54:動揺
「鷹緒さん!」
その声に反応して、鷹緒が振り向く。鷹緒はリビングのテーブルに置いた財布などを、上着のポケットに詰め込んでいた。
「なんだ……勝手に入るなって言ったろ」
「ごめんなさい。ちょっと、聞きたいことあって……」
鷹緒の言葉に、沙織が恐る恐る言う。
「なに?」
「あ……出かけるの?」
直球で聞くのが怖くて、まずは目先の疑問を尋ねた。
「ああ、ちょっと……」
沙織の質問に、鷹緒は言葉を濁す。
「ごめん。じゃあ、やっぱり今度でいい……」
「そう……じゃあな。早く寝ろよ」
鷹緒はそう言うと、部屋を出ていった。
(あんな鷹緒さん、見たことないから気になるのに、なんか聞ける雰囲気じゃないんだよね……帰ってから、今度こそ聞こう……)
残された沙織は気になっていることを聞けず、肩を落として自分の部屋へと戻っていった。
とあるマンションの一室。鷹緒がインターホンを鳴らすと、理恵が出てくる。
「ごめんね……」
一言目に、理恵がそう言った。それを受け、鷹緒は静かに首を振る。
「いいよ……恵美は?」
「うん。お風呂出てから、すぐに寝ちゃったわ」
「そう……」
「上がって……」
「ああ……」
二人は部屋へと入っていった。リビングのテーブルの上には、ビールの空缶が数本ある。
鷹緒はソファに座ると、理恵を見つめた。
「おまえ、飲み過ぎ……」
「うん。なんか、勢いで……」
「やめろよ。酒に走るのは」
「うん……」
鷹緒は、理恵が飲んでいたと見られるビールに口をつける。理恵は静かに口を開いた。
「どうして帰ってきたんだろう。豪……」
「……」
鷹緒は押し黙った。
「……何があった?」
長い沈黙の後、鷹緒がやっとそれだけを口にした。理恵はうつろな目をして俯く。
「追いかけて……言ったわ。どうして帰ってきたのって……」
理恵の回想――。
「豪、待って!」
事務所の外でエレベーターを待つ内山を、理恵が引き止めた。内山は変わらぬ笑顔で、理恵を見つめる。
「久しぶり」
「なんで……なんで? どうして急に帰ってくるのよ!」
理恵が言った。その時、エレベーターが開いたので、内山は乗り込んだ。
「連絡するよ。今度、ご飯でも食べに行こう」
変わらぬ口調でそう言った内山に、理恵もエレベーターに乗り込む。
「嫌よ、勝手に決めないで。どういうつもり? 鷹緒が怒るのも無理ないわ」
「あはは……相変わらず、鷹緒先輩のパンチは効くなあ」
「馬鹿!」
嫌悪感を露にして理恵が言う。そんな理恵に、内山が微笑んだ。
「どう? 元気そうだけど……先輩とはうまくやってるの? ヒロさんもいるなんて、楽しそうだね」
「あんたに関係ないわ。だいたい、どうして知ってるのよ。私がヒロさんと組んだこと……」
「知ってるさ。僕にだって、日本にも友人はいるよ。それより、どこまでついてくるつもり?」
とっくにエレベーターを降りた二人は、夜の街を歩いていた。
理恵は答えずに、叫ぶようにして言葉を続ける。
「なんなのよ……急にいなくなって、急に現れて、挑発して殴られて……何がしたいのよ!」
「……君のもとに戻ってきただけだよ」
内山が言った。理恵の目が、一層大きく見開かれる。
「……馬鹿言わないで……」
理恵が言った。しかし、動揺しているのは明らかだ。そんな理恵に、内山も続ける。
「馬鹿はどっち? 僕はずっと君が好きだった。そんな僕が、君が鷹緒先輩と同じ事務所にいるって聞いて、放っておけると思った? もう、夫婦じゃないのに」
「……自惚れないで。あんたが戻ってくる余地はないわ」
その言葉に、内山は一瞬、悲しそうな顔を見せる。
「そうかな……」
内山はそう言うと、理恵の唇にキスをした。
一瞬、理恵の動きが止まる。しかし次の瞬間、内山の頬を叩いた。
「もう……二度と私の目の前に現れないで!」
理恵は涙を流しながらそう言うと、夜の街へと消えていった。