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桜の舞う時  作者: 唯川さくら
プロローグ
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2

春のうららかさは睡魔を運んでくる。ぽかぽかした陽気とてらてらと笑う太陽の光が1番心地よく調和する5時間目の授業は、「寝てください」と言わんばかりの時間だ。昼寝にもちょうどいい。

窓際の席の1番後ろの席で、机に頬杖えをつきながら、奈々は1つ大きなあくびをして、うとうととした目を窓の外に向けた。5時間目の体育の授業で50メートル走をしているクラスが見えて、その向こうには見事に花開いた桜の木が行儀よく並んでいる。

…これで3回目。先生がチョークを折った音。日本史の先生は、1回の授業でかなりの数のチョークを折る。眠気しかない頭に響くその耳触りな音につられて、奈々はふと黒板を見た。赤いチョークで大きく【第二次世界大戦】と書かれていて、その下には世界地図と、良くわからない矢印がたくさん書かれていた。

単なる気まぐれで久しぶりに学校に来たものの、1年生の時からの続きの授業はさっぱり訳がわからない。そんな昔の事を学んだ所でなんの得もないじゃないかなんて思いと、自分には関係ないという思いが入り乱れて、1つのため息となって消えていった。


『日本が真珠湾を攻撃したのは、1941年の…』


名前すら覚えていない、黒ぶち眼鏡の先生は落ち着きなく動き回り、教科書を片手に大きな声で説明しながら黒板にいろいろ書いている。何度も書いては消してを繰り返すためか、昨日の帰り際に日直がキレイに掃除したはずの黒板は、白いモヤがかかったようになってしまっている。しかも、ほぼ書き殴るように書いているのも相まって、暴れるような字はかなり見づらい。周りの人はそれを必死にノートに写しているが、奈々はノートすら机の上には出していない。今度、隼人にノートのコピーでもとらせてもらえばいい…いつもそうしているのだから。


“帰りにまた…桜山に行こう…。”


奈々は窓の外を見ながらそう思った。

奈々が住んでいる住宅街から少し離れた所にある小さな山、通称“桜山”。登山するには低すぎるからなのか、ハイキングなどではなくもっぱら子どもたちの遊び場になったり、ピクニックの場所に選ばれる事も多い。桜が咲くこの時期は、毎日決まって桜山に行く。桜は1週間かそこらしか咲かないから、今のうちじゃないと見る事は出来ない。奈々はたびたび学校を休んでは、1日中山のてんぺんに咲く1本桜の下にいた。昼はお花見、夜は夜桜…。

あの山の本当の名前なんか、覚えていない。ただ、小さい頃からそう呼んでいるだけで…。いったい誰が、あの山を【桜山】と呼ぶようになったんだろう?誰かがそう呼んでいたから、きっと自分もそう呼ぶようになったんだろう…。

そのうち授業の終わりのチャイムがなって、周りがせわしなくばたばたと帰り支度を始めた。奈々ははっと我に返り、開いてもいない教科書を鞄にしまって、そのまま席を立って教室から出て行った。ほんのりと赤みがかった肩までの髪が揺れて、ほのかな香りを残していった。

ぺしゃんこの鞄を肩にかけて、ふてくされたようにブレザーのポケットに手を入れてゆっくりと歩く。外の風は温かくて、眠気を誘うようにゆったりと流れていた。もうだいぶ傾いた太陽が、暖かみのあるオレンジがかった光を注ぐからか、ぼんやりと穏やかな雰囲気が漂う。通りかかった公園で、子供たちがはしゃいで遊ぶ声が聞こえる。4.5台の自転車が公園の入り口に止まっていて、男の子たちが大きな声ではしゃぎながら走り回っていた。その向こうでは、2人の小さな女の子がブランコに乗りながら話をしている。変わらないいつもの夕方の光景だ。


『…あっ…。』


奈々は不意に足を止めた。公園の真ん中の木の下にあるベンチに、祖母が座っていたのだ。この時期になると、祖母はよく公園にいる。家の中にいると足腰が弱るからと、母が口うるさく言っていたからだろうか?

奈々は公園を横切るように歩いていって、足元に転がったボールさえ気にも留めずに祖母の所に歩いていった。


『…おばあちゃん。』


何かの本を読んでいた祖母はびっくりしたように顔を上げて、奈々の姿を見ると表情を和らげて笑った。公園を覆うように生い茂る緑色の木々の葉が風に揺れて、その隙間から刺した淡い光がスポットライトのように祖母を照らした。


『あら、もう帰り?』


『…うん。…何してんの?』


『本読んでるのよ。字が小さいから、読みにくくてねぇ。』


奈々は何度か軽くうなづきながら、祖母の隣に腰掛けた。


『…何の本?』


『…これよ。』


祖母が閉じた本の表紙には、『ルソン戦記』と書かれていた。…また戦争か…奈々はそう思って、うんざりだとでも言うように小さくため息をついた。


『奈々ちゃん、今度お花見に行かない?すごく綺麗な場所があるのよ。』


『…どうせ靖国神社なんじゃないの?それならあたし行かないよ。』


『…そう…。』


祖母はなるべく笑顔を崩さないようにしつつも、少しだけ表情を曇らせた。奈々はそんな祖母の顔を見て、少し罪悪感を感じたのか


『ごめんね~。あたし戦争とか興味ないしさ。』


ふざけ半分にそう言った。


『今度、違う所にお花見行こうよ。…ねっ?』


『…そうね。』


祖母がそう言うのを聞いて、奈々は立ち上がり、けだるそうに笑った。そして後ろ向きに歩きながら軽く手を振ってその場を後にした。祖母はそんな孫の後姿を、見えなくなるまでずっと見つめていた。少しだけ…何か言いたそうなまなざしで…。



桜の雨を降らす、小さな山の頂で見上げた空は、抜けるように青く澄んで雲1つなかった。こんな日は、舞い踊る桜の花びらが空によく映える。透き通る空の青色と、幼さを残した桜の桃色…。


さくらの華は 溶けゆく桃色…


『もうすぐ散っちゃうねぇ…。』


奈々は寝転んだままそう言いながら、大きく伸びをした。大きく息を吐いたその後で、


『…おかえり…。』


そう小さく呟いた。

誰に聞いたのかは覚えていない。桜には、悲しい話があるのだと。祖母だったか、2年前に亡くなった祖父だったか…それとも、何かの本で読んだのだろうか?


『…桜伝説…だったかなぁ?』


幾千もの英雄たちが  大切なモノを守るために流した

                   生の証の紅色と


『誰に聞いたのかは覚えてないんだけど…。』


純粋な汚れ無き心の白色が溶け合った

               優しく穏やかな  幼い桃色


『…妙に…頭に残ってるんだよねぇ…。』


枯れる事無く  散りゆく花弁は

               桜に眠る魂を包んで


『…何でだろうねぇ…。』


澄み渡る青空に  切なく儚い夕空に

                舞いながら溶けていく…


『…桜だったら何でも好きになっちゃうからかなぁ?』


『また、春に会いましょう…。』

            そう、囁きながら…


一際強く吹いた春の風は、一気に空に花吹雪を舞い上がらせた。奈々はその光景をぼんやりと見つめながら、重いまぶたを閉じた。

もう4月半ばになろうとしている春の日…。桜はもう、散り始めていた…。


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