ある男の告白
新作です。全三部作の予定です。
初めて煙草を吸うと、涙が出ました。
到底、煙が沁みたのでも不味いのでもないのに気づけば涙が煤けました。
小さい頃に亡くなった、父の背広の匂いがしたからだろうかと少し思ってましたがどうやらそれは違うようでした。
六畳間の部屋を照らす電球に煙が少し反射して、生温かい雪原のような心地がして気味が悪かったことを覚えています。
私は、物心を着いてからのことほとんど覚えておりません。字や数学など社会で使うものなどはなぜか覚えているので、生きていくには困りません。ですが、ここには少しだけ覚えていることを書いておこうと思います。殆どは、ただただ私の備忘録ですがどうかお許しください。
現在記憶している初めての場面は、保育園での幼少期でした。私はどうも小さい時から人を見下す癖があり、どうも誰とも仲良くできませんでした。そのくせ一人でいると自分の無力さを思い知り、自分で自分を見下す有様でありました。
その癖のせいか、もしくは年齢の割に大きい私の体躯のせいか。友人達は私を、バケモノと呼びました。いつしか近づけば彼らは私から逃げるようになり、私は初めは追い立てることに興じていましたがいつしか寂しくなりました。つらつら書いているとそのことばかり頭に浮かびます。
遠くの保育園に通っていたので、送ってくれたのは、主に母親でした。母は私を産んだことを契機に栄養士という仕事を辞め、私の世話を焼くのでした。しかし、母も稀に忙しい時は父が迎えに来てくれました。そういう時は大抵、父が夕飯を作るのですが父はいつもカレーライスばかり作るのです。父は国立の大学を出て故郷の市役所に勤めておりましたが、どうやらいつも忙しいようでした。それでも父のカレーは美味しかったことは忘れられません。
やはり本当に保育園の頃の、記憶はどうにもおぼろげです。でも、小学校の頃の記憶はまだ少し残っています。頭の蔵に蜘蛛の巣が張っていても腐りきっていないものはあるもだと思いました。最初は黒いランドセルを背負って学校に通っていましたが、三年の夏の頃少し遠くの一軒家に引っ越しました。
二階建てのその家は、父が買ったもので私たちが来るときに中身だけを改装して作ったもので駅から近いものでした。二階には子供部屋があり私は大変気に入って暮らし始めました。もともと通っていた小学校の学区からは少し離れてしまいましたが、通い続け流ことを決めました。
小学校の私と言えば、相変わらず図体が大きい方でしたが、勉強は学級内の中でも優れた方で人に慕われたり嫌われたりなどして保育園の頃なんぞよりは余程人間らしい生活をしていたように思います。実際、好いていた女の子もいましたしその子も私のことを好いてくれ他のだと思います。
小3の初夏、初めてその子の家のマンションに遊びに行った時のことです。帰りのエレベーターの中で、私は彼女と初めて口づけをしました。今思えば、なんとませていてなんと愚かだったのか計り知れません。ただ、あの時は彼女が好きで彼女もまた私なんぞを好いていてくれることに満足して喜びの中にいました。
その年の晩秋に父が、亡くなりました。
父が家で倒れていた日、私は朝早くに母に起こされました。母は涙声を出しながら父の付き添いで救急車に乗って私もポツンと一緒に乗って行きました。その時私が泣いていたのか。私はしっかり覚えていないのです。
父が意識不明で寝込んでいる間、祖父母や親戚がかわるがわる病院を訪れました。母は毎日のように涙を流していましたが、私は病院にある漫画などで気を紛らわせていました。今思えば私はその時、死というものを理解するに至っていなかったのかもしれません。
一週間病院で寝泊りを繰り返し、医者から容態が落ち着いたので帰るように言われましたから私と母は家に帰りました。そして次の日、父の容態は急変したと病院に呼ばれ私と母は急いで向かいました。病室に到着してすぐ私は父を看取りました。心電図の電子音と母の泣き声が部屋に響きました。ですが、私も気づくと泣いていました。泣かなければいけないような気がしていたからか、本当に悲しかったのか今となってはどちらかわかりません。しかしやはり父の亡骸の前で私は泣いたことを記憶しています。
父の葬儀には、知らない人がたくさん来ていました。役所に勤めるといろんな人が来ることもあり通夜の席はずいぶん広く見えたのにほとんど埋まっておりました。私は、葬儀前に枯れるように泣き、そのせいか葬儀の間には一粒の涙も落ちませんでした。ただ一つ、私が予期せぬことがありました。少し前に話した女の子が葬儀に参列してくれたのです。そのことに私はどれだけ救われたことでしょう。亡き父の為でなく、父の死を悲しむ私のために、私の心を救うために来てくれたことを私は信じていましたし、事実そうだったと思います。私はこの時、誓いました。この恩を必ず返そう。この子の心が折れそうな時は私が必ず手を差し伸べようと。
告別式の次の日、私は学校に行きました。しかしどうも周りの憐れみの目がうるさく気が立っていました。私は、あの子以外に何かを思われるのが純粋なものが濁るようで許し難かったのです。今思えば、その心が濁っていたのですが私は気づけば周囲と距離を置いていました。
そんな日々がしばらく続くと、いつしかあの子は私と距離を取るようになりました。私は困惑しました。誕生日の贈り物も値が張るものは受け取れないと返されたのです。あの子だけは決して、私を裏切らないものだと信じてやまなかったのです。ですがそれは、私の身勝手で稚拙な幻想に過ぎなかったのです。
ある日あの子は私を呼び出して言いました。「どうか昔のあなたに戻って欲しい。」と。私は、彼女に詰め寄って「どしてそんなことを言うの?」と泣きそうな声で呟きましたが彼女は目を合わせてくれません。その時私は気がつきました。私は間違えたのだと、大事にするべき相手を。そして錯覚したのです。
"この子が自分を騙したに違いない。"
今までの人生、もしかしたらこんな錯覚ばかりだったのかもしれません。
小学校の高学年になった時、私は私立の中学を受験することを決意しました。理由は進学したいなどの高尚な理由では到底ありません。私のことを知っている人間が一切いない場所に行かなければ、逃げ出さなければならないと思ったのです。あの頃確かに友達はいたはずですが、今となってはあの子の名前しか覚えていないのはそのためでしょう。私はあそこが大嫌いでした。
あれ、今日はもう時間ですか。ではまた、一週間後。別に良いのです。この話が本当であろうとなかろうと私にとっては真実なのですから。別のお土産を持って来てくれると嬉しいです。
まだ続きます。