第37話 メゴス、飛翔
午前8時前。広島県、鯨神島。
≪行かなきゃ……≫
メゴスの声が、結の中に響いた。
「メゴスが行かなきゃ、って言ってる」
結が、鯨神島の実家の大広間にいた、幼馴染の誠司と今は福岡にいる高野准教授、その助手である野崎女史に言った。
津岡もいたが、彼は横になって仮眠をとっていた。
大広間には御蔵にあった文献がいくつも折り重なり、人間の歩く範囲が狭まっている。
「行くって。戦いに行くってこと?」
誠司はとっさにきいた。
結は頷く。
「そんな、今メゴスが行ったら―――」
野崎が半ば驚きをもって言った。
メゴスはまだ傷も癒えていない。
それがメゴス調査チームの最終報告だった。
「メゴスを止めないの?」
誠司は結に問うた。
結は答える。
「彼を、止めることはできないよ……」
千葉県沖に可能な限り展開できる海上自衛隊の艦艇と哨戒機が投入された。
8時過ぎ。当該海域に到達した第2護衛隊群第6護衛隊の護衛艦4隻は、波に乗って漂う『ちちじま』の残骸の一部を確認した。
くりぬかれたように、艦首部分の、艦番号の描かれた部分が浮遊していたので、目視でただちに『ちちじま』のものと断定できた。
自衛艦隊司令部に報告が行き、市ヶ谷の司令部にも到達した。
『ちちじま』は四散した、というのが確実だった。
市ヶ谷防衛省地下の、統合幕僚長以下、高級幕僚たちは唸った。
「とりあえず、統合任務部隊を編成しよう。それも二つだ。関東地方の住民避難を迅速に行うための統合任務部隊、怪獣撃退のための統合任務部隊、この二つ」
統幕長が淡々と話をする間、各幕僚が息をのんだ。
「住民避難のための統合任務部隊――これを仮にJTF(Joint Task Force――統合任務部隊の意)‐関東Ⅰと呼称するが、これは、陸海空の輸送部隊や各地の事故処理や物理的障害を排除されるために陸自の施設科部隊、
さらにこれら避難誘導や被災者支援、さらに避難誘導を円滑にするための治安維持のために、普通科部隊をを中心に編成する」
航空幕僚長がぎょっとした目で統幕長を見た。
「避難誘導を円滑にするための治安維持、ですか?」
空幕長が驚いた理由は、自衛隊が武力をもって市民に統制をかけるのもやむをえないのか、ということだった。
暴動やその他犯罪が起きた時、自衛隊は市民に武器を向けてこれを鎮圧する――それも想定しているのか。
「そうだ。我々は今、防衛出動に準じた行動をとっている。法的にも問題はない。治安が悪化している。警察力では対応しきれない可能性も高い。万が一の対抗措置だ」
「なるほど……」
空幕長は了解した。だが内心は複雑なものがぬぐい切れない。
しかし、それは統幕長も同様であった。
統幕長は話をすすめた。
「JTF-関東Ⅰと、JTF-関東Ⅱも置く。関東Ⅱは、対怪獣攻撃を行ってもらう。これの目的は、怪獣の行動を妨害、遅滞させることにある。可能ならば撃退もするが、主任務は行動を遅らせ、避難を支援することにある」
陸幕長は困惑した表情で、右手で頭をかいた。
怪獣の行動を妨害、遅らせる、可能ならば撃退――つまり、もう怪獣を退治することなど、はなから期待していないのだ。
任務はむしろ、上陸してきた怪獣の侵攻を遅らせることにある。
その主任務はもちろん、陸上自衛隊だ。
海幕長と空幕長はちらっと陸幕長を見た。
と、陸幕長が起立をして、長い指揮棒を長い会議机上に広げられた日本地図上に奮う。
「陸自としては、これに対応できるのは機甲科や特科が中心になると考えられます。現在、関西へ移動途中だった陸上自衛隊の第5戦車大隊が千葉県習志野駐屯地にいます。
また、習志野駐屯地には第一空挺団、木更津駐屯地には対戦車ヘリコプター隊が一個配置されています。仮に南関東沿岸に上陸すると考えた場合はこれらの部隊が対処可能です」
統幕長は頷いた。
「なら、相模灘、あるいは東京湾に上陸したケースは?」
「相模灘は難しいです。静岡県駒門から第1戦車大隊、山梨県から特科部隊を投入できますが、現状から行動したとしても対応が間に合うかどうか……。
この場合も木更津の対戦車ヘリコプター隊は対応可能です。
東京湾も難しいですが、房総半島側に上陸した場合は、南関東に上陸したケースと同じように対応できます。
東京、神奈川側に上陸した場合は、相模灘と同じような対応になるでしょう。しかし、工業地帯や人口密集地ですから、機甲部隊や特科部隊を使った地上戦は難しいかと思われます」
陸幕長の表情は固く、緊張した面持ちであった。
当然だろう、と統幕長は思う。
上陸した敵を撃退するのではなく、侵攻を遅らせる――この場合、我々はギドンが撃退できない場合の策としてこの案が提示されている。
JTF‐関東Ⅱは率直に言って、生贄に近い存在だ。
避難民を少しでも多くする効果は期待できるだろう。しかし、その代わり、彼らの命は保証しかねる。
理屈はわかる。
しかし、無闇に損害を与えてしまう作戦は、それほどのリスクを冒してまで行う必要があるだろうか?
「統幕長、意見具申よろしいでしょうか?」と陸幕長。
「かまわないよ」と統幕長。
「私は――」
と陸幕長が意見を述べ始める。
「関東Ⅱの部隊が大きな犠牲を払ったとしても、怪獣の行動を遅らせる必要があると思います。国家を存続させ、一人でも多くの国民の生命を守ることが重要だと考えます」
統幕長はしばし目を閉じた。
沈黙が指揮区画を支配した。
そのあと、沈黙の代わりにこの区画を制したのは、統幕長だった。
「では、先ほど述べたように、作戦を立案しよう」
その頃。
福岡沖では―――
「ん?」
佐世保地方隊の掃海艇『ひめがみ』の右舷見張り員が最初の意見に気が付いた。
『ひめがみ』はメゴスの監視に当たっていた。すべての護衛艦が対ギドン作戦に回され、現状、掃海艇3隻で見張りに当たるより他なかった。
『ひめがみ』見張り員はただちに艦橋の艇長に口頭で報告。
しかし、報告が終わる前にフネを襲う大きな揺れ。
前方は真っ白になって、船体に大きな水を被った。
ずぶ濡れになった見張り員の目の前には、大きな水柱。
見張り員は数瞬だけそれに見とれ、はっと周囲を見た。
ふと、空に東の空に何かが確認できた。
小さな、点になりそうな物体。やがて点となって、さらに『ひめがみ』から姿を消すだろう。
その前に、首から下げていた双眼鏡をその物体に合わせる。
見張り員は報告した。
「ギドン飛行開始! 上昇し、東の空へ飛び立った!」
メゴスは福岡沖を飛び立ち、東へと向かった。
そのクジラに似たような、丸みを帯びた体は不思議とすぐに音速を超え、北九州上空を飛んだあとに、瀬戸内海上空に入った。
広島県、瀬戸内海、鯨神島。
結は空を見ていた。暗くなった雲が空を覆う、鬱々とした天気だった。
結はメゴスを見つめた。
結の目には闇夜の溶け込む、早く走る何かにしか見えない。
だが、結にはそれがメゴスだとわかった。
〈結……いってくるよ〉
結の心に直接聞こえる、少年のような声。
メゴスの声。
結はそれに対して、しばし無言だったが
「気を付けて」
ただ、それだけを一言返した。
後ろで、メゴスと会話していると察した誠司は、あえて声をかけなかった。
瀬戸内の空に、煙で尾を作りながら、彗星が低く、東へと走っていく。




