第12話 発見、そして…
考古学者の津岡准教授は、愛媛県三条市南部の山中にある笹ヶ峰登山口から少し離れたところで、自分の張ったテントの中でガラケーをいじっている。
明日会うはずだった、江田島に住む高校生に送った謝罪のメールを読み返していたのである。
「津岡さーん」
そう、テントの外から間の抜けた声をかけたのは、高野だった。
「はい」
津岡はぶっきらぼうに返事をする。
「コーヒーを入れたんですが、飲みませんか?」
いらない、と言おうと思ったが、コーヒーの香りが津岡の鼻をくすぐった。
香ばしい、良い匂いだ、と津岡は思う。
暖かさも感じる。
ちょっと考えた後で、津岡は答える。
「飲みます。入ってきてください」
失礼します、と言いながら、テントのなかに、ステンレスのポットと、ステンレスのマグカップ2つを持った高野が入ってきた。
と、大声が聞こえた。高野は振り返る。
数十メートル先で、迷彩服を着た自衛官が、10名の部下と思わしき自衛官たちに号令をかけている。
登山口のあたりには、陸上自衛隊の1個中隊120名ほどが大きなテントをいくつか張って、陣地を構築していた。その少し離れたところに、津岡のテントはある。
津岡は、警察の事情聴取を受けた後、四国に展開する自衛隊に同行せざるを得ない形になった。
公表されていないが、展開した自衛隊のなかには、例の飛行物体の発見、監視という任務を帯びた者たちも少なからずいた。
彼のテントの設置は、そのなかでの意思表明でもあった。
「どうぞ、座って」
津岡は、テント前でしゃがんだままの高野の顔を見ていった。表情はまだ固い。
高野は柔らかい笑みを浮かべ、テントに入る。入り口を閉め、津岡の前に座った。
「ああいう人たちは好きじゃないですか?」
「軍人は嫌いです」
「自衛官は軍人じゃないそうですよ。自衛隊は軍隊じゃないそうなので」
高野は表情を変えぬまま、ポットのコーヒーをカップに次いだ。
「僕から見れば、変わらないです」
津岡は、高野がコーヒーを入れるところをおぼろげに見ながら語る。
「僕の祖父も考古学者で、戦前から戦時中まで、満州にいたことは話しましたよね」
高野は、はい、と頷きながら、ポケットから黒く、機能性しかないデザインの小さなポーチを取り出して、そのなかから細長い袋に入った砂糖と、小さなプラスチック容器に入ったミルクを取り出した。
満州か、と高野は思う。
現在の、中国東北部の地域を指す言葉だ。
北にロシア、東に朝鮮半島を隣とするこの広大な地域は、たびたび歴史にも登場し、近代の日本の歴史を語る上でも欠かさすことのできない地であった。
日本が帝国だった頃、この地域に進出し、1930年代には、日本の大きな影響のもとで、満州国が建国された。
この地に多くの日本人がやってきた。軍人から開拓民まで、多くの日本人がこの地に居た。
「京都帝国大学から、満州にあった建国大学というところで教鞭をとっていたそうです。本人は、大学にはあまりいなかった、といっていますが……ああ、僕は砂糖とミルクはいいです」
高野はコーヒーカップをそのまま津岡に渡した。
適度な熱さが、マグカップの取っ手を伝って、彼の右手にも伝わる。
「つまり、祖父は、発掘とかで外を飛び回っていたんです。軍人が、軍事上の都合とかで調査を不許可としたり、そうでなくても威張られたり、馬鹿にされたりすることもよくあったみたいです」
津岡はコーヒーを口に含んだ。
熱すぎず、かといってぬるくもない、暖かみと苦みのある液体が彼の口中を刺激した。
津岡は、ほっと、穏やかなため息をついた。気持ちも若干落ち着くような感じだ。
「しかし、満州というと、おじいさんもだいぶ苦労されたのでは?」
高野は、1945年以降の、満州にいた日本人達が受ける歴史的出来事を思い出しながら言った。
1945年8月9日、太平洋戦争末期にソ連は日本に宣戦布告した。
満州国にもソ連軍が侵攻。強力なソ連軍の前に、国力をも疲弊していた日本側は、なすすべくもなかった。
破竹の勢いで脆弱な日本軍を倒し、満州国全土、そして朝鮮半島へも向かうソ連軍から逃れるため、多くの日本人は日本本土へ向かって、悲惨な逃亡劇を繰り広げていた。
またソ連の捕虜になったものは、シベリアで数年もの間、過酷な重労働を受けた。いわゆるシベリア抑留で、過酷な労働と生活、環境の中で亡くなる日本人も続出した。
「いや、私の祖父は大丈夫でした。現地の人と仲が良くて、その人たちの助言でソ連が攻めてくる前に本土に帰ったそうです」
津岡は、そのコップの中にある黒い液体を見つめていた。彼は、優しい目をしていた。
高野はコーヒーを一口飲んで、津岡に話す。
「おじいさんも、例の、古代文明について研究されていたとか」
はい、と津岡は言った。視線は変わらないが、目はキラキラしてきた。
「ええ、800万年前に、ほんの一時代だけ栄えた文明があるのです」
「800万年前……今の人類が誕生し始めた頃ですよね?」
「はい。しかし、この中国東北部には、かなり高度な――しかも、現在の人類より明らかに発達した技術や文化を持った文明が存在していたのです。
その文明はある時を境にして突然出現して、そして、突然、その痕跡が途絶えるのです」
高野は首をひねった。津岡は話を続ける。
「その文明は、ある時、ふと、高度な文明をもって出現しました。つまり、技術や文明が形成される過程がないのです。高度な技術を持ったまま、突如として出現した。
かの文明は中国東北部のある場所から、徐々にその勢力圏を拡大していきましたが、また突如として、消滅してしまいます」
「突然、高度な文明が現れて、突然消える」高野は呟いた。
「そうです。地球の文明でも、ある時を境に途絶える文化や文明はあり、その原因が未解明なものもありますが、この文明のそれは、他の文明のそれと全く異質です」
高野は、やや興奮気味に話す津岡の顔をじっと見た。それは、大きく関心を寄せた話題を聞く人の姿勢だった。
「その手掛かりとなるのが『メゴス』と『キドン』という言葉です」
「『メゴス』と『ギドン』」高野は言葉をかみ砕くように反芻する。
「『ギドン』というのは、何らかの災厄のようで、これが文明を滅ぼした要因のようです」
津岡は、一枚の写真を出した。
「これは、昨日、四国山中の洞窟の中で発見した石碑に描かれていたものです」
彼はそういいながら、高野は写真を見た。
「怪物のように描かれています。少なくとも2つの種類がいて……」
高野は驚愕した。あいつだ。津岡も、高野のその様子にすぐ気が付いて、言葉を止めた。
高野は、その写真を凝視する。
「……どうしましたか?」
津岡がそう聞いた時だった。
テントの外が急に慌ただしくなってきた。
多くの、規律正しい足音が土を鳴らし、命令などの叫び声が聞こえる。
高野と津岡はとっさにテントを出た。
迷彩服を着た自衛隊員たちが慌ただしくなっているのが見える。
「先生!」
そこへ、野崎が走ってきた。
「例の物体が出現しました! 複数います! こっちへ向かってきます!」
高野は、普段はテンションの低い野崎が、今は興奮気味に、早口で話しているのをみて、事態の緊急性を理解した。
高野は自衛隊員たちが右往左往しているところに、木々の間から山のほうを見上げた。
四国山地が連なっていた。
高野はそのなかから、ひとつの山を見た。
笹ヶ峰だ。急な山腹に、なだらかな頂上が広がる。
その中腹に何かが動いた。大きな物体だった。
あっ、と思わず高野は叫んだ。津岡と野崎は、高野をみて、その視線の先を見た。
その近くにいた、数人の自衛隊員たちもその様子に気が付き、足を止めて、その視線の先を確認した。
1体の、茶色く、巨大な物体が、頭を上げて姿を見せた。顔に胴体、それぞれ手足が2つずつ伸びている。生き物に近いフォルムにも見えるが、とてもとても禍々しいものを感じる。
かなりの大きさはある。少なくとも20メートル以上はあるのではないだろうか?
肩幅は広めで、それ以上にがっしりとした印象を受けた。
逆三角形のようなフォルムの顔。
あらゆるものを睨めつけるような、赤一色の眼。大きい口に、遠くからでも見える鋭利な牙と、前頭部と後頭部にそれぞれ生えた2本の角。そのうち、後頭部の角はピンク色をしている。
高野と野崎は、不鮮明な画像でしか見たことのなかった、あの飛行物体だとわかった。
物体は顔を上げ、空に向けて、大きく口を開けた。
それは咆哮だった。
甲高い、耳障りな、奇声にも似たそれは、時間長くほえたけり、山々に轟いた。
「あれは『ギドン』だ」
津岡ははっきりと、しかし、断言した。高野も表には出さなかったが、肯定せざるをえなかった。
さらに、その隣からもう1体、同じような巨大物体が顔を出した。そして、すこし離れた、麓のあたりからも、さらにもう3体、周囲の中腹から顔を出した。
他の個体も、短くほえた。先ほどの個体と同じく、不快な、甲高い叫び声だった。
そして、山頂にも、何か、さらに大きなものが出現した。
他の個体よりも、大きな、50メートル以上はあるであろう巨体。
形は、他の個体とほぼ同じだ。しかし、体の色は茶色から、やや赤みが入っている。
しかし、背中から2つの触手を伸ばしている。触手は左右に、ゆらゆらと動いている。
後頭部の角も、ピンク色より濃い赤みがかった色をしていた。
大型の個体は、凶暴な獣の威嚇のように低く、そのなかにも耳障りな甲高さを残したような、なんとも形容しがたい、不気味な咆哮を上げた。
「緊急連絡!」
一人の自衛隊員が走りながら叫んだ。
そして、高野らのちょっと後ろにいた隊長らしき初老の自衛隊員に報告する。
「高知県の工石山に巨大な物体が出現し、飛翔! 数は4。うち1体は他の物体よりも大型、全ての物体が北へ向かって飛び立ったとのです!」
その時、眼前にいた物体たちも大きく背中から、翼のように何かを伸ばした。
背中から一本の巨大な木の枝にも見え、とても翼とは呼べない。翼というより、翼の骨組みのような形に見えた。
しかし、それを広げると、4体はふわっと空を飛んだ。
彼らは宙に浮いた後、体をぐいっと北に向けると、飛行を開始した。
高野らの頭上をあっという間に飛行していった。
「こっちも飛んだぞ」
高野が独り言ちにいった。
それ以外、誰も言葉を発することはできなかった。