第15話 燃える呉市
「信じられない……」
高野たちとともに行動していた、赤松准教授が言った。
津岡の、小さなテントのなかに、赤松准教授と小島准教授も入って、ぎゅうぎゅう詰めになりながら、地面に置かれた、津岡の持っていた写真を確認している。
「四国山中の洞窟の中で発見した石碑に描かれた怪物と、例の飛行物体と酷似している……恐らく、同一でしょうね……」
長身の、小島が顎に手をあてて、写真を見つめている。
テント内の面積を人一倍多く占めていたが、それに構わず、あぐらをかいて、集中している。
隣にいた赤松女史は、窮屈そうにして、顔をしかめながら、写真を見ている。
「このことは、他のメンバーにも報告した方がいいですね」と赤松。
「うん、とりあえず、大山先生と、リーダーの川原さんには伝えたいと思っているけど……」
高野がそう言って、黙ってしまった。
同行している自衛隊員によれば、通信が混乱している状態だという。
同行している自衛隊員らは山口市から派遣された、陸上自衛隊第17普通科連隊の司令部と、さらにその指揮下にある第1中隊に所属していた。
第17普通科連隊は、山口市から四国へと向かい、そこで第14旅団の指揮下に入って、飛行物体の発見、監視活動を行っていた。極秘裏なので、書類上は演習となっている。
連隊の、他の部隊も、近くの山中に展開しており、連絡はとれている。
しかし、彼らの命令を出すべき、善通寺駐屯地の第14旅団司令部とは通信が取れずにいた。
通信小隊長によれば、電波妨害による類ではなく、恐らく司令部側の通信機器の不調によるものだと話した。
そこへ野崎がやってきた。
「通信が回復しました。今、大山教授と話せます!」
津岡以外の全員がすっと立ち上がって、テントを出た。
津岡は戸惑っている。彼らと出会って以来、いまいち現状が呑み込めていない。
4人は、自衛隊の大型テントに向かって走る。
テントのなかには、通信関係の隊員らが通信機を囲んでいた。
今、その中心には平坂がいて、受話器をもって話している。
「――あ、今変わります」
平坂は4人の様子に気が付き、受話器を4人の方に向け、大山先生からです、と言った。
高野が、受話器を取った。
「もしもし、高野です」
『高野くん、大丈夫か?』
「こちらは何も……20分ほど前に笹ヶ峰から5体の飛行怪獣が飛び立ったのを確認しました」
『そうか……詳細はわからんが、工石山からも一群が飛び立ったらしい』
「らしいですね……被害の状況がわかりませんが……」
『善通寺の辺りは酷いぞ。衝撃波と光線にやられた。建物がいくつもやられている。沿岸部はさらにひどいらしい……』
「衝撃波と、光線……ですか?」
大山の言葉に、高野は息を呑んだ。
『ああ、やつら、恐らく音速を超えて飛んでいる。しかも、頭部――おそらく、口から光線を吐く。かなりの威力だ、当たったものが軒並み爆発している』
高野はどう返事をしていいかわからず、津岡のことを話そうとした。
「大山先生、それが例の考古学者の、津岡先生が、件の飛行物体に関して、重要な情報を持っていました」
『それはどういう――あっ、ちょっと待ってくれ』
一時通信中断。少し、他の男性と大山の声が聞こえる。
『そろそろ通信を終わらせてほしいと言われた。他の機関とも連絡をとりたいらしい。簡潔に話してくれないか? 具体的な話は君らが下山した時に聞くが――』
高野は戸惑った。
何せ下山しようにも、交通は破壊されている。
下山しようとした、自衛隊員が、道の途中で崖崩れが起きていると先ほど報告してきた。
怪獣の飛行の、衝撃波による影響だろう。
かといって、この話を短く話せる自信がなかった。しかし、なるべくそう務めるように努力した。
大山は、信じられない、という言葉を多用しながら、高野の話を聞いていた。
通信は自衛官の忠告を無視し、長時間に渡った。
珠美は呉駅の近く、境川沿いの歩道を歩いていた。
朝、呉市の清水一丁目のアパートに住む姉の部屋にきて、家事をしていた。
たまっていた洗濯物を、高価な乾燥機能付洗濯機に入れた後、ペットボトルやコンビニの弁当箱がいくつか散らばっていた部屋を掃除した。またお風呂とトイレも手っ取り早く掃除をする。
それから、いくつかの料理を、栄養バランスと姉の好みに合わせて作って、それをタッパーなどに入れて、冷蔵庫に保存した。
洗濯機が仕事を終わらせると、彼女は洗濯物をたたんで、それぞれの収納場所に入れた。
その間、ずっとソファーで寝ていた姉をなんとか起こして、ベッドの上に寝かした。
「お姉ちゃん、だいぶ疲れているね」と珠美が言うと、一香はかろうじて半目を空けて、どっと疲れをにじませた声を出して「そんなことないよ」と何度もうわごとのように返したが、
「ごめん、やっぱ眠い。動けない。疲れた」
ベッドで横になった途端、一香は、自分の否定していた気持ちを認めた。
「うん、お姉ちゃんはゆっくり休んで。私、これで帰るね」
一香がそう優しく、そっと声をかけると
「ごめん、たま、また遊ぼう……」
と、うわごとのように、一香は珠美に言葉をかけた。
そのまますっと寝てしまった一香に、布団をちゃんとかけた後、珠美は静かにアパートを出た。
部屋にかけられた時計は10時13分になっていた。
好きな映画の上映時間には、まだ時間がある。直接、中通の映画館まで行くと、かなり時間が余ってしまう。
彼女は、アパートを出て南に、住宅地の路地を歩き、大きな通りを出た。
それから西へ向かって歩く。ここからはビルが並んでいる。
ちょっと歩くと、橋が見えてきた。
境橋だ。赤レンガで出来た歩道と、西洋的な様式の、灰色の花崗岩で出来た欄干に数本のガス灯が立っている橋で、明治に建てられて以来、その姿はほとんど変わっていない。
珠美は、境橋を渡ると、今度は境川沿いに、南西のほうへ歩く。
このまま歩けば、海に出るが、その手前で北西のほうに曲がれば、駅前の大型ショッピングモールにあたる。
彼女はショッピングモールで、雑貨などを適当に見て回るつもりだった。
珠美は、穏やかに流れる境川沿いを歩いた。
2つの橋を横切り、それからJR呉線をこえた。
珠美は、自分が穏やかな時のペースで歩きながら、ショッピングモールの、どのお店を回ろうか、と楽しげに考えていた。
そして、ふと、結に、何かアクセサリーか何かをプレゼントをしようかなと思った。結がそういうのを好きだというのは知っていたし、最近落ち込み気味の彼女に、何かエールのようなものを送りたいと思った。
彼女は、一人穏やかな笑みを自然と浮かべていた。
そう思いながら、彼女が交差点に着いた時だった。
カッと閃光が光る。その直後、ドーン、と響き渡る轟音。
突風が駆け抜けていく。呉の港の方角から、珠美をなぎ倒しそうな風力で、呉市内へ向けて流れ込んでいく。
珠美は目をぎゅっと瞑って、両腕で顔を覆う。
珠美の耳から、ゴーッという風の通る音が聞こえた。その音の中に、何かの金属があたる鈍い音や、甲高い悲鳴などがいくつも聞こえた。
風が収まりつつある頃、不気味な、形容しがたい何らかの声が響いた。
珠美は目を開けた。
巨大な怪獣がそこにいた。はじめてみるものだったが、怪獣、としか例えようのないものだった。
20メートル以上はありそうな巨大な体。
ふたつの手足と翼のようなものが伸びた胴体。赤一色の目、頭にはピンク色をしている。
巨大で、不気味なそれは、怪獣としか形容のしようのないものだった。
「怪獣……」
珠美は、思わず、そう呟いた。
その怪獣は、口を開けて、叫んだ。あの、不気味な、形容しがたい声が響いた。
(どうしよう……)
珠美は立ちすくんだ。あの怪獣をじっと見入る。その行為に理由はなく、珠美の意志というより、反射に近いものだった。
(やばい……)
彼女は思った。自分は、今、生きるかどうかの瀬戸際に立っている。
亡くなった祖父の言葉を思い出す。
やばいと思ったら、逃げろ。
彼女は祖父の言葉を実行した。太平洋戦争を生き延び、医師として数々の被災地に向かった男の言葉に従った。
彼女はなるべく、怪獣から遠ざかろうと思い、走った。
港のほうとは反対の、呉駅の方へ向かって、だ。
後ろからドーン、ドーンと音が響いた。段々と大きくなっていく。接近しているようだ。
怪物の足音だ、珠美は即座にそう推測した。まるで大きな地鳴りが聞こえているかのような音。
(あれから逃げるって、どうすればいいんだよ……)
珠美は顔をくしゃっとさせ、泣きそうになりながら走る。
20メートルくらい走ったところで、彼女は振り返った。高いマンションの陰に隠れて、怪獣が見えなくなる。
また正面を向いた。走りは止めないが、姿が見えないだけ、心なしか安心した気持ちになった。
と、マンションから爆発が起こる。珠美は爆風で足がよろめき、その場にころんだ。
マンションの方向から、無数の破片が飛んで、落ちてくる。いくつかの細かな破片も珠美の体に叩きつけられていくのがわかる。
とても小さな破片。しかし、それでも痛みを感じる。珠美は、たまに顔をしかめた。
目の前に、大きなコンクリートの破片が飛び込んできた。バレーボールくらいほどの大きさがある、ごつごつしたコンクリート。
これが、もし、これの落ちる位置がちょっとずれていたら……もし、私のところに落ちていたら……。
ほこりが、路上に横たわる珠美の体を覆う。周囲が埃で見えなくなる。
地響きと、うめき声が聞こえるだけの世界。
珠美は死を覚悟した。
ふと、近くで幼い子の泣き声が、近く聞こえた。
彼女が周りを見渡した。埃が少し減り、視界が少し良くなる。
3メートルほど先にうっすらと人影が見えた。小さな人影。
しかし、わーん、という声ははっきりと聞こえる。
(助けなきゃ)
珠美はすっ、と立ち上がった。埃が目に入って痛い。口の中にも埃が入って、少しせき込む。
彼女はそれに構わず、自分の半分くらいしか背丈のない男の子だ。
珠美は赤い、ある球団のトレードマークのキャップをかぶって、同じ球団のジャンパーを着た男の子のもとに駆け寄る。
珠美は、少年の肩をつかんだ。
少年はびくっとした。
「逃げよう」
珠美は少年をつかんで、東の方にある、道路脇へ向かって走った。
この数メートル先、埃で覆われた道の脇に、ビジネスホテルがあるはずだ。そこの地下階に避難すれば、難を逃れることができるかもしれない。
「ビジネスホテルなら、業務用の地下階があるだろう」という、珠美の、あまり根拠のないとっさの判断だった。そもそも、地下に逃げても安全が確保できる確証はない。
しかし、それでも彼女はその判断に基づいて行動するしかなかった。
珠美の足に何かが当たって、珠美はつまづきそうになった。
珠美は、意図せずに前かがみになった。
少年の振り向いた顔が目の前にあった。
怯えた表情だった。泣き顔を、必死に我慢している。
「怪獣が……怪獣が……」
少年が呟いていた。珠美と同じことを思っていたらしい。
珠美はきゅっと顔を引き締め、しっかりと歩き始めた。
呉市街地から呉港にかけて、5体の怪獣が降り立った。大型1体に、小型4体。
うち、小型の2体は呉駅周辺にいた。
先ほど、珠美が見た1体は、そのまま呉駅に向かっていた。
呉駅周辺にも、高いビルが並び、20メートル近い、小型怪獣も陰に隠れている。
しかし、怪獣は自分よりも高いビルを光線で破壊し、ビルをがれきの低い山に変えた。
怪獣は交差点に立ち止まると、方向を呉駅のある向きに変え、近くにあった高層マンションに思いっきり手を叩きつけた。
ビルの4、5階部分が怪獣の腕が埋もれ、そのまま払うように、ビルから抜き出す。
この間に、マンションの数室が全壊し、マンションが大きく揺れた。
そのまま怪獣は、呉駅に進入した。
呉線の線路に足を踏み入れる。鉄路は踏みつぶされ、ぐにゃっと曲がる。幸いして、電車はいなかったが、ホームが踏みつぶされ、屋根から売店、ベンチ、ホームに至るまで、その全てが押しつぶされた。
呉駅から北東へ1キロほど、中央公園にも別の、小型の怪獣がいた。
この怪獣は呉市役所を光線で破壊した後、ゆっくりと、呉市体育館に向かって、歩いて行った。
呉市体育館では、地元の少年バスケットボールクラブが練習試合をしていたが、異変に気が付いた者が、すぐに体育館から逃げろと叫んでいたので、怪獣が迫っていた時には、体育館に人はいなかった。
高層ビルと比べれば背は低く、広い、呉市体育館を、怪獣は川をかき分けるように進んでいく。
怪獣が体育館の端から端まで到達しようとしたとき、体育館は一気に倒壊した。周囲の人たちは、そのときに一気に飛散した埃から逃れようと走った。
この怪獣はゆっくりと歩きながら、中央公園を出て、今西通りに入ろうとしていた。
呉港はもっと悲惨だった。
はじめに、港の各所が光線による第一撃を受けたからだ。
海上自衛隊基地から造船所に至るまで、各所が爆発炎上していた。
もちろん艦船もそうだ。
かつて呉海軍工廠として存在していた、ある造船所も大きな被害を受けていた。
市街地から数百メートルほど離れた場所に、大きな造船ドックを2つもっているそこに、また別の、20メートルの怪獣が立っている。
長さ500メートル以上、幅8メートルに及ぶ巨大ドッグの中にいた全長20メートルほどの怪獣は、そのまま隣の建物に向かって歩いた。
怪獣は、大きく太い足でドッグを踏みつける。
そこには船内を整備するためにある溶接工場がある。
溶接工場を分け入るように進むと、溶接工場の壁が足が入ると同時に吹き飛ばされ、屋根はメキメキと折れた。
なかにあった、数十本もの鉄骨が、怪獣に踏みつぶされるたびに、小枝のように折れていく。
怪獣はそのまま、さらに隣にあった、鋼材置場に入り、破壊活動を続けようとしていた。
この造船所の南隣にあった海上自衛隊呉基地幸地区も炎上していた。
海上自衛隊呉基地は、呉の港に3カ所、点在するかのように存在している。
しかし、地区の一つ一つの面積は広い。
この地区には、練習艦隊司令部や護衛艦が停泊する桟橋があった。
護衛艦と潜水艦の多く、さらに半数近い掃海艇は、件の特殊な哨戒任務のため、出航していたため、ほとんどの艦艇がいなかった。
しかし、残っていた艦艇はそのほぼ全てが炎上していた。
その炎の中に、また別の、小型の怪獣がいた。
彼は複数の建物が燃える基地から、桟橋を破壊しつつ海に出た。
怪獣は、海上に立ったまま、近くにあった掃海艇に向けて、光線を放った。
磁気や音響に反応しやすい機雷への対策のため、木造で出来た、その旧式の掃海艇は爆発した。
火炎は船を覆い、瞬く間に掃海艇が、海の上に燃える消し炭と化していた。
この掃海艇だけではない。桟橋にいる自衛艦の全てが大きな被害を受けていた。
自衛隊の艦艇のみならず、民間の貨物船、客船、漁船……呉港にいた全ての船が燃えていた。
その様子を、呉市街地の南東にある休山から眺めているものがいた。
休山は、標高500メートル近く、森に覆われ、山頂には展望台と、電気通信会社の電波中継所、さらに呉テレビ・FMラジオ中継局があった。
山頂からは瀬戸内海や呉の市街地が一望できる。
今、そこには50メートルの大きさのある、大型怪獣が、呉市を眺めている。
怪獣の足元にある、電気通信会社の電波中継所は燃え、テレビ・FMラジオ中継局の鉄塔は山の中腹に転げ落ちていた。
大型の怪獣は空に浮いた。
呉の港にいた、小型の怪獣2体もそれに続いて、空へ上がっていく。
誠司の漕ぐ自転車の後ろに、結は立ち乗りしていた。
誠司は一生懸命ペダルを漕いで、正面を凝視していた。さきほど、呉の市街地のあたりが燃え、煙が上がっているのが見たが、もう二度と見たくない光景だったからだ。
二人は鯨神島の北の沿岸部にいた。。
自転車二人乗りという法律違反をしていたが、それどころではなかった。他の住人も呆然と事態を見ていたし、島の駐在は江田島警察署に『呉市炎上』の報告を行っていた。
結は、事前に何かが起こる予感がすることをメゴスからきいていた。
誠司はその話をきいて、自転車を漕ぎだした。その直後、自転車の中に入れていたトランジスター・ラジオから速報が入った。
四国西部、瀬戸内海沿岸部の各都市で何らかの爆発が立て続けて発生。各都市で大きな損害を受けている模様。
瀬戸大橋で爆発が何度か発生。現在、瀬戸大橋は全面通行止め。鉄道も不通……
「呉のニュースはまだ入ってきてないな!」
誠司は叫んだ。独り言だったが、いら立ちと不安が、彼の独り言を絶叫に変えていた。
「せいちゃん、メゴスが早くって!」
「さっきもきいたよ!」
誠司は叫び返して、自転車の速度をさらに上げた。自転車のタイヤが擦り切れそうな勢いだ。
結は燃える呉の街を見ていた。
怖かった。それに、親友の珠美があの中にいることもわかっていた。
しかし、彼女は目を離さなかった。彼女は、なぜかそれが自分にとって、義務のように思えたからだ。
「あっ」
結が声を上げる。
誠司も顔を上げた。
呉の方から、3つの、何らかの物体が空に上がったのが見えた。
それらが、広島市の方向に向けて飛び立っていく。