第19話 広島市の決闘
広島市には2体の怪獣がいた。
小型の怪獣1体と大型の怪獣1体である。
大型の怪獣は広島県庁とその周辺を破壊しつくした後、紙屋町の、老舗百貨店の廃墟のなかで、足を止めた。
もう1体の、小型怪獣は広島城から広島駅に向かって、あらゆるものを破壊しながら、文字通り直進を続け、京橋川の中で止まった。
『台屋の鼻』と言われる、京橋川と猿猴川が二股に分かれるあたりに、小型の怪獣は立ち止まっていた。
しばらくして、広島市内にいる人々のなかには、怪獣の活動停止に気が付き始める人も出てきた。
怪獣の近くにいた人達は、その間に少しでも遠くへ逃げようと走る。
遠くにいる人のなかには、怪獣に脅威がなくなったと思ったか、その様子をビルの隙間や屋上などから眺める者もいた。
あまりにも現実感のなさ――もはや幻想的にすら見える異様な光景に向かって、スマートフォンをかざす者を出てきた。
市内にいたプロカメラマンのなかには、職業意識に駆られてか、その光景にカメラを向けているものもいた。
2匹の怪獣は西の空を見ていた。大型の怪獣の背中から、前方左右に伸びる生える2つの触手も、同じ方向を見ている
それからしばらくして、ふと、行動がはじまった。
まず動いたのは、小型の怪獣の方だった。
ふわっと、空中に浮き始めた。段々と高度を上げていく。
その様子を見ていた人たちから、形容しがたい感嘆の声が上がっている。
小型の怪獣は付近の建物を超えると、速度を上げた。
そして、口を開けた。大型の怪獣も同じタイミングで顔と、2つの触手の口を開ける。
2体が光線を放ったのも、同じ時だった。
メゴスが4発の光線を目撃したのは、広島市上空に入ろうとしていたころだった。
メゴスは、市街地から2発の赤い光線が、自分の方めがけて飛んでくるのがわかった。
メゴスは自分の体を右ななめ下に向け、光線をかわそうとした。
しかし、光線は背中に当たってしまう。
小型の怪獣はそのまま西の空を見ながら、ゆっくり移動して、そのまま高度を落とした。
猿猴川にまた着水する。今度は『台屋の鼻』から2キロ南にある比治山橋の近くに降りた。
比治山という小高い丘の背に、小型の怪獣は背を丸め、身をかがめた。
そして、頭だけ上げて、広島城のある辺りをじっと見つめた。
メゴスは背中にダメージを負いながら、飛行を続けた。
続けて、今度は1発だけ光線が放たれる。これはさらに高度を落として、回避した。
ズタズタになった広島の中心市街地が見える。
その真ん中に、大型の怪獣が、こちらを―――メゴスをじっと見ているのがわかった。
大型の怪獣は、こちらに―――自分に向かっているメゴスを捉えた。
高度を落とし、速度を落としながら確実にこちらに突っ込んでくる。
速度は落としても、あの巨体が空から突っ込めば凄まじい打撃になる。
メゴスと大型の怪獣の距離はどんどん縮まっていく。
そして、距離1000メートル切ったころに、大型の怪獣はまた光線を放った。
比治山橋付近にいた小型の怪獣も、背を伸ばして、少し飛んで、光線を放った。
メゴスは、平和記念公園の東の空――広島市民球場の跡地まで1キロを切ったところで2発の光線を、同時に、別々の方向から受けた。
大型の怪獣の放つ1発はわかった。しかし、もう1発は予測できなかった。
小型の怪獣は最初の1発を放った直後に気配を隠し、身を潜めていたからだ。
最初の一撃は小型の怪獣が放った光線だった。メゴスの右腹部に命中。
しかも、先ほど受けた傷に当たる。メゴスは低いうめき声をあげる。
さらに大型の怪獣の放ったメゴスの光線は、顔面に命中した。
大型の怪獣は両眼をつぶしたかったが、メゴスは少し体をそらした。
頬をかすめ、左肩に命中する。
翼代わりになっていた右腕のバランスが崩れ、目標直前でバランスが崩れ、飛行が一気に不安定になる。
メゴスは怪獣のすぐ横を通り過ぎて、墜落した。
球場跡地の北にある広島中央公園の東部に突っ込む。
そのまま勢いをつけて、地面をこすっていく。地面に土と植物、コンクリートなどを巻き上げながら、北西に向かって、大きなわだちを作っていく。
基町の市営高層アパートの横をかすめ、本川と市民に呼ばれる――正式には旧太田川という―――大きな川に入った。
大きな水しぶき。怪獣は本川と天満川の分かれ目で止まった。
メゴスはそれでも立ち上がった。
若干苦しそうに立ちあがるメゴスに、小型の怪獣が飛びかかる。
足の、刃物のように鋭い爪で接近し、頭部を引っ掻く。メゴスが低くうめいた。
一旦離れ、また再度接近し、爪で攻撃……これを2、3回ほど繰り返した。
大型の怪獣が低空で飛行し、その間にメゴスの足にめがけて、背中から生えた触手からの光線も含め、3つの光線を同時に吐く。
太い足に攻撃を受け、さらに顔面にも勢い良く爪の攻撃を受けたメゴスは、バランスを崩して、また倒れこんだ。
先ほどよりも小さく、水しぶきが上がる。周辺部は水浸しになっていた。
2体の怪獣は倒れこんだ怪獣に攻撃を続ける。
大型の怪獣は触手と口からの光線を、川の中で倒れこんで、なかなか起き上がれないメゴスに当てた。
さらに大きく太い足で、メゴスを蹴り飛ばす。
また、同時に小型の怪獣は光線で川の中にいるメゴスと攻撃する。
メゴスは光線と物理による二重攻撃を複数受けながら、川の中で悶える。
と、メゴスは、自分を蹴り飛ばしていた、大型の怪獣の左足をぐっとつかみ、そのまま体を動かして引っ張った。
大型の怪獣は天を仰いで倒れこむ。
川辺に頭が当たり、破壊された。大型の怪獣が、突然の出来事に甲高い悲鳴を上げる。
メゴスはずっと起き上がり、大型の怪獣にとびかかる。
そして、大型の怪獣にまず至近距離から、光球を発射した。
光球は大型の怪獣の根元に当たる。
今度は、大型の怪獣の動きが悶える番だった。
大型の怪獣の顔面めがけて、メゴスが拳を振り上げて、落とす。
強烈な打撃。大型の怪獣の顔は拳の直撃を受けた。口から青い血がペッ、と吐き出される。
そこへもう一撃が加えられる。
小型の怪獣が接近し、爪による攻撃。
しかし、爪が当たるとき、メゴスは体内放電を行った。
呉の時より威力は小さく、小型の怪獣はいったん退いたが、もう一度攻撃を行う。
その隙をついて、今度はメゴスの足元に、寝たまま横から蹴りを入れる。
メゴスは倒れこみそうになって、その場にとどまった。
その間に大型の怪獣は立ち上がった。
大型の怪獣は飛んだ。
そして眼下にいるメゴスに向けて、光線を発射。
また、一旦距離を取っていた小型の怪獣も、光線を放つ。
メゴスは大型の怪獣をぐっとにらんで、飛びかかった。
小型の怪獣の光線が外れ、山の方へと向かう。
そのまま大型の怪獣の光線を後頭部から背中にかけて食らいながら、メゴスは大型の怪獣を抱き込んだ。
吼える大型の怪獣。
両ひじから、白く、鋭い刃のようなものがすっと飛び出た。
メゴスは右ひじを伸ばし、大型の怪獣にめがけて、斜めに切りつける。
大型の怪獣は、胸部の右上から左下にかけて、深い傷を残した。
青い血が飛び、緑色のメゴスの顔面を、青くまだらに染めた。さらに下の街にも血液は飛んだ。
灰色の路上、白い市営アパート、民家、商店、自動車……そこにめがけて、深い青色が鋭く付着する。
さらにメゴスは左ひじを伸ばす。
大型の怪獣はメゴスめがけて光線を一発放つ。
メゴスの絶叫。
その間に大型の怪獣は距離を置こうとする。
しかし、メゴスは、移動し始めていた大型の怪獣めがけて、左ひじを伸ばしていた。
大型の怪獣に、深くひじの刃が刺さる。しかし、大型の怪獣は高速で動き始めたその体を、急に止めることができず、胸部の左上から右下かけて、大きな傷を残した。
またもや青い血液が大量に飛んだ。
飛んでいた大型の怪獣は、胸に深手を負ったため、高度を落とし、紙屋町の交差点付近に落下した。
交差点に深いクレーターを作り、同時に衝撃とクレーターで付近の建物を倒壊させた。茶色い埃を盛大に巻き上げた。
メゴスはそのまま本川沿いを、徒歩でゆっくりと南下した。彼が歩くたび、浅い川が波立つ。
メゴスも満身創痍に近い状態だった。
しかし、あの怪獣――キドンを確実に仕留めなくてはなくてならない。彼はそう、本能で感じていた。
それが彼の使命だったからだ。
しかし、仕留めるべき相手はもう1体いた。
その1体――小型の怪獣は、隠れていた。体長20メートルほどの怪獣は、また身をかがめていた。
今度は中広大橋の付近にいた。天満川にかかる橋の近く、さきほど3体の怪獣が戦った、天満川と本川の分かれ目より南西に600メートルほどの地点にいた。
小型の怪獣は、メゴスを気配を隠し、じっと見ていた。
メゴスが背後を見せる時、その機会を待っている。
メゴスは本川を南下し、相生橋の近くまで到達した。
本川と元安川の分岐点にあるこの橋は、東西に太い橋と、その中央部から南へ伸びる連絡橋で出来た、T字型の橋だった。
東側近くには広島市民球場跡地などがあり、南には平和記念公園がある
メゴスは橋の北、手前まで来たところで、ぐっ、と体を東の方へ向けた。
そこには大型の怪獣が倒れている。
その瞬間、小型の怪獣が光線を放った。
メゴスの頭部に当たった光線は、照射されたまま、背中へ下る。
頭部から背中中央部にかけての一線が焼かれ、その一瞬後に爆発。
メゴスは顔を前に出して、背中を弓なりに丸めながら、苦痛に悶える声を上げる。
小型の怪獣はメゴスに飛び込む。
一瞬で音速を超え、周囲に強烈な衝撃波を引き起こし、20メートルの細い体を矢のように変形させながら、100メートル近い巨躯のメゴスにめがけた。
メゴスに避ける隙はなかった。
小型の怪獣の頭部から伸びた角が、メゴスの背中に突き刺さる。倒れこまず、その場で何とかこらえる。
伸びた角は、突き刺さった瞬間に回転をした。メゴスの体をえぐる強烈な一撃。
そこへ、角からの強烈な放電が行われる。
体の内部から、電撃を受けたことで、メゴスは絶叫した。
矢のように突き刺さった小型の怪獣は体を曲げ、そこから、さらに奥まで角を刺して、それから口から光線を発した。
深い傷口を、さらに深手を負わせる。
小型の怪獣はメゴスから角を抜いて、その場から離れる。50メートルほどの高度を飛び、100メートルほど距離を一旦置いた。
大量の、緑色の出血。まるで間欠泉のように飛び散る。
小型の怪獣が緑色の血まみれになる。周囲の建物も、その血痕がそこら中に付着する。
メゴスはとっさに振り返って、一発の光球を口からはいた。
振り返る間に、周囲に血痕が舞い、ビルに飛び散る。
小型の怪獣にも緑の血液を全身、特に顔が緑色にそまって、両目を瞑る。
その時、小型の怪獣の胴体に光球が命中、爆発。
呉の時より、爆発はやや小規模だった。
しかし、小型の怪獣に打撃を与えるには十分だった。
小型の怪獣が叫びながら、地上に落ちた。
間近にあった原爆ドームが揺れた。脆くなった構造物、その空洞になった空間の中で、破片がいくつも落ちる。
小型の怪獣はゆっくり立ち上がった。
その間にも、メゴスは相生通りを西へ、小型の怪獣に向かって近づく。
小型の怪獣は赤い光線を吐いた。
先ほどよりも細い光線だった。光線は、メゴスの右肩をかすめた。
目に緑色の血液が入って、視界が――照準が乱れたのだ。
もう一発放つ。
メゴスは、少し体をそらした。光線は完全に外れた。
小型の怪獣はやぶれかぶれになって、飛行する。一直線に急速して、メゴスに向かっていく。
しかし、これまでの飛行よりは随分と遅い。それほど力がなくなっているのだ。それでも鉄道より速いが。
メゴスは右の手で拳を作り、時速数百キロで突っ込んできた小型の怪獣の顔面を精一杯の力で殴りかかった。
超大型タンカーが音速で突っ込んだような衝撃が、小型の怪獣の顔面に突入した。
小型の怪獣の顔面が一時的に激しく変形する。
怪獣は、大きくぶっ飛び、相生橋に落下した。
相生橋は押しつぶされた。小型の怪獣は本川のなかで、仰向けに、溺れるように倒れた。
ピクピクと体を痙攣させたが、数秒後にピクッと硬直し、全ての活動を停止した。
小型の怪獣の亡骸から、濃い青い血が流れ、川を染めていった。
メゴスはこの時、満身創痍だった。
至る所に傷ができ、出血していた。それは、外からの―――人間の目から見ても明らかだった。
広島市内にいた人々のうち、相生橋の南、平和記念公園にいた人々は、原爆ドームの向こうに立つ、原爆ドームよりも数倍背の高い幻想的な、傷だらけの獣を見つめていた。
あの光景を見つめる――それは、彼ら、彼女らがどういった感情を抱いた故か、というより、本能的な行動だった。
傷だらけの幻獣――メゴスはゆっくりと、紙屋町の方角に向かって歩いた。
他のビルよりも背の高い幻獣が、ゆっくりとビルの最上よりも高いところから顔をのぞかせている。
「いったいどこへ行くんだろう」
平和記念公園にいた、ある中年男性が呟いた。
「紙屋町あたり、もー、一匹落ちたん……」
たまたま隣にいた初老の男性が、広島弁が強く残った言葉をもって、しゃがれ声で答える。
「そっちに向かうんじゃろ」
「一匹? あれは生き物なんですか?」
中年男性が、その初老の男性に聞いた。
初老の男性はしばらく黙った後、広島訛りの強い一言呟く
「そんなん、わしは知らん……」
メゴスは紙屋町の、交差点近くまで進んでいた。
と、メゴスの背中が爆発した。
爆発は4,5回、同時多発的に起こった。
「なんだ!?」
「なんか今、飛んできたぞ」
「背中に落ちた」
市民の中から、そんな声が聞こえた。
さらに、爆発音が複数轟く。
しかし、メゴスや、その周辺に爆発の痕跡はない。
見ると、広島駅の周辺に複数の、新しい、大きな白煙が上がっていた。
「広島駅が……」
若い男性の声で聞こえた直後、中年女性の声が聞こえた。
「また飛んできた!」
誰かが絶叫した。
今度は平和記念公園の頭上を飛んだ。
一瞬だが、姿が見えた。
その物体は複数だった。
細長く、電柱のように見えた。
平和記念公園につんざく音と突風が吹く。
その物体はそれから一瞬にして、メゴスの胴体に複数当たり、爆発する。
さらに複数が、メゴスを横切って、爆発を引き起こしていた。
広島市民公園から広島城西方にかけてに物体が落下――というより衝突し、それから複数の爆発を引き起こす。
爆発を背景に、メゴスが身悶えているのが、平和記念公園から見えた。
「ありゃあ……」
また誰かが、どこか信じられないような口調で答えた。
「ミサイルなんじゃないか……」




