パノラマと黒猫(2)
広助のいる家に向かう道中、平吾は太朗達と質疑応答をしていた。
「栄口さん、栄口広助さんと栄口美恵子さんの関係について聞いてもいいですか?」
「俺のことも母と広助さんのことも下の名前で呼んで良いですよ」
「そうですか、ありがとうございます。では、広助さんと美恵子さんの仲は良かったですか?」
「二人は仲は悪くなかったと思います。ただ、恋愛まで発展していなかったと思います」
「どちらか一方が恋い慕っていたことは?」
「どちらか…少なくとも母は恋愛感情まで持っていなかったと思います」
「そうなんですね」
「自分からも質問していい?」
「あっはい。何でしょうか、佐久弥さん」
一つ括りにした髪を揺らしながら、佐久弥は尋ねた。
「広助さんの作っていた作品について聞きたいんだけど」
「…俺は広助さんの作品が好きではないですから、詳しくはないですけど」
「それでも構わないよ」
「わかりました。…そうですね。広助さんは様々な作品を作っていました。作品の多さから、絵画に特に力を入れていたように思います。彫刻にも時々手を出していたみたいですが、特にそれが何だか気味が悪かったように思えます」
「それはどうして?」
「どうして、か。それは俺にもわからないです。ただ、見ているだけでよくわからない嫌悪感が生じるんです」
「作品のモチーフは?それも嫌い?」
「モチーフは悪くなかったと思います。果物や動物…ネズミとかを作っていましたね」
「それは絵画でも同じ?」
「絵画は違ったような…暗くて不穏に感じる絵ばかりでしたけど、興味を抱かなかったというか…」
「ふーん…って、おわぁ⁉︎」
歩いている途中で、佐久弥は何もない所で転びかけた。それを太朗が支え、無事転ばずに済んだ。唖然とした平吾を見て、佐久弥は罰が悪そうな表情になった。
「驚かせてすみません。このようなことは、佐久弥くんには時々あることなので」
「はあ、そうなんですか」
「重ねがさねの質問で申し訳ありませんが、広助さんが作品を…絵画と彫刻を始めたのはいつ頃かわかりますか?」
「それはわからないですね。けれど、俺と母が来た時には既に作品はありましたね」
「作品はずっと置かれていますか?」
「それは…すみません。覚えていないです」
「そうなんですね。ありがとうございます」
そして、三人は一軒の家の前に辿り着いた。
***
その家は築三十年ほどであろう木造の一階建てが、同じ敷地内に二つ存在してる。一つは門構えのすぐ入った手前にただずんでおり、もう一つは先ほどの建物よりも一回り小さい。二つの建物の間には渡り廊下が付けられている。
なお、「栄口」と書かれている表札の下には、一匹の黒猫が座り込んでいた。
「ぽお。久しぶりだな」
ぽおと呼ばれた猫は2〜3歳くらいに見えており、短くも艶のある黒毛を纏っている。平吾が頭を撫でると、「なぁ」と伸びやかなに鳴いた。
「ここが広助さんと美恵子さんが住んでいるいえですか?」
「はい。祖父母が昔住んでいた家なんですけど、今は広助さんが受け継いで母と住んでいます」
「そうなんですか。あそこの小さい建物は…」
「広助さんのアトリエになっています」
「なるほど」
「平吾くんと美恵子さんは元さんが生きていた頃はこの家には住んでいなかったの?」
「はい。アパート暮らしでした。一軒家を買うことも考えていたみたいですけど、その矢先に父が逝ってしまったので…広助さんに迎え入れられたことで自分は大学に入るまでここにいました」
「そうだったんだ」
「とりあえず、広助さんを訪ねてみましょう。明かりがついているので、恐らくいるでしょう」
そういえば、二人のことはどう説明すればいいのか?
今更のようにそう思い浮かんだ平吾を余所に、太朗はマイクもカメラもないインターホンのボタンを押した。インターホンはピンポーンと軽い音を鳴らした。
すると、足音が近づき、扉が少しずつ開かれた。中からは、50か60代に見えて蒼白い肌が印象的な男性が顔を出した。「どちら様です…?」と初めは怪訝そうに尋ねたが、端の方にいた平吾の姿を見ると「平吾くん!」と目を見開き、声を上げた。
「広助さん、お久しぶり…といって良いんでしょうか?」
「ああ、久しいね。今年の正月以来かな…?ところで、ここにいるお二方は…」
「二人は俺の…知人です」
平吾の言葉に太朗は頷いた。
「太朗といいます。こちらは僕の従兄弟の佐久弥です。平吾さんから栄口広助さんの作品のことを聞いて、気になってお訪ねした次第です」
太朗の言葉を聞き、広助は一瞬硬直した。そして、恐る恐る平吾に尋ねた。
「平吾くん、僕の作品に興味ないと思っていたけど」
「えっと…たまたま話したら、太朗さん達が気になると言ったんで」
平吾は苦笑いした。そして正直困惑したのだ。美恵子のことについては、二人は「敢えて」触れていないのである。
一方の広助は少し考え込んでから、「私の作品を見たいのですか?」と太朗達に尋ねた。
「はい、もしよろしければぜひお目に掛かりたいと」
「わかりました。私の作品に興味のある方を無下にすることはできませんからね」
「どうぞ、中へ」と言って、広助は三人を招き入れた。
当惑している平吾に、佐久弥綺麗な顔を近づけた。そして、小声で話しかけた。
「今は太朗さんの行動に従ったほうが良いよ」
「けれど、目的が違うじゃないですか」
「違わないよ」
澄み渡る声を潜める。
躊躇なく、佐久弥は言った。
「広助さんの作品と美恵子さんの行方不明は、関係があると僕らは踏んでいるんだ」