第6話 陸上自衛隊善通寺駐屯地 -香川県善通寺市
2月23日以降、自衛隊は特殊な警戒態勢を取り始めていた。
西日本、四国を中心に航空機や艦艇を展開しはじめていたのである。
航空自衛隊のE2C早期警戒機を東海から九州にかけて、常時数機を飛行させている。
早期警戒機は、空飛ぶレーダーサイトとも呼ばれ、E2Cの場合、25メートル近い機体の上部につけられた巨大な円盤上のレーダーで、広範囲かつ、地上のレーダー基地や通常の航空機では探知しにくい低空もレーダーでカバーすることが出来た。
さらに、海上自衛隊の護衛艦数隻が、瀬戸内海と四国太平洋沖、さらに豊後水道と、紀伊水道と大阪湾に常時展開を開始していた。
また、掃海艇数隻も同様の行動を取っていた。掃海艇は、機雷を除去するための艦艇だが、護衛艦に比べて小型で、また水中での探知能力も持っている。
よって、護衛艦では展開しにくい、瀬戸内海の狭い海峡や入江のような海域を中心にして、展開していた。
海上自衛隊のP1対潜哨戒機及びP3C対潜哨戒機も、同じ海域の空を頻繁に飛行していた。
対潜哨戒機は「対潜」の文字が示す通り、潜水艦を探知、攻撃する役割を担っているが、乗員らは海上を監視し、また、時にはソノブイという音響探知機器を投下して、海中の様子を探っていた。
海上自衛隊の潜水艦も四国太平洋沖に展開していた。
潜水艦は隠密に行動するという特性上、行動は自衛隊内でもごく限られた人間しか知られていない。なので、空や海上にいる自衛隊員たちですら、海上自衛隊の潜水艦が展開していることすら知らなかった。
しかし、彼らは海中に潜んで行動し、哨戒任務に就いていた。
四国という、諸外国と近く領海を面しているわけでもなく、ましてや内海である瀬戸内もその哨戒範囲に入れるのは奇妙であった。
また、この地域で、戦闘や暴動などといった何らかの大きな事態が発生しているという動きもない。
実のところ、当の自衛隊員ですら、この任務の真意が明確につかめていなかった。
命令は確実に出されていたが「何らかの異常を探知するため」という極めてあいまいなものであった。しかし、その命令内容すらも部外秘とされた。
この動きを、韓国、中国、台湾、ロシアといった日本の周辺諸国はつかんでいた。
しかし、この動きに対して、各国は明確な声明、あるいは取り立てて目立った行動を起こすことはしなかった。
日本の外務省は、非公式かつ、報道機関には漏らさないように、という文言もつけて、各国政府に対して「四国沖で特殊な警戒態勢を取るが、それは対外的なものではない」というメッセージを発し、各国政府もとりあえず静観していた。
アメリカ合衆国政府も、それを静かに追認する形をとっていた。
中国とロシアは、四国周辺に偵察機を飛行させた。
もちろん自衛隊の「特殊な警戒態勢」なるものを監視するためだったが、この偵察飛行自体は、中国もロシアも、時折行うものであった。
その監視対象は異例だったが、中国もロシアも、日本やアメリカの航空戦力などを知るため、たびたびこのような偵察飛行を実施している。
そして、その偵察機が日本の領空の近くを飛行すると、航空自衛隊の戦闘機がただちに緊急発進して、偵察機に接近し、航空無線を通じて、警告を行っていた。この自衛隊の対応も全くいつもと変わらないものであった。
香川県善通寺市。
四国の北東にある香川県にあって、県内北西部にある都市だ。
明治以来、四国最大の軍都として栄えてきた。
現在、善通寺駐屯地は四国全域を管轄する、陸上自衛隊第14旅団の司令部をはじめ、いくつかの部隊が駐屯している。
乃木館と通称される資料館や、赤レンガの陸軍兵器庫跡など、明治以来の西洋建築物もいくつか建っている。
戦後建てられた、駐屯地内のある官舎の最上階に、駐屯地の外から十数人の人間が入ってきた。
東京から来た人たち、と、まことしやかに、駐屯地内の隊員達に言われたこの人々は極力、駐屯地では人との接触を避け、この階まるごと貸切って、そこにこもっていた。
『四国における演習計画の基礎的研究』という名目で送られてきた彼らだったが、多くの隊員達はただの名目に過ぎず、何らかの、本来の目的があることは薄々わかっていた。
しかし、彼らにとって関係のないことであったし、それを詮索するようなことはしなかった。
「今、海上、航空自衛隊の各部隊、さらに陸上自衛隊のヘリコプター部隊を使って、四国を中心に、何らかの異常現象がないか探索活動を行っています」
四国に調査チームが入ってから、はじめての会合。
時刻は午後8時を少し過ぎていた。
まず、会合で最初に口を開いたのは、平坂一等空佐だった。
立川の第1回会合で、物体の不可解さを軍事的な見地から述べていた男だ。
自衛隊統合幕僚監部運用部付という肩書のこの男は、40にまだいっていなさそうな、若い風貌だった。
細身ではあるが、体つきはがっちりとしている。太い眉と鋭い切れ目は、猛禽類のそれをほうふつとさせる。
彼は航空自衛隊の迷彩服を着ていた。薄い灰色と緑色が交じったような、色の濃さがあまりはっきりと出ていない迷彩だった。
彼のほかにも同じ迷彩服を着ている者は何人かおり、他にも緑を基調とした陸上自衛隊の迷彩服、青を基調とした海上自衛隊の迷彩服を着た者もいた。
この部屋には、先日、立川に集まった調査チームの面々が集結した。
自衛官以外は、登山着のような、おのおの動きやすい私服を着ている。
本来なら、現地入りした直後から特定の場所に目星をつけ、現地調査を行うはずだったが、状況があまりにも想像を超え、さらにその証拠もつかめていないので、四国のどこに入っていいかもわからなかった。
なので、彼らはとりあえず、この善通寺駐屯地の一角を陣取って、待機しながら、分析などを行っている。
今は会議室に集まって、中央にテーブルをつなぎ、立ちながらミーティングを行っていた。
「昨日13時から現在までの24時間に、各種レーダーに未確認飛行物体を300件近く確認しました。このうち3回、各部隊が撮影に成功しています」
平坂はそういって、机上に3枚の大判の写真を置いた。
2枚は上空で、1枚は海上から、飛行中の物体を撮影したものだった。
官僚や学者らがその画像を手に取ってみる。
「うーん、いずれも遠方からですね」
そう言ったのは川原、この調査チームのリーダーだった。
彼の役職は事態対処、危機管理担当の内閣官房副長官補。官僚に分類される人間だ。
内閣官房副長官補は、内閣を補佐する内閣官房という機関に3人置かれ、内閣の重要政策等に関する企画立案・総合調整するのが仕事だが、その3人は内政、外政、そして危機管理とそれぞれ担当が割り当てられている。
危機管理担当の場合は、危機管理に関する関係省庁との連絡調整や、災害などがあった場合に、各省庁や関係機関との調整と、対策などの立案や企画を行う。
また、彼は国家安全保障局次長(NSS)も兼任している。これは、戦争やテロなど、国家の危機管理に関して、関係閣僚が行う国家安全保障会議(NSC)をサポートするための事務局だ。
ふと、50代くらいの男性が、1枚の写真を手に取った。
髪の毛が黒々とした、少し背の低い男だった。
防衛装備庁技術戦略部技術戦略課課長補佐の杉原だ。
防衛整備庁は防衛省の、装備の研究や調達などを行う外局で、杉原が所属する部署では自衛隊の新型装備に関する研究や分析を行っている。彼は工学の専門技術を持つ技師であり、つまり、技術系の官僚、いわゆる技官だ。
杉原はうーん、と唸りながら写真を見た。
恐らく自衛隊機から撮影したのだろう、低空を飛ぶ飛行物体をその上から撮影したものだ。背景には、森がいっぱいに映っている。
「とても低空を飛んでいるな。これでは、多くの航空機や地上のレーダーは探知できない」
横から平坂が近づいて、その写真をのぞくように見た。
「これは四国山中で撮られたものですね。南東の方向にすすみ、この時の速度は時速150キロほどと見られます」
「ヘリよりも遅いな。これなら探知できても、コンピューターは、自動車と誤認するぞ」
横からさらに、別の、20代くらいの目がぱっちりとした女性が覗いた。
笹塚女子大学生物学准教授の赤松霧子だ。専攻は形態学。目に見える器官や現象から、動物について研究する学問である。
杉原よりも少し背は低く、背伸びをして、それを見た。
第1回会合で「悪魔」と呟いていたのは彼女である。
「しかし、どうやって飛んでいるのか全く分かりませんね。何かは背中から伸びていますが、とても翼と言えるものではありません」
彼女がそういうと、さらに、同い年くらいの若い男性がやってきた。
国立城南大学生物学准教授の小島和人だ。専攻は生理学だ。生理学は、細胞や免疫など、可視化できない生物現象から、動物を研究する学問である。
彼はきりっとした目をしていて、平均男性よりやや高いくらいの背丈はある。
「そもそも、こんな巨大な物体が何をエネルギーにして飛行しているかもわかりませんね。生物だとしても、呼吸や食事だけでこの図体を動かせるとは思えない」
「それは軍事的に見てもそうだ」
杉原が言った。
「既存のジェットエンジンなら、排気口などがしかるべきところにあるはずだが、この画像からでは確認できない。確認できない位置にあったとしても、それで飛行はできないだろう」
「ともかく」
少し離れた場所で、近畿科学大学生物学教授の大山がパイプ椅子に座って腕を組んでいた。
しわの入った顔に切れ長な目は、勘の良さと老練さを感じさせる。
「何者かもが異常すぎる。あらゆる部門からの分析が必要だが、その前に、この写真だけではどうしようもない。実物を目視、可能ならば捕獲する必要があるな」
「目視、あるいは捕獲、ですか」
川原が反芻するように呟く。
そこへ高野が入ってくる。机上に置かれた写真を見ながら思案する。その写真は、海上から、遠方の空を飛ぶ飛行物体を映したものだった。
「目視も速度が速く、また相当の機動性があるとみられるので、困難だと思われます。静画の撮影はたぶん難しいでしょう。出現しそうなところに定点カメラを設置して、動画撮影を行うことも考えたほうがいいでしょう。
あと、捕獲ですが、検討が必要ですね。囲い罠などの専門の道具で捕まりそうにはありませんから」
高野は、川原の方を見た。
川原をそれに察して、官僚たちの方に目を向ける。
「環境省で、山岳部への定点カメラの設置は行えますか?」
黒縁の眼鏡をかけた、若い男性の、環境省の官僚、伊藤が首をひねる。肩書は環境省自然環境局野生生物課課長補佐。
彼は、環境省の中でも自然系職員やレンジャーと呼ばれる、自然環境の保全に関わる仕事をしていた。
「極力急いで手配はしますが、機材がすぐに届くかは難しいですね……」
「じゃあ、うちで用意しよう」
若干、白髪が交じり始めた中年男性の官僚が言った。但野という名前の、ベテランの国土交通省の官僚だ。
役職は国土交通審議官。国土交通省ではナンバー2の地位だ。
しかし、国交省の鼻つまみ者と言われている男だった。2001年に国土交通省がいくつかの省庁と統合して設置される前は、国土庁の災害担当部署にいて、災害対策では他の省庁や政治家と対立していた。
霞が関では有名な男で、出世コースからはかなり前から外れているが、仕事のできる人というのが川原の評価だ。
「うちなら、道路や海、河川などの監視でカメラの用意がただちに手配できる。正直どの程度山岳部で使えるかどうかはわからないが……」
川原はわかりました、と言った。
「では、カメラの配置や整備の方では国交省の方で主に行ってください。監視や分析は、環境省のほうが詳しいでしょうから、そちらは環境省の方でお願いします」
川原の発言に、2人の男はわかりました、と言ってお辞儀をした。
その後、環境省の官僚が引き続き言う。
「あと捕獲のプランも考える必要がありますね」
川原はそう言った後、さっとそれに対する回答、指示を出す。
「それは学者の皆さんと、環境省、あと実行に際しては自衛隊の方でも考えてもらう必要があると思われますから、防衛省と自衛隊も入って、検討してください」
「わかりました」
防衛省からやってきた女性官僚、成谷がそう言って、自衛官らとともにお辞儀をした。彼女は自衛隊の人間である『制服組』ではなく、いわゆる『背広組』と呼ばれる防衛省内局に務める人間だ。
垂れ目がちな、大きな目が印象的な、かなりの美人だった。おっとりとした雰囲気で、母性的な雰囲気すら感じる。服の上からもわかる大きな胸が、自衛官以外の、その場にいる多くの男性たちの視線をしばし奪う。
自衛官らが彼女に目を向けないのは、実はかなりの女傑であることを知っているからだ。
防衛省の、自衛隊の運用や訓練、各種計画を担う防衛政策局という部署の次長、つまり局内ナンバー2である彼女は、防衛省の魔女と言われている。
「とはいえ、どんな生き物なのか全く分からず、そもそも生物かもわからないものをどうやって捕獲するか……」
高野がそういうと、杉原がその話を続ける。
「かといって、兵器だとしても、どうしてよいかわからん。行動中の、高機動の兵器を捕えるなんて話は聞いたことない。当該物体に警告や通信すらままならない。
そもそも、仮に、かの物体を攻撃しようとしたところで、どのような攻撃手段が有効なのかも想像がつかない」
杉原の話の後に続くものは誰もいなかった。
誰もが、そのまま黙ってしまったからだ。
それを、部屋の隅で、野崎はパイプ椅子に座って見ていた。
早く山に入りたいと思っていたが、話が違って、退屈そうにその様子を見ている。
横には、他の学者の助手らしい人々が同じようにパイプ椅子に、横一列に座っていた。
「……退屈ッスね」
横にいた学生らしい青年が、軽い口調で呟いた。
髪の毛を若干茶色く染めている、線の細い男だ。
さっきから、何かと野崎に話しかけてくる。
野崎はそれを適当に頷きながら、右から左に流している。
そこへ、一人の自衛官が入室し、川原に一枚のメモを渡した。
川原はそれにさっと目を通した後、人々に目を配った。
「今、内閣府の危機管理センターから報告がありました。航空機が四国上空で消息を絶ったそうです。詳細は不明。また、警察庁より、徳島県警が、徳島県の高城山付近で煙が上がっているのを確認したとのことです」
室内がざわついた。
野崎もその情報をきいて、前のめりになる。
徳島県の高城山といえば、徳島県西方にある剣山地にある山だ。あの辺りは剣山地に囲まれた山岳部である。
国土交通省の但野審議官が険しい顔をした後、スマートフォンを片手に退室した。
川原は何かを宣言するかのように室内の人々に話した。それはチームの当面の方針でもあった。
「本件は、ただちに調査する必要があります」