生きること、ためらうこと勿れ
それからというもの、ヘレニックは再び「ホワイト・レド」教会へと出かけた。
信心が篤いわけではない。そのことはやはり、小さい頃から変わっておらず、いつもの癖でついつい用事もないのに顔を覗かせてしまうのだ。
それはまるで、行きつけのパン屋に行くような感覚で。
木製の扉を押し開けると、そこには昨日と同じように「チャイナ・シー」神父の姿があった。遠くからだとよく聞こえなかったが、何やら声が聞こえた。誰か礼拝にでも来てるのだろうか。もしくは懺悔に。
あまり立ち聞きしてもよくないだろうと、いったん外へ出ようとしたが、神父がヘレニックに気が付いて呼び止めた。
「おー、ヘレニック。入っていいぞー」
神父は聖書を片手に、ヘレニックには視線を移さないまま手招きをする。言われるがまま、礼拝堂の奥へと進むと、長椅子の最前列に座る見慣れた人影を見つける。
と、それが誰なのかが分かったとたんに、ヘレニックの心拍は急に上昇しだす。誰が頼んだわけでもないのに、徐々に早まる鼓動。苦しいのだが、残念なことに、その抑え方を今の彼は知らない。
これ以上近づきたくないのに、勝手に進んでいく自身の足。この止め方も、忘れてしまったのだろうか。
(あ・・・あ・・・あ・・・)
平静を装うとすればするほど、ヘレニックはパニックに陥る。
「なんだー、今日は寝坊助かー?」
ちらっと横目でヘレニックを確認したかと思えば、神父はいやらし気にニタァと気持ちの悪い笑みを浮かべて、からかうようにそう言った。
———そして、長椅子に座るその人が振り向く。
「おはよう!ヘレニック」
「ミ、ミヨさん・・・。お、おはよう、ございます・・・」
———直視することすら難しい。
それが彼の現状なのに、このままではこの先が思いやられる。
あっ、もう、「おそよう」ってやつかしら?
そう言って、ケタケタと愉快気に笑うミヨゾティ。ヘレニックは「そ、そうですね・・・」、なんて弱々しく答えながら、頭の中で、情けない自分に腹パンを決め込むのだ。
「おーい、ヘレニック。今日はなんだ?懺悔か?それとも、いつもの覗きか?」
「神父・・・、誤解を招くような言い方はよしてくれ・・・」
神父のペースにはまると、年甲斐もなくいじられる。それをうまく回避しながら、ヘレニックはミヨゾティに向き合う。
しかし、あまりにも珍しい光景だったのか、神父は目を疑っているようだった。
それもそのはず、驚いているのは当の本人もなのだから。
「ミ、ミヨさん・・・!」
「・・・?なーに?」
ヘレニックは思いっきり息を吸い込んで、気持ちと一緒に吐き出した。
「ミヨさん!今度の日曜・・・、こ、ここで待ってて欲しいんだ・・・・!」
言えた。
やっと言えた。
奇跡的な進歩だと、馬鹿らしくも彼は、ほっとした気持ちでいっぱいだった。
すると、ミヨゾティは目を丸くしたかと思えば、またいつもの明るい笑顔で答えるのだ。
「いいわよ!ありがとう、ヘレニック!じゃあ、アタシ絶対に待ってるからね!」
「ありがとう、ミヨさん・・・」
勢いで進んでしまったことの重大さに、ヘレニックはすぐに彼女から顔を背け————
————はしなかった。
今度は、決死の覚悟をしてきたのだ。
彼女の瞳を見つめたまま、彼はそのまま、ぎゅうっ、と優しくミヨゾティを抱きしめた。
「ヘレニック・・・!どーしたの?」
クスクスと微笑む、彼女の甘い香りがヘレニックの鼻先をくすぐる。
「ど、どーもしないよ・・・」
嘘だぁ!と、今度はミヨゾティがぎゅー、っとヘレニックを抱きしめ返した。
————あぁ・・・、本当は違うのに・・・。きっと、恥ずかしくて、頭がどうにかなってるだけなんだ・・・。
そんな呑気なことを考えながら、ヘレニックはやっぱり、遠のく意識に見捨てられたのだった。
「ミヨゾティ、あんた、本当にあいつのどこがええんだい?」
————それは、ヘレニックがここを訪れる少し前に交わされていた、神父とミヨゾティの与太話。
長椅子に腰掛ける神父と、ウェディング姿の奇妙な組み合わせの、ただのおしゃべり。
「何言ってんのよ、神父様。そんなの全部に決まってんでしょ?」
「ハハッ、そりゃ違いなさそうだ。ちなみに、例えば?」
「そうねぇ・・・、アタシに好かれちゃうようなところ」
「主よ、私が間抜けでした」
「あら、本当よ?」
「まぁ、そりゃそうかもしれんがね?私が覚えてる限り・・・あんたが初めてあいつに会ったのは・・・、あいつが11のときだったかね?」
「そう、アタシの人生初のプロポーズはヘレニックに捧げたのよ」
ミヨゾティはニカッ、とその満面の笑みを神父に見せた。
「あー、私にはそういうのはいいからね、ミヨゾティ。あぁ、そうだ。いいことを教えてあげよう」
神父はそう言うと、教壇に立って聖書をめくる。
そして、とあるページを開くと、そこに書かれている内容を静かに読み上げた。
「———『神と富に仕えることはできない』という言葉がある。どちらともを選ぶことはできない、という意味だ」
「ふぅん、それで?」
「ヘレニックも、どちらかを選ばなければいけなくなる、という意味さ」
「どちらか、っていうのは?」
「あー・・・うーん・・・そうだなぁ・・・」
そこに答えがあるわけでもないのに、神父は目の前の空をぼんやりと見据えながら答えるのだ。
「自分に正直であるか、ミヨゾティ、あんたに正直であるか、っていうことさ」
———いつまでも、恥ずかしがり屋なままじゃいられないだろう?そういうことさ。
神父は、これまた愉快気に笑って続けた。
「でも、神父様?それだと」
「そ、困ったことに、これだと神にも富にも仕えることになっちゃうわけだ」
————ヘレニックの場合、自分自身に正直になることは、すなわち、ミヨゾティに、素直に自分の本心を伝えるということと同じなのだから。
「これまたついでだがね、ミヨゾティ。お告げだ」
「お告げ?どんなお告げなの?」
ミヨゾティはきょとんと、楽しそうにその曇り一つない瞳で、神父を真っ直ぐに捉える。
「もうじき、お前の想い人が現れる————」
「えぇ~、ほんとかしら?」
本心ではないことが分かるように、涼しそうな笑顔で少し嬉しそうに、彼女ははにかむ。神父は、サングラスの奥の目じりを緩めて、優しい調子でミヨゾティに伝える。
「————そう、主は仰った」
礼拝堂には、奇妙にもバランスのとれた二人組によって並べられた、太平楽がある。
そして、ヘレニックは、二人がまさか自分のことについて語っているとはついぞ知らず、この直後、そんな二人の前に現れるのだった。
ヘレニックが昨日に引き続き倒れた後、目を覚ました時には、そこにミヨゾティの姿はなかった。神父の話によると、おそらくうれしさのあまりひとっ走り行ったんじゃないか、ということだった。
けれど、ヘレニックは先ほど、自分がしでかしたことを思い出すだけで、穴があったら入りたいとぼやくばかり。そのせいで、神父の話なんぞ、ろくに聞いていなかった様子だった。
しばらくして、ヘレニックは落ち着いた後、うつむいたまま教会を後にした。ついでに、懺悔でもしていくか?という、茶化す神父の声はもちろん彼の耳には届かなかった。
教会を出てすぐにヘレニックは、来た時にはあったはずの、教会の外壁に立てかけてあったシルバーのオートバイがなくなっていたことに気が付いた。
神父の言う通り、ヘレニックの日頃みせない行動がうれしくて、今頃あちこちで乗り回しているのかもしれない。大人びているように見えて、無邪気なところは意外、というまでもなく子供っぽい。
そうやって都合よく考えてしまうのも、きっと、自分がおかしくなったからだと———。
未だ、彼女という純化された存在にあてられてるのだと思い込みながら、誰にも会わないように、人通りの少ない道を選んで帰宅したのだった。
なんとか家に着いた後も、ヘレニックは一向になんのやる気もわかず、ただ、ボ~っとベットに腰掛けていた。
今日の成果としては、ヘレニックはよくやったと、自分で自分をほめたりしているのだろうか。
————けれど、もう言ってしまった。
あとには引けない。
どんなに恐ろしくても、言ってしまったら、できるんだ————
そう言い聞かせて、ヘレニックの遅起きから始まった土曜日は、すったもんだの末、夕食の時間を迎えようとしていた。
ミヨゾティに出会ってからのヘレニックの生活リズムは、時折狂わされている。彼は、そう思わずにはいられなかった。朝、昼と、ろくに食べていなかったせいで、夕方4時になったばかりなのに腹の虫が鳴る。
いい加減、何か作らなければと、体に力を入れて立ち上がろうとした時だった。
不意に、誰かに呼びかけられたような気がして、ヘレニックはテーブル横の窓を開けてみた。
「おーーい、ヘレニーーック!!愛してるよーーー!」
秋風が運んできた彼女の温かい叫び声が、部屋いっぱいに広がる。
草原を挟んだ一本道に、オートバイにまたがったウェディングドレスを身に纏うミヨゾティが、こちらに向かって大きく手を振っていた。
ヘレニックは、胸の奥がキュッとなったことに気が付いて、ぽっと頬が赤み走る。
そして、沈みゆく夕陽に溶け込む彼女に応えるように、小さく手を振るのだった。




