第22話 『見知らぬ明日』のはじまり
超大型怪獣と、その数十匹の小型の怪獣の群れが、土佐湾に消えた頃、他の怪獣の一群にも動きがあった。
岡山県上空。
1体の大型の怪獣が、広島市から、胸に大きな×状の傷をつけながら中国山地の上空を飛んでいた。
広島市での戦い以来、大きな傷を負ったが、飛行しながら急速に傷を癒しつつある。
しかし、胸の大きな傷は残るであろう。
血が乾いてもなお、彼の体に深くえぐられた傷は、癒える兆しが見えずにいた。
と、南の空から複数の何かが飛んでくるのが見えた。
小型怪獣の群れだった。数は15近い
彼らは大型怪獣を取り囲み、編隊を形成した。
大型怪獣は速度を上げた。
他の小型怪獣もそれに続く。
この群れは、中国山地の上空をしばらく飛んで、兵庫県と鳥取県の県境にある氷ノ山に着陸した。
氷ノ山の山頂とその付近に、4体の小型怪獣が着陸し、東の麓にある、窪地のような土地に大型怪獣が着陸し、羽を休めた。
残りの小型怪獣がそれを取り囲んでいる。
大型怪獣は大地の真ん中、尻と足をついて、膝をまげ、羽を折りたためて座っていた。顔は下を向いている。
2、3匹の小型怪獣は大型怪獣に密接する距離にあった。
他の小型怪獣は、高地に立ち、各個体がおのおの四方八方向いて、時折視線を変えながら見ていた。
明らかに周囲を警戒しているもののそれであった。
もう一方――岡山県倉敷市を蹂躙していた怪獣の一群も新しい動きがあった。
彼らは今、隣の岡山市を襲撃していた。
大型怪獣を中心として、小型怪獣数匹が市内各所を襲い、街を破壊しつくしていた。
と、大型怪獣が南の空を見た。
大型怪獣が瓦礫と化した岡山駅の上に立っていたときのことである。
さらに、他の小型怪獣数匹も同じ方向を見た。
四国の空に、15ほどの点が密集して見えた。
やがてそれが近づくにつれて、姿がはっきりと見えた。
飛行する、小型の怪獣の群れだった。
倉敷市にいた怪獣の一群は、倉敷市から一斉に飛び立った。
そして、その小型の怪獣の群れと瀬戸内海で合流する。
大型怪獣を中心に、30ほどの怪獣の一群が岡山の空にできる。
彼らはそれから一旦南下する。
そのまま瀬戸内海に出た一群は、直島諸島の上空で二手に分かれた。
小豆島の南北を、二つの群れが飛び立っていく。
南の方の群れには、大型怪獣がいた。
北の一群はそのまま、淡路島の北端に到達した。
そこで、3体が明石海峡大橋を光線によって崩落させた。
他の怪獣は、淡路島北部の山地に着陸し、やはり八方を見渡すように、それぞれの個体が別々の方向を向いて、そこに立っていた。
南の一群も同様の行動をとっていた。
淡路島南端に到達した彼らは鳴門大橋を落とした。
鳴門海峡の渦に巻き込まれている橋の残骸の上を、怪獣たちが通過していく。
そのまま一群は、南部になる淡路島最高峰に着陸した。
頂上に大型の怪獣が立ち、他の怪獣は、これもやはり各個体が四方八方にそれぞれ視点を向けながら、同じように起立していた。
なお、大型の怪獣は大阪市の方面を見つめていた。
この時、時刻は昼12時ちょうどになった。
四国から、はじめの怪獣の一群が出現したのは10時半頃だったので、1時間半が経ったことになる。
約1時間半、90分ほどの間に山陽から四国地方は壊滅的な被害を受けた。
東京都千代田区永田町、12時30分。
首相官邸の地下、危機管理センターはパニックに陥っていた。
次々と入ってくる常識を超えた現象、それに伴う被害の情報は膨大で、一つ一つが深刻なものだった。
幹部会議室では総理以下閣僚、各省庁の高級幹部が巨大なU字型テーブルを囲んで、所管官庁から上がってきた、様々な情報を報告し、その情報をもとに閣僚たちが今後の対応策について決めていた。
しかし、ほとんど何も具体的な議論は進んでいない。あまりにも非常識で、深刻な事態が凄まじいスピードで進行している。
数分前、高知市を壊滅した超大型怪獣と、その周囲にいた小型怪獣の一群は土佐湾へと消えた。
そして、今、中国地方にいた怪獣の一群が、四国からやってきた小型怪獣の一群と合流。
一群は中国山地に降り立ち、もう一群は明石海峡大橋と鳴門大橋を破壊して、淡路島の南北の端の方へ―――
「馬鹿馬鹿しい! ふざけるにもほどがある!」
報告と怒号、時折悲鳴に似た感嘆の声すら飛び交う幹部会議室のなかで、誰かが錯乱したように言った。中年男性の声ではあるが、その声も混乱の中でかき消された。
そのなかで国土交通大臣の後ろに座っていた、国土交通省の但野 国土交通審議官は大臣に報告しながら、また、周囲の情報に耳を傾けながら、あることに気が付きつつあった。
同時刻。
永田町から、市ヶ谷の防衛省に向かう公用車のなか、防衛省の成谷 防衛政策局次長は、その後部座席から東京の街並みを見ていた。
午前中は官邸にいて、連絡調整役として防衛省とのパイプ役を担っていた。
しかし、代わりの防衛省の事務官がやってきたこと、また防衛政策局局長が鹿児島に出張してから本日中に帰京できそうにないことから、彼女が市ヶ谷に戻って、防衛政策局の局長の業務を代わりに行うことになった。
(鹿児島……帰ってこれるのかな)
今、日本は四国から山陽にかけて、交通が寸断されている。
空路は閉鎖され、陸路もあちこちがズタズタになり、通行不能に陥っていた。
海路は恐らく現段階で、唯一使用可能な交通網だが、四国太平洋沖の海中に超大型怪獣と、小型怪獣の群れが潜伏している。危険をはらんでいるのは間違いない。
しかも、空路や陸路と比べて、船は速度が遅い。大量の物資や人員は運べても、速やかな行動は難しいだろう。
(交通・物流は……日本は、どうなるんだろう……)
成谷はそう思いながら、車窓をぼーっとみている。
公用車は麹町の、かつてテレビ局が本社を置いていた前を通過している。
街の様子は普通だ。何も変わりはない。
厚手のジャンパーやコートを着た人々が、街を歩き、対向車線の車とすれ違う。
何も変わらない。日曜日の光景。
しかし、今、同じ日本国内で、大きな災害が起きている。
この街の光景は、まるでそれを感じさせない。
カジュアルな服装をした多くの人々が街を歩いている、いつもの日曜日の光景に見える。
と、携帯電話が鳴った。
『成谷さんですか』
環境省の伊藤 自然環境局 野生生物課 課長補佐だった。
「ああ、伊藤さん。どうしましたか?」
『すみません。早速で申し訳ないのですが、うちの省と大学の先生15人を、現地に派遣したいと思っています。ですが――』
「移動手段がないんですね。わかりました。こっちで何かの方法を工面しておきます。いつまでに出発できそうですか?」
『うちは人が集まってすでに準備完了、省内で待機。学者の皆さんも、1時間以内には動けると』
「わかりました。今市ヶ谷に向かっている途中です。早急に返答したいと思います」
ありがとうございます。よろしくお願いします。
そのあと2人は形式的な言葉を交わし、電話を切った。
伊藤くんも頑張ってるな、と思いながら、成谷はまた外を見た。市ヶ谷駅前に到着していた。
さっきと変わらない。
東京では、まだ普段通りに人が動いている。
「くっそ、こっちは全く動けないよ」
午後1時。
赤松霧子准教授はぼやいた。
怪獣出現以来、山道が崖崩れで寸断されて以来、部隊はここに閉じ込められたままだ。
学者たちは津岡のテントにぎゅうぎゅうになって詰めている。
「それは自衛隊に任せよう……いつ動く変わらないけど」
小島和人准教授はそう返した。
「降りた後は、一旦善通寺までいって、大山先生や杉原さんと合流ですか」
若干疑問形を含めた言葉で、高野の助手、野崎佑香が言う。
それに答えるように、高野義幸准教授が答えた。
「うーん、善通寺まで行けるかな。道路は寸断されているし、飛行機も使えない」
「瀬戸内海沿岸は壊滅って……あんま下山したくないッスね」
赤松の横にいた彼女の助手、横尾が暗い顔で呟く。
「鬱なこと言ってんじゃねーぞ、横尾」
赤松が憂鬱な顔でうつむいたまま、ドスのきいた声を出した。
すんません、と横尾は憂鬱な顔をしたまま軽く頭を下げる。
「あの」
津岡が困惑した顔で言った。
「自分、江田島の方に行きたいんですけど」
彼は、高野らとはじめて会った時と同じことを主張した。
まだ、そんなこといってんのか、といった顔で、小島や赤松が顔をしかめた。
「いや、あそこで、ネットで知り合った高校生と会う予定があったんです。その高校生とのやり取りで、彼の幼なじみが、なんか、メゴスという存在と交信していて、そのメゴスが『ギドンと倒さなくてはいけない』といっているとか……」
「それは、あの怪獣の手掛かりが、江田島にあるということですか?」
高野が言った。
津岡は頷く。
小島が疑問を投げる。
「けど、江田島までどうやっていくんですか。しまなみ海道も破壊されていたし……」
「いや、江田島なら行けやすいですよ」
平坂一等空佐が突然テントにあけて、そう言ってきた。
「え?」
津岡が平坂の顔を見た。
「沖合に海上自衛隊の掃海艇がいます。今日のうちに呉には戻れないので、最低限の港湾設備が復旧するまで、近海で待機です。復旧は明日になるでしょう」
「それに乗って、呉から江田島まで行けば」
津岡が明るい顔をした。
「でもどうやってフネに?」
野崎は言った。
平坂が答える。
「港からフネまでは掃海艇がゴムボートできてくれます……こっから港までは、自力になります。重機なども届かないと思うので、徒歩で崖崩れをさけていくしか……」
赤松と小島、それに横尾がちょっとため息をついた。
「いずれにせよ、下山できるということですね」
津岡は少し明るいトーンで言った。
「あの怪獣を何としても調べなきゃいけない」
高野は独り言のように呟いた。
「あの怪獣を倒さない限り、状況はこのまま……いや、悪化するだろう」
「倒せるでしょうか?」
野崎が不安げな顔を高野に向けた。
高野は答えた。
「わからない。でも、やるしかない。さもなければ、私たちは……」
広島県、鯨神島、午後2時。
鯨神島は特に被害を受けていなかった。
しかし、100人以上の島民たちは不安と恐怖に駆られていた。
江田島市役所と連絡はとれたが、外部との主要な移動手段である船が出せず、またヘリコプターも飛ばせないとのことだった。
呉港が壊滅的被害を受け、沿岸の呉市と広島市もまた大きな被害を受けたため、広島湾に大きな混乱が発生していた。
また、ヘリコプターも、近畿から九州にかけての空域が封鎖され、一部の自衛隊機を除き、一切の航空機の飛行が無期限で禁止されていたため、当分やってこないだろう。
電気をはじめとしたインフラが供給されているのは幸いだった。水分もとれ、暖かな食事も普段通りに作れる。ここ最近のひどい寒気もしのげる。
食料や水も、住民たちの台所や倉庫にあったものから災害時の備蓄食料をすべてかき集めて、住民に平等に配れば、10日はもつだろう、と消防団長は言った。
しかし、住民たちの不安は拭えなかった。
島が交通や物流の面で孤立してしまったことは変わりはない。
だが、呉の自衛隊の基地ですら大きな被害を受けたと報道がしきりに入っている。ヘリコプターや船も来ないという状況がいつ終わるのか、見当がつかない。
この事態があまりにも奇怪で、しかも現在進行中だというのが、住民の不安を助長させた。
直接的な被害は受けなくても、船が全く来ないということと、数時間経ってもなお、対岸の広島市から複数の煙が上がっていることが、島民たちを恐怖と不安をさらに煽る。
島の住宅地の中にある診療所。
コンクリート造りの白い2階建ての建物がそれであった。
1階は待合室と受付、さらに診療室がある。
しかし、待合室と受付に人気はない。
直接的な被害は受けていないため、大けがした人はいなかったからだ。
また、ただちに治療が必要な人もいない。避難中にケガをしたり、気分が悪くなったと訴える者が数人いたが、それも診療所の医師が、日が陰る前に全員診察し終えていた。
避難所は今だ開放されているが、島民生活に大きな支障はないため、帰宅が許された。むしろ、出来る限りの帰宅が推奨された。
帰れるところがある島民たちを一カ所に置いておくのは、却ってストレスがたまり、生活や体調に支障をきたす可能性があるということがその理由だった。
それでも、不安から、半数近い島民が避難所である学校、あるいは公民館にいた。
多くは一人暮らし、あるいは夫婦二人暮らしのお年寄りだったが、誰も彼ら彼女らを咎めず、むしろ同情した。
避難所に残ったものは、足腰が弱く、何があった時にはとっさに行動できない者ばかりだ。それに、気持ちが弱っているのは、他の島民全員が一緒だった。
この異常な、非常事態の中、家で暮らすというのも奇妙で、不気味で、家に帰った島民たちは、自宅で居心地の悪い気分になり、動揺していた。
「結ちゃん、極度の疲労ですね」
そう、初老の医師が言った。代々、この島の医師として診療所を継いできた家の者だった。
医師は診察室の机の前に座って、白髪となった頭をかきながら、皺の寄った顔に疲労をにじませていた。
横には皆川夫妻がいた。皆川夫妻も不安と疲労の色が出ている。
医師はデスクの上にあったカルテに万年筆を走らせている。
「回復しつつあります。とりあえず一晩は横になっていた方がいいでしょう。こちらで様子見させてください。昼にも打ちましたが、夜になったら様子見て、またブドウ糖を打つかもしれません」
はい、と力なく皆川夫妻二人は答えた。
医師は万年筆を置いて、二人の方を向いた。
「命に別状はないでしょう。安静にしていれば回復します」
「けど」
皆川文子は暗い表情のまま、呟いた。
「なんで、こんなことに……」
「率直に言ってわかりません。外傷もないんです。また、持病もない。あれだけ疲労する理由がわかりません……」
健一がため息をついた。
「まさか、神坂の家が攻撃を受けるなんて……それも、なんで結ちゃんや誠司くんがいたのか……」
「それはもっとわかりません」
健一のぼやきを、医師は返した。
「わからないことだらけですよ。怪獣とか、広島や呉がやられたとか、もうさっぱりで……」
医師もため息をついた。
「まあ、安静にしていれば結ちゃんは大丈夫ですよ……とにかく、今は、出来る限り落ち着きましょう。休めるうちに休む。いつでも動けるように。
……何せ、恐ろしい、よくわからないことが、まだ続いている状態なんですから」
休めるうちに休め、医師は誠司に対してもそう言っていた。
しかし、誠司は、休まなかった。
結の隣にいた。
結は、診療室隣にある部屋のベッドで横になっていた。
呼吸はしているが、眠っているよりも深く、まるで意識がないようだ。
誠司は結の顔をじっと見ていた。
白い毛布が掛けられた結の体。
両手は毛布の上に置かれている。
誠司は結の片手を握った。
結の心配をしながら、自分も不安だった。
この災害もそうだったが、結のことも、であった。
結の体調は大丈夫だろうか。
結は、メゴスと心を通わせて、どこか自分から遠い存在になってしまわないだろうか。
結はどうなってしまうんだろうか。
結は、結は……。
「せいちゃん……」
結が寝言のようなものを呟いた。
誠司がハッとする。しかし、顔はまだ変わっていない。
「メゴス……」
そういうと、結はまた黙ってしまった。
誠司はまた、結の顔をじっと見ていた。
誠司は、心配そうで不安げな顔を結に向けていた。
結は、深海のような、まどろみの中でメゴスに呼びかける。
―――ねえ、メゴス、きこえている?
―――きこえているのなら、返事。
―――メゴス。私は結だよ……
―――メゴス……
今年の最新話の更新はこれで最後になります。
次回更新は来年1月以内の予定です。




