それでもいつかは訪れる
ヘレニックは仕事を終えて、約束通りミヨゾティに会いに教会に向かった。
博愛の日が近づいているということもあり、町はひときわ賑わいを見せ、あちこちたくさんの花で彩られていた。
秋のこの時期は、春に比べて花の種類が断然少ない。
冬に向かうこの時期はどうしても仕方のないことなのだが、そんな素振りをまるで感じさせない大量の鉢植えやリース状に編まれた花たち。
すなわちこれらも、あの偉大な宇宙の恩恵の一つなのだ。
人々はこの時期を見越して、春のうちに宇宙に行って花の種をまくのだ。
宇宙には季節がない分、何に影響されることなくすくすくと育つ。
あまりにも、あっという間に満開になってしまうこともあれば、芽吹きが遅い年もある。
だからこそ、たくさんの種を余裕をもって早くからまくのだ。
そうして、宇宙で咲いたあまたの花たちを、人々は「パール・ブルー」へと持ち帰って、祭りの準備を進めるのだ。
そういった面で見てみると、この博愛祭というのは、宇宙への日頃の感謝をも表しているのかもしれない。
ヘレニックはそんな鮮やかな町の雰囲気に、少しばかりと言わず、あてられてしまったのだろう。
教会による前に、花屋へふらっと立ち寄った。
優しそうな女主人が「いらっしゃい」と、花を眺めるヘレニックにおススメの花を紹介してくれた。
ヘレニックは、ミヨゾティに何かプレゼントをしたいと考えたのだが、どれを選んでいいのやら、じーっと花とにらめっこしたまま一向にその場を動かない。
ゼラニウムにチューリップ、ラナンキュラスにコスモス、シクラメンにポインセチア・・・。
季節を感じさせない花の種類の多さには、やはり、宇宙で育てられたんだという実感がわく。
春夏秋冬、とりどりの花々に目移りして、あれやこれやと悩みながら、ヘレニックはふと、目に留まったそれを手に取る。
「あぁ、フラワードームにするのかい?」
女主人が声をかけると、ヘレニックは顔を上げて彼女に尋ねた。
「あの、これってフラワードームっていうんですか?」
ヘレニックはそれを手にしながら、そっと眺めた。
透明なガラスに閉じ込められている花は、どこか儚くて、今にも壊れてしまいそうに可憐で。
薄ピンク色の花はドームの中に座っていた。
まるで、誰かをずっと待っているかのように。
「可愛らしいだろう?あんた、それ誰かへの贈り物かい?」
女主人がにっこり笑ってそう言うと、他の種類のスノードームも見せてくれた。
「うわぁ・・・、きれー・・・」
ヘレニックは、その光景にうっかり見惚れてしまった。
手にしているのとは違う色のスノードームたち。
どれもまるで、きらきらと輝いていて選ぶに選べない。
「えぇとね・・・、あったあった。こんなのもあるんだよ?」
女主人は商品棚の引き出しから、フラワードームをアレンジしたイヤリングを出してくれた。
丸く小さいドームの中には、すっぽり収まるくらいの真っ白な、小さな花が入っていた。
「あの、この花は・・・」
「あぁ、それかい?スターチスだよ。春になるとよく咲いてるだろう?」
あんた、恋人さんか奥さんへのプレゼント選んでんだろ?と、女主人は笑いながらヘレニックを見る。
ヘレニックは一言もそんなことを言っていないのに、図星を言い当てられ焦る。
「それくらい分かるさぁ!なんてったって、この時期になるといつもは花にキョーミの無い男たちが、こぞって花屋を覗いてくんだからね」
それはやはり、博愛祭が関係しているのだろう。
だから行き交う男性たちはブーケやらを抱えながら、ちょっと緊張した面持ちで家に帰っていくのか。
ヘレニックは内心、納得しながら手渡されたイヤリングをじっと見つめる。
「きっと似合うだろうよ?」
女主人はそう言って、後から来た男性客の注文を受けてブーケを作り出した。
ピンクをベースに、赤やオレンジをアクセントに次々と花を選んでいく。
その慣れた手つきで、あっという間に可愛らしいあたたかなブーケが出来上がった。
お待ちどうさん、とブーケを渡すと、客は代金を払って店を後にした。
そのとき、チラッと見えたその客の、なんとも言えない柔らかい微笑んだ顔が、ヘレニックには特別なもののように感じた。
ふと、その笑顔にミヨゾティを重ねる。
「すみません、これ、お願いします」
「あいよ!」
女主人に後から教えてもらったことだが、スターチスには「永遠に変わらず」、という花言葉があるらしい。
それはまるで、ミヨゾティを思い出させるような素敵な言葉だと、ヘレニックは教会へ向かいながら、そんなことを思うのだ。
ギィー・・・と、軋み音を上げながら、ヘレニックは「ホワイト・レド」教会の扉を開ける。
礼拝堂の中へ進むと、そこにはいつも通り、純白のヴェールに身を包んだミヨゾティの後ろ姿があった。
ヘレニックが、静かに彼女の傍へと歩いて行くと、ミヨゾティはゆっくりと振り返る。
「お帰り、ヘレニック!待ってたわよ」
「ただいま、ミヨさん。待っててくれてありがとう」
いつもと変わらない、ミヨゾティの笑顔がヘレニックを迎える。
ヘレニックも、そんな彼女に柔らかい笑顔で応える。
礼拝堂の中央を走る通路で、二人は顔を見合わせるようにして笑い合う。
そんな二人を、一体、誰が祝福しないというのだろう。
このとき、ヘレニックの頭の中では、「チャイナ・シー」神父の言葉が思い出されていた。
————笑顔、かぁ・・・。
ヘレニックは何がおかしいわけでもないのに、ささやかな勇気が神父の言葉をかき消すように、彼を一歩前へと体を押した。
そして、そんな彼にとって、予定だとか恥じらいだとか、そんなものは一切の入り込む余地が無いのだ。
「ミヨさん」
「ん?なぁに?」
ヘレニックがおもむろに口を開くと、ミヨゾティは優しい眼差しを彼に向けた。
「ミヨさん、あの時からずっと、ずっと待っててくれてありがとう。ずっと待たせてしまってごめん。何も分からなかったあの頃の俺には、この上なく恵まれてる、幸せなことなんだって気付かなかったけど・・・」
ヘレニックはまっすぐにミヨゾティを見つめたまま、俯いたりはしない。
「今の俺なら、あなたの想いが、そのままの形ではっきりと分かる」
自分でも気が付かないうちに、ヘレニックはミヨゾティの手を取っていた。
ヘレニックは、ミヨゾティを握る手にぎゅっと力を込める。
そして、これまでの靄のかかったような気持ちを、精一杯に吐き出した。
「ミヨさん、俺と一緒に、あっという間の時を過ごしてくれないか?」
————悠久なんて言わないし、あなたの住んでる月よりもずっと短い時間だけど——。
それでも、いろんなことをぎゅっと詰め込んで、瞬きなんかできないくらいの、目まぐるしい日々を————どうか一緒に過ごしてほしい。
俺は月には行けないけれど、この星で同じように年を重ねよう。
この星で、流れる月日を指折り数えて、あなたの故郷を懐かしく眺めていたいんだ。
あなたが空けていてくれた右側に、やっと俺が追い付いたから。
だから、黙っていつもの笑顔で、不甲斐ない俺だけど————ついてこい—————
「ミヨゾティ、僕は—————」
コートのポケットから取り出した、リボンのかかった小さな箱。
ヘレニックはそれを静かに開けて、ミヨゾティに捧げるように見せてから、ありったけの想いを伝える。
「——————あの頃から、今も変わらず愛している」
ミヨゾティの、日頃は見せないような笑い顔。
一筋の雫が、ミヨゾティの頬をはらりと伝う。
そんな彼女の泣き笑いする表情が、ヘレニックの胸にちくりと刺さった。
そして、力いっぱいにヘレニックを抱きしめて、ミヨゾティはこの上ない、というほどの満面の笑みで答える。
喜びも、感動も、憎たらしさも、愛らしさも、全部ひっくるめて言い切るのだ。
「ロマンティックね!」
長くて、短い————。
そんな、彼らの焦がれるほどに眩しかった日々に、ピリオドは打たれた。
せっかく立てたヘレニックの予定も、あっさりとなかったことになってしまったわけだが、きっとこれで良かったのだ。
遅かれ早かれ、言わねばならないことだったのだから。
これで良かったのだと、ヘレニックは胸を撫で下ろす。
この星は、過去も未来も曖昧な場所————。
だからこそ、予定なんて最初からあってないようなものなのだ。
約束された明日はどこにもないし、過ぎてく今は、背後にしがみつく真っ黒な何かになるだけ。
そんな彼らに、「いつか」なんて言葉は必要ないのだ。
手帳に記した未来の予定は、予想外にも早く、手探りで引き寄せてしまった「現在」。
ヘレニックは、ミヨゾティの両耳にプレゼントのイヤリングをつけると、ドームの中に入っている真っ白なスターチスが、銀色のグリッターと一緒に、ミヨゾティの耳元でカランと楽しそうに揺れる。
その姿は、ウェディングドレスに自然と溶け込み、ミヨゾティの笑った顔によく似合っていた。
そして、今度はヘレニックから歩み寄って、優しくミヨゾティを抱きしめる。
ミヨゾティは、ヘレニックの腕の中で彼の左胸にそっと耳を当てながら、彼の生きている音を聴いた。
「やっぱり、心臓動いてるのね・・・。ちゃんと音が聞こえる」
ミヨゾティは目をつむりながら、静かにその鼓動を感じる。
月に住んでいた彼女が、初めて聞いたのは夜空を駆ける風の音。
そして、音の無い世界で生きてきたミヨゾティが、「生きてきたこと」を実感した音は————
「—————やっぱり、生きてるって感じするね」
「そうだね。こんなに小さいのに、ずっと動いてるんだよ」
心拍はメトロノームのように一定のリズムを保って、ぜんまい仕掛けの時計のようにぴたりと、いつかは止まる。
ただ、今の彼女たちには、それはうんと先のことでいい。
そっと交わした口づけは、誰も知らない、ロマンに溢れた味がしたのだろう。




