ときに惑いし君を偲んで
————それは、昨日の、教会でのことだった。
毎週日曜日は「安息日」で、いかなる人でも労働を禁ずる、という意味の日。「ウェストミンスター」でも、古くからあるその慣習に倣う者が多い。そして、この安息日には、町中から「ホワイト・レド」教会にお祈りをしに、大勢の人々が訪れるのだ。
そのときだった。
ヘレニックもきちんと早起きをして、教会へ向かったときのこと。
礼拝堂に入ったときには、すでに多くの人が押し寄せていて、空いている長椅子に詰めて座ったときに、聞きなれた声に名前を呼ばれた。
「よ!ヘレニック」
「やぁ、オーキッド!」
ヘレニックに声をかけたのは、ヘレニックの左隣に座っていた「オーキッド」だった。
オーキッドは、ヘレニックの職場の同僚だ。ヘレニックとは、大学時代に同じ学部を通じて知り合い、今は同じの町役場に勤めている。恥ずかしがり屋でぶっきらぼうなヘレニックに対して、オーキッドはサバサバとしていて頼もしい性格の持ち主だ。職場でも、ヘレニックは何度も彼に助けてもらっている。
「ヘレニックさん、おはようございます」
そんなオーキッドの隣から、凛とした女性の声。
「おはようございます、ベラさん」
彼女は「ベラ」といって、先月結婚したばかりのオーキッドの奥さんだ。
夫婦そろって仲睦まじく教会に足を運ぶ姿は、ほっこりと和む。二人はきっと毎日、互いに助け合いながら幸せに暮らしているんだろう。
なんてことを勝手に想像しながらお祈りの時間になるまで待っていると、オーキッドが話しかけてきた。
「なぁ、ヘレニック、お前、ライダー(・・・・)ねぇさん(・・・・)に、返事すんのか?」
「えっ、っ、ゴホッゴホッ」
あまりにも唐突すぎる内容に、ヘレニックは焦りを隠せきれずにむせた。
大丈夫ですか!?と心配してくれるベラさんをよそに、オーキッドは悪い悪いと、全く悪びれる様子もなく、ヘレニックの背中をたたいた。
「いやー、だってよ?もうちょっとで博愛祭だろ?だから、お前もついに、決着をつけるのかな~って。いちよーな、これでも心配してんだぞ?友人として」
「え、あの、いや・・・まぁ・・・」
急にうつむいてどもるヘレニックを察したのか、オーキッドは彼にコソコソと耳打ちした。
「あのなぁ、ヘレニック。お前はもーちょい自信を持て?なぁ?」
———どんな女の人でもな、男の強い意志には弱いもんやぞ?ええか?ガツンとな?一発、ガツンと男見せつけるんやど!?
オーキッドは熱くなると、ついついお里言葉が出てしまう癖がある。だが、それほどまでに、ヘレニックのことを心配して応援してくれている、ということの表れなのか。
「ライダーねぇさん」こと————ミヨゾティは、日曜のお祈りの時間には決して姿を見せない。人が密集しているところにいると、気分が悪くなるという。だからこそ、今この瞬間ほど、彼女に会えなくてよかった、と思うことは無いだろうと胸を撫で下ろせられるのだ。
こうして、朝の10時を告げる教会の鐘の音と共に、教壇の前に「チャイナ・シー」神父が現れた。神父が聖書を読んだり、みんなで一緒に讃美歌を謳ったりして、この日のお祈りも何事もなく平穏に終わった。
———そして、昨日のオーキッドとの会話が引っかかってしまい、今朝出勤したものの、上の空といった感じで、ヘレニックは一つも仕事が身に入らなかった。
『一体・・・俺はミヨさんになんて伝えるんだろう・・・』
そんな自問を繰り返すうちに、あっという間に定時を迎えた。今日一日、なんとかミスなくやって過ごせたのは幸いだったが、明日もこの調子では仕事に支障をきたす。
ヘレニックは、いまだに自分自身がミヨゾティのことをどう思っているのか、はっきりとわかっていないでいる。
いや、おそらくは、「分かっていない」風でいるつもりなのだ。
あまりにも、大切にされ過ぎてしまってきたがために———
彼は、与えられ続けてきたがために————
与えることを、知らない、「知っている」風でいるだけなのだ————
それでも。
実際は、誰よりも一番知っているはずなのだ。
彼女に会うたびに、ぽっと熱くなることを。胸を、ぎゅっと鷲掴みにされる理由を。
あふれんばかりの、この想いを。彼女に抱く、この気持ちを———。
ただ、ヘレニックに何にも「知らない子ども」を演じさせているとするなら。それはきっと、昔のまま今も変わらない彼の「はにかみ屋」な性格。
本当は、誰よりも愛してやまない彼女への想いを、不器用な彼が、どうしてうまく騙せるだろうか。
気が付くと、また教会の前に立っていた。ヘレニックは時折、自分のこういう部分が怖くなる。どうせ毎日来てるんだろうと、言われてみればそれまでだが。ヘレニックは自身を不審がりながらも、教会の重たい扉を押し開ける。
「ん?なんだ…ヘレニックか。今日はもう来ないかと思ったぞ」
「チャイナ・シー」神父は意外そうな顔でヘレニックを迎えた。神父は燭台の掃除をしている最中だった。
「どうした、懺悔にでも来たか?それともミヨゾティに会いに来たか?」
神父は燭台を磨きながら、ふっと息を吹きかける。ヘレニックは長椅子に座っている神父の傍へ歩み寄っていく。何も言わずに神父の後ろの席に腰掛けると、神父は燭台を磨く手を止めて、ヘレニックの方をふり向いた。
「おい・・・、どーした?」
様子がおかしいと思ったのだろう。神父はサングラスをずらして、その隙間からヘレニックの表情を窺った。
「神父、話を聞いて欲しいんです・・・」
ヘレニックの思いつめた顔色が、神父には放っておくことはできないと判断したのか。神父は、ヘレニックの肩にポンと手を置くと、教壇の前に立ってサングラスを掛け直して言い放った。
「聞こう、ヘレニック———それで、お前が身軽になることを、主は望んでおられる」
ヘレニックは彼のその一言に、顔を上げた。助けて欲しい、という懇願の目をしているのではない。どうか、少しの踏み出す力をお与えください———。まるで、何かに燃えるような目をしていた。
「ヘレニック・・・、お前は一体、どうしてそこまで素直になれないのだろうかな」
神父は教壇に両肘をついて、顎を支えるように両手を組んでいる。神父の困ったような視線が、ヘレニックを突き刺しては、彼の自然と出てくる言葉を待つ。
「俺にもわからない・・・。いや、むしろ、やっぱり俺は素直ではないのか・・・?」
「・・・俺の聞き方が悪かった。ヘレニック、お前は誰よりも素直だ。純粋だ。だからこそ、困ってるんだな?」
神父が聞き返すと、ヘレニックは黙ってうなずいた。その反応見てた神父は、手元に置いていた聖書のページを繰り出す。彼がこうして聖書を読むときは、わりと真面目な感じがする。ちゃんと神父なんだなぁ、といった要領の感想を誰しもが持つだろう。
「ヘレニック、この世には『柔らかい答えは怒りをそらす』という言葉がある」
ピタッ、と聖書のページをめくるのをやめると、神父は話し出した。ヘレニックはとりあえず顔を上げ、神父の言葉に耳を傾ける。
「『いきまく相手にも、物静かに優しい言葉で話しかければ、その激情も治まるであろう』という意味だ。いいか、ヘレニック?この場合、「いきまいてる」のが誰だかわかるか?」
問いかけられたヘレニックは、神父の言葉を反芻する。
「いいか?いきまいてんのは、他ならぬ、お前自身だ、ヘレニック。彼女のことで悩むばかりに、自分で自分を怒鳴りつけたりするな。お前の本来の優しさで、まずは自分に対応するんだよ」
「笑顔だ。いいな?笑顔に刃は向けられんからな?私はな、お前がミヨゾティといるときの、あの笑顔が、お前の本来の姿だと見ているぞ?」
最後に神父は、それだけを念押しにヘレニックに伝えて、聖書を閉じた。肝心のヘレニックに、どれだけ伝わったのかは確かめようがない。けれど、ヘレニックは最後に、神父に深く会釈だけしてこの場を去った。
神父はヘレニックの姿が消えると、長椅子に戻って再び燭台を磨き始めた。ふーっ、と神父は深いため息をこぼす。彼の視線の先には、ステンドグラス壁が広がる。何を思うでもなく、そこに描かれた緻密な螺旋模様を遠目に眺めるだけの神父の傍に、ゆらりと動く人影————。
「あー・・・、聞いてたかい、ミヨゾティ?」
「うん。聞いてたよ」
コツコツと、ヒールの音が礼拝堂に響く。ミヨゾティは、通路を挟んで神父の隣の長椅子に深く座り込み膝を組んで、彼と同じようにステンドグラスの方を見つめた。
「こら、お行儀が悪いぞ」
「ねぇ、神父様?アタシはあいつのことを、今も昔も変わらず可愛い子って思ってるんだ。だってそうだろう?久々に会いに行ってみたら、こーんなに大きくなってるんだから・・・」
神父の指摘をさらりと流し、ミヨゾティは少し儚げに投げかけた。
「笑顔だよ、ミヨゾティ。あんたの笑顔に、あいつは救われてる」
「ヘレニックの笑顔に、アタシも救われてんだよ」
神父は知っている。この世で笑顔を振りまく者には、三つの種族がいるということを。
一つは、嬉しさや幸せで笑顔を振りまく種族。
二つ目は、悲しみや絶望を押し殺して騙すために笑顔を振りまく種族。
そして、三つ目は————
「あんたの笑顔ってのは・・・、あれだな。まるで、それしか知らねぇ、って感じの、透き通ってる感じの、キラキラしてるやつだよな」
「あぁ!『ロマンティック』って感じだろ?」
「違いない。————主は、そう仰った」
ニカっ、と白い歯を覗かせて、自信たっぷりな笑顔を向けるミヨゾティ。ヘレニックがこの笑顔にやられる理由を理解できるのは、神父もこの笑顔に救われている一人だからだろう。
————三つ目は、笑うことしか知らない、その笑顔だけで無敵であるかのような種族。
『あぁ、なんだミヨゾティ、あんたのことじゃないか・・・』
神父は思った。
—————もしかしたら、月に住んでる奴らは皆、あんたみたいな奴らばっかりなのか?だから、月はあんなにも・・・・・・
ヘレニックはその晩、早めに床に就いた。枕もとの小窓からは、ちょうど月が顔を覗かせている。今日は満月らしい。月はこの頃になると、いつもより大きく輝いて見える。いつの日か、ミヨゾティが教えてくれたことをヘレニックはふと、思い返した。
遠くの月が、一段と濃いイエローに輝いて見える。
『アタシたちの住んでる月はね、太陽の光で輝いてるんじゃないのよ?』
チカチカと静かに光る月光が、いつまでもヘレニックの眠りを妨げるような気がした。まるで、その輝きはどこかの屈託のない、あの笑顔と似ていて。
月を背にするように寝返って、ヘレニックは深い眠りにつくのだった。
—————彼は、久しぶりに夢を見た。
それは、懐かしいあの頃の夢。
不意に思い当たったことと言えば、今日は彼女に会わなかったから、わざわざ夢に出てきてくれたのかもしれない————、という都合のいい本音。
『一回でいいから、月に触ってみたいなぁ・・・』
丸くて、ひんやりと光っていて気持ちよさそう———
ミヨゾティに出会ったころ、ヘレニックは夢見がちな子供らしい理想を、彼女に話したことがある。
—————ちょうど、そんな夢を見たのだ。




