第28話 日本政府の決断
東京の政府中枢では、福岡であった調査チーム会合での中間報告書が届いた。
機密により、この報告書を読めたのは、閣僚や内閣府の一部、また一部の中央省庁の高級官僚たちだけだった。
この報告書は、不明、今後の調査が必要、という項目が半分以上を占めていた。
だが、この報告書を読んだ人々は驚いた。報告書の、あの怪獣たちについてわかっていることだけでも、想像を絶するものばかりだったからだ。
永田町にある首相官邸。
円卓を囲んだ20人近い閣僚たちは、報告書を見て、しばし沈黙していた。
「この……ギドン……と呼ばれる怪獣の行動や生態については、わかります」
60代後半、がっちりとした大柄な体つきの環境大臣が言った。
「しかし、こっちの……メゴスの、特に、コミュニケーションの部分については理解を超えていますね……」
全員が唸ったり、頷いたりしている。その様子を官房長官は頷きながら注意深く観察していた。
彼は衆議院議員だったが、初当選のときから、背が高く、何よりマスコミ各社から甘いマスクと評されるほど、整った顔立ちをしていた。
おおよそ議員というイメージからかけ離れた、俳優やモデルに近い部類の容姿である。それは初老に差し掛かろうとしている今も同じことだった
そんな彼を官房長官に指名したのは、隣にいる、背の低い、しわだらけの高齢の人物であった。
この老人は内閣総理大臣である。彼はゆっくり、うんうん、と頷いていた。いつものポーズだが、傍から見れば頷いているというより、眠たげに『船を漕いでいる』ような感じである。
そんな彼の様子が余計に彼を余計に高齢に見せていた。
「率直に申し上げて、私も理解しかねる。オカルトとか超常現象とか、まやかしの類だ」
総理の横にいた、副総理兼外務大臣が言った。彼も総理と同年代のはずだが、彼は背が高く、体格もほど良いため、年齢より若く見えた。
顔も精悍で、皺が見えない。
口の悪い人は彼を「見かけだけは総理に向いている」と言った。彼は言動や行動が厳しく、自分の所属する政党を含む、色々な勢力の人たちと対立を繰り返してきたので、『一匹狼』と呼ばれた。
『一匹狼』は人を率いるのには向いていない、というのは、多くの人が彼に対して内心思っていることだった。
「……こんな話でも」
ふと総理が口を開いた。
「ちょっと気に留めてみるのも、面白いかもね……」
その語りは、僧侶のそれに近いものがあった。
各大臣の表情がにわかに強張ってきたので、官房長官が発言した。
「私たちは複数の重大な問題を抱えています。その根源にあるのはこの巨大物体、怪獣です。この問題はこの巨大物体を駆除することにありますが、何か提案はありますか?」
「自衛隊による武器使用を行っての駆除、これしかありませんな」
大柄の経済産業大臣が言った。与党でも大きな派閥のリーダーとして知られる男だった。
「……異論はありません」と中肉中背の防衛大臣。
「実際、災害派遣の範疇で武器を使用した害獣駆除として対処するよう、現在行動中です。しかし、敵、いや、怪獣の能力が不明すぎます。駆除対象の能力がわからなければどれだけの戦力を駆除に動員するかもわかりません。
自衛隊はすでに多くの人員を救護活動に充てています。部隊の行動も通常より鈍っています。攻撃力のある部隊が集中するのはいつもより時間がかかります」
「なら、米軍はどうだ?」
誰かがそう言ったのをきっかけに、閣僚たちから様々な意見が飛び交う。
「米軍よりもまず自衛隊が駆除すべきだ」
「米軍は戦力を極東に向けて集中させようとしているという情報は本当か、防衛大臣」
「日本もしくはその周辺の米軍部隊は日本列島とその近海を中心に展開していますが、それ以上は……また、未確認情報では、在日米軍家族の日本国外退去を命じました」
「外務省でも国内に滞在している外国人の国外退避のため、各地の国際空港がごった返しているのを確認しています。成田の周りには在日外国人と一部の民間団体によって、無許可でキャンプ場が設置され、できて2日で3000人近く、今後さらに増えるだろうと……」
「法務省も悲鳴を上げています。外国人の出国管理は追い付きません。また、日本人の周辺諸国への亡命を目的とした密出国の案件が出てきました。このまま事態が進めば、少なくない数の日本国民が我が国を捨てる事態になりかねません」
「その問題はまた後だ。それよりも外国人の出国の問題だ。深刻な国際問題になりつつある。国内の各国際空港はパンクしている。我が国の交通、物流はただでさえ瀕死だから、国際空港まで行くのにかなり苦労している外国人も多い」
「人の移動もそうだが、モノの移動も滞っている。国内も、国外からもだ。入国する船舶もないから、我が国も燃料や食料の備蓄が底を付きかねない。あったところで、道路や鉄路、空路が寸断されているから、細部まで物資が行き届かない。
しかもまだ寒い。暖房に必要な燃料の届かない地域は餓死者、凍死者が出るぞ。天候によってはたくさんの人が死ぬ」
「そもそもそういう情報がまだ入って来ない地区も多い。特に広島県は知事たちが亡くなってから余計に情報が不明瞭だ。県が指示も満足に出せない」
「そりゃそうだろう。広島県の首脳部が一回ぶっ飛んだんだ。臨時の県庁が動き始めて、まともに機能するのには時間がかかる。高知県はそういう意味では機転が利いていたな。知事は傷だらけでも生きていた」
「電気も……いや、破壊されたインフラのほとんどが復旧できていない。めどすら立たない。あの怪獣の活動さえ止まれば、少なくとも空路は使える。それで山間部への物資輸送など、現状より円滑な物流が可能だ」
「なら、あの怪獣を駆除するため、例の怪獣の研究を進めなくてはいけませんな。研究設備などが足りないと、調査チームは嘆いている」
「同意だ。怪獣の対策を取るためには調査が必要だ。そのうえで、怪獣の弱点を知り、怪獣を駆除する。自衛隊の武器使用を行う必要がある」
「ですが、先ほども申し上げましたように―――」
こうして議論は堂々巡りだ。あらゆる議論は多数の想定外と極めて深刻な現実に飲み込まれ、対処不能に陥っていた。
「防衛省としては」
この何も変わらない議論の流れを変えたのは、防衛大臣だった。
「率直に言って、災害派遣による武器使用から、防衛出動による武力行使として対処すべきという声が内部の各部署から多く上がっています。
本件は武器の使用が前例にないほど大規模になり、その方が武器の使用も、駆除時の米軍との連携も取りやすい」
しばらく沈黙が続いた。
「総理」
口を開いたのは副総理だった。
「お考えは」
総理はしばらく考えているように目を閉じ、瞑想しているかのように黙っていた。
「……内閣法制局長官」
はい、と眼鏡で、細身の初老男性が返した。
彼は内閣のもとで法制などの調査や審査を行う機関の長である。
内閣の法律担当である。
「現行で、怪獣に対して、自衛隊が防衛出動をかけて、迎撃することは可能?」
「現状では難しいものがあります。想定していた武力攻撃とはあまりにも異なる物体からの攻撃です。誘導弾など、その攻撃方法は人間のそれに近いですが、生き物にも酷似している……。
軍隊やテロリストでもない。この場合、彼らから明確に攻撃の意思でもない限り、難しい気がします」
ふーん、と総理は気のない返事をした。
「副総理」
「はい」
「非常事態基本法案ってのがあったよね」
「は?」
思わず副総理が気の抜けた声を出した。
非常事態基本法案は与党第一党が国会で提出した法案だった。
ここには戦争、テロ、災害などの非常時に備え、国家の安定と国民の安全を図るものとして、有事の際に、内閣に強力な権限を発動させ、経済統制や強力な政令の発令などが定義されていた。
つまり、日本版非常事態宣言を法制化しようとしたものだった。
しかし、昨年の国会で野党、もしくは与党の一部勢力から猛反対を受けて、見送られた。
しかし、なぜ今更そんな話をするのだ。副総理は真意が読み取れずにいた。
まさか、非常事態を宣言するとかいうんじゃないだろうな。何の効力もない、廃案となった法案を根拠に。
「今回の事態に対して……この法案を原案にして、怪獣の災害に限定、時限立法としたを通すのはどうだろう。あくまで怪獣災害に限定した時限立法だ」
「そんな、無茶ですよ」
内閣法制局長官が言った。
「法律の原案作成から、内閣法制局の審査、閣議決定、衆参両院の審議、法律の成立、公布……今日明日でできるものでは……」
「明日までに作成しなさい」
総理は強い口調で言った。
「ぼくと副総理、あとうちの党の幹部で、他の党とは話をつけておく。そこで国会の審議はすぐに終わらせよう」
副総理と他の大臣も、総理の顔を見た。与党主要幹部である経済産業大臣もそのなかに入っていた。
「事態は急を要する。一日の遅れが、日本に致命的な打撃を与える。しかし、現在の事態に対応できる適当な法律、制度がない」
確かにそうだった。
例えば、怪獣に対する調査なども様々な分野の技術が必要になる。そうなれば、様々な省庁の協力が必要になるだろう。
しかし、今の縦割り行政では、法的にもそれは難しい。
現状では、既存の法律を駆使してこの事態に対応している。
しかし、それは災害や戦争などを想定して作られたものだ。
例えば、怪獣に対する研究・調査費用とてそうであった。
今のところ、縦割り的に各機関がやっているという感じであった。連携しているところもあるが、決してスムーズとはいえない。
各省庁がそれぞれの管轄・役割に縛られること、他の部署との連携が制度面などの理由から足並み揃いにくいといったことが、その原因だった。
また、広島県庁がその機能を喪失したことを例にとってみても、その損失は深刻だ。
県庁がいなくなったことで、県下の救助・避難・生活支援などがほとんど滞っていた。何とか臨時の県庁は立ったが、まだその動きは遅い。
そしてそのロスは、広島県下で、救助隊や医師の派遣、物資の受け入れと各地への適切な配給の調整を困難にさせていた。また県知事がいないことで、様々な手続きができなくなっている。
もちろん、既存の、法的な手段を無視して行動することも一つの手段だが、それは日本国憲法を最高法規とする、法治国家である日本国政府の行為の範疇ではない。
「ですが、総理」
副総理は、総理の顔を見た。
「それは一時的とはいえ、内閣がより強力な権限を持つことになります。状況によっては、国や県の行政の権限も我々は担い、国民の権利の一部が制限されることになります。
この法案が審議に入った時のように、大きな反対も考えられます」
「副総理」
総理は、副総理を顔を見合わせた。
「状況は深刻で一刻を争う。しかも現行法制下での対応は難しい。少なくとも動きが鈍い。その一刻の動きの遅さが、我が国の死――1億人の国民の死につながりかねない」
総理の目は、副総理の顔をしっかり見据えていた。
副総理は、それを、頷きながら、総理の目をしっかり見るという形で返していた。
「日本という国が生きる形で、この国民を生きる形を考えたとき、最良にして最速の形はこれしかないと考える」
それに――と総理は思った。
国民から反対があった前回の非常事態基本法案提出とは、法案の形も少し変わっているし、何よりこの非常時に大きく、まとまった反対運動が起きない。
おそらく、ここでも日本人は団結するだろう。かつての大きな災害でもそうであったように、あらゆる物事が災害の対応に優先される。
これに反抗する者は自主的に、大多数の国民によってはじかれるだろう。
「わかりました」
副総理はそう言って、正面を向いた。
総理は頷いて、同じように正面を向いた。
「皆さん、何か意見はありませんか?」
総理がそう言った直後、数分にわたる沈黙がはじまった。
その間に総理は思う。
我ながら無茶なことをいっている。
まあ、現行法下(いや、強力な独裁体制でない限り、他の政治体制でも)でもかなり無茶だが、今更憲法改正などもできない。ましてや、基本的に、法律を無視して行動するなど、法治国家たる我が国にあってはならないのだ。
まあ、この国民が生き残るために、日本国憲法が絶対に必要であることはないのだが。
沈黙の後、閣僚たちから徐々に法案賛成の声が出た。
夜10時頃のことだった。
こうして閣議決定した、非常事態基本法案をベースとする怪獣対策法案は内閣法制局によってただちに作成された。
非常事態基本法案をベースにしたとはいえ、その作成はかなりの労力を要した。
閣僚や他の官庁の官僚も目を通し、改訂しながら法案は完成した。朝5時のことであった。
その間に、総理と与党の幹部は、野党幹部に赴き、それぞれ事情を説明した。二つ返事で了解してくれるところもあれば、1時間以上話が平行線をたどったままのところもあった。
平行線で話が進まない野党の幹部には、総理自身が赴いた。それで多くの党は了解してくれたが、それでもまだ反対する政党は存在した。
ある反対する政党の幹部は、この情報をある大手新聞社にリークした。しかし、それも総理の狙いだった。
その新聞社がネットニュースと号外で――朝刊には間に合わなかった――この与党の動きを速報した。
しかし、国民の大部分は関心を持たなかった。避難生活、または食料や、自動車や暖房の燃料などの確保に苦心していて、それが最優先課題だったからである。
むしろ、歓迎する向きするすらあった。
やがて内閣法制局で審議され、通った法案が閣議決定された。
それが衆参両院でさらに審議され、可決、成立した。朝9時のことだった。日本憲政史上最速で国会を通った法律だろう。
審議も、形だけの審議だった。国会も、反対していた政党の国会議員は欠席したが、それ以外の議員は出席し、それもほぼ同意しているだけであった。
法律は衆参両院から天皇に上奏され、天皇から、内閣の助言と承認によって公布された。これが朝10時のことだった。
『広至三年に発生した怪獣による災害に関する特別措置法』はこうして成立した。
内閣の決定からここまで、わずか12時間だった。
略して怪獣災害特別措置法、さらに略して怪特法は即日施行された。
また、法律の施行に関する記者会見を総理が行った。
法律の趣旨、概要、経緯について説明し、国民の理解を得ようとした。
この法律は内閣が指定された物体を、怪獣(この法律によって、正式に『怪獣』という名称で統一された)として扱い、
怪獣による被害を最小限度にとどめ、可及的速やかに怪獣を無力化、および駆除することを目的としていた。
この法律は内閣が行政権の一部委譲などの強力な権限をもつことや、怪獣の撃退、そのための調査研究のため、予算も含めた、中央官庁の連携のための、あらゆる措置がとられるようになった。
基本的にこれまで通り、各地方自治体が、それぞれの市町村や都道府県の災害対応や被災者支援に当たるが、状況に応じて、政府がその全部または一部が、地方自治体のもつ権限を委任するようになった。
さっそく、この地方自治体のところでは広島県に適応された。広島県が決めていた知事代理就任予定者が全員死亡したのに合わせ、総理が、現在、仮の広島県知事となっているものに対して、臨時知事代行を指名した。
広島県が、現状それでも対応しきれない業務については、国が直接当たることになった。
また、日本国憲法を除く、他の法律より優先されて適応されるという条文も含まれていた。
自衛隊は防衛出動と同じ権限をもった武器使用、または行動が可能になった。
怪特法施行と同時に、日米安保条約による米軍との連携行動もできるようになった。これは国会審議直前にも、事前にアメリカ側にも話をしていた。
アメリカ側はこれを歓迎し、むしろ待っていた、という感じすらあった。
自衛隊は内閣総理大臣の命令により、怪特法に基づいて、怪獣駆除のための防衛行動を全部隊に伝達。
アメリカ軍も、すでに準備していた太平洋軍を日本に展開させた。
この怪獣災害は、災害であると同時に、法的にも、または実際の軍事的行動から見ても、戦争の様相を呈しつつあった。




