散ることなき想いを抱いて
博愛祭————毎年11月の第三日曜日に訪れる祝日「博愛の日」が中日となり、その前後合わせて一週間がその期間とされている。もともと博愛の日とは、日頃からお世話になっている家族や友人、恋人、はたまた行き交う人々に隔てない愛をはぐくむ、という趣旨のもの。兄弟同士であれば何かプレゼントを渡し合ったり、友人同士では手紙、夫婦の間では花束を贈るなど、誰が主役になるかによって、過ごし方も十人十色である。
そして、毎年変わらず見られる光景として、これももはや風物詩にもなりつつあること。
————愛しい人への愛の告白。
噴水広場や、中心街のメイン通り、花辺の丘———様々な場所で、老若男女問わずそれぞれが日頃の感謝と共に、自身の想いを告白するのだ。
そして、その中には今のヘレニックと同じ立場の者も多いのだ。
プロポーズ。
彼の場合は、その「お返事」ということになるのだが。彼にとって、プロポーズを申し込むことも、申し込まれたプロポーズに返事をすることも、どちらも大差なく重要であることに変わりはない。
今日は土曜日。彼の努める町役場は土日が休日のため、こうして朝はわりとゆっくり寝ていられるのだ。
ちなみに、彼のベット際に置いてある目覚まし時計の針は、午前8時を回っている。平日の彼なら、8時の出勤に合わせて毎朝6時に目を覚ますのだ。しかし、今日は生憎まだ目が覚めそうにない。
昨日、あれから帰宅したときにはすでに10時を過ぎていた。おそらく、翌日が休みということでつい羽目を外してしまったのだろうか。寝ぼけ眼をゴシゴシとこすりながら、昨日の記憶をたどってみるようだが、その最中に、再び彼は二度寝へと誘い込まれてしまったらしい。
何となくぼわぼわする頭。おそらく酒でも飲みに行っていたのだろうが、恐ろしいことは、彼にその記憶が一切ないことだ。
すーすー、と部屋には静かにヘレニックの寝息が聞こえる。他に物音はしないし、その寝息をかき消すものもない。窓辺から差し込む朝日が、暖かく彼の寝顔に降り注ぐ。
時折、眩しいのか布団の中でもぞもぞと動きを見せるが、すぐにまた落ち着く。
ヘレニックにとって、誰にも邪魔されないこの穏やかなひとときが、心休まる———
それから彼は、寝返りひとつうたず、死んだように眠りこけるのだった。
「んー・・・」
異様に目の前がチカチカと明るくて、誰かにそっと揺さぶられて起こされているような感覚に、ヘレニックは目が覚めた。
「んぁ・・・もう昼かぁ・・・」
通りで眩しいはずである。太陽はすでにてっぺんに上り、ヘレニックの顔にその日差しが刺さってくるのだから。
今日は珍しく晴れているようだ。昨日、一昨日と曇りが続いていたせいか、すっきりとした心地よい気分が、普段より彼の目覚めを優しく促す。
むくっ、と体を起こすと、彼は目覚まし時計を手探りでさがす。まだ寝ぼけているのか、手にしたそれは逆さまで、「なんだ・・・6時過ぎか・・・」と、時計の針を読み違える始末。
目を細めてみると数字が逆かになっていることに気が付き、元の位置に目覚まし時計を戻して正しい時間を確かめる。
「・・・12時か・・・・・・」
あれから4時間も眠りこけたことに気が付き、ゆっくりと着替え始める。
大あくびを一つして、涙目を洗面台で綺麗に洗ってから歯ブラシを加える。
ヘレニックは決して朝に弱い方ではないが、今日は一段と動きがのんびりとしている。おそらく、記憶にないほど飲み明かした酒のせいだろう。
シャカシャカと歯を磨いて口をゆすぐ。ふと、正面にある洗面台の備え付けの鏡を見ると、そこにはボサついた寝ぐせだらけの自身の姿があった。
記憶は確かではないのだが、風呂には入っているようだった。浴槽に生ぬるい水が張られていたこともそうだが、彼は風呂が好きなのだ。
自慢ではないが、子どもの頃、一人で風呂に入れるようになってから現在に至るまで、ヘレニックはいかような理由があっても、風呂だけは欠かしたことがない。
あの、ゆったりと湯船に浸かっているときが彼にとって至福だというのだから、間違いはない。
そのままブラシで髪をとく。なかなか今日の寝ぐせは個性が強く、いつもはすぐに言うことを聞くのに、今日はそうはいかないようだ。休みの日にまでわざわざワックスを使うことをためらった彼は、洗面台の引き出しを開けて、ごそごそとあるものを探す。
「お、あった・・・」
探していたのはヘアピンだ。
真っ黒の細いヘアピンが2本。
ヘレニックはそれを、寝ぐせの直らなかった部分に差し込む。
ヘアピンは、ヘレニックの深く吸い込まれそうな青みがかった黒色の髪と同化して、溶け込んでいるようだった。
———それ、あんたにあげる!
———え、いいのミヨさん・・・?
———ヘレニックにもらって欲しいのよ!
———あ、ありがとう・・・、大切にするね・・・!
「さてと、昼飯にするかな・・・」
あのヘアピンは、彼女がこの星へ訪れる際、いわゆるお土産として、幼かったヘレニックにプレゼントしたものだった。
前髪が目に入って邪魔そうだからと、ミヨゾティが選んでくれた、大切な品。
ヘアピンの色が黒色の理由は、宇宙で作られたものだからだと、彼女はヘレニックに教えていた。だから、日に当たると時々キラキラと小さく反射して見えるのは、宇宙で作った際に、星が入り込んでしまったからだという。
キッチンでお湯を沸かすヘレニックも、ずっとそのことは忘れていないはずだ。
ロマンティックとは、宇宙が生み出した宝物だと、ミヨゾティは誇らしげに語っていた。だからこそ、こうして宇宙の恩恵を受けて生きている「パール・ブルー」は、ロマンに溢れている幸せな星だと。
彼女の柔らかいそのまなざしと、その言葉を、ヘレニックは覚えている。
お湯が沸いて、ヘレニックはコーヒーを淹れる。自身で挽いた豆を使って淹れるコーヒーは、どこぞの神父のとは香りが格別に違う。トポトポとお湯が注がれるたびに、豆の深い香りが、湯気と一緒に彼の顔を包みこむ。
何かこしらえようかとも思ったが、椅子に腰かけて一口コーヒーを飲めば、その気もどこかへと吹き飛んでしまった。
まったりとしたコーヒータイムを一人で満喫する、土曜の昼過ぎ————
こんな贅沢はないだろうと思いながら、どこか、もの寂しくもある静けさを、ヘレニックは心の片隅で感じているのだ。
かすかに揺らめく、彼の頭髪できらめいている星粒たちは、あとどれくらい光り続けるのだろう。
いつか迎える終わりの時まで、星たちの懸命に瞬くその姿を、ずっと眺めていたい———なんてことを思うのは、限りなく我々、人間のエゴであるということ。
それでもなお、それを彼女は「ロマンティック」だと、言うのだろうか。
コーヒーを楽しむヘレニックの頭は、昼ご飯のことなどはすでにどうでもよく、あることで一杯だった。
「よし・・・」
そう呟いて席を立つヘレニックは、戻ってくるなりスケジュール帳を開く。
ペンで、ぐるぐると丸で囲んだその日は、22日。来週の日曜日———博愛の日だ。
22日のスペースに、「ミヨさん」と一言付け加えてスケジュール帳を閉じる。彼の決心は、今回ばかりは本物か———?
ヘレニックは、秘かに行動計画を立てることにした。
こんなにも愛してくれているミヨゾティに、自分の想いを伝えるための、最善の計画を。
そんな自身を鼓舞するかの如く、ヘレニックはグイッ、と残ったコーヒーを飲み干すのだった。




