33話 海とぺんぎん
「外だぞ……っ!」
虹色のポートから少しだけ顔を出して、外の様子を伺ったロウさんが、ほっとした声で言う。
それを聞いた、私を含めた皆さんも安堵の息を漏らす。
長かった。このスライムダンジョンに入ってから、確実に日は越してるからね。
今私達が立っているのは、シャボン玉のような球体の上。
ゴロゴロ転がる岩から何とか逃げ、着地したシャボン玉から上へ上へと上がってきたところだ。
「はーやっとじゃん! こんでさ、宿屋で寝れんなー」
「ね~、レモナ。ラシュくんも随分眠そうだもん。ポートの色が虹色だったからもしかして~って思ったけどね~。本当に外に繋がってて良かったよ~」
キルティさんも嬉しそうに、黒猫尻尾をゆらりゆらりとさせている。
ポートから顔を戻したロウさんが、何故か言いづらそうに言う。
「ああ。外は外なんだが。俺達がどこからダンジョンに入ったか、覚えてるか? アオイ」
「あ、はい。えと、確かソネリという村の近くですよね。山の中に山小屋みたいなものがあって、そこにこれと同じ虹色のポートがありました」
うん、合ってるはず。だってポートを初めて見た時は、結構くぐるの怖かったからね。さすがに覚えてる。
いきなり入り口の事を聞いたロウさんに、ラシュエルくんが不安そうに問いかける。
「ロウ。なにか、あった?」
「ここから出るのに大きな問題ではないんだがな。その外というのが……海だ」
「んにゃっ、海!?」
キルティさんが桃色の瞳を見開き驚いていた。
私も不思議だ。山から入ったのに、何で海に繋がってるんだろう。
「やっぱり一度、落ちてポートを通らずに移動したからでしょうか? それからは他のハンターの人も見てませんし」
「んだなーアオ。ま、外に通じてんだったらいーじゃん。岸遠いんかー、ロウ?」
「これはかなりの問題のはずなんだがな……。まあ俺達にとっては外に出れればいい訳だしな。岸なら比較的近くに見えたぞ」
ロウさんは、この件については何か複雑そうだ。多分、ダンジョンが別の場所に出るなんて滅多にない、もしくは聞いた事すらないような発見なのかも。
でもそんなことより、私達にとっては外が海という事の方が重要だ。ロウさん曰く近いらしいけど……。
「それって泳がなきゃだよね~。海って魔物とかいないのかな~?」
「いる、キルティ。でも、おき……だけかも」
ラシュエルくんの言葉に安心する。
この世界で私が見た湖では、魔物らしき生き物が住んでたからね。沖にしかいないなら大丈夫かな。
ロウさんも二人の会話に肯定を返す。全員見渡した後、一号さんから私へと視線を移し言う。
「岸は遠くないからな、全員泳げるだろう。アオイはイタチ一号の近くにいてサポートしてやってくれ」
「はい。……あ。そういえば私、泳げなかったんでした」
しまった。今まで学校の水泳の授業なんて、適当に受けてたからね。
異世界に転生してから困るなんて思いもしなかった。もっと真剣に受けるべきだったよ……!
そしてダンジョンに入ってからの期間で、一番驚いた顔をしている皆さん。
あまり表情を表に出さない、ラシュエルくんの驚きでさえ伝わってくる。
「ぺんぎんの体でもか?」
「マジか。ぺんぎんだっつーのになー」
「ぺんぎんなのに泳げないアオイちゃんかわいいっ!」
「……ぺんぎん、でも。およげ、ない?」
「うぴぇ」
ロウさん達に口々にぺんぎんと言われ、ぺんぎんなのに泳げないという事実の衝撃さに気づく。
そして一号さんはというと。
「ワテは泳げるで! 昔飼われとった頃にな、プールで泳いだ事があるさかい」
「い、一号さんの裏切りものですーっ!」
「なんでやねん!?」
泳ぎでぺんぎんがイタチに負けた……。
「お、泳いでみます。いえ。泳いでみせますっ!」
ここは負けられない。何せ、ぺんぎんとしての威信に関わるからね!
……あれ。私いつの間に、身も心もぺんぎんとして洗脳されてるんだろう。
ぺんぎんである事の違和感を抱かなくなっていた自分に恐怖していると。レモナさんがロウさんに早く出ようと急かす。
「アオも、あー言ってんしさ。ダンジョン早く出よーって」
「そうだな。危険は無さそうだった……というよりも、ここに留まる事の方が危険だろう。では行くが、いいか?」
全員、こくっと頷く。
虹色のポートの一番前に陣どり、レモナさんがワクワクした様子で言う。
「うっしゃ! せーの……」
はぐれないよう、次々にポートをくぐる。
「海だ――っ!」
くぐった瞬間、浮かれまくったレモナさんの声が聞こえた。
ポートをくぐった先は、海の一メートル程上空。
私も重力に任せ落下し、海に沈む。
冷たくも心地いい水の感覚がする。
衣服がないからか、ぺんぎんボディのおかげか……。とにかく水を捉えやすく、泳げるように思う。
『ラーノ♪』
ん? 今、水中で何か聞こえたような。コロコロと、小動物じみた声。海の魔物かな?
『どこいってやがんだラーノ♪』
可愛いらしい声のわりに、随分口が悪かった。
閉じていた目を薄く開くと、特に何もいない。ただ文句を言うだけ言って去ったらしい。多分、私にだったんだと思うけど。いや自意識過剰かな?
まあそれはともかく。何だったんだろう……。
もやもやしていると、特に浮かぼうとせずとも水中から勝手に上昇してゆく。
「ぷは。皆さんは……」
気づいたら私だけ、はイヤだからね。皆さんもちゃんと同じ場所に出れたらしく、海面に顔を出している。良かった。
ぷっかぷっかと浮かぶ私。
これは……ぺんぎんボディで良かったと思う。前世でカナヅチだったという程ではないけど、泳げなかった私が自然に浮いてるんだからね!
一匹で密かに喜んでいると、レモナさんがバッシャバッシャ泳ぎながら声をあげる。
「はー! やっぱ海はいーなー!」
レモナさんはとてもキラめいている。笑顔的にも物理的にも。黄金の髪に海、太陽……完璧だね、うん。
「しっかしさ、服邪魔じゃね? 脱ぎてー」
「岸から近いと言っただろうが。レモナがそんな事をすれば、海が赤く染まるぞ……」
目撃者の鼻血で、ですねロウさん。幸い、人の多い場所からは死角になる位置ではありますが。
レモナさんは見た目女神様な自覚が足りないと思います。
ただでさえスリットの大きい服だから、今もかなり際どい状態に……と目を向けると、ある事に気づいた。
ぷかぷかと浮いているのだ――レモナさんの胸が。
胸は大きいと浮く。都市伝説だと思ってたよ!
これってやっぱりアレだろうか。脂肪だから浮くのかな?
あれ。それからいくと、私もぷかぷか浮くのって……?
思考を飛ばす。考えないのが一番だと思う。
ぷっかぷっか、ゆ~らゆ~ら。
「――あれ、一号さん?」
現実逃避ぎみに無心で波に揺られていると、一号さんが近づいてきてガシッと掴まれる。小さい手だから、肉つままれてるんですが……。
「行くで、ぺんはん!」
「岸にですか?一号さんちょっ押さないでくださ……ぴ、ぴええー」
そのままスイーっと前進する一号さん。私はビートバンよろしく、一号さんに押され流されていく。
それを見たキルティさんが顔を綻ばせながら続き、いつの間にか他の皆さんもついてくる。
私の体と同じくらいの青さの海。
丸いぺんぎんな私を先頭に、『魂の定義』はぞろぞろと岸目掛けて泳いでいく。
☆
「うーん、リボン濡れちゃいました」
近くの岸に上がった私達。
皆さんから貰った、私の頭にある真っ赤なリボン。それが濡れてぺしょんとしてしまった。
私はぺんぎんだから布はそれだけだし、まだマシだけどね。
あ。ぬいぐるみもどきな見た目だとは言え、体は布でできてる訳じゃないからね?
前を歩くロウさんは、濡れた黒髪が大分セクシーな感じになってる。水も滴る……ってやつだね。
レモナさんと二人で並んでる姿を見て、溜息をつきたくなるよ。見た目の素敵さに対してと、二人共に前世が男性という残念さに……。
一号さんはケモノらしく、体を震わせて水を飛ばしている。満足げな一号さんの赤オレンジな毛が毛羽立っていた。
って。水滴が顔にかかっちゃったじゃないですか、もう。
さっきビートバンにされた恨みもあり、一号さんに抗議する為に、くちばしでツンツン突つく。
「ラ、ラシュくん……!」
ギャーギャー騒ぐ一号さんに制裁を加えていると、キルティさんのハッとする声が聞こえた。
何かあったのかと、ラシュエルくんの方を見る。
―――濡れた猫?
ラシュエルくんのふわふわの白髪が、濡れて萎んでしまっていた。私のリボンなんて比じゃないくらいに。
「……?」
当のラシュエルくんはよく分かってないみたい。
見てる側としては、いつもがボリューミーだから余計に気になるね。
「それもそれでかわいいだよね~!」
知ってました。キルティさん、ラシュエルくんなら何でもいいんですもんね。
「つかさ、近づいてきてるヤツいねぇ? あれ、いーんか?」
服をたくし上げ、絞りながら言うレモナさんの言葉にそちらを見る。
二人の女の子が早足で近づいて来ているのが分かった。
水色の髪に、水着っぽいワンピースともドレスともとれるような服。双子かと思うくらいそっくりな二人で、年はキルティさんより少し下かな? 日本で言う中学生くらいだ。
その二人は私達の前まで来て、何やら興奮した様子で口を開く。
「来たわ来たわ、来たのですわ! ついに暗黒界から来たのですわね!?」
「ええ、そうですわねーリカちゃん。あんこ界から来たのでーすわー」
暗黒界? いや、あんこ界?
彼女達は一体何を言っているんだろう……?
私達がぽかんとしている間も二人は話し続けている。
うーん。よくは分からないけど、一つだけ分かる事がある。
私達はさっきまでスライムダンジョンにいた。
レモナさんを女神様扱いするシェオさんに会ったり、桃スラに落とされたり、岩に追われるテンプレ展開があったり……。
とにかく大変だったのだ。
そんな状態の私達が取る選択はただ一つ。
怒涛の勢いで喋っていた女の子の片方が、興奮冷めやらぬ様子で私達に向かって笑顔で言う。
「――ですので。リカ達に付き合ってもらいますわ!」
『『パスで』』
見事にハモる『魂の定義』。
その女の子は意味が飲み込めずキョトンとしている。
リーダーのロウさんが、疲れきった顔で女の子に問いかける。
「ここの近くにオススメの宿屋はあるか?」
「え?……え、ええ。そこの階段を上がって右に見える『魚のヤドリギ』が人気が高いですわ」
「なら俺達はそこに宿泊しよう。ハンターギルドに行ったり休息をとったりするからな。用があるなら、悪いが数日後に来てくれ。その宿屋を拠点にするから問題はないだろう」
「ん。……また、あとで」
それだけ告げ、軽く頭を下げるロウさんとラシュエルくん。私も、ペコリと一応お辞儀をする。
回れ右で、二人の女の子に背を向け歩きだす。
「このタイミングは無いだろう……」
「ま、ねーな」
「今は無いよね~」
「……おなか、すいた」
「もうクタクタですしね」
いくら可愛いらしい女の子にでも、エンカウントしたくない時だってある。
いつも元気なレモナさんでさえ、やっぱり疲れてるみたいだし。
「あんさんら、あの嬢ちゃんとこ行かへんでいいん? おもろそうな子らやったんやけどなあ」
一号さんだけはヤケに元気だ。さっきハモった時も、一号さんだけはパスと言っていなかった気がする。
レモナさん超えって。底無しに元気ですね、一号さん。
イタチに負けっぱなしなのは不本意ですが、今はちょっとだけ羨ましいです……。




