89:隠れた本音
「鷹緒さんも、沙織ちゃんのこと好きなんでしょう?」
茜が言った。
鷹緒はその言葉に驚いた後、笑い飛ばした。
「あははは。なんで俺が沙織を……」
「とぼけないでください。私がどれだけ鷹緒さんを見てきたと思ってるんですか? いくら親戚だからって、鷹緒さんは沙織ちゃんを構い過ぎです!」
「……そう?」
茜の言葉を上から受けて、鷹緒はビールに口をつける。
「それに、みんなからいろいろ聞きました。沙織ちゃんのために、好きなアーティストのコンサートチケットを取ってあげたり、そのために好きでもない仕事引き受けたって……」
「BBのコンサートのこと言ってんの? 誰から聞いたか知らないけど、そんなことはないよ……」
尚も話を続ける茜に、鷹緒がうんざりした様子で言う。
「それだけじゃない。撮影現場に連れていったり、隣の部屋に住まわせたり、送ってあげたり……そんなの鷹緒さんじゃない! 私の知ってる鷹緒さんは、いつも人を寄せつけなくて、笑ってても遠くて……それなのに、どうして沙織ちゃんには……!」
そう言う茜の口を、突然、立ち上がった鷹緒の手が塞いだ。
「……それ以上言うなよ」
静かに鷹緒がそう言った。その顔はどこか辛そうで、しっかりと茜を見据えている。
「鷹緒さん?」
「俺だって、一歩も前進してないわけじゃない……おまえが知ってる、数年前の俺とは違うんだろ」
鷹緒は静かに微笑んでそう言うと、茜に背を向けた。茜の目が潤む。
「じゃあ、どうして私の口を塞ぐの? 図星だからじゃないんですか!」
「それ以上言うなって言ってるだろ!」
強い口調で鷹緒が言った。その言葉に、茜の瞳から涙が溢れ出る。
「どうして? 理恵さんのことが過去に出来たら、私、鷹緒さんの一番近くにいけると思ったのに……」
茜の言葉を受け、鷹緒はソファに座った。
「……馬鹿だな。俺なんて、過去を引きずってばかりの、情けない男なのに……」
「そこが、格好良かった……」
「……」
二人は一瞬、押し黙る。
「……教えてください。どうして沙織ちゃんのこと……?」
一瞬の沈黙を破り、茜は尚もそう尋ねた。
「だから、なんでもないって……」
「嘘つかないでください。私には聞く権利があります」
「ねえよ」
「教えてください!」
茜が鷹緒の前に、座り込んで言う。鷹緒は髪をかき上げると小さく息を吐き、口を開く。
「……べつに。ただ放っておけなかっただけだよ……」
そう言った鷹緒は溜息をつき、言葉を続けた。
「茜。あいつは俺の親戚なんだぞ? あいつの親含めて、俺の子供の頃まで知ってる。いわば弱みを握られてるも同然なんだ。あいつに何かあったら、俺はあいつの母親に何をされるかわからないし、下手なこと出来るかっての」
ソファに寝そべって鷹緒が言った。その言葉に、茜も俯く。
「親戚か。微妙ですよね……」
そんな茜に、鷹緒は天井を見つめたまま口を開く。
「……茜。俺さ、今はこれからのことしか考えらんないんだ。日本に後悔は残したくない。おまえも、気持ち切り替えてくれ」
その言葉に、茜は頷いた。
「わかりました……これからは、ニューヨークへ向けての、仕事モードでいきます」
茜はそう言って立ち上がる。これ以上、追求は出来ないと思った。
「ああ。じゃあ俺、寝るから。おやすみ」
「ここでですか? 風邪引いちゃいますよ」
「夏だから平気だよ、じゃあな。おまえも気を付けて帰れよ」
「はい……」
茜は事務所を出ていった。煮え切らない態度の鷹緒だったが、少しだけ、本心を覗けた気がした。
鷹緒はそのまま目を閉じた。茜の言葉が、頭の中でこだまする。鼓動が早く、体が熱いのは、浴びるほど飲んだビールのせいだろうか。脳裏には、沙織の姿があった。
次の日。鷹緒が目を覚ますと、広樹がコーヒーを入れていた。
「ヒロ……」
「おはよう。僕、また酔って寝ちゃったみたいだね……」
入れたばかりのコーヒーを差し出し、広樹が言った。鷹緒は苦笑する。
「まあな。おまえ、その酒癖悪いのなんとかしろよ」
「ハハハ……それで、どうだった?」
「なにが?」
「いや、昨日のこと、覚えてなくてさ……言ったんだよな? ニューヨークに行くこと……」
「なに、おまえ、何も覚えてないのか? まあ確かに、途中から寝てたけどな……」
コーヒーに口をつけるや否や、呆れて鷹緒が言った。
「打ち明けたところまでは覚えてるんだけど……」
「……みんなびっくりしてたよ。暗い雰囲気になったから、すぐにお開き」
「だろうな。そりゃあびっくりするよな……沙織ちゃんは?」
「……なんで?」
広樹の言葉に、鷹緒が驚いて尋ねる。
「だって、一番びっくりする人物だろう?」
「……まあ、ショックは大きかったみたいだけど……理恵も怒ってたし」
「まあね。副社長には言うべきだったと思うけど」
「いいんだよ」
鷹緒は遮るようにして言った。
「……いつから行くんだっけ?」
「……来週」
「本当、間もないな……」
「ああ……まあ、後を頼みますよ。やり手の社長さん」
二人は笑って、朝焼けの街を見つめた。新しい幕開けのような、美しい朝だった。