93:新しい出発
「ヒロさん、私も空港へ連れてってください! 鷹緒さんに言いたいことがあるんです!」
広樹に向かって、沙織がそう言った。
「え? ああ、僕はいいけど……」
了承を促すように、広樹は母親を見る。母親は頷いた。
「私もいいわよ。鷹ちゃんに、気をつけてねって伝えてちょうだい」
「わかった!」
沙織はすぐに支度をすると、広樹とともに空港へと向かっていった。
「すみません、ヒロさん。急について来たりして……」
車の中で沙織が言った。
広樹は運転をしながら、笑って首を振る。
「いいよ。忙しい時期だから、みんな見送りたいのに出来なくて、僕しか空港へ行かないんだ。君が行けば、鷹緒も喜ぶよ」
「……それはどうかな」
「きっと喜ぶよ」
断定するように、広樹が言う。
「……それならいいですけど」
「……怒らないでやってね。急に日本を発つこと」
広樹の言葉に、沙織は押し黙る。
「あいつ、本当に沙織ちゃんのことは気にかけてたんだよ。僕が無理やり事務所に誘ったわけだしさ……あいつも今後フォローしてくれようとしてたし、ここ数日もずいぶん駆けずり回って、うちの事務所や君の仕事に関して、売り込んでくれてたみたいなんだ」
「え……」
「頑張ろうね。鷹緒がいなくても」
「……はい!」
広樹の言葉に、沙織は大きく返事をした。
沙織にもう迷いはなかった。想いは伝わらなかったが、鷹緒の優しさが痛いほど伝わっている。
空港。出発ロビーのベンチで、鷹緒が座っていた。ろくに寝てないのか、そのまま眠り込んでしまっている。
「鷹緒」
そんな鷹緒を揺り起こしたのは、広樹である。
「ん……ああ、広樹。遅いんだよ。寝ちゃったじゃん」
「もう一人いるよ」
広樹が退くと、鷹緒の目に沙織が映った。
「沙織……」
「僕、飲み物買ってるくるから」
そう言って、広樹はその場を離れる。残された鷹緒は沙織を見つめ、静かに微笑んだ。
「久しぶり」
「あ、うん……」
沙織が生返事をする。まだ、素直に向き合えない恥ずかしさがある。
「実家に戻ったんだろ? お母さん、元気?」
「うん。あ、お母さんが、気をつけてねって……」
「ああ、うん……」
鷹緒は微笑んで、軽く頷いた。
「私も……ありがとう。これ、受け取ったから」
そう言って、沙織は鷹緒からもらった封筒を抱きしめる。中には大判の沙織の写真とともに、鷹緒からのメッセージが書かれている写真もあるはずだ。
「ああ……」
少し照れるように鷹緒が頷くと、沙織も微笑み、口を開く。
「私はもう大丈夫……一人じゃないし、頑張る。鷹緒さんも頑張ってね。私、鷹緒さんが帰る頃には、きっといい女になってるから!」
沙織の言葉に、鷹緒が笑った。
「期待してるよ」
鷹緒がそう言った時、搭乗アナウンスが流れ、広樹がやってきた。
「はい、コーヒー」
広樹が缶コーヒーを差し出す。鷹緒はそれを受け取ると、立ち上がった。
「サンキュー……じゃあ俺、もう行くよ」
「そっか……」
「いろいろ頼むな、ヒロ」
「ああ、こっちは任せとけ。おまえも頑張れよな」
「おう。じゃあな」
少し照れながら、鷹緒は二人に微笑むと、身軽な荷物を持って歩き始める。
「鷹緒さん!」
その時、沙織が鷹緒に駆け寄った。
「鷹緒さん、これ持って行って」
普通サイズの茶封筒を差し出して、沙織が言った。
「……なに?」
「飛行機の中で見て」
「……わかった。じゃあな」
沙織の肩を軽く叩くと、鷹緒はそのまま搭乗口へと消えていった。
「……行っちゃったな」
広樹がボソッとそう言った。沙織は静かに頷く。
「はい……」
「寂しくなるけど、僕たちも寂しがってる暇はないよね」
横目で見つめる優しい広樹に、沙織も微笑んだ。
「……はい」
「帰ろうか」
「はい」
二人は頷くと、空港を去っていった。
鷹緒は搭乗口のロビーで、沙織に渡された封筒を開けた。中には鷹緒が送った沙織へのメッセージつきの写真が入っている。
“俺が一番気に入ってる写真です。これからも頑張れ”
写真の裏に書かれた鷹緒のメッセージの隣には、新しくメッセージが書かれている。沙織が車の中で書いたと見られるメッセージであった。
“ハイ、頑張ります! 鷹緒さんも頑張ってね!”
そう書かれている。そして写真の隅に小さく、もう一つメッセージがあった。
“好きです”
今の沙織の精一杯な、小さな愛の告白であった。
鷹緒は静かに微笑むと、日本を発っていった。