第9話 声は感じた
結のスマートフォンに電話がかかってきたのは、土曜の夜だった。
同級生の珠実からだ。
「結、元気?」
「うーん、ちょっと、かな……」
「そっかあ……」
珠美は、結の声がどこか落ち込んだ感情を含んでいるのがわかった。
ちょっと前の、悩んでいる、というものではなく、少し何か思いつめた感じだ。
それでも、つい、3日くらい前は調子が戻ってきたと思ったんだけどなあ……珠美はそう思いながら、用件を切り出す。
「明日、暇? 明日朝からお姉ちゃんの所行くから、どうせなら、昼くらいから、呉でいっしょに映画とかどうかなー、と思って」
珠実の姉は呉市内の総合病院で、救急救命医として働いていた。
医師だった亡き祖父の影響を受けて、小さいころから医師を目指していたが、まだ医師になりたてで、最近は慣れない仕事や病院の愚痴をこぼしている。
「んー、明日は用事があるから、ちょっと……」
「うん、わかった」
今度は、珠美ははっきりと明るい口調で答えた。
「まあ、またなんかあったら言ってよ。私にできることなら、話に乗るから」
「うん、ありがとう」
結は受話器片手に、少し微笑む。
珠美のことを思って出た微笑みだった。
同い年だが、お姉さんのような感じ。頼りがいと優しさのある女の子。
それがたまちゃんだ、と結は思った。
「たまちゃん、とても優しいね」ふと、珠美が思わずつぶやく。
「へぇっ!?」珠美が思わず、変な声を出した。珠美は、動揺した口調で返す。
「そ、そんなことないよ。結のほうが優しいじゃんか」
「優しいだけじゃないよ」
結は言った。穏やかに、しかし、芯が通っているような、しっかりとした口調でゆっくりと話を続けた。
「とても頼りがいがあるし、私や、周りのこともちゃんと見ている。私、たまちゃんのこと、好きだな」
会話がしばらく沈黙した。結は少し微笑みを見せている。
電話の向こうの、珠美はその間、受話器片手に、顔を赤くして、うれしいそうだが、ちょっと困惑した顔をしていた。
「結のそういうところ、私もいいと思う。ほんとに」
でも、と珠美は続けた。
「結って、たまに、ほんとすごいびっくりするこというよね。はっとするというか……」
「そうかな?」今度は結が少し驚いたような表情をした。
「そうだよ、ほら、こないだの委員会で、3年生歓迎会の出し物、何するかってのあったじゃん。そこで――」
その時、珠美の家に幼い、活発そうな女の子の声が響いた。一番下の弟で、たま姉ちゃん、つぎ、お風呂ー、と言っている。
5人きょうだいのうちの次女である珠美ははーい、待ってて、と返した。
一番の上のきょうだいは、呉にいるから、江田島の家にいるきょうだいのなかでは、一番年上にあたる。
たわいもない雑談に花を咲かせようとした珠美は、ちょっと残念な気持ちになって、結に言う。
「あー、ごめん。お風呂に呼ばれたからいってくるわ」
「うん、わかった。心配してくれてありがとう」
「ううん、私も気になってつい電話しちゃった。もし、なんかあったら話きかせて」
わかった。結がそういうと、二人は軽く挨拶をして、電話を切った。
《結》
メゴスが語りかけてきた。いつもの、低い声だが、どこか幼さを感じさえもする不思議な声が、結のなかにきこえる。
(どうしたの?)
《今の会話、ぼくには不思議だった》
結が遠くにいるメゴスの見たもの、聞いたものがわかるように、メゴスも結の聞いたものがわかっていた。
結は部屋で、一人首をかしげる。
《珠美は結の「優しい」とか、良いところを言ったとき、とてもうれしそうだったけど、ちょっと困っているようにも思えた。結も、珠美が「そういうところがいい」と返したとき、同じような感じだった》
結はちょっと考えた。
《うれしいと困ったという感情が一緒になっているのが、ぼくには不思議なんだ。この感情は、僕には反対の感情にみえる。
人間は、いくつかの、色んな気持ちを一度に持つのはなんとなくわかってきた感じはするけど、なぜ困りながら、うれしくなるんだろう?》
結もたしかに、と思った。どうしてなんだろう。しばらく考えて、結は言葉を出す。
(それは、本当にうれしいんだけど、他にも色々と考えちゃうからじゃないかな)
メゴスは静かになっていた。結はなんとなく、メゴスが理解できずに、その意味をかみ砕いて理解しようとしているのだろうと思った。
(うれしいな、と思うけど、どうやってこの気持ちを周りに表現するかわからなかったり、そもそもどういう気持ちかも、自分の中でうまくわかっていないということもあるんじゃないかな)
《自分のことなのに、自分のことがわからないの?》
(そうだと思う。みんなはどうか知らないけど、私は、自分の気持ちがわからなくなったり、ある時、自分の中にある気持ちに気が付いたり……そういうことがときどきあるよ)
《そうなんだ……自分のことがわからない……ぼくにもそうなるときがある》
メゴスは、いつもより声のトーンを落として、少し思いつめたように話した。
(何がわからないの?)結がきく。
《ぼくはラルサによってつくられた、ウルクの文明が最後に産み出したもの。ぼくの使命は、文明を滅ぼすギドンを倒すこと……はっきりしているのは、それくらいなんだ。
あとは断片的で、おぼろげな記憶しかない。倒すべきギドンも、どういうやつなのかは、僕にもはっきりわかっていない。やつの目的は文明の破壊。それくらいしかわからない。
そもそも、ぼく自身も……》
その時、またスマートフォンが鳴った。
誠司からだった。
結はスマートフォンをとる。
「せいちゃん、どうしたの? 学者さんとは連絡取れた?」
「いや、まだ……それよりも、今テレビ見て」
誠司は少し取り乱しているようだった。
彼女はテレビをつけた。
チャンネルはNHKだった。普段なら、老年に入ったある男性タレントが、女子アナといっしょに様々な土地を回るバラエティ番組をやっているはずだった。
しかし、今日は違った。
昨日の午前中のように、アナウンサーが語りかけている。
『防衛省によりますと、2機の自衛隊機が、豊後水道の上空と、室戸岬の南の沖合上空で、それぞれ消息を絶ちました。またNEXCO西日本によりますと、高知自動車道の大豊インターチェンジで大きな爆発があったとのことです。
この爆発で、現在、高知道は全道で通行止めになっています。それぞれの出来事について、関連性はわかっていませんが、官房長官は20時半に記者会見を開き――』
《結、ぼくも感じる》
メゴスは結に、強く語りかけるように言った。
《ギドンが来るよ》