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拝啓 ライダーねぇさん より  作者: ハンオン リョウヤ
14/19

episode:きっと忘れもしない

 少し前の話をする。


 これは、「ホワイト・レド」教会の今の神父、「チャイナ・シー」神父がまだ小さかった頃の話。



今でこそ、無粋だなんだと言われている「チャイナ・シー」神父だが、彼も人の子、最初から血も涙も無いような人間ではなかった。


 語弊があるかもしれない。

彼は無論、血も涙もある。


 幼少時代の彼は、父親が神父だったということが影響し、誰よりも真面目で清潔だった。



 「チャイナ・シー」神父の父親は、「ウェストミンスター」にある「ホワイト・レド」教会の神父だった。

誰に対しても分け隔てなく接するその温厚な人柄で、町では言わずと名の知れた男だと言われていたらしい。



「チャイナ・シー」神父の母親は、そんな二人をあたたかい愛情で支える良妻賢母だった。

そして、彼女————「ポンパドール」は月から来た。




 「チャイナ・シー」は、母からよく月の話を聞いていた。

月の食べ物や、町の話、動物に、植物など、いろんな話を聞いた。

その中でも、彼女が特に目を輝かせて話してくれたのは、この星の話だった。


 月から見た「パール・ブルー」の美しさを、彼女は延々としゃべり続けた。


 「母さんはね、月から見たこの星があんたや父さんと同じくらい、好きだったわ」


彼女は聡明な人だった。

月にいたころは、勿論彼女も音を知らなかった。

けれど、彼女は音の話は知っていた。

それは音を聴いたことがある、という意味ではなく、音という概念を聞いたことがある、という意味だ。


 そして、彼女も月面表皮の剥落のために月を離れた際に、初めて音を聴くことになった。

そのときの感動を彼女は月に帰ってから、


 『思ってたよりも思ってた通りだった』


と、まるで支離滅裂な感想を述べていたという。


 そこだけを聞くと聡明どころか、かえってかなりの変人だったのでは、と周囲の人間は彼女を心配していたようだった。


 けれど、本当の彼女は変わり者でもなければ、聡明でもない。

ただただ笑顔がよく似合う、さわやかな感じの人だったということだ。


 「月から母さんはこの星のことをね、よく眺めては、あんたの父さんと文通したりしてたのよ」


 月と「パール・ブルー」の間には、レールが敷かれている。

そのレールを走る鈍行列車や、特急列車が手紙や人を乗せて行き来していたという。

もちろん、運転手はすべて月に住む人間で、乗車出来るのも月に住む人間だけだった。

「パール・ブルー」に住む人間は、月に行こうとすると、たちまち目がくらんで、迷子になるという。

そうして、最後には「パール・ブルー」に戻れずに、その姿は宇宙に消えてしまうというのだ。


 そんな彼女の話を、幼かった「チャイナ・シー」は作り話程度に聞いていたのだろう。


 そして、彼女は結婚を機に「パール・ブルー」へと移住して、それ以来一度も月に戻っていない。


 「ポンパドール」はこの星でできた恋人と結婚し、一人の子供を授かった。

その子供こそが、のちの「チャイナ・シー」にあたり、家族3人仲良く暮らしていたという。


 そんな母親が話す月の話の中でも、「チャイナ・シー」が特に好きだったのは、「ライトシャワー」のエピソードだった。


 それはまだ、彼が「ライトシャワー」を見たことがなかった頃。

彼女は、何にでも興味を示すまだ幼い息子にせがまれては、その話をしていた。


 それは、月にいた頃の話。

「ポンパドール」はほかの仲間より、「パール・ブルー」に避難するのが遅れてしまったことがあった。

その際、彼女は命からがら、なんとか無事に「パール・ブルー」に到着できたのだが、その道中の光景を彼女は奇妙だったと話した。


 彼女が必死に宇宙を渡っていたときだった。

すぐ背後まで月くずが迫っていて、その勢いに巻き込まれるか否かという瀬戸際で、彼女は不思議な声を聞いたというのだ。

まだ月を離れて、半分ほどの距離しかたっていなかったため、彼女はもう音が聞こえてくるなんておかしいと思い、それは今でも夢を見ていたのだと言っていたが。


 星が話していたというのだ。

あまたの星たちが、会話をしていたと、彼女は語った。


 「もうじき、ぼくたちも月の一部になるんだ」

 「まだ生きてたかったなぁ」

 「ここから動けたら」


 背後から、そんな声が聞こえたという。


 彼女が後ろを振り返ったときには、星たちの声はどこにも無かった。

かわりに、目が痛くなるほどの光を放つ月くずが、そんな星々を巻き込んでいく姿だけを、この目が確かに見届けたと言っていた。


 星は、自由には空を動けない。

人が、流れ星と呼んでいるそれは、まさに、星を見守る番人が、光り輝く星たちのお尻を蹴飛ばしているのだということを、彼女はそれから知った。


 だからこそ、彼女が見たその光景は、あまりにも空に従順すぎた星たちの最期の姿。

死にゆく星たちは、月くずに巻き込まれるその最後の瞬間まで、確かに輝いていたという。



 あるときは、「パール・ブルー」から「ライトシャワー」を見ていたとき。


 この星に来て結婚してから、初めて迎えた「ライトシャワー」のはなし。

その日は、「チャイナ・シー」の父親———すなわち、「ポンパドール」の夫と一緒に、自宅の窓から夜空を見上げていたときのこと。


 月が異様に明るかったその日は、夜だというのに、部屋は明かりをつけているみたいだったという。

しばらく二人で空を眺めていると、「ライトシャワー」が始まった。

空からは、大量の月くずが光の粒子のように見えて、ここからみると、案外それは小さく感じたらしい。


 そんな神秘的な光景を見ていた夫が、無意識で発した言葉に、彼女は不思議に思っていることがあったという。


 彼は、降下してくる月くずを眺めながら、

「あの月くずには、流転した記憶があるんだよ」

と、ぽつりと語っていたというのだ。


彼女には、夫が何のことを言っているのか、正直分からなかった。

どういう意味か聞いてみたらしいが、夫は

「さぁ、どういうことなんでしょうねぇ?」

と、首をかしげただけだったらしい。


それはきっと、どれだけの月くずが滅んでいって消えたとしても、生きた記憶だけは巡り巡る、ということだったのだろうか。

いや、きっとそうなのだと、「ポンパドール」は、そう考えることにした。


 なにせ、その滅んでいく月くずには、彼女が過ごした記憶があったのだから。



 こうして、彼女は愛しい息子に、何度も話した。

飽きることなく、懐かしむように。

母親の話を聞く息子の傍では、必ず父も耳を傾けていた。



 そんな両親に育てられた「チャイナ・シー」は、やがて神父となり、一度は「ウェストミンスター」を離れていった。

彼は旅先で、人知れず夜空を見上げては月を眺め、母親の話を思い出していたという。


 そして―――――。

「ポンパドール」が不慮の事故で亡くなったのは、彼が「ウェストミンスター」を発った、その翌日のことだった。



 その後、彼が再び「ウェストミンスター」に帰ってきたのは、父が病で亡くなった後。

「ホワイト・レド」教会の神父の後任として、指名されたからだった。


 彼が、「チャイナ・シー」神父として「ホワイト・レド」教会で働くようになって、今年ではや15年が経った。

故郷に帰ってきた当初、彼は30歳になったばかりで、10年ぶりに懐かしの我が家へ帰ったのだが、彼はしばらくして実家を売ったという。


 誰もいない家に帰ることは辛いと、彼は必要最低限の荷物だけをまとめて、「ホワイト・レド」教会の二階にある一室に落ち着くことにしたのだ。



 こうして、彼はこの教会で多くの職務をこなしていき、現在の「チャイナ・シー」神父という人格ができるに至った。

ちょっと皮肉めいていて、いつでも安全地帯にいるような態度で、無粋といわれてしまうような所以のある性格。


 けれど、彼でさえ、いくら月を眺めても聖書を読んでも、主に祈っても、この絶え間なく流れていく日々に、何が起こるのかだけはわからなかった。



 もしそうでなければ、かつて夢に見た半信半疑のようなお告げを受けて、このお告げが誰かに届くようにと、主に祈ったりはしなかった。

そんな主のお告げが、あろうことか宇宙を越えて、はるか彼方の懐かしい月に住む少女に届いてしまうなんてこと。


 それこそ、神のみぞ知る――――といったところなのだ。


 そして、彼は一人の少年にも告げてしまう。


『ロードバイクを乗りこなす、純白のウェディングドレスを身に纏った一人の女が現れたとき。その女は、お前の嫁となる者らしい――――そう、主は仰った』


 かつて、彼の父親が残した言葉と同様に、彼も揺るぎない信念で、その言葉を口にするのだ。



 優しかった彼の父親は、ときに威厳のある顔つきで、幼い息子に伝えた。


 『寂しくなるなら、思い返してはいけないよ。きっと、前には進めなくなる――――そう、主は仰った』



 「母さんが死んだときも、父さんが死んだときも、えらく辛かった。でもな、私にはその言葉だけで、十分にまた一人で歩いていけるようになったんだよ」


 「チャイナ・シー」神父は、当時のことをそのように語った。




 かくして、「チャイナ・シー」という人間の、現在にいたるまでの話は終わる。

しかし驚くべきは、神父の目の前に現れた、月から来たという宿を探す一人の女性との出会い。


 彼女は言った。

「次に、この星に月が落ちてきたとき、またアタシはここに来る。だから、それまでの間、アタシのための部屋を一つ、空けておいてほしいんだ」

頭を下げるその人を、神父は今でも忘れない。


 頼まれたんなら仕方がない、と約束をしたときの彼女の笑顔を、彼はいつまでも忘れていなかった。


 綻ぶようなその笑顔から溢れる「ありがとう」が、神父の記憶を少しだけ掠めていった気がする。



 彼女の名前は「ミヨゾティ」。


 まるで、死んだ母親とそっくりな彼女の眩しい笑顔は、神父にほんの少しだけ、寂しさを覚えさせるのだ。


―――――月にはいる人間は、みんな、あの人たちみたいな奴ばっかりなのだろうか?



 神父にはあの大きな月の輝きは、そこに住む人々の、もしかしたらどんなときにも曇らない、愛おしい笑い顔でできているのかも知れない―――――


 そう思わずにはいられなかった。


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