既視感となろう外の批判
外から見てかなり分け分からない感情が既視感があるのを好んでみたがるなろう読者心理だと思う。飽きない?である。これが全く理解されない部分。そもそもこれはアニメ視聴者のせいじゃないか?と思う。実写で刑事ドラマ見てる人に向けていったら逆にだからお前マイノリティなんだよとなる。
実際は大衆は飽きっぽい。これは大衆向けに映画でスター俳優を起用するのだが、大半の受け手は早く新しい役者が見たいと思ってる。じゃ間違った選択をしてるのか?いや失望するのを無視してるからだ。心理としては飽きてるのにそうじゃない行動を取ってる。別にアニメオタクが変わってるわけじゃない。
そもそも過去のアニメオタクはアニメの本数が少なかったので繰り返し見るタイプが多数派だったんだ。マジョリティの大衆が流れ込んできたから今の飽きっぽいオタクが誕生した事になる。評論家の東氏によると内容の変化が飽きっぽいタイプのオタクが増えたとなってる。これに関して両方だと見ている。
先に内容の変化が起こって、その後飽きっぽい人が満足できるようになったためアニメに飽きっぽいマジョリティが入ってきたか?なと。ある意味マイノリティ向けだったファンタジーに偏った好みがあるなろうの方が本来のオタクなんだ。といいたいわけじゃないが、なんとも言えない気持ちもある。
既視感と言うのはなろうにとって俺TUEEEに並ぶテーマなんじゃないか?と私は見ている。外部の人に理解不能な部分。外からがやがや言われるより中からきちんとしたものを発信したほうが良い。それには作品で語るなんてやってても絶対理解されない。ちゃんと客観性のある言葉で言語化しなくてはならない。
ある程度かたれる人間の使命であり間違った偏見に対する理論武装だと思ってる。
基本的に興味は未知にこそ発生すると思う。だから既知「既知と既視は微妙に違うと思うが、既視感と既知感は同じらしいのでこっちも同列で扱う」に対する興味はイレギュラーなものとして扱うべきだと思う。
既知に対する興味は未知への不満の裏返しだと思う。先ほど取り上げた映画俳優に対する心情と行動は違うってやつになる。ただ集団での扱いはもっと厳密に考える必要がある。既知に対する興味は取りあえず好みによって集団が分かれる。既知による新鮮さの劣化や食傷感は好みの違いで大きく感じ方は違う。好みの物は飽きにくい。なろうがまさにこれに当たるだろう。
次は王道になる。そもそもこれは批判的な言葉でシンプルで覚えやすい必勝法なんて学問の習得で考えてはいけないって戒めなんだ。学問に王道なしが本来の使い方で、だから必勝パターンって意味で使われるようになったとなる。
裏返しで飽にくいパターンがあるとなる。無いと言う諺から逆に創られたのでこういう意味が入ってるとなる。ただ当然飽きる。王道ってどういう意味か?分かりにくいのだが、本来覇道と王道と言う儒教的発想から作られていて、なんでこれが王道って使われたのか?と分からなくなる。この辺はちと分からなくて書いてる。
大事なのは飽きにくいパターンってのが学問に王道無しへの裏返しがあると言うこと。王道はなしに対して王道はあるよ?って皮肉みたいな言い回しになる。ただ飽きにくいだけで、飽きるとは思うので正確には王道ではない。これもなろうに当てはまる。勧善懲悪とざまぁの多様だよね。
後は、実際になろうは流行があるので飽きると言うのは細部を見て無いからだとなる。大きな変化と小さな変化に対して、外と内の情報量の違いによって差が出ていると言うのがある。これは根本的な差異じゃなくて、勘違いだね。これはちょっと余談になる。ただこれ王道と好みの差にも密接に関係してる。王道もやっぱ集団によって飽きやすい人やベースが好みの題材なら変わるのも関わるから。上に2つを細くする2,5の理由だと思う。
最後3つ目は、映画俳優の理屈になる。未知に対する失望が加味されてるとなる。これは選択への嫌悪って最近書いた話と絡まる。これが絡んで最終的に選択への嫌悪に繋がっていく。本来は飽きてるんだろうね…。基本パターンとして大衆と子供はあきやすいというのがある。何故一致するのか?で両方とも頭を使わないのが関係してる。
そもそも好みが形成されてないって点で、子供は頭を使わない以前の問題になる。頭を使う部分は王道に絡む事が多いが、王道の細部の差異を見えてないとなる。これは2番目の項目に絡む事になる。じゃなろう読者って頭使ってるんだなと。まあそのランキングじゃなくてスコップしてくれる人がいるからね。その人は良く見てると思うよ。
でも何かそれだけじゃないな。頭使わなくても慣れた状態は外の人にとっては頭使ってるのに近いんだと思う。言語と同じじゃない?子供でも英語アメリカ人でも話せるんだから。
これは探っていくと、文句言ってるオタクって実はマニアじゃない?となるんだ。今の時代こういう人多数だと思う?私は思わないな。文句言ってる人って聞いてると全チェック当たり前に徹底的に選択してるんだよな。私はついにこのタイプやめて0話切り始めた。明らかに分かるよね?アニメ増えすぎたよね?
前は3話切りまで我慢してたけど、今1話切りやってる。今配信で見られるし、後から評判見てとか考えるようになってしまった。元々私の場合好みがほとんどなくて多数派の人気で面白さが一致してるから満足のため自分で選ぶ必要が無いんだよね。
あれれ?考えてみると文句言ってる人の方が実は変わってるんじゃ無いか?と思えてきた。なろう読者は好みの問題からマイノリティであるのは間違いないが、選択の方法はむしろマジョリティと全く同じじゃないか?と思えてきた。なろうは様々な要素が絡んでいて分かりにくいが、この点に関しては、批判的な人の方が小数派の気もしてきた。
なろうの中で批判してる人は圧倒的にマイノリティだけどね。だからアニメ視聴者を見方にして今まで聞いてもらえなかった不満をぶちまけるために活動してると見てる。酷い人ではわなびがこじれて嫉妬からアニメ視聴者に向けてなろう批判してる人もいる。