66:胸さわぎ
「やっぱりまだいたんだ。これ、差し入れです」
茜が缶コーヒーを見せて言う。
ちょうど仕事が一段落していた鷹緒は、伸びをしてコーヒーを受け取った。
「おう、サンキュー」
「……ねえ。まだ理恵さんから連絡ないの?」
茜が尋ねた。
「なんだよ、急に……」
「だって……もう一ヶ月以上経つんでしょ? 私から連絡しようか。理恵さんとは、知らない仲じゃないんだし……」
「馬鹿だな。変な気を使うなよ」
鷹緒が苦笑して言う。そんな鷹緒に、茜は口を尖らせる。
「子供扱いしないでください」
「だって子供じゃん。おまえ、俺と初めて会った時、まだ小学生だったんだぜ?」
「それはそうだけど……」
「おまえの親父さん、今、ニューヨークだっけ? 向こうの専属カメラマンになってから、ずいぶん経つんじゃない?」
話題を変えて、鷹緒が言った。
「うん。順調みたいよ……娘のことなんか、構ってられないって感じ」
「……寂しいの?」
「ちょっとね」
「……わかるよ」
二人は苦笑した。
「ねえ、鷹緒さん。どうやったら、私とつき合ってくれる?」
突然、茜が尋ねた。それを聞いて、鷹緒は静かに笑う。
「……やめとけよ、こんな男」
「どうして? 鷹緒さん、格好良いよ?」
「格好良くても悪くても、駄目なもんは駄目。俺はまだ事実上結婚してるし、当分恋人も作る気なんてないの。面倒くさいんだよ、そういうの」
うんざりした様子で、鷹緒が言う。めげずに茜は続ける。
「じゃあ、とりあえず離婚してよ」
「あのなあ……」
そう言う鷹緒に、茜は熱い視線を送っている。鷹緒は苦笑した。
「……わかった。じゃあ、おまえが今の俺の年くらいになったら、考えてやる」
「わかった。それまで待つ! だから鷹緒さんも、それまで浮気しないでよ?」
「そうだな……考えるだけは考えるよ」
苦笑して頷く鷹緒に、携帯電話が鳴った。鷹緒は反射的に、電話に出る。
「はい」
『……鷹緒?』
その声は、紛れもなく理恵だった。
「……理恵?」
『うん……ごめんね、連絡もしないで……』
久々の理恵の声に驚きながらも、鷹緒は安心感を覚えていた。
「いや。どうした?」
『あの……』
「うん?」
『ごめん。なんでもないの……』
理恵の声とともに、車が通り過ぎる音が聞こえる。
「……外なのか? どうした? なんでもないってことはないだろう」
いつもと違う様子の理恵に、鷹緒は胸騒ぎを覚えた。
「理恵?」
『……』
「理恵。そっちに行くから、場所教えろ!」
もはや居ても立ってもいられず、鷹緒が言った。
『平気……本当に、なんでもないの。ごめんね……』
そこで、電話が切れた。
鷹緒は舌打ちをして、理恵に電話をかけ直す。しかし、すでに電源が切られているようで、通じない。
慌てて財布をズボンのポケットにねじ込むと、鷹緒は上着を羽織った。そんな鷹緒に、茜が口を開く。
「理恵さん、どうかしたんですか?」
「ちょっと出かける。おまえももう帰れよ」
そのまま茜を置いて、鷹緒は街へと飛び出していった。
鷹緒は一目散に、内山のマンションへと向かった。内山に電話をかけるが、一向に繋がらない。
内山の部屋に着くと、鷹緒は愕然とした。部屋には新入居者用の公共案内が下げられている。恐る恐る部屋のドアを開けると、中はがらんとしていて何一つない。
「……理恵……?」
鷹緒はそのまま、心当たりを探し続けた。何があったかはわからないが、力ない理恵の声を聞いて、探さずにはいられなかった。
数十分後、ふと気が付いて、鷹緒は自分のマンションへと戻っていった。すると、マンションの前の花壇に腰かける、理恵の姿があった。
「……行くとこ、なくなっちゃった……」
静かに微笑んだ理恵は、心なしかやつれた感じで、鷹緒の胸を締めつける。
「馬鹿か、おまえは……なに電源切ってんだよ」
鷹緒は、思わず理恵を抱きしめた。理恵の目から、涙が溢れ出る。
「ごめん……」
「本当、馬鹿か、おまえは……」
そう言いながら、鷹緒は理恵を離そうとはしなかった。