57:小さな告白
「沙織ちゃん、やっぱり鷹緒のこと……?」
理恵に尋ねられ、沙織は小さく頷いた。
「……そう」
見守るような瞳で、理恵も頷く。沙織は重い口を開いた。
「なんか……気になって。もっと知りたいって思ってるだけで、好きかどうかなんて……」
「気になるってことが、恋なんじゃないのかな」
その時、電話が鳴った。
「あ、ごめんね」
理恵は電話を取る。沙織はお茶を飲みながら、時計を見た。理恵はすぐに電話を終えて立ち上がる。
「沙織ちゃん。私、打ち合わせが早まっちゃって、もう出かけなきゃならないの……ボイトレは、一人で行けるかな?」
「あ、はい。大丈夫です」
「そう。ごめんね……ボイトレが終わったら、事務所の誰かに迎えに行かせるから、その後は夕方までスポーツジムね。それが終わる頃には、私も事務所に帰ってこれると思う。夜にはシンコンの打ち合わせがあるから、沙織ちゃんも一緒にいてね」
「わかりました」
「じゃあ、行って来ます」
理恵は慌しく事務所を出ていった。
残された沙織は、上の空でいた。理恵が鷹緒と関係はないと言っても、説得力がない。聞きたいことの半分も聞けず、沙織の不安は最高潮に達していた。
夕方。スポーツジムにいた沙織を、牧が迎えにきた。
「いいんですか? 牧さん、事務員なのに、私なんかを迎えにきちゃって……」
事務所に帰る途中で、沙織が尋ねる。牧は笑って答える。
「いいの、いいの。たまには私も、日の光を浴びたいもの」
「あはは。もう夕日ですけどね……」
「あーあ。今日も事務所に缶詰めの日だったわ」
「でも、一人でも帰れるのに、すみません」
「いいんだってば。副社長命令だし。それに今日はシンコンの打ち合わせだから、定時に事務所閉めることになってて、もう誰もいないのよ」
二人は事務所へと戻っていった。
牧が言う通り、いつもは実質上遅くまで開いている事務所が、今日は定時刻で閉められていた。そんな事務所を、牧が開ける。
「誰もいない……」
事務所の静けさを感じ、沙織が言った。
「そりゃそうよ。今、お茶入れるわね」
「あ、私やります」
「いいわよ。お湯沸いてないみたいだから、これから沸かすし。ああ……お腹空いてない? 会議で軽くいるかもしれないから、私、買って来るわね。沙織ちゃんはここでゆっくりしてて。電話が鳴っても出なくていいし、誰か来ても開けないで。すぐ戻るから」
「はい……」
そう沙織が返事をすると、牧は事務所を出ていった。
残された沙織は、応接スペースのソファに座り、事務所をぐるりと眺める。広いその部屋は、モデル部署と企画部署が対称的に分かれている。
沙織は、企画部署の奥に置かれた、鷹緒の机に向かった。たくさんのファックスやメモが置かれ、写真や書類が無造作に積み上げられている。汚らしいが、鷹緒らしい物が散乱する机である。
「鷹緒さん……好き……です……」
鷹緒の椅子に座り、机をなぞりながら、静かに沙織が言った。誰も知ることのない、沙織の心からの告白だった。
その時、遠くでカチャリという音が聞こえ、沙織は慌てて立ち上がった。すると、入口には小さな女の子が立っている。鷹緒と理恵の娘、恵美である。
「あ……恵美ちゃん」
近付きながら、沙織が声をかける。前に一度だけ会ったことがある。
「沙織ちゃん」
恵美も沙織を覚えていた。事務所を見渡しながら、口を開く。
「誰もいないの?」
「うん、そうなの……でも、もうすぐお母さん帰って来ると思うよ。約束してるの?」
「うん」
「じゃあ、中に入って待っててね。あ、そろそろお湯沸いたかな……」
沙織はそう言って給湯室へと向かい、缶ジュースを持って戻ってきた。
「ジュースあったよ。どうぞ」
自分の家のように、慣れた様子で沙織が差し出す。恵美は嬉しそうに、それを受け取った。
「ありがとう。今日は打ち合わせだよね? 遅くなるのかな……」
ジュースを飲みながら、恵美が尋ねる。
「さあ……でも恵美ちゃんもいるし、きっと早く終わるよ。終わったら、お母さんと食事でも行くの?」
「うん。ママとパパと、お食事に行くの」
「え、パパって……鷹緒さん?」
沙織の言葉に恵美は驚き、笑顔で口を開く。
「そっか。沙織ちゃん、パパの親戚だから、パパとママが結婚してたこと知ってるんだね!」
「う、うん……」
「恵美、パパの写真あるよ。見せてあげる」
恵美はそう言って、おもちゃのようなロケットペンダントを差し出した。沙織はそれを覗き込む。小さい写真の切り抜きが、ペンダントに入っている。
「え……?」
沙織は写真を見て驚いた。その小さな写真に、鷹緒の顔はない。多少若い頃のものではあろうが、どう見ても鷹緒ではない。
「え……これが、パパ?」
「うん。恵美のパパ」
「これが……鷹緒さん?」
もう一度、沙織は目を凝らして写真を見つめる。
そんな沙織に、恵美がきょとんとした表情で首を振った。
「違うよ」
「え?」
「諸星さんもパパだけど、恵美の本当のパパじゃないんだよ」