弥そして平吾の祖父に当たる―北見小五郎はその特性を“探偵業の糸口”として受け入れた。文学者だった彼は探偵へ転職して、様々な奇怪に立ち向かい、潜り抜けて来た。“呪い”に囚われながらも、己自身の人生を全うした。


***


「一方で」

神妙そうに太朗は言った。

「小五郎さんの娘であり長女でもある美恵子さんも、呪いに立ち向かった一人なんです」

「母さんが?」

予想外の言葉に平吾は驚いていた。

「腑に落ちない?美恵子さんとは僕ら何度も会ったことがあるよ」と平吾の傍で佐久弥は言った。

「たしかに父さんと北見家に行っていたのはわかるけれども、呪いには…」

「では、何故君あなたは」

太朗は聞いた。

「あなたは、どうして北見家に連れて来られたことがなかったと思いますか?」

ハッとした。

平吾はある確信を微かに得た。そして、それは佐久弥が言ったことを復唱するように言った。

「母さんが、俺を『呪い』から、守るため?」

「うん、恐らくね」

太朗と佐久弥はコクリと頷いた。

「美恵子さんが話したことがあるんです。北見家の呪いから逃げたい一心から、余所に嫁ぐことで奇怪から逃れようとしたことを」

「けど、その後また会った時、美恵子さん穏やかになっていた。けれど、真っ直ぐな心にもなっていた。話を聞いたら、自分と年が近い子供が生まれたって」

「そして、こうも言っていましたね。北見家の血筋を引く一方で余所の血も引いていて、さらに苗字も異なっている。だから、北見家の呪いからは遠いところにいるんじゃないかって」

「…今まで北見家に女性が生まれたことはないんですか」

「系譜の記録を見たことがありますが、美恵子さん以前はいなかったようです」

「美恵子さんの言った事、今でも忘れられないよ」

佐久弥は平吾の方をじっと見て言った。

「“あの子を守るために、あの子の呪いの分を私が引き受けないと”、てね」

「…じゃあ、じゃあ母さんは俺の分の呪いのために死んだっていうんですか」

「それは少し誤解があります」

太朗の言葉を聞いて、平吾は啖呵を切ったように言った。

「それ以外に考えられることってあるんですか⁉」

「平吾くん、今回の件については次の事が考えられます。栄口美恵子は再婚した夫の栄口広助によって殺された。そしてその凄惨な最期は、美恵子さんにあった呪いの可能性もある。けれど、一方で僕らは、今回はあくまで僕らの呪いによって起きた「奇怪の犠牲者」だと、認識しています」

「…まるで、太朗さん達に責任があるようなものいいじゃないですか」

「そうでも思わないと、」

太朗は悲しく微笑んだ。

「そう受け入れないと、この仕事はやっていけませんから」


***


―一体この人たちはどれ程“奇怪”に巻き込まれたのだろう。

平吾は不思議に思った。探偵業とはいえ、呪いとはいえ、自分の身に起きる奇妙な出来事や事件に日常に一体どれ程狂わされたなのだろう。

―いや、祖父の小五郎の様に、立ち向かっているのだろうか。

「太朗さん」

平吾は太郎を呼んだ。「何ですか?」と、太朗は先ほどとは打って変わり優しい微笑を浮かべていた。

「俺に、探偵業を手伝わせてくれませんか」

「…あなたは、自分の言っていることの意味がわかっていますか?」

「はい」

「もし引き受けてしまったら、後には戻れませんよ?」

「わかっています」

「それは」

佐久弥が口を開いた。

「美恵子さんの努力が水の泡になることも承知した上で言っている?」

太朗は佐久弥の言葉に一瞬戸惑った。他人から改めて言われることへの、実の母親への罪悪感があった。しかし、彼は決心して言った。

「母さんのおかげで、俺は“呪い”からほど遠い日常を送れていました。けど、母さんが“呪い”に巻き込まれたのなら、俺自身も“呪い”に向き合うべきだと思います。逃げるよりも、立ち向かうことが今の俺にとって、生きる上で必要なんだと、そう思うんです」

今までの日常では有り得ないことを言葉にしている、と平吾は実感した。

顔を見合わせていた太朗と佐久弥は、平吾の方を見た。佐久弥は呆れながらも受け入れたような様でいた。太朗は平吾に「本当に、いいんですね?」と問いかけた。それに対して平吾が頷くと、「そうか」と太朗は柔和に微笑んだ。

「平吾くんは今大学に通っているからそちらに集中してほしいですけれど、いざとなったら戦力になってくださると有り難いです」

「じゃあ…」

「はい。あなたを、探偵事務所の一員として歓迎します」

平吾はその一言だけでも、安心した。が、それも束の間。

「その代わり、主な仕事としては…佐久弥の見守り役をお願いします」

唖然と、平吾は太朗を見ていた。まさか親戚の世話役を任されるとは思っていなかったのだ。

当の佐久弥も平吾と同じく驚き、心外そうに「自分は大丈夫だよ」と言い訳をしていた。

「けど、佐久弥くん、君は感が鋭いところもあるし探偵の一人としては認めているんだ。だけど、どこか抜けているところがあるし、僕も君を甘やかしてしまうところがある。だから、平吾君という気兼ねなく君に接することが出来る存在が必要だと思うよ」

「それに君、親しい人が欲しかっただろう」と太朗に追い打ちをかけられるように言われ、佐久弥は苦々しい顔をした。

「それはそうだけど…」

「うん、決まりだね。そういうわけだから」

硬直する平吾に、太朗はきれいな顔でにこりと笑いかけた。

「佐久弥と僕と、北見探偵事務所のことをよろしくお願いしますね」


―拝啓、先に逝ってしまった母さん。

平吾は瞼を閉じ、心の中で問いかける。

―俺の選択は、親戚の世話役に費やされるのだろうか。

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