37:レッスン
次の日から、沙織は放課後に事務所へと通い始めた。同級生の友達からは、つき合いが悪くなったと言われたが、シンデレラコンテストに出ることは秘密にしていた。
「今日もお疲れさま」
ある日。やってきたばかりの沙織に、牧が缶ジュースを差し出した。
「ありがとうございます、牧さん。もう、超暑い!」
そう言って、沙織は受付前にある待合用のソファに座る。
「あはは。もう暑くなってきたわよね」
「本当ですよ」
「沙織ちゃん。いらっしゃい」
そこへ声をかけたのは、理恵である。
「理恵さん」
かつて鷹緒と結婚していた理恵だが、今は割り切ったつき合いだと鷹緒が言っていたことで、沙織も過去は過去だと、気にするのはやめることにしていた。
事実、理恵はとても良い人で、元モデルというだけあり、沙織にモデルとしてのノウハウを教えてくれている一人である。
「すごい汗ね。走って来たの?」
「はい。ちょうど電車が来たんで、飛び乗って……」
「じゃあ、汗が引いたら始めましょうか」
「はい」
沙織はジュースを飲み干すと、奥の部屋へと入っていった。沙織はそこで、理恵から様々なことを習っていた。
「理恵さん。昨日、ウォーキングの練習してから、体中が筋肉痛なんですけど……」
苦笑しながら、沙織が言う。
「あらら。まあ、普段使わない筋肉を使うのも事実だけど、慣れておいた方がいいわよ。普段の姿勢や歩き方もよくなるし。雑誌モデルから始めるといっても、いつステージに立つかわからないんだから」
「まあ、楽しいですけどね……」
「それはよかったわ」
そこにドアがノックされ、鷹緒が入ってきた。
「鷹緒さん!」
思わず沙織が言った。事務所に通っていても、鷹緒にはほとんど会うことはなかった。
「おう、沙織。来てたのか」
「久しぶりだね」
「ああ。頑張ってるらしいじゃん」
「やるからにはね……」
「どうかしたの?」
理恵が尋ねる。
「ああ、これ、シンコンの審査内容が、正式に発表された」
「あら。諸星さん直々に届けてくれるなんて」
「事務所の総力を挙げての企画ですからねえ……あと、沙織の撮影日時、早いとこ決めてくれ。俺も予定あるからな」
「わかったわ。じゃあ後で」
理恵が答えると、鷹緒はそのまま出ていった。
「あの……私の撮影って?」
沙織が尋ねる。
「沙織ちゃんのプロフィール用の写真を撮りたいのよ。シンコンの締切も、もうすぐだから」
「なんか、本格的になってきたなあ……」
「そりゃあそうよ。着実に話は進んでいるわよ」
理恵は笑ってそう言った。
今日も二時間ほどレッスンを受けた沙織は、奥の部屋から出ていった。すると、企画部署の奥のデスクで、鷹緒がパソコンに向かっているのが見える。
鷹緒は出てきた沙織に気付くと、声をかけた。
「沙織。ちょっと来い」
「……なに?」
反発した態度はするものの、内心は嬉しく、沙織は鷹緒のもとへ駆け寄る。
「珍しいね。鷹緒さんが事務所のデスクで、真面目に仕事してる姿」
「馬鹿言え。そんなことより、今度の土曜の夜って空いてるか?」
鷹緒の言葉に、沙織は期待して頷く。
「うん! 空いてる」
「じゃあ、これやるよ」
そう言って、鷹緒が一枚のチケットを差し出した。
「なに?」
「BBのコンサートチケット」
「嘘! 今やってるやつ?」
「ああ」
「超嬉しい! このチケット、ファンクラブ入ってても取れないんだよ。入れるのは抽選で当たった人だけなの。今週までだし」
「もらったんだ、最終日のチケット。BBから、直接のお誘い」
その言葉に沙織は驚いた。
元彼である篤が大ファンだったことで、沙織自身も人気歌手グループであるBBのファンになっていたのだが、彼氏と別れた今でもそれは変わらない。
「BBから?!」
「俺は仕事で行くんだけど、この間打ち合わせに行った時に、BBの連中がおまえのこと覚えてて、親戚のお嬢さんもぜひどうぞってな」
「ええ! 私のこと、覚えてくれてるの?」
興奮した様子の沙織に、鷹緒が微笑む。
「一枚だけだけど、よければ行けよ。楽屋にもぜひ来てくれってさ。早く来れたら合流して、楽屋まで連れてってやるよ」
「本当? 超嬉しい。ありがとう、鷹緒さん!」
思わず、沙織が鷹緒に抱きつく。
「馬鹿。抱きつくなっての」
少し照れながら、鷹緒は沙織を離した。沙織は好きなBBのコンサートを見られるということと、鷹緒に抱きついてしまったという嬉しさと恥ずかしさで、満面の笑みだった。
「まあ、それだけ喜んでもらえれば、やり甲斐があるな。じゃあ、行くのは一人で行ってくれよ」
「うん。本当にありがとう、鷹緒さん」
「礼を言うなら、BBにしろよ」
「うん。じゃあ、行くね」
「ああ。気をつけて帰れよな」
「はーい!」
沙織は嬉しさで飛び上がりながら、家へと帰っていった。
土曜日。沙織は真っ白な新しいワンピースとミュールを履き、気合を入れた服装で家を出ていった。