第10話 首相官邸 -東京都千代田区永田町
2月27日土曜の夜、東京での動きが急速に活発化してきた。特に永田町から霞が関にかけての一帯は顕著だった。
新宿区市ヶ谷にある防衛省が、四国と九州の間にある豊後水道で航空自衛隊のE2C早期警戒機、さらに室戸岬の南の沖合で、海上自衛隊のP1対潜哨戒機が消息を絶った、という情報を各関係機関に報告したのがはじまりだった。
また、西日本の高速道路を管理する、NEXCO西日本から、高知県北東部にある、高知自動車道大豊インターチェンジで大きな爆発があったとの報告があったのは、防衛省からの情報が入ったすぐ後だった。
この界隈で、一番行動が早かったのは、内閣府の防災担当である。非常時には初動で対応をし、各省庁や関係機関などとの情報収集や連絡調整などを行う。
日比谷公園の西にある高層ビル、中央合同庁舎5号館の一角に普段はいる彼らだったが、情報を受け取ると、青色の防災服に身を包み、法令集やマニュアル、文房具などの必要用具を準備しはじめた。
この時、ある職員は、すぐに内閣危機管理監に電話をかけた。
内閣危機管理監は、災害などの危機的な事態が起こった際に、総理大臣を助けながら、その事態に対処に関するための事柄をまとめる官職だ。
この時、自宅にいた、大野内閣危機管理監は電話をとると、防災担当の全職員と緊急参集チームに指定された官僚たちの参集を命じた。
彼はそのあと、官邸にいた内閣総理大臣に電話をかけ、防災担当の全職員と緊急参集チームに指定された官僚たちの参集との報告をしたあと、今後の事態対応について1分ほど話し合った。
この1分の間にも色々なことが起こっていた。
内閣府の防災担当の職員は60名近くおり、1週間交代で、3班体制に分かれていた。
まず、A班に指定された12名の職員が動いた。この職員たちは発災――つまり、災害が起きてから、30分以内に官邸か、5号館のいずれかに参集するよう、あらかじめ指定されていた。
官邸参集要員は必要用具を持ち、公用車に乗り込んだ。目的地はもちろん首相官邸、そこの地下にある危機管理センターが彼らの拠点の一つだ。
もう一つである5号館への参集要員も、すでに情報収集などを行っている。
B班に指定された24名職員たちも、参集が下ったのをメールなどで確認した後、ただちに各部署に向かった。彼らは発災から2時間以内に参集されることになっている。
あとの職員はC班に指定され、可及的速やかに参集するように指示されていた。C班の職員たちも公共交通機関、あるいは自転車や徒歩などで官邸や5号館に向かっていた。
官邸では第一報を受けた直後に情報連絡室が設置された。これは、災害などの非常時に、内閣参事官が室長となって、関係省庁の情報を集約し、総理らに報告するのが職務である。
しかし、第一報の内容と、その後次々と入ってくる続報を見て、情報連絡室から官邸連絡室へと改組した。官邸連絡室は、情報連絡室のもっていた役割に、関係省庁との連絡調整を加えたものだった。室長も危機管理審議官へと変わる。
また緊急参集チーム、略して緊参チームと呼ばれる、関係省庁の局長級の官僚を主にした人々も官邸に向かっていた。
しかし、彼らは、内閣府の防災担当より動きは遅いと言わざるをえない。彼らは、本来はそれぞれの官庁で主要なポストにいて、それぞれの仕事をこなしている。
何より、今日は土曜日で、多くのメンバーが休暇をとっていた。彼らはただちに仕事に復帰し、官邸に向かった。
また、メディアの動きも早かった。
通信社及び新聞社はこの情報もつかみ、ネット配信で第一報を報じた。
地方紙などの報道機関や、民間企業にニュースを配信している各通信社は、ネット配信と同時に、各社に通信機器を通じて配信。
また、各新聞社も街を歩く人たちのために、号外を刷りはじめた。
テレビに関しては、まずNHKが、その日19時半から放送しているバラエティ番組の画面上に速報を流した。
警戒感は駆り立てず、穏やかな、しかし誰もが一目を引く、NHK独特のチャイムが鳴った。
画面上に『NHK ニュース速報』というテロップが流れた後、同じところに、ニュースの内容を報じたテロップが流され、それを見た視聴者たちは困惑させた。
『自衛隊機2機がそれぞれ 豊後水道と室戸沖に墜落 高知道大豊ICで爆発との情報も 高知道は現在全道通行止め』
首相官邸5階、総理大臣秘書官室の隅っこにパイプ椅子で腰掛けて、3人の官僚が頭を寄せ合っていた。
「ネットはもう凄い話題になっていますね」
環境省の伊藤課長補佐がスマートフォン片手に言った。
NHKニュース速報が流れてから、3分と立たないうちに、SNSでは、その話題で持ち切りになっていたのだ。
「まさか、これだけ事態が早く進むとは……しかも自衛隊機が2機も堕とされるなんて……私たちとしても想定外ですね」
防衛省の魔女、成谷局次長は発言の内容とは裏腹に、どこか楽しそうな微笑を見せていた。
官僚に似つかぬ、温厚そうに整った顔立ちに、魔女らしい妖しさが見える。
「なんか、うれしそうだな」
国交省の但野審議官がその顔を見て渋い顔をして言った。
「すみません。こういう事態になると、精神的な安定を図るために、こういう顔をしてしまうみたいなんです」
そういって、成谷は表情を変えないまま、但野を見た。
但野も、じっと、成谷を見る。
その様子をみて、伊藤は青い顔色をした。
そもそも、この3人は、川原とともに正体不明の飛行物体の件に関して、総理に中間報告をするために首相官邸にいた。
そこで、川原の指示の下で、ここで待機するように言われていた。速報が流れたのはそれから数分後である。
そこへ、川原が駆け足でやってきた。
「すみません。総理への中間報告は今日はなしで。それでも、呼ばれるかもしれませんから、伊藤課長補佐と成谷局次長は今晩はここで待機してください。仮眠スペースは、あとで官邸職員が来て、ご案内します。
但野さん、内閣危機管理監がいらっしゃいましたので、地下にお願いします」
「早いね、さすが大野さん」
そういって、但野は老練な将軍のようにしっかりと立ち上がった。
2人は駆け足で秘書官室を出て、地下にある内閣危機管理センターに向かう。
「川原副長官補と但野審議官はお知り合いなんでしょうか?」
伊藤が二人の姿を見ながら、ふとそんなことを言う。
成谷は同じ方向を見て、それに回答した。
「但野審議官は、国土交通省ができる以前から、災害関係一筋のベテラン。、テコでも動かない、色んな省庁の官僚たちをどなりつけて動かしてきた、霞が関でも有名な人です。
川原内閣官房副長官補も、防衛省の出身ですから、知った仲です。大野内閣危機管理監も、前職は警視総監ですから、同じなんでしょう。防衛省も警察も国交省の災害関係も、一応つながってますから」
「ということは成谷さんも、但野さんのことはご存じなんですか?」
成谷が、今度は伊藤の顔を見て、ニヤッと笑った。
「ええ。でも、そんなには知りません。但野さん、私のことお嫌いみたいなんです」
伊藤はまた肝を冷やした。早く誰か来て、と心底願った。
参集指示がかかってから20分後、緊急参集チームが地下の危機管理センターにある幹部会議室にそろった。
大きなメイン・ディスプレイが左右2つ置かれていた。その大きなディスプレイの左右にも、さらに2つずつ、上下に、少し小さなサブ・ディスプレイがかかっている。
Uの字型の大きな会議机が置かれた、その大きな部屋には、各省庁の幹部がいた。
一番の上座には、大野内閣危機管理監が座っている。
大野内閣危機管理監はこの2分ほど前に官邸に登庁していたが、登庁と同時に官邸連絡室は、官邸対策室に改組をした。
官邸対策室は、官邸連絡室のもっていた役割に加え、初動対応の総合調整を行う役割も持つ。室長は内閣危機管理監である。
8時ちょうどにチームは協議を開始した。
前例のない事態だったため、前例と比較した場合、いささか時間を要したが、それでも8時20分、以下の4つの方針を確認した。
『1.全3件の案件に対し、情報収集に万全を期すこと。
2.2件の自衛隊機墜落事故については、自衛隊、海上保安庁が乗員救出と機体の回収などに万全を期すこと。
3.高知県北部の爆発の案件は、自衛隊、警察、消防、各自治体、その他関係機関が連携を密にし、情報を収集。被害があれば、ただちに関係機関に報告し、要救助者などがいた場合も慎重を期して行動すること。
4.全3件の案件は、前例がなく、推測も困難なものである。全ての機関、関係者は情報を密に取り合い、慎重に行動すること。』
この方針に基づいて、それぞれの機関が行動を開始した。
豊後水道と室戸沖の太平洋では、海上自衛隊の艦艇と海上保安庁の船艇、さらに航空機が向かい、現場海域に着いた艦船や航空機から、水上レーダーや、海をライトで照らした上での目視などで、乗員や機体の捜索にあたった。
大豊インターチェンジでも動きがあった。
大豊インターチェンジは高知県山中、高知県大豊町にあるインターチェンジだった。
北西部には、住宅地や工場も存在する。事故当時、工場は休み、多くの人々は休息をとっていた。
と、近隣の住人たちは、ヒューンという、何か、飛行機が遠くを飛んでいるような音を聞いた。
その音が一瞬にして大きくなり、音を聞いた人たちがその異様さに気が付いた直後、爆発が起こった。
大豊インターチェンジの料金所に何かが直撃し、それと共に大きな爆発があった。
爆発によって生じたオレンジ色の炎は、近くの山と、高知自動車道の上下車線、さらに、そこを偶然通過した数台の自動車を飲み込んだ。
爆風は住宅地にも届き、住宅のガラスを破って、外にあった工具や農具、さらに家屋の屋根などを吹き飛ばした。
大豊インターチェンジは大きく炎上し、あたりをこうこうを炎で照らしていた。
NEXCO西日本は、大豊インターチェンジの周辺道路に黄色い高速道路パトロールカーを配置して、道を封鎖した。
それと同時に高知道を全道通行止めにして、高知自動車道全道の安全確保と点検を行った。原因がわからない以上、全ての車両の進入を止めて、安全を確保する必要がある。
黄色い整備車両が、他の自動車がいなくなった、暗い夜の高知道を走っていた。
しかし、大豊インターチェンジが爆発で大きく燃え、その近くを走る上下車線と数台の自動車が被害を受けたことを知ると、高知道にいるNEXCO西日本の車両の多くは大豊インターチェンジでの活動に専念した。
大豊インターチェンジでは救護活動も行われていた。
NEXCO西日本の職員が応急手当を行っているところに、近隣の消防署から救急隊が続々やってきた。また警察もやってきて、救護活動を支援する。
さらに県や近くの病院からも災害医療チーム、通称DMATもやってきた。
災害活動が本格化するなかで、被害も大きなものであることが明確になりつつあった。
高知県と大豊町は、それぞれ災害対策本部を設置。
町役場、および県庁には職員が続々と登庁し、情報の収集や事態の対応にあたったが、奇妙とすらいえる前例のない事態に、多くの職員は混乱している。
そのような状況のなかで、高知県知事は、大豊インターチェンジの爆発案件について、自衛隊の災害派遣を要請。
高知駐屯地から陸上自衛隊第50普通科連隊150名が、十数台の車両とともに出動した。
高知県庁と大豊町役場には、陸上自衛隊のLOと呼ばれる連絡幹部が73式小型トラックに乗って、向かっていた。
また、陸上自衛隊のヘリコプターも徳島県内の飛行場から大豊インターチェンジに向かってすでに発進し、上空からの偵察を開始していた。
政府は、災害対策本部を設置した。事態発生から50分近くが経過した頃である。