第17話 メゴス復活
『ただいま、広島の放送局と、連絡が取れない状態が続いています――なお、広島市、呉市、倉敷市の周辺にいる方は、絶対に同市内に立ち入らないようにしてください。現在、大きな物体が破壊活動を続け――』
自転車のかごの中にあった、トランジスタラジオから、アナウンサーが必至の呼びかけを続けている。
しかし、自転車は道端に置かれ、乗っていた二人は、浜辺の方に向かって走って行ってしまった。
《結、結!》
「今急いでいるよ!」
結がそう叫んだ時、彼女は誠司とともに砂州を走っていた。
砂州には少し水が入って、泥っぽくなっていた。
結と誠司はズボンを汚し、時として足元を取られながら、常夜岩に向かっていく。
メゴスが朝、結に、自分の胸騒ぎを話していた。
その直後だった。メゴスが「キドンがきた」と言い始めたのは。
数分後には、四国地方の大規模な破壊と瀬戸大橋が寸断されたというニュース速報が流れた。
早く、常夜岩にきて! メゴスは、そういって焦りながら、悲鳴に近い心の声を結に向かって、上げていた。
ぐしゃぐしゃの砂州を走った後は、ゴツゴツとした岩場を慎重に、しかしなるべく早く進んだ。
そして、結と誠司にとって、もうタブーではなくなった洞穴をくぐった。
慣れた足でゆっくりと奥へと進む。
一番奥まで着くと、岩の壁だったはずの場所が開けて、あの、広い空間が出現した。
二人はその空間に入っていく。
いつもの、広い空間。
足元は一面ガラス張りのようになっていて、その下に巨大なメゴスの姿。
《結、ギドンの動きの方が早かった……ぼくはまだ、完全な状態ではない》
(どういうこと?)
結とメゴスは、話を交わした。もちろん、誠司には聞こえない。
ただ、結が真剣な表情で、視線を下に向けている。誠司はそれをじっと見ていた。
《ぼくは力が十分に発揮できる状態ではない……ああ、わかった……これが不安という感情なんだ》
メゴスの、大人びた子供のような声は、どこか不安そうな色を交えていた。
《ぼくの使命はギドンを倒すこと。けど、倒せるかわからないんだ》
結は考えに詰まった。どうしたらいいか、わからなかった。
彼女は数秒経ってから、返事をした。
「でも、あなたは倒す使命がある」
結はつい、思っていることを口に出してしまう。
結は無意識のうちに行っていた。誠司も目を丸くして驚いている。
「あなたは動かなければいけないのでしょう……? なら、行く必要があると思う。とてもつらいことだけど……」
結はそう言って、切なげに目を落とした。
彼女は、自分があまりにも残酷なことを言っていると思ったからだ。
《わかった》
メゴスは、どこか決心を含んだ声でそう言った。
《出来る出来ないに関わらず、ぼくはやるべきなんだ》
結は、まっすぐ、眼下に広がるメゴスの姿を見た。
《結、誠司と一緒にこの球の中に入って》
結が視線を上げると、上から、透明な球体が降りてくるのが見えた。
人が2人ほど入るくらいの大きさがある。
球体は開いた扉のような、人一人分くらい入れそうな穴をあけた。
「せいちゃん、メゴスが来てって」
結は誠司をまっすぐ見た。
誠司は、結が、まるで違った人――いや、それからも少し離れていた存在になっているような気がした。
彼は少し戸惑った。しかし、彼は、彼女とともに行くことにした。
誠司は、ずっと一緒にいた幼なじみの助けになりたいという気持ち、そして、その幼なじみがどこか遠くにいってしまうのではないか、という気持ちの間にいた。
しかし、いずれにせよ、結と一緒に行く必要がある、いかなければならない。
誠司はそう確信していた。
結と誠司は球体の中に足を踏み入れた。
球体の中は程よいぬくもりがあった。
外の、冬の厳しい寒さとは全く違った空間だ。
暖かさだけではない。踏み入れた時の足の感覚や、空気も、人を優しく包んでくれるような所だった。
《結、これから想いが流れてくる。それを解いて、僕を解放して》
「それはどういうこと?」
《儀式、と言った方がいいかもしれない。僕と君とで、僕を解放させるんだ》
結は息を飲んだ。心臓が早鐘のように打つ。
「せいちゃん……」
結は呟いた。誠司は結を見つめている。
「これからメゴスを復活させる、みたい。だから、せいちゃん、手を握っていて……」
誠司は、結の手を握った。
儀式がはじまった。
その時、鯨神島のほぼ全ての人は、島中心部にある、鯨神島小中学校にいた。
呉市が攻撃を受けたとき、呉市からの被害を、通信と目視で確認した江田島市は、市内全域に避難勧告を出した。
江田島警察署と江田島市消防本部から指示を受けた、鯨神島駐在所の警察官と鯨神島消防団は、100人の島民を、指定されたこの避難所に避難させた。
鯨神島でも、ほぼ全ての避難が完了した頃、対岸の広島市で断続的に爆発が起こるのが見えた。
爆発音が海を渡る。雷鳴に似た音が、島中に響き渡り、島のガラスや電柱をかすかに震わせる。
火災と大きな煙がいくつも上がるのを、島民は、小高い丘の上に立っている、この学校の校庭から見ているしかなかった。
島民の半分は校庭から広島市の方を見ていた。中にはハンディカメラやスマートフォンで撮影する人もいた。
また、呉市の方を同様に見たり、撮影する人もいた。市街地は島の影になって見えないが、市内から立ち上る大きな黒煙が見える。
あとの半分は、体育館にいた。全員不安そうで、爆発音が響くたび、びくっと震える子供やお年寄りもいた。
「江田島のほうから、何か連絡あったか?」
学校の正門の前。
初老の消防団長が、若い駐在の巡査に聞く。
「江田島署の方からは『別命あるまで、島の避難民の安全を確保せよ』としか……」
青い活動服を着た消防団長は顔をしかめた。
「それしかないよな。こっちも本部の方から同じ報告しか受けていない」
「広島や呉はやばいみたいですね。特に広島は、県警本部がやられたみたいで……」
消防団長と巡査は言葉が出なかった。
辛うじて、消防団長が言葉を出そうとする。
しかし、別の消防団員がやっていて、声をかけたことで、団長は発言を遮られた。
「団長、皆川さんとこの娘さんと、藤堂さんとこのせがれ知らない!?」
60代ほどの、頭の禿げた団員が、皆川夫婦と、藤堂家の80歳になるおじいちゃんと一緒とともにやってきた。
皆川夫婦と藤堂のおじいちゃんは、不安を前面に出していた。
「いや、見てないが……いないのか?」
「うん、街のほうはざっと探したがいなかった」
「二人で自転車に乗っていったきり、帰って来ないんです」
そう、文子が不安げに言った。
「いったって、どこへ……」
巡査がそういうと、藤堂のおじいちゃんが首を傾げて
「さあ……」
その時だった。
青く、淡い光が急にピカピカッと、差し込んできた。
誰かがカメラのフラッシュでも焚いたのか、と団長は思ったが、こんな昼間にフラッシュを焚く意味はないし、そもそもフラッシュとは少し違った閃光のように感じられた。
また断続的な光。
何事かと、辺りを見渡す。
「あっ!」
健一が指をさした。
その先には常世岩があった。
常世岩は白い煙を上げていた。蒸気のようにも見える。
それが数秒に一度、ピカピカッ、と光る。
呉にいた小型怪獣、1体がふと顔を上げた。
港を襲っていた1体だ。彼は中央公園から市街地に入り、途中で海の方へ向かって歩いている。
彼は、今、JR呉線の線路を踏み、西の方角を向いていた。
呉駅の近くを未だ破壊していたもう1体の小型怪獣も、同じ方向を向いたが、また顔を地上に向けて、破壊活動を開始した。
1体はじっと、西――鯨神島の方角を見つめ、そして飛び立った。
常世岩の表面に異変が起こった。
軽い揺れが襲ったかと思うと、表面の岩がガラガラと崩れ始めた。
やがて、皮が向けるかのように、岩が一面ごと崩れ始める。
そして、常世岩の中から、大きな怪獣が姿を現した。
結と誠司は気が付くと、日の当たるところにいた。
どこか外であるらしかった。周囲は木々が生い茂っている。
結ははっとなった。誠司もそれに続く。
「ここ……うちの裏……」
うち、というのは皆川家ではない。
結のもと居た家、つまり、神坂家の、裏の森林だった。
その証拠に、古びた祠が少し先にあって、さらに先には、古く、大きな民家が見える。
「なんで……ここに……」
誠司は呟いた。
その時、咆哮が聞こえた。
はじめて聞く音。しかし、はっきりとそれは咆哮だとわかった。
結と誠司は足場に構わず走った。
祠の横を通り、森を駆け、民家を横切った。
そして、二人は、民家の前に立つ。そこからは海が見えた。
島の、少し小高い、丘の中腹にある神坂家の眼下には、常世岩が良く見える。その先には広島湾が見える。
結と誠司は、常世岩のあった場所に怪獣がいるのをしっかりと見た。
あの、常世岩の広い空間、そのガラス張りのような床の下にあった巨大な生き物、まさにそれが起立したのだった。
結と誠司には、それがはっきりとわかった。
しかし、その全貌が、日のもとに出現すると、結も誠司も圧倒される。
体長は100メートルほどの高さがあるだろうか。まるで島が建っているようであった。
全体的に大柄で、がっちりとした体躯をしている。幻想の巨人が、守護獣を思わせるようなもの。
強い弾力のありそうな、濃い緑色の皮膚は、冬の晴れ空に晒され、日光を柔らかく反射している。
巨大で、太い2本の足で起立している。太さは、一軒家が入るくらいあるのではないだろうか。
足には5本の、白い爪が見えた。両方の太ももの辺りに、大きな穴が見えた。中型トラックが入るくらいの大きさがあり、それが下に向かっている。
同じものが背中にあった。それが、太もものものよりもやや大きい。
結も誠司も、背中をみて、あんなのがあったのか、と思った。しかし、それ以外は、何もなく、弾力のありそうな、つるんとした背中が見える。
腹の部分も、他の部分と同じような皮膚をしていたが、他の部分よりも、淡い緑色をしていた。
頭と胴体が一体となり、首らしき部位がないように見える。
頭も、胴体の幅と同じくらいあり、大きかった。
それに比べて、目は小さく見える。それでも1メートル以上はあると思われた。
黒い瞳が見える。威厳を感じる目。
そこへ、大きな口が開いた。
頭が割れたかと思うくらいに、下顎の上が開かれた。
赤い口中がむき出しになる。白く、尖った歯が並んでいた。前方、上下左右に鋭い牙が見える。
うちの下の鋭い2本の歯は他の歯より太く、また剣のように長く、一段と鋭さを感じた。
口から咆哮が発せられた。
低く、やまびこのように響く声。それでいて、どこか透っているような、不思議な轟き。
まさしく、幻獣の雄叫びだ。
その咆哮は、広島湾とその沿岸部に響き渡った。
しかし、多くの人は、それを咆哮とすら思わず、どこからの音かと思った。
それどころか、広島市や呉市で、怪獣たちの蹂躙を受けている人々は、その咆哮すら聞こえない。
そこへ、甲高い雄叫びが響いた。
呉市から飛来した小型怪獣の1体だった。
小型怪獣はメゴスに向けて、まるで獲物を狙う鳥のように、速度を上げながら、一直線に飛ぶ。
メゴスが小型怪獣に視線を合わせ、顔を向けた。
メゴスは、口を開けた。
その時、小型怪獣は口を開けた。
甲高い雄叫びとともに、口から、淡く赤い光線が放たれる。
あの、建物を破壊し、道路や鉄路を吹き飛ばした、あの光線である。
光線は、まっすぐ、メゴスめがけて放たれた。