第36話 超大型ギドン、関東上陸
午前7時9分、海上自衛隊横須賀地方隊下の掃海艇『ちちじま』が消息を絶った。
その直前に横須賀地方総監部に通信を入れた。
『ソナーに大多数感あり。北西に向かって進んでいる。一つはかなり大きい』
「千葉沖に出たか……」
高野がノートパソコンの画面を見ながら、呟いた。
福岡の九州大学キャンパスで急報を受けた学者たちは、会議室に至急集まった。
この部屋には赤松女史や小島、さらに福岡沖から戻ってきた大山がいた。
「関東では、警報が発令されたようです……我々は何もできませんね……」
赤松はため息まじりに呟いた。
「いや、できることはあると思う」
大山は言った。横にいた小島は頷いて、数枚のプリントを机上に置いた。
「これは?」
「メゴスの成長を促進する物質だ。まだ、まだ可能性の段階だが……」
赤松女史は、思わず声をは? と出しかけて、飲み込んだ。
高野も声に出さないにしろ、同じような感情を抱いていた。
小島が説明する。
「広島にいる津岡さんから『緑の水』というものを文献で発見したと連絡がありました。
話によれば、他の文献も調べ、分析してましたが、この液体によって、メゴスを回復したり、成長を促進させると津岡さんは解釈しています。
次の日、津岡さんが自衛隊の潜水士が近海に潜らせたところ、錆びた鉄の、ドラム缶形の物体を発見しました。
この中に、緑色をした液体を発見しました」
小島は続けた。
「液体の成分分析をしましたが、メゴスの血のような液体に近い成分がいくつか確認できました。この緑色の液体は、メゴスから出た液体に似ている」
「じゃあ、これをメゴスに注入すれば……」と赤松。小島が頷く。
「そうです。メゴスの回復を促進させ、もしかすると、メゴスの能力も向上できるかもしれないのです」
高野が思わず口笛を吹いた。かすれていた音だった。
「けど、不確実性がかなりありそうだね」
「ええ、それに注入したとして、どのくらいの量の液体が必要か考える必要があります」
小島がそういったあと、しばしの沈黙が流れた。大きな壁に早速当たったからだ。
「とはいえ」と高野。
「メゴスはギドンに勝てうる唯一の存在と言っていい。しかし、その戦力もまだ至らぬ点も多い。液体を分析、あるいは実用化するための方法を至急考えるべきだと思う」
ドアをノックする音があった後、入ってきたのは川原内閣官房副長官補だった。
川原は珍しく血相を変えていた。
「東京からただちに政府首脳部を関東以外のどこかに移転しなきゃいかん。この福岡キャンパスに、一部政府機関が来るかもしれない」
その場にいた全員が一瞬動揺した。
でも、まあ、と小島は動揺を打ち消すかのように言う。
「怪獣が東京に上陸したのですから、どこかに避難しなければ……」
「そうだ。あなたの言うとおりだ」
川原は気持ちの高ぶりを隠し切れず、話し続けた。
「今、東京に危機が迫っている。東京は日本の首都だ。政治中枢が無くなれば、日本政府が機能を失う。1億2000万の国民は世界という路頭に迷うのも同然だ。
だが、我々はこの事態になって、やっと避難なんて言い出している。日本政府。一言でいうのは簡単だが、巨大なシステムだ。大勢の人間や国家に必要な書類、設備、それが東京にあるんだ。
政治だけじゃない。日本の企業の多く、大使館、全てが東京23区にある。これらがあの東京23区にほとんど敷き詰められているんだ。これらが一つでも失われても、途方もない損害だ。
怪獣はどのくらい数で東京に来るか、いつ来るのかもわからない。いや、そもそも来ないかもしれない。しかし、東京に怪獣がきたら、日本は……日本国民は……」
川原は静まり、その場が沈黙した。
「……すみません。小島さん。つい……」
「いえ、川原さん。自分が軽率でした」
そういって、小島はお辞儀をして、詫びた。
「川原さん」と大山教授。
「今、一部の政府機関が、と言いましたよね。ということは、政府機関が日本各地に分散するということですか?」
「ええ、内閣などは一つに行きますが、全ての政府機関が一か所に集まるのは難しいでしょう。それほどの設備、施設が東京にはないでしょうし」
「なら、国交省の但野さんや環境省の伊藤さん、防衛省の成谷さんの部署だけこちらに集めることはできますか?」
「難しいでしょう」
と、川原が断言した後、自ら、いや、と考える。
「―――基本的に各省庁ごとに動かないと、各省庁内での連携が取れないので難しいです。それに伊藤さんや成谷さんは部署でもナンバー2です。但野さんは省内でも重要なポストです。ただ―――」
ただ? と、大山が、川原の回答を急かすようにきく。
「伊藤さんや成谷さんの部署の一部要員をこちらに回すということは交渉次第で可能かもしれません。但野さんは国交省でも災害分野には強い要職なので難しいかもしれませんが、交渉してみる価値はあります」
大山は。川原がそう答える間に、希望の光が彼の目に宿っている気がした。
「それと」
大山がすかさず話を切り出す。
「メゴスに関して、案があります。メゴスを強化できるかもしれない液体を発見しました。貴方の力が欲しい」
大山は、先ほど話したメゴスを強化するかもしれない液体の話をしだした。
川原は最初は苛立ちをもってきいていたが、その話に真剣に耳を傾けていた。
一方、東京をはじめとする南関東はパニックになっていた。
『ちちじま』の報告と遭難から20分後の午前7時30分。
急に慌ただしくなった官邸を見た記者たちがこの動きをみて、官邸スタッフを捕まえて情報を聞き出した。
興奮した官邸スタッフがこの情報を記者たちをもらしたことから、やはり興奮に陥った各社の記者たちがこぞって、ただちにギドンが千葉県沖にいる可能性大と速報で伝えた。
政府発表を待たずに、ジャーナリズムという彼らの使命感と、これまでの政府の対応に不信感を抱いた記者たちが行動を起こしたのだ。
7時40分頃に各社が速報を出し、その直後に多くの電車の通勤客――といっても、日本の産業はマヒ状態に陥っていたため、普段より人は少なくなっていたが――の一部は帰宅をしはじめた。
また出社しても、すぐに帰宅させられることも多かった。
そして、8時すぎには、各駅に各都県を脱出しようとする人々でごった返した。
住宅街の路線バスのバス停から新幹線の改札は人が集まり、高速道路のインターには車が集まって、すでに複数箇所で最大5キロの渋滞が発生していた。
JRも私鉄もバス会社もNEXCOも事態は時間が経つにつれて、さらに深刻化するのは確実とみていた。
「千葉県庁はどこに避難したらいいか? 俺に聞くなよ」
国交省の但野審議官は審議官室で電話をとって、明らかに怒りを含んだ口調で話していた。
相手は千葉県の危機管理監である。
「県庁の県外避難? 今お前がそれ考えている場合か。部下の誰かに準備させて、お前は県内の情報収集に――あ? 知事が国にきけって? 知るかよ。独断で県庁を捨てた高知県知事を見習え、バカモン」
そういって、彼は電話を切った。
また、電話をとる。この1時間に30件以上電話をとっている気がする。
疲弊しきった部下の声。防衛省の成谷局次長からです。
「わかった」
今度は魔女か、と但野はため息をつく。
呪いでもかけられるかな?
『お疲れ様です。防衛省の成谷です』
「お疲れ様です……どうした?」
『至急です。福岡に行ってください。川原さんからの命令です』
「どういうことだ?」
『わかりません。私も呼ばれました。内閣府や国交省の上の方にも話が通じているとかで……。私も自衛隊の緊急回線で呼び出されました。今、迎えが向かっています。市ヶ谷に向かって、そこからヘリで福岡に行きます。よろしくお願いします』
成谷は一方的に電話を切った。
受話器をしばらく見つめ、但野は内線をかけた。
「ああ、もしもし。但野だが。これから福岡に行く。俺に来た電話はそれで断れ。重要そうなのは、あとで俺がきく」
そういうと、成谷は電話を切った。そして、電話回線のフラグを抜いた。
すでにいつでも避難できるように、荷物はまとめた。
あとはコートをきて、迎えを待つだけだ。
ふと、彼はデスクの上にあったラジオの電源をいれた。
男性アナウンサーがニュース速報を流している。
『―――現在、新宿、上野、船橋、千葉、横浜、川崎、大宮の各駅で大規模な群衆事故が発生しております。巻き込まれた人はそれぞれ、少なくとも数百人に上ると見られます。
またその他の各駅でも群衆事故が少なくとも数十件確認されているとのことです。
さらに、高速道路、幹線道路では各所で渋滞が発生。路上で車の乗り捨たり、焦ったドライバーによる交通事故も複数箇所で確認されております。
乗り捨てや事故によって渋滞が長距離になる一方、緊急車両が現場まで到着できない事態が発生しています。
皆さん、どうか冷静な対応をお願いします。皆さんは自宅で待機をして、自治体の指示に従って行動してください。公共交通機関や車の利用は極力控えて―――』
ふん、とコートを着ながら但野は思う。
最後の呼びかけ。結局、総務省が作った避難要領に従って原稿作ってるだけじゃねぇか。
自宅に待機して何になる? 自治体だってパニックだ。指示一つ出せやしないだろう。
今やそんなのは役に立たない。何せ、災厄が迫っているのだ。
こんなことになるのもわからないのか、メディアは。こうなるのなら、政府発表をきいてから報道すればよかったのだ。
それとも、そんなに政府が信じられないのか。
但野はコートのボタンを締めながら、でも、と思う。
彼らが政府を信じられなくなるのも当然かもしれない。
この災害対応とて、全ては秘密裏に動き、被害が出たあとに発表されるのだ。
さらに自衛隊ですらあてにあらないことが拍車をかけているのかもしれない。
おそらく、福島の原発事故で政府発表をうのみにしすぎて、痛い目にあったというのもあるかもしれない―――
と思い、彼は思い出した。
数日後に東日本大震災から10年が経つことを。
ラジオはニュースを流し続けていた。
『皆さん、どうか慌てずに行動をお願いします』




