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オロチ綺譚

ESP綺譚

作者: かなこ

シリーズ物です。上部「オロチ綺譚」より1作目「巡礼綺譚」からお読み戴けるとよりわかりやすいかと思います。

 ふう、と落ちたため息に、宇宙貿易船オロチのコックである菊池が反応した。

「口に合わなかった?」

 医療担当の笹鳴は顔を上げて、違うと苦笑した。

「シチューはめっちゃ美味いで。ちゃうねん、ヤな事思い出してしもてん」

「ヤな事?」

 首を傾げた菊池の隣で、同じように菊池のペット兼ブースターのクラゲも首を傾げた。

「せや。オロチがサウザンドビーにこんがり焼かれた後、スイリスタルに運ばれたやろ? 1番最初に運ばれたヒムロ星でな、ちょっと皇帝とポーカーやってん」

 シチューを吹き出しかけたのは、船長の南だった。

「お、お前、あのビャクヤとポーカーしたのか?」

「せやって、自分が皇帝とした賭けて、ポーカーやろ? どないして騙されたか知りとうてな」

 南がリュウキュウ星の樹脂を持って戦争まっただ中のスイリスタルへ駆けつけたのは、ビャクヤに負けたポーカーの清算をするためだった。

 どうやって負けたのか、笹鳴には興味があった。

 南は一見は人が好さそうに見えるが、その実は剛胆で腹が据わっている。自由貿易船というUNIONの保護を一切受けられない立場の船長をしているだけの事はあった。

 その南を負かした手腕が見たかった。それで、ビャクヤと話せる機会があった時に尋ねてみたのだ。「どうやって南を負かしたのか?」と。その時、ビャクヤはにやりと笑い「実際に見てみるか?」とカードを用意させたのだった。

「……俺は別に騙された訳じゃないぞ」

「俺は騙された気ぃになったで」

 ビャクヤは、イカサでもマしてるんじゃないかと思うほど強かった。何度やっても、どうやっても勝てないのだ。

 笹鳴だって腹は据わっている方だ。燃料がすっからかんになった挙げ句に資金も底を尽きた時、笹鳴はカードゲームの腕で他業者から燃料を巻き上げた事もあった。自由貿易船などに乗っていると、賭けはただの遊戯ではなく生活手段だった。はったりの1つもかませずに、フリートレイダーなどやっていられない。

 その笹鳴が、ビャクヤにボロクソに負けた。完敗だった。

「イカサマしてはる思うたんやけど、見破れへんかった」

「ドクターをもってしても、見破れなかったんスか」

 ポテトサラダをもりもり頬張りながら、狙撃担当の柊が感心したように頷いた。笹鳴の、特にポーカーでのはったりはすでに芸術の域だ。ポーカーフェイスという言葉は笹鳴のためにあるのではないかと思うほどに。

「実はビャクヤ皇帝にもESPがあるんじゃないの? 透視みたいなヤツ」

 シチューのお代わりの皿を菊池に渡しながら主操船担当の北斗が問うと、それはないと笹鳴は指先を振った。

「ヒムロ星軍事司令官のレイカに聞いたんやけど、スイリスタルの人間にはESP因子はないそうや」

「それじゃあ菊池の能力を見た時は、スイリスタルの人達はさぞ驚いただろうね」

 情報分析担当の宵待がそう言うと、笹鳴は笑った。

「ホンマに奇跡と思うたそうやで。神様が自分達を助けてくれはったんやってな」

 へぇ、と感心しながら、菊池はシチューを頬張った。ルナベースでESPに囲まれて学んだ菊池としては、まったく珍しくない。

「なにを他人事みたいに感心してはるんや、朱己。せやから、ビャクヤ皇帝が自分を欲しがったんやで」

「は?」

 きょとんとする菊池に、笹鳴はため息を吐いた。

「ビャクヤ皇帝にポーカーでめっためたに負けた後にな、負けたんやから何か寄越せ言われて、朱己が欲しい言われたんや」

「はぁ!?」

 叫んだのは、笹鳴以外の全員だった。

「笹鳴、まさかお前」

「了承するわけないやろ」

 笹鳴は眉をしかめてコーヒーをすすった。

「朱己を船から降ろせるんは南しかおらへん。ちゃんと俺の一存では無理や言うたわ」

 ほっとしたように、全員が肩の力を抜いた。

「ESPが珍しい言うんもあるんやろうけど、朱己の力は規格外やさかい、防衛の要に欲しい思うたんやろな」

「光栄だけど、やだよ、俺」

「きゅうきゅう」

 眉を寄せる菊池と不安げなクラゲに、せやから断った言うとるやろ、と笹鳴は苦笑した。

「朱己がいなくなってしもたら、俺達全員飢え死にか、よくて栄養失調か味覚障害や。俺かてどれもいやや」

 笹鳴はシチューを噛み締めた。オロチの根本的な動力源は、この菊池の料理と言ってもいい。その次がオロチの液体燃料だった。

「でもさ、それでビャクヤ皇帝は納得したの?」

 コーヒーに手を伸ばしながら尋ねて来る北斗に「それがなぁ」と笹鳴は天井の全展モニタを見上げた。

「朱己が無理なんやったら、どんなんでもええからエスパーを連れて来い言われたんや。朱己、適当な知り合いおらへん?」

「そんなこと言われても……」

 考え込む菊池を尻目に、南は半眼になって笹鳴を睨んだ。

「お前……なんであいつに賭けなんか申し込んだんだよ」

「俺は賭けのつもりはなかったんやけどなぁ」

 笹鳴のため息に、全員が同調した。



 全員がごちそうさまを告げた後、菊池と宵待は食器の片付けに入った。きちんとした食堂があるのに、オロチのメンバーは相変わらずブリッジの隅っこにテーブルを持ち込んで、そこで食事を摂るのが普通だった。ブリッジを空にするわけにはいかなかったし、かと言って誰か1人を当番にして他の面子だけで食べるのもイヤだった。全員で食事を囲みたいのだ。

「明日の朝は焼き魚にしよう。お味噌汁の具はワカメとネギな」

 クラゲに話しかけながら食器をしまう菊池に、宵待はふと振り向いた。

「菊池、いま向かっている惑星イトトリって、どんなところなんだい?」

「ああ、織物の名産地だよ。極薄の生地から防寒のあったか素材、綿なんかも扱ってるんだ」

「そこへ、服でも買いに行くのかい?」

「違うよ。素材を買いに行くんだ。俺達にはファッション系のアクセスはないから」

 シンクを洗い上げて、菊池はエプロンを外した。

「そこで布地を買うんだ。イトトリ星は防護服なんかの素材も充実してるんだけど、残念ながら特殊素材を加工する技術はないんだよね」

「へぇ……。じゃあ本当に原産地なんだね」

「いい素材がたくさんあるよ。完全に熱を遮断する布もあるし、発熱する素材、冷却する素材、決して燃えない素材なんてのもある」

「それはすごい。俺も外出できるかな」

「大丈夫じゃない?」

 元栓を閉め、さぁブリッジに戻ろうと2人と1匹がキッチンを出ようとしたその時、アラートが鳴り響いた。

『船団接近! 15秒でブリッジへ来い!』

 スピーカから南の緊迫した声が聞こえ、クラゲを抱えた菊池と宵待はキッチンを飛び出した。


「どうしたの!?」

 ブリッジに駆け込んだ2人と1匹は、すぐに自分のシートへ滑り込んだ。

「10時の方向から船団接近! 数40!」

 笹鳴の報告に、宵待はすぐさまインカムを身に付けた。

「分析します。……識別番号686、フリーの護衛艦隊です!」

「フリーの護衛艦隊? そんな訳ねぇだろ! 出力周波数は軍艦クラスだったぞ!」

「しかし、識別番号では……」

 柊の怒鳴り声に、宵待は慌てて再検索をかけたが、やはり結果は変わらなかった。

「おかしいぞ……こんな巨大な護衛艦隊、この辺りじゃUNIONくらいしかねぇはずだ」

「いや」

 ため息と共にそう呟いたのは、南だった。

「もう1つある」

「もう1つって?」

 南を見上げてた宵待は、その表情が異様に疲れている事に気付いた。

「……あ」

 今度は北斗が同じような表情でモニタを眺め出した。次いで笹鳴、菊池、最後に柊も「うわぁ……」とこぼしてシートに寄りかかった。

「え? いったい何だって言うんだ?」

 1人だけ事態を理解できない宵待に、南は額を押さえて唸るように口を開いた。

「以前、お前にも話した事があると思うが……UNIONに加入していない自由貿易船連中が結社して作った護衛団体だ」

 ああ、と宵待は頷いた。

「裏の貿易船組合とか、自由貿易船同士の組合とか言っていた?」

「それだ」

 モニタの中央には40隻の宇宙船が群れをなしていた。それがものすごいスピードで横切ってゆく。

「こっちには気付いてないみたいだよ」

 北斗がステルスランプにちらりと視線を向けてから、南を見た。

「ばっくれようか?」

「何かを追いかけているみてぇだな」

 柊の視線を受けて、宵待がデータの解析を始めた。

「追いかけているのは……こっちも民間機だね。Cクラス……俺達と同じ貿易船だ」

「救援信号は出してないから、システムの暴走ってわけでもなさそうだし、どうしたんだろうね」

 菊池も手元のモニタに視線を走らせた。

「いや、いい、もうかかわり合いになりたくない。しばらくトラブルはごめんだ」

 南は手を振った。うんざりするほど勧誘され、都度追い払っている。その労力を思うとげんなりした。それでなくても災難続きだ。しばらくはひっそり生きていたかった。

「連中が何をしようとしった事か。イトトリ星へ前進」

 シートに寄りかかった南は目を閉じた。せっかくこちらに気付いていないのだ。無視するのが1番いい。

 しかし、柊の「あれ?」という声に、南は再び目を開けた。

「どうした、柊」

 柊は出力計やレーダーを見てはいなかった。宇宙空間を映すモニタをじっと睨んでいる。

「なんや、柊。なんぞ見えるんか?」

 見える訳がなかった。人間の肉眼には、暗い宇宙が無限に広がっている事しかわからない。

 だが、柊は顔色を変えた。

「ヤバいぜ船長、連中の向かってるあの先、強力な磁場がある」

「なんでわかるんだ?」

「強い磁力を発生させている空間特有の星の動きだ」

 あるのかそんなの、という菊池の言葉に、北斗は大きなため息を吐いた。確かにそういう現象はある。だが、人間の目に見えるレベルの話ではない。

「柊サン、あんたも何かESPがあるんじゃないの?」

「ねぇよ。視力がいいだけだ」

 視力の問題ではないと言おうとして、北斗はやめた。柊はレーダーで確認できない距離で行われている菊池の核爆発攻撃を視認できた人間だ。

「……で、どうするの? 船長。このままだと、あの護衛艦隊は磁場に突っ込んで制御不能になると思うけど」

 南はため息を吐いた。連中に貸しはないが、命の危機に晒されてもかまわないというほどの恨みはない。

「……仕方ない。菊池、知らせてやれ」

「了解」

 菊池は通信機を操作した。

「こちら自由貿易船オロチ、自由貿易船組合、応答願います」

 反応はすぐにあった。菊池が返答を待ったのは、たった3秒だ。

『こちら自由貿易船組合第1班、イエス! ラムネ!』

 変な応答だ、と宵待は思った。ラムネって何だ、という素朴な疑問が浮かぶ。それに気付いた南が、ため息まじりに宵待を見下ろした。

「ラムネってのは、自由貿易船組合の元締めみたいなとこの……いわば総称のようなものだ」

 面倒そうに適当に説明する南に、なるほどと宵待は頷いた。

『オロチじゃないか! やっと俺達の仲間になる気になったか?』

「寝言は寝て言え」

 柊が切り捨てたが、通信マイクのスイッチは入れていなかったので、幸いラムネには聞こえなかった。

「オロチよりラムネへ。取り込み中悪いが、お前達の追いかけている先に磁場の嵐があるぞ」

 南は努めて冷静に返した。とりあえず忠告の義務は果たしたぞ、という程度の誠意しかこもっていない。

 今度は、応答に少々時間がかかった。司令官クラスとの相談があったのだろう。だが、それも1分にも満たなかった。

『あいつらが平気で操行してるんだ! 俺達だって行ける! 忠告感謝するぞオロチ! ついでに仲間になれ!』

 南は無言で通信を切った。

 オロチは一応停船して事態を見守っていたが、磁場に突っ込んだ自由貿易船組合連中は、当然のように舵を失い、右往左往しながら通信を絶った。

「……馬鹿だね」

 北斗が呆れたように呟いた。ああなってしまったら、もうできる事などほとんどない。もちろん操縦など不可能だから、成り行きに任せるしかないだろうが、惑星に体当たりして死ぬなんて事はないだろう。

「さて、俺達はイトトリ星へ向かおう」

 何事もなかったかのように、南は北斗に視線を向け、北斗もそれに頷いてエンジンを噴出させた。トラブルの顔はしばらく見たくない。その要因になりそうなものとの接触も最小限にしたい。南は心の中で何度も「平安、平穏、安穏」と呟いた。

「ようわかったか? 宵待。あんなんに俺達が加盟するわけないやろ?」

 宵待は半笑いで頷いた。あんなに能天気では、生きるのは楽そうだが、幸せは遠そうだ。

「でも、あの連中はこれからどうするんだろう」

「俺達が心配する必要はないで、宵待」

 笹鳴はのんびりとモニタに視線を戻した。イトトリ星までは、ワープなしだとあと1週間はかかる。

 しらけた空気の中、菊池が小さく唸った。

「船長、一応報告」

「どうした?」

「あの船なんだけど」

 南はひらひらと手を振った。

「あの連中の事なら、もうどうでもいい」

「そうじゃないよ。連中が追っかけてた船の方だよ」

 菊池は顔を上げた。

「あの磁場の中、多少は支障が出たみたいだけど、真っ直ぐに磁気嵐を抜けたよ」

 それを聞いて視線を鋭くしたのは、北斗だった。

「最初からあの中に自由貿易船組合を誘い込むつもりだったって事?」

「かもしれないね。ジャイロコンパスの修正機能を最初からMAXにしておけば、頑張れば飛べない事はないよ」

「頑張れば、でしょ」

 磁気の強さを正確に測定したわけではないから厳密な事は言えないが、精密機器の塊である宇宙船が無防備のまま磁気嵐の中に突っ込んだりしたら、運良く抜ける事ができたとしても、その後の操行に大きな支障が出るだろう。

「いったい何者なんだ? 逃げてた貿易船ってのは」

 柊は親指の爪を噛んだ。UNIONではないだろう、自由貿易船組合程度の組織に喧嘩を売るとは思えない。UNIONにとって自由貿易船同盟は、多少は目障りかもしれないが利益に関わる相手ではないからだ。

「ここに磁気嵐があるって知ってたって事は、この辺を縄張りにしてるって事かな」

 考え込んだ菊池の隣で、宵待がデータに目を走らせた。

「そうかもしれない。公式の航路には一応磁場があるって記されてるけど、詳細はまったくないから」

 だろうな、と南は思った。UNIONの航路から外れている場所は、公式航路にほとんど記載がない。規模から想像するにしても、ほぼ山勘になるだろう。

「宵待さん、逃げていた船の名前わかる?」

「ええと……」

 宵待はデータを巻き戻した。

「自由貿易船ネイピア。自由貿易船同盟には加盟していないね。……取扱い商品は鉱石から食べ物まで何でも」

「まぁ……自由貿易船だしな……」

 柊は小さく吐息した。自分達もそうだ。人身売買と麻薬以外なら何でも運ぶ。

「ネイピアか……初めて聞く名だが、覚えておいた方がよさそうだな」

 南は指先で2、3度自身のアゴをつついた後、慌てて首を振った。いかんいかん、こうやって物事に興味を持ったり突っ込んで調べようと思うから、トラブルの方から寄って来るのだ。冷静になれ、俺。そう心の中で呟き、北斗へ向けて「とりあえず全速前進」と告げた。



 惑星イトトリに到着したオロチは、メイン市場ではなく下町の工場を訪ねた。メイン市場の多くはUNIONの取引先か、そうでなければ観光用だ。

 小さな、しかし質のいい材料を扱う店を探して、オロチクルーは探索に出た。実は先日、ヨナガ星より紙を壁紙に加工するその技術を布地でも活かしてみたいと相談があり、そのための実験的な布地を探している。宇宙船のコーティングとまではいかなくとも、内装を手がける時に使用できるような合皮も欲しいと言われていた。

「面白いものはたくさんあるんだけどな」

 南は店先を覗きながら真剣に考え込んだ。断熱素材に特殊加工された布、イトトリという惑星名に恥じない様々な糸を使った膨大な量の布がある。

「面白すぎて、どれを選んでいいのかわかんねぇよ」

 柊は極彩色の布の海を見やってため息を吐いた。

「朱己、お前は何がいいと思う?」

「わかるわけないだろ。俺、裁縫とかは素人だもん」

「料理はできるのに」

「全然別もの」

 菊池に抱えられたクラゲも、きょろきょろと店先を眺めていた。カラフルな色の洪水は、なんだかちょっと美味しそうだ。

「とりあえずいくつか買って見よう。この光沢のあるヤツなんかは、壁剤や内装以外でも何かに使えそうだ」

 南は物色を始めた。貿易屋として長くやっているので、どんな素材でも一応鼻は利く。

 いくつかの商店で一定のまとまった布を買い、クルー達はひとまず船に引き上げた。

「おかえりなさい」

 振り向きもせず操縦席から声をかける北斗に、菊池は「ただいま」と告げた。

「いいものあった?」

「そこそこ」

 北斗が留守番をする時はいつもそうしているように、菊池は炭酸のジュースをお土産として北斗に手渡した。

「布もたくさんあったけど、染料もさすがに多かったよ。絵みたいにきれいな布もあってさ」

「イトトリ星には、確か天神職人が何人かいたはずだよ。べらぼうな値段がついてなかった?」

「ついてた。宇宙船が買えそうなくらいの値段」

 天神職人というのは、宇宙芸術保護団体が認定した技術を持つ存在の事だった。この宇宙で1,000人ほどしかおらず、音楽家、舞踊家、画家等、さまざまな専門分野で特に秀でた者に与えられる栄誉だった。

「もちろんそんなのは買えなかったけど、別に俺達は花嫁衣装を買いに来た訳じゃないからな」

 クラゲが菊池の腕の中からぽてんと飛び降り、北斗のひざの上によじ上った。

「きゅうきゅう」

「なに? ジュースが欲しいの?」

 パックを差し出した北斗に、クラゲは違うと首を振った後、触手で北斗が見ていたモニタを指した。

「なに見てたんだ? 北斗」

「……ああ」

 北斗のモニタに映っていたのは、ネイピアの情報だった。

「気になる?」

「まぁね」

 北斗はジュースを一気に空にした後、乱暴に口を手の甲でぬぐった。

「データを集めて俺だったらどうなるかシミュレートしてみようとしたんだけどね」

「どうだった?」

「できなかった」

 北斗はジュースのパックを握りつぶし、菊池に手渡した。

「そもそもデータがない。あの地区に磁気嵐がある事はとりあえずUNIONの海図にもあるんだけど、規模も何も記されてない」

「データバンクは? 照会した?」

 北斗は無言のまま頷いた。UNIONのデータバンクどころか、北斗は海軍のデータバンクにも違法アクセスを試みたのだが、まったくデータがなかった。

「考えてみれば、あそこは軍の収容施設や裁判所があるところだから、結構広範囲でデータが公開されてないんだよね」

「でも、ネイピアはデータを持っていたって事? ネイピアの登録はどうなってるんだ? 一応初期登録の惑星は公開されてるだろ?」

「初期登録はL7」

「……ローレライ付近の人口都市衛星か……」

 ローレライ付近の公営新造船登録所での登録は多い。ローレライで船を買って、そのままそこで登録するパターンが多いからだ。ネイピアもおそらくそうなのだろう。

「自由貿易船となると、UNIONのデータでは詳細は難しいな。自由貿易船同盟にも加盟してないって話だし」

「取扱い商品と船長の名前しかわからないね」

「船長の名前は?」

「ジュンサイ」

 菊池にはもちろん聞き覚えはなかった。北斗も同じで、がりがりと後頭部を掻いた。

「あんたの言うとおり、あの場所を縄張りにして稼いでいるのかもね」

「自分で言っといてなんだけど、軍の収容施設や裁判所のある地区で?」

 北斗は眉を寄せた。ネイピア。どうにもきな臭い。

「オロチなら多分行ける磁気嵐だったと思うけどなぁ」

「オロチならね。ローレライの電磁派ベルトの中に突っ込めたくらいだから、そりゃその辺の磁気嵐なら問題ないよ」

 だが一般的な船ならどうだろうと北斗は考える。もし旧式のオロチであれば、多分自分なら突っ込もうとは思わない。できるできないという判断の前に、その後の船の操行を考えれば、損傷を先に計算してしまう。突っ切る事ができたとしても、必ずシステムに異常が出るはずだ。ネイピアもそこまで考えたのだろうか。損傷を被ってでも、自由貿易船同盟を撒きたかったのか。

 そもそも自由貿易船同盟は、なぜネイピアを追いかけていたのだろう。

 救助を要請したようには見えなかった。勧誘でもさすがにそこまではしないだろう。

「……ねぇ、菊池サン」

「なに?」

「ちょっと調べてみてよ」

 菊池はクラゲを抱えたまま北斗を見下ろした。

「ネイピアが追いかけられていた理由」

 菊池は数秒黙り込んだ後「いいよ」と告げた。



 数日間をイトトリ星で過ごし、様々な布を詰め込んだオロチは、再び宇宙へ飛び出した。せっかくここまで来たので、真っ直ぐヨナガ星に向かうのではもったいない。イザヨイ星のヒバリからの依頼の品もいくつか集まっていないし、まだあちこち飛ぶつもりだった。ヨナガ星からも急いでいるとは聞いていない。

「さて、次は精密機器だな」

「じゃあスイリスタルかローレライ?」

「そんな馬鹿高いところでまともに買えるか。貿易フリーパスチケットってのは自由に買える権利であって、安く買える権利じゃないんだからな」

 南はそうぼやいて、キャプテンシートに寄りかかった。

「精密機器ったって宇宙船みたいな単価の高いモンじゃなくて、カメラや受信機なんかの小さなものだ」

「了解」

 菊池は機器に視線を走らせた。

「近くにあるワープステーションはタイガー800XCだけど、ここならGSX-R1100Wも使えるよ」

「小振りのワープステーションだな。オロチを運べるのか?」

 柊の質問に、菊池は肩をすくめた。

「そりゃオロチの出力はAクラスかもしれないけど、大きさは十分Cクラスで通るからね。大丈夫」

「いっそ単独ワープしたらどないやねん」

「またUNIONや軍に色々言われるのはやだよ」

 菊池の示した航路に、北斗がオロチを乗せた。

「このまま行けば5時間でタイガー800XC。ざっと計算すると、ええと……」

「4日ってとこだ」

 柊がちらりと北斗を見て続けた。

「航路上にとりあえず問題はねぇよ。自由貿易船同盟の支部はあるけどな」

 それを聞いた南は大きくため息を吐いた。また奴らだ。疫病神か。

「……まぁ、できるだけそっと通過しよう。もうしばらく平和な航海をしたい。ワープステーション以降はオーパイで行けるだろう。近づいたら教えてくれ」

「了解」

 座標軸を確認し、北斗は操縦桿を握り直した。


「北斗」

 就寝前、部屋でくつろいでいた北斗は、その声に「開いてるよ」と告げた。

「お邪魔。……相変わらず散らかってるなぁ」

 菊池はクラゲを抱えて北斗の部屋を進み、脱ぎ散らかしたパジャマや放ったらかされた雑誌の山にため息を吐いた。

「そんな小言を言いに来た訳?」

「それも言いたかった事ではあるけどね。調べたよ、例のネイピア」

 北斗の寝そべっていたベッドの脇の布団を避けて、菊池は座った。

「どうやら人身売買に手を染めてるらしいよ、あの船」

 北斗は険しい顔になって上半身を起こした。

「マジ?」

「うん。商品は……獣人」

 北斗の目が鋭く細められた。

「ネイピアが取り扱ってるのは観賞用じゃなく完全な愛玩用みたい。クラゲくらいの大きさの、全身毛で覆われている獣人とか、あと変身できるタイプの獣人だね」

 吐息して、北斗は両足をベッドから下ろした。

「なるほど。あんたがブリッジで話題にせず、わざわざ俺の部屋に来た訳だ」

「宵待にこんな話を聞かせられないだろ」

「船長にもね」

 北斗は意地悪げに笑った。南は聖人君子ではないが、人身売買のように人を人と思わないような外道な行いは大嫌いだ。

「で、自由貿易船同盟もさすがに人身売買は認めてないみたい。あそこは助け合いの互助会みたいなシステムの他に、一応逸脱した自由貿易船を取り締まる部門もあって、そこがネイピアを追いかけてたって話だよ」

「ふぅん……」

 北斗は放り出していた帽子を手に取り、くるくると回した。

 自由貿易船同盟は、UNIONと比較するとあまりにも小さな組織だ。どんなに頑張ったとしても、誰にも頼らず存在するのは難しい。だから無法者を取り締まる部門を作り、捕縛した自由貿易船をUNIONなり中央管理局なりに突き出し、自分達の存在の価値を認めさせると共に、存在の正当性も示しているのだろう。存在価値が認められれば意見も聞き入れられる。正当性が認められれば権利が手に入る。

「馬鹿だ馬鹿だと思ってたけど、案外小賢しい部分もあるんだね」

「俺も舐めてた。認識を改めたよ」

 菊池はため息を吐き、近くに投げ出されていたパジャマを何となくたたみ始めた。

「ネイピアが自由貿易船同盟に追いかけられていたのはそれが理由なんだけど、これは結構前かららしいよ」

「自由貿易船同盟ごときの船じゃあ、簡単には捕まえられないって事?」

「それだけじゃないみたいなんだよ。だって、UNIONや中央管理局も一応目を付けてるみたいなんだよね」

 クラゲはぽてんと主のひざから降りると、落ちていた雑誌の一つを床で広げ始めた。ページを開くとCGを使った動画が映され、面白そうに眺めている。

「この間は磁気嵐の中に自由貿易船同盟をおびき出しただろ? 他にも星雲の中に引きずり込んで巻いたり、ブラックホール近くで姿を消した事もあるらしいよ」

 北斗の表情が、剣呑さを超えて不機嫌になった。

「どういう事さ。それだけの操船技術を持ってるって事?」

「わかんない。抜け道を知ってるだけかも」

 北斗は考え込んだ。星雲の中に紛れ込んだとしても、自分なら逃げ切れる。ブラックホール近くで敵を欺く事もやった。それができたのは、元軍人としての経験と、何よりそれだけの腕が北斗にはあったからだ。自分と同じレベルの操船技術を持つパイロットなど、この宇宙ではそうそういないと自負している。

「……そういう場所と抜け道の情報を、どこかから仕入れてるって可能性が高いね」

「うん」

 けど、そんなにたくさんの情報となるといい金額になると思うけど、ネイピアはお金持ちなのかな? と呟いて、菊池は考え込んだ。

 それもある、と北斗は思う。人身売買は金になる。取引先もセレブばかりで、権力で余計な事は握りつぶせる。金を持つ下品な連中の保護を受けて、ネイピアは情報を手に入れているのかもしれない。

 だが、それにしては船自体は貧相だった。旧型のオロチより更に古い型に見えた。

「わからないな……もう少し情報が欲しい」

「まだ要るの? 仕方ないなぁ」

 まだ本を眺めていたクラゲに「もう寝るよ」と告げ、菊池はクラゲを抱えると、北斗の部屋を出て行った。



「柊、次の惑星まであと何時間や?」

「ざっと50時間」

 魔法陣のように空中に浮いた座標を確認してから、柊は胡乱な視線で笹鳴へ振り向いた。

「自由貿易船同盟の支部までは3時間ってとこだけどな」

 キャプテンシートの南も胡乱な視線になった。

「……まぁ、害はないから適当にスルーしろ」

「全力でスルーするっスよ。ステルス起動したいくらいっス」

「連中相手にそこまでエネルギーを使うのももったいない気がするけどね」

 北斗もため息をついて計器を眺めた。エネルギーは現在42%。次の惑星では念のために燃料補給した方が好さそうだ。

「じゃあ俺、昼ゴハンの準備して来るな。クラゲ、手伝ってくれる?」

「きゅきゅう」

 シートから菊池が立ち上がろうとした時、レーダーが反応した。

「あ、船だ」

「船? 宵待、どこのだ?」

「解析します……自由貿易船同盟です……。こちらを呼び出しています」

 南は額を押さえた。

「もったいなくてもステルスを起動させておくべきだったな。菊池、出てやれ」

「了解。こちら自由貿易船オロチ。自由貿易船同盟どうぞ」

『こちら自由貿易船同盟! イエス! ラムネ!』

 またお前らか、と柊がこぼした。どうやら磁気嵐を無事抜けて戻ったらしい。

『前回は忠告を感謝する!』

「忠告を無視して突っ込んだみたいだけど」

『安心しろ! この通り無事だ!』

 別に心配しとった訳やないわ、と通信機の遠くで笹鳴が呟いた。

「で? 何の用事?」

『前回俺達が追いかけていた船のデータ、何か残ってないかと思ってな』

 南は顔を上げた。

「……ああ、なるほど。お前達、磁気嵐に突っ込んだせいでデータが飛んだんだな?」

『まぁ……そんなところだ』

 生きて帰っただけでも儲けものだ、とラムネは笑った。どこまで能天気なのか。

「そんなに残ってないよ。通りすがりだったし」

『どんなデータでもかまわん!』

 菊池に視線を合わされ、南は組んでいた両手を解いた。

「いいだろう。ただし、今後一切俺達につきまとうなよ」

『それは保証できない!』

 ブリッジが生温かい空気に包まれた。こいつらは何を言ってもダメだ。多分駆け引きというものは通用しない。というか、わからないんじゃないだろうか。

「……もういい。データを送ってやれ。自由貿易船同盟、データをやる代わりに、お前達がなぜあの連中を追いかけていたのか教えてくれ」

『よかろう! あの船、ネイピアは、人道にもとる人身売買に手を染めているからに他ならない!』

 南の目が一瞬で鋭く冷たくなった。

『被害報告は我々自由貿易船同盟及びUNION、中央管理局にも届いている! 現在はまだ規模が小さいが、断じて許されるべき事ではない!』

 自由貿易船同盟は、威丈高に告げる。

『そこで我々自由貿易船同盟は、これ以上の被害の拡大を防ぐため、宇宙の平和を守るために、こうして日々命を賭けて戦っているのだ! そもそも我々自由貿易船同盟の掲げている崇高なる目標とは、』

「もういい」

 南はモニタに向かって手を振った。

「菊池、データの転送は完了したか?」

「うん。もともとそんなに多くないし」

「では、我々は次の惑星に向かわせてもらう。じゃあな、自由貿易船同盟第1班、ラムネ」

『協力に感謝する! 航海の無事を祈るぞ! オロチ!』

 ラムネの船は大げさに両翼のランプを点滅させると、ひらりと身を翻しておそらく支部のある方向へと飛んで行った。

 それを見送り、南は深々とキャプテンシートに身を沈めた。

「……なるほどな」

「何がなるほどなの? 船長」

 見上げてくる菊池を、南は半眼で見下ろした。

「お前達が、俺に内緒でこそこそと調べていた理由だ」

 ぎくり、と菊池は身体をこわばらせた。

「俺が気付いていないとでも思ってたのか?」

「………………すみません……」

 菊池はバツが悪そうに視線をそらせた。

「俺を不快にさせないようにという気遣いなんだろうが、あれだけイトトリ星で自由行動を希望されては、何かあると思うだろう」

「料理のレシピ集めだって言ったじゃないか」

「イトトリ星にはお前の興味を惹くような料理は多くないだろう」

 仲間の思考回路など、南には手に取るようにわかる。

 しょんぼりと肩を落とす菊池に、「そもそもお前は隠し事が下手だからな」と南は笑った。

「さて、調べた内容を白状してもらおうか、菊池。そして北斗もだな」

 北斗は進行方向を向いたまま、帽子を脱いでぱたぱたと仰いだ。



「……なるほど」

 洗いざらい聞いた南は、深く吐息した。

 身体が小さい獣人というのは、まさにペットとして取り扱われる事が多い。

 クラゲのような生物と獣人を区別する最大の一線は、文明がそこにあるかないかだ。多少知能が低くても文明というものは築ける。だが、宇宙の開発スピードについていけない惑星は、植民地として支配され、文明を存続させることができない。

 そこに、人身売買という商売が付け入る隙が発生する。

 労働が可能な場合は奴隷として売買されるのが一般的だ。重い肉体労働を科せられ、安い賃金、もしくは酷くなると無給で長時間の労働を強いられる。

 自治が多い宇宙でも、最低限度の法律は中央管理局が制定し、その中でも労働を目的とした人身売買は第1級犯罪として厳しく取り締まられている。UNIONでも人身売買は禁制品目の第1級に指定され、刑罰も重い。

 だが、その法の境目をすり抜けるのが『ペット』としての人身売買だった。

 ペットに労働は付与されない。体裁的には客人として招かれるというものなので、中央管理局もUNIONも完全には取り締まれないでいた。そこに契約書があれば、本人の意思を尊重する形で処理される。性的虐待でもあれば取り締まりも可能だが、洗脳されていればそれも叶わない。

「だが、ネイピアに関しては逮捕の条件を満たしているという訳か?」

「そうみたい。契約書もないし、何せ被害届が出てる」

「……よく出せたな」

 柊が呟いた。文明が遅れた惑星の民は、言語の互換性もない場合が多いので、書面による訴えができない場合が多い。

「よっぽどの事があったんだと思う。ええと……」

 菊池はモニタに手を滑らせた。

「被害が出てるのはフォルツァ星だね。あそこは確か変身系の住民がいるはずだよ。角が生えるんじゃなかったかな」

 仲間達の話を聞きながら、宵待は呆然としていた。自分の時は被害届を出すなんて、そんな事など思いつきもしなかった。誰かに助けを求める事も考えられなかったし、そもそも助けを求めようと思うほど信用できるものなど何もなかった。

「変身系なら人型になる事もできるから、そこから何とかしたんじゃないかな」

「言うほど簡単じゃないだろう。まっとうに取引している間柄だって、生活水準が低い側の条件は通らない事が多い」

 南は険しい顔で呟いた。差別は支配へ続く道だ。生きる事を他人に左右される事がどれだけ屈辱的で悲惨な事か、南は身を以て知っている。

「俺の調べたところによると、被害届は何度も出されてるんだ。でも、出した当人がだいたい死亡していて、うやむやになってる」

「十中八九殺されたんやろな」

「多分。受理されたままの被害届の当人は、行方不明になっていない場合は、全部UNIONなんかの組織にかくまわれているみたい」

「UNIONが?」

 柊の眉が跳ね上がった。弱者の擁護なんて金にならない事に、UNIONが力を貸す事が納得できなかったらしい。

「UNIONにだってまっとうな部門や人間は存在するだろう。悪徳なだけじゃ、ここまで巨大にはならんさ。お前だって最初はそうだったろう?」

 南に言われ、柊は不機嫌そうに視線をそらせた。

「1枚の被害届の影には100件の被害があると見ていいだろうな。そしてその1件1件の向こうには、何十人もの被害者がいる」

 重々しい南のセリフに、クルー全員が黙り込んだ。

「で、話を戻すが」

 南は息苦しい雰囲気を払拭するように咳払いをしてクルー達を見回した。

「ネイピアはそれで追いかけられているという訳か」

「うん。絶対的な証拠がないから任意同行を求めたけど、それを突っぱねたので追いかけられてるみたい」

「証拠がないて。そんなんで逃げたら真っ黒なん証明したも同じやん」

「……おかしいな」

 今まで黙っていた北斗が口を開いた。

「バックにはそれなりに権力のある顧客がいるはずなのに、ネイピアは保護される事なく逃げ回ってる」

「そりゃそうだろうよ」

 柊はシートをくるりと回して両足を組んだ。

「犯罪者を保護するってのは、権力者にとってもそれなりのリスクを伴う。だからこそ、他の組織を撒けるだけの情報を提供してるんだろうぜ」

「そうかな……」

 宵待の呟きに、全員が視線を集中させた。

「あ、いや、俺はこういう事にも素人だし、理由を訊かれると上手く説明できないんだけど、わざわざそんな危険な場所ばかりに足を踏み入れて追っ手を撒こうとするものなのかな? 俺が海賊から逃げていた時は、よっぽどピンチにならない限りそんな事はしなかったよ。リスクが高すぎる」

 宵待の視線を受けて、北斗は考え込んだ。

「確かに、操行に支障が出るような磁気嵐の中にわざわざ行かなくても、撒く方法は他にもあるかもね」

「ネイピアは旧型の船だって言ってたけど、もしかしたらオロチみたいに中身は最新式なのかもしれないよ」

 どうだったかなと呟いて、菊池はデータを呼び出した。

「うーん……自由貿易船同盟に追いかけられていた時のネイピアは、出力ゲージはCクラスだね」

 南はガリガリと頭をかいた。どうにもネイピアはよくわからない船だ。

「人身売買の密輸じゃあどこにもデータはないだろうな。これ以上調べるのは難しいかもしれん」

「ねぇ菊池サン」

 不意に北斗が口を開いた。

「もしあんたがあの磁気嵐の中にオロチで突っ込むとして、シールドできる?」

「できない事はないけど、磁気をESPで遮断するのは熱を遮断するより難しいよ。温度にもよるしね。磁性っていうのは、電荷を持つ粒子が運動をすればいつでも出現するから、反磁性と非磁性のそれぞれの物質をかき集めて上手い具合に動かさなきゃいけないんだよ」

 俺には磁気ベルトに突っ込んだあの時が限界かな、と菊池は続けた。

「何だよ北斗、お前まだあの磁気嵐に突っ込んだ場合のシミュレートしてぇのかよ」

 柊に視線でつつかれ、北斗は帽子のつばを人差し指で持ち上げた。

「そうじゃないよ」

「じゃあ何だよ」

「同じかも、と思っただけ」

「何がだ?」

 南に尋ねられ、北斗は冷ややかな視線でモニタを眺めた。

「ネイピアにも、オロチのように菊池サンみたいな人が乗ってるのかも、ってさ」



 ネイピアがどれだけ不気味な船であろうとも、オロチがその取り締まりに乗り出す理由はなかった。

 南は腑に落ちない気持ちを抱えたまま、次の惑星へ向かうよう北斗へ告げた。

 ごたごたした事件に巻き込まれ続け、やっと一段落したところだ。振り払っても振り払ってもすり寄って来るトラブルという名の疫病神の顔など、できれば一生見たくはなかった。

 だが、どうしても考えてしまう。

 北斗の言うとおり、他の自由貿易船にエスパーが乗っている可能ではゼロではない。

 一般的なエスパーはUNIONなり軍なりへ就職するのが普通だ。重宝されるのはやはり菊池のようなテレキネシス……念力の持ち主や、エネルギー派をぶつけられるような力技に出られるタイプだ。そのタイプのエスパーはどこも欲しがるので常に市場の需要は供給を上回っている。

 だが、菊池のような物好きがいるのだ。他にも自由貿易船に乗りたがるエスパーがいるかもしれない。

 南は首を振った。

 いかんいかん。こうやって自分は知らないうちにトラブルに近づいてしまうのだ。いくらそういう星の下に生まれたのだと思って諦めていても、できるだけ平和な時間を長く保ちたい。

 南がそう思いながら眉間にしわを寄せていた頃、キッチンで夕食準備を手伝っていた宵待は、恐る恐る菊池の顔を伺った。

「あのさ、言いたくないならいいんだけど、菊池って、どうしてオロチに?」

 菊池の力は、ESP市場をよく知らない宵待にしてみても規格外もいいところだった。遠隔地にいる宇宙船を破壊し、タンホイザー砲のような陽子ミサイルを分解し、自分の船をシールドし、磁場を抜け温度を調整し、ブラックホールでさえ菊池の前に滅んだ。

 その菊池が、どうして自由貿易船などに乗っているのか、宵待は以前から不思議で仕方なかった。

「ああ、うん。別に言いにくい事じゃないんだけどさ」

 アンチョビソースを作りながら、菊池は笑った。

「前にも言ったかもしれないけど、俺、ルナベースでは落ちこぼれだったんだよ」

「それがわからないよ。そんなにすごい力があるのに」

 菊池は苦笑した。

「話すと長くなるんだけど、地球ではまず産まれた赤ちゃんにESP因子があるかどうかの検査がされるんだ。健康診断に含まれてるんだよ」

 宵待は話を聞きながらポテトを揚げた。笹鳴の酒の肴だ。

「で、俺はESP因子を認められてルナベースへ行く事になったんだけど、大まかに言ってESPってのは6つに分けられるんだ。透視、予知、催眠、サイコメトリー、テレキネシス、そして瞬間移動」

 宵待は黙って頷いた。

「透視と予知はわかるだろ? 催眠能力ってのはサイコメトリーの強力版かな。相手の精神を乗っ取る事ができる。サイコメトリーもメジャーかな。声を使わずに意思の疎通を果たす事。新世283号のヨザクラ王女がこれにあたる。テレパシーとも言うから、テレパスって呼ばれる事もあるよ。テレキネシスは俺が使ってるヤツね。これは念力とも言うよ。瞬間移動ができるエスパーってのは本当にごく稀だな」

「結構種類があるんだな……」

「ESP因子自体を持ってない惑星がほとんどだから、あまり知られてないけどね。でも俺から見たら宵待の能力も一種のESPに近いよ」

「それは違うよ。俺のは身体の作りから使える武器なだけだから。猛獣の牙と一緒」

 なるほどな、と笑って、菊池は再び料理にかかった。

「で、ルナベースではまずどの能力に特化してるか検査されるんだ。ひっくり返ったカードの図を答えたり、夢を記録したり、目隠しして相手の考えている事を読んだりね」

 菊池は揚げた肉団子を今度は鍋に入れ、出汁で煮込み始めた。

「菊池もやったんだろう?」

「やったよ。テレキネシスがあるかどうかの検査は、小さくて軽い羽を浮かせられるかどうかなんだ」

 ああ、と宵待は納得した。菊池は遠くの物体しか操れない。目前の小さな羽を浮かす事などできなかっただろう。

「そうか……じゃあ」

「うん。ESP因子は確かにあるのに、俺はどの検査にも引っかからなかった。教授達はまだ知られていない力なんじゃないかって、そりゃあ必死だったよ。でも何をやってもダメだったんだよね、俺」

 ふぅ、と菊池はため息を吐いた。

「何度もESP因子が本当にあるのか検査されて、うんざりするほどのテストを受けて、でも何もかもダメ。とうとう教授達がさじを投げてね。俺もそのうち諦めて、手に職を付けようと思って、能力開発機関に所属しながら調理師学校へ行ったんだ」

「じゃあオロチに乗ったのは、本当に調理師としてだったのかい?」

 菊池はふふ、と笑い、「そうだよ」と言った。

「船長が調理師として俺を拾ってくれて、宇宙へ出てから俺の力が判明したって訳」

 嬉しかったなぁと菊池は笑った。

「後からルナベースの教授達がごたごた言って来たけど、就職決まった後でそんな事言われてもね。在学中に色んな資格とっといてよかったよ」

 周囲がどんどん力をつけていく中、取り残されるのはどんなに心細かっただろうと宵待は考えた。南が声をかけてくれた時は、どれだけ嬉しかっただろう。

「そんな訳で俺は自由貿易船に乗ってるんだけど、普通のエスパーは軍かUNIONに就職するのが一般的だね」

「菊池のようなパターンは珍しいんだ?」

「うん。だって給料が全然違うもん。多分俺の年収が軍の月給」

 宵待は驚いて手を止めた。

「……転職しようとは思わなかったのかい?」

「先輩達を見ると、そんな気にはなれなかったな。みんな判で押したように高慢ちきになってたし、仕事は過酷だしミスすると怒鳴られるし、機械みたいになってた」

「機械?」

「うん。戦闘艦の一部……というよりは、兵器そのものかな」

 菊池は少しだけ寂しそうな表情になったが、すぐに笑顔を作った。

「俺はここがいい。給料が安くても、みんなと一緒に食べるゴハンが1番美味しいよ」

「きゅうきゅう!」

 それまで黙って聞いていたクラゲが、菊池の足をよじ上って肩に乗った。

「うん、そうだね。そうじゃなかったら、クラゲとも会えなかったもんな」

「きゅーう!」

 運命って交差するんだな、と宵待は思った。みんなの様々な選択が結びついて、ここに全員が集った。その中に自分がいる事が、宵待はとても嬉しかった。

「あ、そういえば」

 菊池はアンチョビソースをクラゲに味見してもらいながらふと考え込んだ。

「もう1人いたなぁ。俺と同じ、能力がわからない子が」

「へぇ。じゃあ菊池にとっては仲間じゃないか」

「うん、よく一緒にゴハン食べたりして励まし合ってたけど、運がいいんだか悪いんだかわかんない子でね。いま何してるかなぁ」

 味はどう? と尋ねられ、クラゲは触手で丸を描いた。



 それからしばらくして、オロチは2つ目の目的地である惑星マツゼミへ到着した。

「ここは精密機器……と言っても、本当に部品加工に特化した惑星なんだ」

 菊池はオロチの中から起伏の少ない陸地を眺めて宵待に告げた。

「主な輸出先はスイリスタルにローレライ。あそこで使えるんだから、精度は抜群だよ」

「へぇ。スイリスタルは部品も全部自前なんだと思ってたよ」

「作れない事はないと思うけど、全部スイリスタル製にしちゃうと、アホみたいになるよ」

「アホみたい?」

「とんでもない金額になるって事」

 菊池は笑って、モニタから顔を上げた。

「例えばイザヨイ星のフェイクフィルタ。あれは情報の機密性から全部スイリスタル製だよ」

「ああ……」

 宵待も笑った。確かにアホみたいな金額だった。

「ところで、菊池はどうして船長達の買い出しに着いて行かなかったんだい?」

「精密機器の事なんか全然わかんないもん。見てて楽しそうな商品でもないしさ。だいたい、何ミリのローラーだとベアリングの始動トルクが低くなるだの複列形だとコントロールがどうの、そんな話なんか全然わかんないよ。整備士の資格ないもん、俺」

 宵待は苦笑した。自分にも全然わからない。

「菊池は確か2級パイロットの資格があったんじゃなかった?」

「あるけど、2級は難しい整備の知識いらないもん」

 すねたように、菊池はそっぽをむいた。

「なるほど。船長と北斗と柊が向かったわけだね」

「わけだよ」

 整備士の資格を持つ3人は、こぞって買い出しに出ていた。ちなみに笹鳴は医療用品の買い出しに出ている。

 菊池は各連結部の確認やコンテナに異常がないかモニタをチェックした。もう癖になっているので、意識しないでもやってしまう。

 それらのモニタを眺めた視界の端にレッドランプを認め、菊池ははっとした。

「なんだこれ!」

 現在オロチは停泊中のため、最低限度のシステムしか稼働していない。菊池は慌てて各所のスイッチを入れた。

「何か来るよ! 宵待!」

「任せて! 分析する!」

 一瞬で全身を戦闘モードに切り替え、宵待は情報システムを作動させた。

「オロチを中心に半径30キロ圏内に飛来物! 対象は……隕石だ!」

 菊池は驚いて顔を上げた。

「まさか、地上にいる時に隕石なんかにオロチは反応しないよ!」

 小さい隕石なら大気圏で燃え尽きるのが普通だ。欠片が散らばる事はあるが、その程度の飛来物ならオロチはいちいち反応しない。

「距離が近いんだ! 直系10キロ! 秒速200! 予測落下地点はオロチより2時の方向に11km! 誤差500m! 到達時刻はおよそ7分後!」

 菊池はすぐに地図を呼び出した。

「2時の方向に10kmって……市街地じゃないか!」

 そんな大きな隕石なら、落ちて来る前に観測所が気付くはずだ。突然降って湧く隕石など聞いた事がない。

「どうしてこんな……!」

 菊池が急いで報道チャンネルを入れると、生放送中のアナウンサーが絶叫していた。

『隕石です! 隕石が市の中心部目がけて落下しています!』

「市でシールドとかないのかい?」

「どうかな、大統領や国王の官邸ならあるかもしれないけど、市全体を守るほどのシールドとなると……!」

 考えている時間も調べている時間もなかった。

 菊池はクラゲを抱え込むと、自分のシートに座り込んだ。

「俺が止める! 宵待は船長達に連絡とって!」

「了解!」

 菊池とクラゲの瞳がサファイアに光る。

 その途端、隕石は大気圏直前で突然推進を止めた。

「まずい……砕けちゃうよ!」

 菊池の力の衝撃で、高温で焼かれた隕石の外側に亀裂が入り、形を崩した。

「ええい……! クラゲ、頑張ってついて来てよ!」

「きゅう!」

 隕石は欠片をまき散らす事なく、徐々に小さくなっていき、やがて大気圏の高温によって蒸発した。

「……ふぅー」

 菊池は思い切りシートによりかかった。

「……お疲れ様、菊池」

 宵待も大きく息を吐いた。通信機の向こうからは南の慌てた声が届いていた。



「仕方ないから、運動エネルギーを加速させて温度を上げたんだよ。それで蒸発させたんだ」

 夕食後、菊池は改めて説明をした。

「俺も聞いたんやけどな、観測所もたまげてたらしいで。そない天体は、少なくとも昨日まではデータ上にはなかったんやって。恒星の爆発や重力波の変な空間はあったらしいけど、とても惑星に影響を与えるような距離やなかったそうや」

「じゃあ、いったい何だったんだ?」

 南は報道で何度も繰り返される隕石の落下ニュースを眺めた。改めて見るとかなり大きい。あんなものが市街地に落下していたら、何千人という被害者が出ていただろう。

「うん、だから俺も手加減できなくて、実はマツゼミ星の軍から通信が入ったんだ。隕石を破壊したESP波がオロチから確認されたがどうなんだって」

「マツゼミ星の軍にはESP波測定システムがあるんだな」

「マツゼミ星にもほんのちょっとだけど一応ESP因子を保つ人間が産まれるからね」

「それであんた、自分ですって言った訳?」

「言ったよ。測定器あるなら嘘つけないだろ」

 菊池は北斗にそう言い切った後、ちらりと南を見た。

 南が笑って「言ってよかったよ」と言ったので、菊池はほっとしたように肩の力を抜いた。

「実はさっき、お前が夕食の支度をしている時に、改めてマツゼミ星の軍から連絡があったんだ。軍ではせいぜい撃ち落とす事しかできなかったそうで、そうなっていれば隕石の破片が市街地を中心に降り注いでいただろう。被害なく処理してくれて感謝するってな」

 菊池は更に身体の力を抜いた。

「なんだよ、マツゼミ星にもエスパーはいるんだろ? そっちで止められなかったのかよ」

 コーヒーを飲みながら尋ねて来る柊に、南は笑った。

「柊お前、菊池の力が一般的なESPだと思うなよ。隕石を蒸発させるなんてのは、その辺のエスパーにできる事じゃない。せいぜい軌道を変えるくらいだろうが、それだってできるかどうか」

「へぇ」

 柊はまじまじと菊池を見つめた。

「やっぱ朱己って、すごいエスパーだったんだな」

 菊池はきょとんとした後「普段は何にも使えないけどな」と笑った。



 詳しい調査はマツゼミ星に任せ、オロチは再び宇宙へ飛び立った。もしかしたらどこかで寿命を迎えた恒星が爆発し、それが磁場の影響で飛来したのかもしれない。

「もったいなかったかな。お礼に部品を安くしてもらえばよかったかな」

「馬鹿言ってんじゃねぇよ、朱己。惑星からもらえる感謝の形なんて、せいぜい栄誉とかだろ?」

「……めっちゃいらない」

 菊池はため息を吐いた。栄誉で腹は膨れない。

「次はどこへ行くんだ? 確かまだイザヨイ星の依頼品が足りてないと思ったけど」

「そうだな。鉱石が足りないから、進路をプリメーラに乗せてくれ」

「了解。航路プリメーラ63」

 北斗が進路にオロチを乗せた途端、アラートが鳴り響いた。

「宵待!」

「分析します! ……識別番号89,208、ネイピアです!」

「ネイピア?」

 柊は舌打ちして振り向いた。

「どうします? 船長」

 振り向いた柊の目に、思いのほか真剣な表情の南が映った。

「……変だな」

「何がっスか?」

「まるで俺達の後を追いかけているみたいだと思わないか?」

 クルー全員がはっとした。最初にネイピアを見かけたのは、ここから一週間以上かかる場所だった。これだけ広い宇宙で、こんな短期間に再会する確率はかなり低い。

「まさか、偶然じゃないっスか?」

「だといいが……」

「船団接近! 識別番号686、フリーの護衛艦隊……自由貿易船同盟です!」

 宵待の声に、全員がモニタに釘付けになった。

「どうして自由貿易船同盟の支部があるこんなところにネイピアが接近したんや? 知らんかった訳やあるまいし」

 南は眉間にしわを寄せた。どうにも気味が悪い。自分達のわからない部分で、何がか動いてるような気がする。

 今までのトラブルは笑顔で握手を求めて来たが、今度のトラブルは性質が違う。知らないうちに近づいてきて、気配だけ残してゆくストーカーのようだ。

 このまま素知らぬ振りを続けるのは気持ちが落ち着かない。

 トラブルから逃げようと思うから寄って来るのだ。

 なら、今度はこっちからトラブルに真正面から向き合ってやる。

「……菊池、自由貿易船同盟に通信」

「え? ……ええと、了解」

 南の意図がわからないまま、菊池は自由貿易船同盟を呼び出した。菊池にとって、南の言葉は絶対だった。

「こちら自由貿易船オロチ、自由貿易船同盟、応答願います」

『こちら自由貿易船同盟第1班ラムネ! 急用か? オロチ!』

 自由貿易船同盟の通信はさすがに切羽詰まっていた。目前に容疑者がいるのだから当然だろう。だが、南は冷静に応答した。

「急用だ。俺達がネイピアを捕らえる。ちょっと引っ込んでてくれ」

 他のオロチクルー達はぎょっとした。

『本当か!? やっと我ら自由貿易船同盟に加盟する気になったか!』

「そうじゃない。ちょっとネイピアに用事があるだけだ。自首を勧告するから引っ込んでて欲しい」

 真顔の南に、笹鳴が怪訝そうに視線を向けた。

「何を考えてはる? 南。どないな心境の変化やねん」

 通信を切った後、南は深々とシートに寄りかかった。

「ストーカーの正体を確認する」

 各シートから「は?」という声が上がったが、それにかまわず南が「ネイピアを追撃!」と告げたので、柊と北斗は一瞬だけ視線を交差させた。

 船長、何か吹っ切れたみたいだね。

 吹っ切れたんじゃなく、ヤケクソになってるだけだろ。

 すぐにネイピアを捕捉するパイロット達に、笹鳴は思った。

 やっぱり、南はアホや。


 ネイピアの速度は確かに速かった。だが、以前自由貿易船同盟に追いかけられていた時に比べると、明らかに遅い。

「どうしたんだろう……エンジントラブルかな」

「わからんが好都合だ。柊、動力部に狙いを定めて攻撃」

「了解。宵待さん、データ収集頼むぜ。連中、何を仕掛けてくるかわからねぇからな」

「任せてくれ。狙った獲物は逃がさないよ」

 宵待はすべてのモニタに視線を走らせた。現在のオロチの情報収集の全権を、宵待は任されていた。ここで取りこぼす訳にはいかない。

「ジャイロコンパスオールグリーン、周辺に星雲なし、重力感知システム沈黙!」

「よっしゃ」

 北斗は舌なめずりをして操縦桿を握りしめた。今までの航海では逃げる事や守る事が主だったが、今回は狩る側だ。軍人時代の闘争本能が首をもたげる。

「しっかりね、柊サン」

「るせぇ」

 柊はゴーグルに表示されたスコープに集中した。ネイピアはごく普通に全速力で逃げているだけだ。サウザンドビーの女王蜂を狙撃した時に比べたら、目を瞑っていても狙える。

「マジで普通の船だな。戦闘機でもねぇし……」

 出力は一般的なCクラスだ。Aクラスのオロチに追いつけない訳がない。

「よし、北斗そのまま」

「待って!」

 叫んだのは宵待だった。

「流星群接近!」

「何だって?」

 南が声を上げた。

「X軸10時、Y軸7時、Z軸8時の方向より流星群接近! 速度300! 長さ13キロ! 直系およそ1キロ!」

 北斗は舌打ちした。

「抜けるよ、柊サン」

「おう」

 ネイピアとオロチの間に割って入った流星群の中へ、北斗は突っ込んだ。

「うわっ! Sシールド起動!」

 笹鳴が慌ててSシールドを起動させた。

「菊池! シールド!」

「近すぎて無理!」

 菊池が絶叫した。オロチは流星群の中に紛れるようにして、ネイピアを追いかけた。

「ひぃっ! 当たったら死んじゃう!」

「落ち着け菊池! 笹鳴、Sシールドフルパワー!」

「とっくにやっとるわ!」

 ネイピアは流星群を先導するように逃げるので、オロチは必然的に流星群の中から出られないでいた。

「磁気嵐に星雲にブラックホール、流星群……自然現象をこうも自在に操るなんて、魔法使いかっての!」

「ンなモンが居てたまるかよ! くっそ! 流星群が邪魔して狙いがつけられねぇ!」

「任せてくれ! 菊池、情報システムを頼む!」

 宵待がヘッドセットをかなぐり捨て、コントロールパネルの下から繋がっているマスクを自分の口元に当てた。

「了解! クラゲ!」

 菊池がクラゲを宵待の方へ放り投げると、クラゲはふにょんと宵待のひざの上に飛び降りた。その途端に、宵待とクラゲの瞳がサファイアに輝く。

「流星群なんか、低周波で粉々に砕いてやる……!」

 宵待は息を大きく吸うと、マスクに向かって思い切り低周波を放った。

 オロチを中心に広範囲に低周波が放たれ、周辺で並走していた流星群の隕石達が次々と破壊されてゆく。

「さっすが宵待」

 柊は思わず口笛を吹いた。

 宵待の代わりに、菊池が情報システムを兼任する。

「ネイピアまでの距離、約500!」

「エンジン全開!」

 南の声に、北斗がスロットルペダルを思い切り踏みつけた。

「目標、射程距離内に侵入!」

「撃て!」

 柊が発射ボタンを押す。その瞬間、宵待は柊の放つプレ・ロデア砲を遮らないよう、瞬間的に低周波を止めた。

 柊の放ったプレ・ロデア砲は真っ直ぐに動力部を直撃し、推進を強制的に停止させられたネイピアはやがて沈黙し、それでもしばらくは足掻いて抵抗していたが、やがて停船した。



 ネイピアは自由貿易船同盟の船に牽引され、最寄りの支部に連行された。

 オロチは、だ捕に協力した事で自由貿易船同盟の招待を取り付け、南の希望でネイピアの乗組員達の逮捕に立ち会った。

 南に何か具体的な考えがあった訳ではない。だがこの船が2度も目の前に現れたのは偶然ではないという確信じみた思いが消えなかったのだ。

 自分が最も嫌っている人身売買をしているからという理由だけではない。この船には何かある。自分を呼ぶ何かが。

 ネイピアのクルー達は、ほとんど海賊に近いような人相風体をしていた。柄が悪く道義の欠片も見受けられない。彼らはラムネに対し、思いつく限りの罵詈雑言と悪態をついた。だがラムネの連中はまともに相手などせず、ドヤ顔で次々とクルー達に手錠をかけ、収容してゆく。

 南はため息を吐いた。ネイピアのクルーには誰1人顔見知りなどいなかったからだ。

 勘が外れたか。いや、クルーでないなら船本体なのか。この居心地の悪いトラブルの匂いは。

「どうだ? 南船長」

 ラムネのリーダーであるソーダが必要以上の威厳をまき散らしながら南に近づいた。

「どうだ、と言われてもな」

 南は薄く苦笑した。自分でも上手く説明できないので、何とも言えない。

「まぁいい。これから積み荷もチェックするが、見るか?」

 南はおもむろに眉をひそめた。

「おい」

 南が凄んだように見えたのか、ソーダは半歩下がって「待った」のポーズをとった。

「い、言い間違えた、被害者達の保護だ」

 ソーダはくるりと南に背を向けてその視線を遮ると、部下達へ向けて怒鳴った。

「コンテナを開けろ! 医者と救護設備の用意はできているな?」

 南はネイピアのコンテナ部を見上げた。8つほどそれは連なっており、中から獣の耳と尻尾を持った、南の身長の半分もない獣人達が出て来た。全員に恐怖から来る疲労と安堵の表情が浮かんでいる。全身毛で覆われているので顔色まではわからないが、猫に近い作りの顔でも笑顔はわかった。

「確かに可愛いよね。ペットにしようと企む連中が現れるのもわかるよ」

 菊池が南の隣でため息を吐いた。小さな身体に小さな服を着て、ヒゲや耳をぴょこぴょこ動かす様は確かに和む。だからといって、知性や知能のある相手をペットとして扱うなど、南には理解できない。いくら大事にされたとしても、そこに人権はない。菊池とクラゲの関係とは訳が違う。というか、菊池はクラゲを他のクルーと同等に扱っている節があると南は思う。食事もそうだし、イトトリ星ではクラゲが着られそうな服を買っていた。コツコツと食器も集めているようで、そのどれも「クラゲ、こんなのは好み?」と尋ねながら。

 あいつ、そのうちクラゲの給料を要求してこないだろうな。

「南、怪我人がいるそうやから、俺ちょっと手伝ってくるで」

 笹鳴の声で、南は我に返った。

「あ、ああ、機材が不足しているならオロチのものを使ってもかまわんぞ」

 笹鳴がひらりと指先を振ったその先で、南は面食らった。

 あきらかに人間が1人いる。猫の大群に紛れて、1人の少女が腫れた頬を押さえて泣いていた。

 あの少女も『ペット』なのか? それにしては……言い方が変だが、人間すぎる。変身系なのだろうか。

 笹鳴が言っていた怪我人とはその少女の事のようで、怯える少女に笹鳴は自己紹介したようだった。だが、笹鳴が医療器具を取り出すより先に、少女はこちら側に勢い良く視線を飛ばして来た。

 目が合ったような気がしたが、違った。

 少女は笹鳴を置き去りにしてこちらに駆け寄ると、突然、隣で宵待と話していた菊池にタックルをかました。

「ぐふぅっ!」

 もつれ合って一緒に転びそうになった菊池を宵待が支え、だが宵待だけでは支えきれず、更にその隣にいた柊に体当たりしてやっと止まった。

「いだだ……! なに? 何が起こったんだ?」

「菊池先輩ーっ!!」

 自分にしがみついてわんわん泣く少女に、菊池は心底驚いたようだったが、やがて恐る恐る少女の肩に手をかけた。

「もしかして……佐藤さん?」

「もじがじなぐでもざどうでずーっ!」

 子供のように泣く佐藤と呼ばれた少女にいっそうしがみつかれ、菊池は途方に暮れたように南を見上げた。



「佐藤さんは、俺の後輩なんだ」

「朱己の後輩いう事は、エスパーか?」

 佐藤の頬に湿布を貼りながら笹鳴が問うと、菊池はこくんと頷いた。

「俺と同じ地球生まれルナベース育ちのエスパーだよ。ね?」

 佐藤は頷きかけたが、笹鳴に「動くんやない」と制止されて「はい」と声を出した。

「どうしてエリートであるはずの地球産エスパーが、海賊まがいの自由貿易船の貨物部に乗ってるんだ?」

 3人分の体重をかけて体当たりされた柊が打った肩をさすりながら尋ねると、佐藤ではなく菊池が口を開いた。

「前に宵待には言った事があるんだけど、佐藤さんは俺と同じ、能力がわからないエスパーだったんだ」

 ああ、と宵待が頷いた。そういえばそんな話をした事があった。

「俺の方が先に就職しちゃって、その後は全然連絡取れなくなっちゃってたんだけど……」

 佐藤はまた目を潤ませた。

「私、私も菊池先輩みたいに手に職付けようと思って、色んなバイトしてたんです。そうしてたら、菊池先輩の力は宇宙に出て初めて使えるものだって教授達が知って、じゃあ私の能力もそうなんじゃないかって事になって、宇宙船に乗せられたんですけど、その宇宙船を海賊が襲って来て……」

 えぐ、と佐藤はすすり上げた。

「教授達は、エスパーをくれてやるから命は助けてくれって、海賊達に」

「……サイアク」

 北斗は盛大にため息を吐いた。

「でも、私に何の力があるのかその時もわかんなかったし、しばらくは海賊船で下働きとかやらされてて、海賊達もそのうち私の能力がどんなものか探すのに飽きて、次に売られたのがネイピアだったんです」

「正真正銘、折り紙付きの人身売買だな」

 南が不愉快さを押さえて呟いた。

「ネイピアでも最初は下働きしてたんですけど、人身売買をしてるって知って怖くなって、こんな船にいたくないって思った時に、菊池先輩が自由貿易船に乗った事を思い出したんです」

 佐藤は子供のように手で豪快に涙を拭った。

「同じ自由貿易船同士だし、そのうち菊池先輩に会えるんじゃないかって思いました。それより自由貿易船同盟に捕まった方が早いかなって思ったんですけど、その時に運悪く、私の力が何なのかわかっちゃったんです」

「わかったのはよかったじゃないか。運悪くってどういう事?」

 佐藤は、すんと鼻をすすった。

「私の力は、宇宙クラスの自然災害を予知するものだったんです。それがわかったら、ネイピアの人達が急に私を重宝がりだして、お前はもうネイピアクルーの一員だから、運命は一蓮托生だって言われて、捕まったらお前も投獄されるぞって言われて」

 また佐藤はだーだーと泣き出した。

 ハンカチを差し出してから菊池が北斗を見ると、納得したようなうなずきが返ってきた。

 だからネイピアは磁気嵐や星雲を突破する事ができたのだ。ネイピアの立場に立てば、逃走中に現れる磁気嵐や星雲は『宇宙での自然災害』に他ならない。分かっていればどんな対策も立て放題だろう。

「菊池先輩、私、捕まるんですか? 投獄されるんですか?」

 もはや、多分そう言ってるんだろうと推測しないと会話が成り立たないくらい、佐藤は泣いていた。

「まぁ……一応人身売買をしていた船に加担してた訳だからな」

 柊の言葉に、佐藤はいよいよ言葉をなくしてはらはらと涙をこぼした。

「その前に確認や」

 笹鳴は小さな保冷剤をくるんだタオルを佐藤のほほにあてがいながら顔を上げた。

「この怪我、どないしてん」

「ぶたれました。オロチが流星群を突破したので、お前の予知が甘いって」

「ひどい! 女の子の顔をぶつなんて!」

「きゅうきゅう!」

 菊池とクラゲが憤慨して叫んだ。

「私……ずっと夢見てました。菊池先輩なら助けてくれるんじゃないかって。もうルナベースの教授達なんか当てになんないし、パワープレイができないこんな力じゃ自力での脱出は不可能だし、こんなんなら機械工や鉱石学なんかなじゃなくて、2級パイロットの資格でもとればよかったって。そしたら小型船でも盗んで逃げられたのに」

 ずっと、オロチに会いたいと願っていた。

 法を犯した船に乗っていたのだから、罰は受けなければならないだろう。でも、望んでそうなった訳じゃない。自分の力もわからないただの女の子に何ができただろう。

 ペットとして狩られた他惑星の住民達の境遇に同情する事はできても、食料の横流し程度しかできなかった。

 自由貿易船に乗っている限り、オロチとの接点は消えない。オロチに会いたい。その思いは願望になった。

「そのときでした。通信から、菊池先輩の声が聞こえたのは」

「俺の声?」

「はい。1週間くらい前、私達が自由貿易船同盟に追いかけられていて、磁気嵐を利用して逃げたときです」

 ああ、とオロチメンバーはすぐに思い出した。通信を司っていたのは菊池だった。

「ネイピアはほとんど磁気嵐の中にいたので通信は途切れ途切れにしか聞こえませんでしたが、菊池先輩の声だってわかったんです。すごく嬉しかった」

 自由貿易船同盟を振り切った後、佐藤は強く願った。

 その希望が、予知に影響した。

「そして4日ほど前に、こっち側の航路を予知したんです。航路プリメーラ63です」

 オロチがついこの前までいた惑星マツゼミ付近の航路だ。

「ここでネイピアが自由貿易船同盟に追いかけられるのも予知しました。そこに、オロチも見えたんです」

 宵待が頷いた。

「なるほど。流星群を予知した訳だ」

「流星群は見えませんでした」

「は?」

 きょとんとする宵待に、佐藤は泣きすぎて真っ赤になった目を上げた。

「ネイピアにとっては、オロチそのものが自然災害に等しかったんだと思います」

 自然災害と同一視って。

 オロチクルー達は全員がしょっぱい表情になった。

「でもその事はネイピアの人達には黙ってて、全然違う方向に危険があるから反対方向へ行った方がいいって告げて、プリメーラ63に誘導したんです」

「4日前やと計算が合わへんで。遠回りしたんか? それともワープステーションを使わへんかったんか?」

 佐藤はふるふると首を振った。

「プリメーラ63っていうのはわかったんですけど、一口にプリメーラ63って言っても広いですからどのへんかわからなくて、近くをちょこちょこ航海してもらったんです。この辺にいい兆しが見えるとか何とか適当な事言って」

 適当な占い師みたいだな、と北斗は思った。

「よく信用してもらえたよね。いい兆しっていうのの具体的な事は訊かれなかったの?」

「その時に自由貿易船同盟に発見されて、たまたま小さな恒星の爆発に遭遇して、それで難を逃れた事があったんです。だから信じてもらえました。その恒星には多少レアな鉱石が含まれていたみたいで、更に信じてもらえて。牽引していたいくつかのうち数個は変な重力に引きずられて飛んでっちゃったんですけど」

 あれか、とオロチクルー達は思い出した。

 マツゼミ星を襲った、突然出現した隕石。どうりでデータ上にないものが突然降って湧いたわけだ。

「コンテナに捕まっていた惑星トリッカーの人達……あの猫みたいな人達に協力を頼んで、抜けた毛をたくさんもらって、燃料タンクに混入させて、何とかネイピアをプリメーラ63で停止させようとしたら、また自由貿易船同盟に見つかって……。そうしたら、また菊池先輩の声が通信機から聞こえたんです」

 だからネイピアは速度が上がらず、オロチに簡単に捕捉されたのだ。

「だったら、あの流星群もなんとかして欲しかったぜ」

 柊が唸ると、佐藤はすみませんと頭を下げた。

「ヘタレなんで保身が強かったせいか、流星群を呼んでしまったみたいで……」

 そこで菊池は首を傾げた。

「流星群を呼んだ? それじゃあ、自然災害を予知するだけじゃなくて、自然災害を呼ぶ力もあるんじゃないの?」

 佐藤もきょとんとして首を傾げた。

「え? 違うと思いますけど」

「でもさ、佐藤さんってくじ引きやじゃんけんはめっぽう弱かったけど、少なくとも俺と一緒にゴハン食べにいったり遊びにいったりした時は、絶対晴れたよね。逆に、中止になればいいって言ってた行事の時はまず雨が降ったし」

 そうだっけ、と佐藤は反対方向に首を傾げた。

「面白いなぁと思ったから覚えてたんだよ。運がいんだか悪いんだかわかんないなって」

 佐藤は考え込んだ。思い出そうと眉間にしわを寄せる。

「……まぁ、詳しい能力の調査は後回しだ」

 南の威厳のあるセリフに、佐藤はびくりと肩を震わせた。自分は人身売買の幇助に関わった。無罪のわけがない。

「……そうですね……」

 肩を落とす佐藤を尻目に、南はソーダに顔を向けた。

「おい、ちょっと確認したい」

「なんだ? 自由貿易船同盟に加盟するにあたってのメリットについてか?」

「今回の件のオロチの功績についてだ」

 南はばっさりと切り捨てた。

「聞けば、お前達はずいぶん長いことネイピアを追いかけていたらしいな」

「その通りだ。奴らはずる賢くしたたかで、何度も我々の果敢なる追尾を退け」

「逃げられ続けたネイピアを捕まえられたのは俺達オロチのお陰だ。そうだな?」

 ソーダは「うぐぅ」と唸った後、渋々頷いた。

「この功績を丸ごとお前達ラムネに譲ってもいい」

 ソーダの目が輝いた。

「本当か!? 実は本部から、いったい何度逃げられたら気が済むんだ次はないぞと言われたばかりだったんだ!」

「ただし、条件がある」

 南は両腕を組んだ。

「事情聴取や捜査もあるだろうからすぐにとは言わんが、俺がこの地球人の少女の身元引受人になる。すべてが片付いたら俺に連絡をくれ」

 どんな条件かと身構えていたソーダは、なんだと肩の力を抜いた。

「そんな事か。全然かまわん」

 佐藤はびくびくして南を見上げた。まさかまたどこかへ売られるんじゃないかと不安げな表情をする佐藤に、南は微笑を浮かべて佐藤を見下ろした。

「エスパーを欲しがっているヤツが居る。物好きな事にどんな能力でもいいんだそうだ。機械工や鉱石学の勉強もしていたなら尚のこと都合がいい。事件が片付いたらそこで働いてもらう。詳しい能力はそこで調べてもらえばいい。柄は悪いが人望はそこそこあるヤツだから心配はいらない」

「南、まさかこの子をスイリスタル……ヒムロ星にやる気なん?」

「賭けに負けたクルーの、船長としての尻拭いだ」

 ちらりと睨まれ、笹鳴は肩をすくめた。

「あ、あの」

「大丈夫。相手はあのスイリスタル3皇帝の1人だからね。信用できるよ」

 菊池にそう言われて、佐藤は目をしばたいた。



 それから1ヶ月もたたないうちに、南に自由貿易船同盟から連絡が入った。

 佐藤は実質的に獣人狩りに参加していた事は1度もなく、また金銭に関わった事もなければそもそも売られた身だったので、むしろ被害者としてすぐに自由を言い渡された。未だにネイピアが関わったすべてが明るみになったわけではない以上、もしかしたら連絡が行く事もあるかもしれないが、スイリスタルの皇帝の元へ身を寄せるのであれば問題なしとされたのだ。

 佐藤は再び菊池に会えてむせび泣き、ヒムロ星に引き取られた時も泣きながら見送った。

「あんたの後輩って、あんたに似て泣き虫だよね」

「言わせてもらうが、お前の前で泣いた事は1度もないぞ、北斗」

 菊池は北斗を睨み、南へ振り返った。

「ねぇ船長、次はどこに行くの? ……って、どうしたんだ? その顔」

 南は釈然としない表情で、遠くなるスイリスタルを映すモニタを見ていた。

「どうにも納得がいかなくてな」

「何が?」

「今までの事を考えてみろ。だいたいすべてのトラブルは命に関わっている。だが今回はなんだかあっさりしすぎていると思わないか?」

 真剣に考え込む南の後方で、笹鳴がため息を吐いた。

「南、自分すっかりトラブルが身に染み付いたみたいやな」

「そんな事はない」

「いや、そう思っとるのは自分だけや。もう命ギリギリのトラブルやないと、トラブル思えへんのやろ」

「だからそんな事はない。俺は自他ともに認める平和主義者だと自負している」

「せやったら、なんでそない物足りなさそうな顔したはんねん」

 物足りないなど、と言いかける南へ、笹鳴はひらひらと手を振った。

「そうやなかったら、トラブルに巻き込まれとるのが普通で、平和なんが落ち着かないんちゃうか?」

 そんな事は断固としてないと否定する南に、柊と北斗は一瞬だけ視線を交差させた。

 船長1人だけがわかってないんじゃない?

 そりゃ認めにくいだろ、あの性格じゃ。

 ESPを使わず視線だけで会話するパイロット達気付きに、笹鳴は思った。

 やっぱり、南はアホや。

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