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第25話 つながり


 中国呉総合病院。

 呉市街地の南東部にあり、海上自衛隊の基地からも近い場所にある大きな病院だ。

 呉基地から近いのは、ここがかつて海軍病院であった名残である。


 近代的なマンションのようなデザインのこの巨大病院には、多くの患者が運ばれてきていた。




 正午。

 同院の救急救命医である、黒江一香は医局室にいた。背もたれのついた丸椅子をもってきて、部屋の隅にいる。

 彼女の着ている、スクラブと呼ばれる青い医療用白衣が、ところどころ赤黒く汚れている。顔も、目の下にクマができ、生気がない。

 彼女は虚脱状態にあった。


 あの奇妙な大災害が発生してから1日以上が過ぎた。

 日常が一変し、地獄と化した。


 あの物体が呉を襲撃した直後、病院は直ちに受け入れ体制を整えようとした。

 しかし、あの怪獣が音速で市内を飛んだ時、病院のガラスも割れ、いくつかの機材も損傷した。

 入院患者や職員にもけが人が複数出た。


 一香が崩壊した住宅街を抜け、病院に飛び込んできたときには、院内の被害状況は確認できていた。


 新人である彼女は、他の医師や研修医とともに院内のけが人の処置を任された。


 しかし、彼女が病院に入ってきたとき、すでにそのけが人の数倍はいるであろう負傷者が、病院の大きなロビーから玄関に至るまでいたのが見えた。


 その1時間後、彼女は院外の負傷者の処置を任された。


 患者はさらに倍に増えていた。巨大駐車場も埋め尽し、院外に飛び出るほどいた。

 駐車場には病院や消防隊のテントが張られ、そこでも処置が行われた。


 彼女は救急救命医として、ほぼ無休で、多くの被災者を診てきた。

 運ばれてくるけが人は膨大で、救えなかった命も少なくない。

 

 彼女は呆然とした。救えなかった命……

 

 ふと、彼女の心が折れそうになり、頭を振る。

 彼女は立ち上がって、室内の長机の前に立つ。


 大きな皿の上におにぎりが半分くらいつまっている。横には菓子パンが十数個並んでいた。

 さらにその横にはポットがいくつか並んでいて、『お湯』『お茶』『コーヒー』などと張り紙がしてある。


 彼女は冷え切ったおにぎりをもった。紙コップにコーヒーを入れる。


「あ、黒江先生」


 その時、中年の女性看護師がやってきた。

 目の下にクマができている。いつもは、血色のいい看護師さんなのになあ、と一香は思う。


「お客さんですよ」


「お客さん?」


 一香は、おにぎりを頬張ろうとする手を止めた。






「お姉ちゃん」


 通用口に近い外には、妹の珠美がいた。

 一香の顔がほころんだ。じわっと涙が浮かびそうになった。

 災害連絡用ダイヤルで、一香の家族が全員生きていることを知った時も感動したが、実際に会うとまた感動がこみあげてくる。


「久しぶりだね」


「昨日ぶりだけどね」


 珠美は苦笑した。珠美は目がややトロンとしていて、それでいて妙に肩の力が入っているような様子だった。

 疲労と緊張のせいだろう。


「お姉ちゃん、疲れてそうだね」


「まあね」


 たまも疲れてそうだね、と言いかけてやめた。一香は、きっと私も同じような顔をしているんだろうな、と思った。


「どう、江田島には帰れそう?」


 一香は聞いた。

 珠美は呉で被災して以降、家のある江田島に帰宅できない状態が続いていた。

 交通に甚大な被害を受けたため、呉・江田島の間が移動できずにいた。

 両市は隣接しているが、島で構成される江田島市にいくには、呉市との間にかかる、唯一の陸路である早瀬大橋を除けば、ほぼ海路である。

 しかし、その港湾設備と船舶の多くが破壊され、今、残ったものも物資輸送や救助要員輸送にほぼ限られている。

 早瀬大橋は無事だが、緊急車両や指定された車両以外は通れない。


 珠美は呉市内の避難所にいる。昨晩もそこで寝泊まりをした。

 呉市街地の避難所に指定されていた施設はその多くが、破壊のために使用不能となったので、市街地から離れた避難所、あるいは臨時に指定された公園や空き地などを避難所としていた。

 市役所は、市民に対して、もし、可能ならば、親せきなどの家に避難させてもらうことを推奨していた。

 それほどまでに、市内の多くの避難所が使用不能なほどまで破壊されているのだ。


 珠美はこの近くの、本郷という家に、一時的に住まわせてもらっていた。

 彼の家の長男、本郷靖樹は、呉市街地に怪獣――ギドンが出現した際、一緒に逃げ惑った男の子だ。


「わかんない……。色々と噂は流れてくるけど、いつまでいるのかほんとわからない感じ」


 珠美の声のトーンが落ちた。


 一香は珠美の頭をなでた。


「大丈夫だよ、きっと」


 珠美はうん、と口元を緩ませた。





 中国呉総合病院は呉市青山町にあった。JR呉線からは近い。

 彼女はそこから南に1キロほど離れた住宅街の一角にある本郷家に徒歩で向かっていた。


 珠美はその途中でふと振り返り、呉駅の方角を見た。

 そこは駅や大型ショッピングモール、ビルが並んでいたが、今やその全てが、無くなっているか、廃墟と化していた。


 珠美は憂鬱になって、肩を落とし、ため息をついた。

 

(お姉ちゃん、大丈夫かな……)


 自分もそれどころではないのだが、心配せずにはいられない。


 そこにスマートフォンが鳴った。朝方まで使えなかった携帯電話が使えるようになってから、2度目の電話だった。

 怪獣によって通信設備が破壊され、携帯電話、スマートフォンでの通話、メール送信などが不能になったが、朝までに、携帯電話会社が災害時の臨時通信設備を用意したので、一応復旧した。

 1回目は江田島の両親からだったが、2回目は――


「結?」





「たまちゃん、今、大丈夫?」


 結は、スマートフォンを両手で抑えるように耳に当て、ちょっとうかがいをたてるように、控えめなトーンで話した。


「結!」


 珠美が大声を出した。

 結が一瞬、耳からスマートフォンを離すくらいだ。


「結、良かった……」


 珠美が泣きそうな声で、嬉しそうに言っているのが、電話越しに伝わる。


「結はどう? 大丈夫? 藤堂は? 鯨神島はどうなの?」


 矢継ぎ早に質問する珠美。少し戸惑いながらも、いつもの珠美にほっとする結。珠美は言った直後、あっ、と声を出し、ごめん、と続けた。


「たまちゃん、ありがとう。わたしも……せいちゃんも、島の人も元気だよ」


 珠美はそっかあ、よかった、と答えた。

 それは気持ち半分ほど言ったとおりだったが、もう半分は結への不安の気持ちがあった。

 結の声に若干張りがなく、言葉もどこか違和感があった。


「たまちゃん、話があるんだけど、いいかな」


 結が切り出した。若干緊張して、珠美が、どうした? と返す。


「ちょっと私、島を離れることになって……で、ちょっと会えないかもしれない」


 え、と珠美は思わず驚いた声を出した。


「……スマホとかで連絡はするけど、もしかしたらちょっと出にくいかも……」


 珠美の声にさらに張りがなくなり、自信がなくなったような感じがした。明らかに不安げだ。


 珠美は一呼吸おいて、返した。


「うん、わかった」


 それから、珠美は結に、一番大切なことを伝えた。


「でも、これだけは覚えておいて。私たちは友達だからね」

 

 結は一瞬静かになり、


「……うん、ありがとう」


 少し声がかすんでいるのが、電話越しでも分かった。





 結は電話を切った。

 

 鯨神島の自宅、自分の部屋。

 結は大きなバッグに服などの荷物を入れ、荷造りをし終えていた。

 これで迎えが来れば、すぐに出られる。高野たちと共に、そのまま、いつ帰って来られるかわからない。


 窓の向こうに広がる、広島湾。海面がきらきらとしている。

 その向こうは広島市。数か所で細く煙が上がっている。これでも火は収まった方だ。

 結はその光景をしっかり見た後、カーテンを閉めた。


 と、その直後、結は、先ほどの珠美との電話を思い出した。


(私たちは友達だからね)


 親友の言葉に、結の胸のなかから、とても暖かい、うれしい気持ちがあふれてくる。

 結の目から自然と涙が出てきた。




 

 その様子と結の心情を、山陰沖の日本海でメゴスは静かに感じていた。




 

 一方、日本政府も動きも急速かつ活発になってきた。

 

 史上二度目となる緊急災害対策本部が官邸に設置された。

 また、その下に『対象物調査対策本部』が設置される。これは対象物――メゴンとギドンのことだが、政府でもどう呼称したらいいかわからないため、便宜上こう呼ばれた―――を研究し、起こりうる災害に対処するために設置された組織である。

 つまり、メゴスとギドンを調査研究するための組織である。


 対象物調査対策本部――略称、対調本たいちょうほんは以前、謎の飛行物体が確認された際に出来た有識者会議が改組、拡大された組織だった。本部は東京にある。

 

 また、川原をリーダーとする極秘調査チームも大きな変化があった。

 対調本の機動調査チームと改組され、その存在も公にされた。それ以外の変更点はほとんどない。


 機動調査チーム――機調きちょうと呼ばれるようになった彼らは、福岡で合流することになった。

 構成メンバーの多くが被災地である中国四国地方にいること、また交通網が関西でほぼ寸断されていることがその理由だった。

 呉と広島にあったギドンの遺体、またはその一部分も検体として回収され、九州北部の大学や研究機関に運ばれ、調査、あるいは一時保存することなっていた。 





「―――ということです」


 高野の助手、野崎佑香が鯨神島にやってきた時、そう事情を説明して、終わらせた。


 彼女は島の海岸部にある、自衛隊の宿営地に高野たちを集めていた。


 自衛隊のテントの中だ。この面々以外は誰もいない。


 彼女は緑色を基調にした迷彩服を着ている。

 長い髪は一つに束ね、背中には89式小銃を背負っている。


「わかった」


 と高野。

 他の面々が頷くなか、津岡が言った。


「あと、なんで、そんな格好しているの?」


「予備自衛官として召集されました。陸上自衛隊の二等陸尉です。今、命令でここにきています」


 高野は事前に話を聞いているが、なるほど、迷彩服はどこかさまになっているな、と思った。

 身体的によく動く人間だからか、行動するために作られたその服は、彼女の引き締まった体つきによく似合っている。

 一方で、それが自衛隊の制服だと思うと、彼女に合わないと思った。彼女のどこか気だるい感じが、引き締まって規律正しい自衛官との相性を悪くしているのだと高野は考える。


「やはり予備自衛官だったんだな」


 平坂はうんうん、と腑に落ちたように言った。


「気づいていたんですか」


 高野は驚いてそう言った。津岡も少し驚いた表情で、平坂を見る。


「高城山での身のこなしは陸の人っぽいと思った」


 陸の人――つまり、陸上自衛官である彼女はなるほど、と頷く。


「つまり、これから福岡に行くのですか?」


 津岡が言った。


「そうです。津岡先生も同行願います」


「願わなくても、ボクは行くよ」


 彼は親指で後ろを指した。


「それに、2人もいくんだろう」


 親指の先、やや離れたところには、結と誠司、さらに皆川夫妻がいた。






「誠司君、本当にいいのかい?」


 海岸すぐ横の道路で、皆川健一は誠司にそう聞いた。


「はい、僕も、結と一緒にいたいんです……。うちは兄さんも、両親も、おじいちゃんも元気ですし、近所の人もいるんで大丈夫ですよ」


 誠司はそう言って笑っていた。

 誠司の祖父は高齢者ということで、先に島を出ていた。

 彼は、反対する両親と兄を必死に説得して、結と同行していくことにした。

 津岡や平坂もこの説得に加わったことで、藤堂家は誠司の意志に沿った。


「結ちゃん……」


 皆川文子は、結の体を愛おしそうに、ぎゅっと抱きしめた。


「私たちは、何があっても家族だからね」


 結の中で、文子の言葉と、珠美の言葉が重なる。

 思わず泣きそうになる。


「文子さん……」  


 結はそれをぐっとこらえて、文子を抱きしめた。

 それが、結が今、文子にできる、最大の感謝と愛情の表現だった。





 結たちは、高野たちとともに島からゴムボートに乗り、そこから海上自衛隊の掃海艇で福岡へと向かった。

 また、広島にいた赤松や小島、伊藤も巡視艇で福岡に向かう。呉にいた但野達も、護衛艦で福岡に向かっていた。

 さらに、東京にいた防衛省の成谷も、福岡に向かう巡視船に乗った。





 そして、メゴスも舞鶴の海上自衛隊第3護衛隊群がエスコートと監視を兼ねて、福岡に向けて共に航行していた。




 一同が福岡に集結しつつあった。

 

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