32:突然の訪問
リビングでは、鷹緒と広樹がお茶を飲んでいた。
「鷹緒さん、ヒロさん! ど、どうしたんですか?」
慌てた様子で沙織が尋ねる。そんな沙織に、広樹が口を開いた。
「ああ、ごめんね、突然。近くまで来てるって電話したかったんだけど、繋がらなくて……」
「はあ……」
「ケーキいただいたのよ。食べましょうよ」
沙織の母親がそう言って、ケーキを取り分ける。
「ああ、あとこれを……」
広樹が沙織に、紙袋を差し出した。沙織は首を傾げる。
「え?」
「ファンレターだよ。ごめんね、さっき間に合わなくって」
「ああ……」
「それで、お母さん。ちょっとお話があるのですが……」
改まって、広樹が母親に言った。
「ええ、なんでしょう」
母親も座って、広樹を見つめる。
「改めまして、私は鷹緒と同じ事務所の社長をしております、木村といいます。沙織ちゃんには、いつもお世話になっています。実は突然の話で大変失礼ですが、本格的に沙織ちゃんをモデルとして起用させていただきたいと思いまして、伺わせていただきました。沙織ちゃんには、前々から個人的にその旨を伝えていたのですが、先日出ていただいた雑誌社からの要望もございまして、今回は正式に親御さんにもお話をと思い、突然ながらお邪魔させていただいた次第です」
広樹が言った。先日、なりゆきで出た雑誌から、沙織への依頼が来ているようだ。さすがの母親も、それには驚いた。
「沙織が……モデルですか」
「はい。最近は読者からモデルになった子も多く、現実に沙織さんにも予想を上回るファンレターが届き、問い合わせの電話も多く届いております。ファンレターを読んでいただければ、そのファンの熱意も伝わると思います。まだ学生さんですから、無理強いは致しません。学業に支障をきたすことはさせませんし、モデルとしてのフォローは、こちらがきちんと致しますので、その点の心配はないと思われますが、いかがでしょうか」
広樹の話を聞きながら、沙織はちらりと鷹緒を見た。鷹緒は軽く目を伏せたまま、広樹の話に耳を傾けている。
「……沙織はどうなの?」
その時、考えていた母親が、沙織に尋ねた。
「え?」
「お父さんがどう言うかはわからないけれど、あんたの気持ちはどうなの?」
母親が、そう言い直した。
「……そりゃあ、そういう世界に興味がないわけじゃないよ。でも……」
沙織はもう一度、鷹緒を見た。鷹緒もその視線に気付いて、沙織を見つめる。
「……鷹緒さんはどう思う?」
「なんで俺に聞くの?」
沙織の言葉に、鷹緒が言う。
「……だって鷹緒さん、私が馬鹿だって思ってるでしょ? この話受けたら、おまえには無理だなんて言って、陰で笑ったりするんじゃないの?」
膨れっ面で、沙織が言った。それを聞いて、鷹緒は苦笑する。
「まあ、馬鹿だとは思うけど、べつにそんなふうには思わないよ」
「そうよ、鷹ちゃん。本当に沙織は、その世界でやっていけるのかしら」
真剣な目でそう言いながら、母親も鷹緒を見つめる。
「……まあ、これだけ多くのファンレターが来るのは、確かに珍しいと思うよ。もちろん厳しい世界だから、本格的にそれで食っていこうというなら、正直、難しいと思う。だけど読者モデルとして、一般の子がモデルをやるのは増えてきてるんだ。それこそ趣味の一環。モデルを目指してる子も、目指してない子も、一時期のバイト感覚でやってる子も多い。だからその程度なら、十分やっていってもいいと思うけど? 確かに沙織は、顔も可愛いわけだし」
鷹緒の言葉に、沙織は嬉しくなった。お世辞かどうかはわからないが、鷹緒からのその言葉は、今の沙織にとって、最高の褒め言葉である。
「もちろん、今すぐ返事をくれというわけではありません。ご家族でよく話し合って、それからお返事くだされば結構です。そしてもしお受けいただけるならば、少なからず仕事の謝礼はお支払い致しますし、スケジュール管理からフォローまで、うちのスタッフが面倒見ます。気心が知れている鷹緒も同じ事務所のわけですし、気兼ねなくやっていただければと思っております」
一同を真っ直ぐに見据えて、広樹が言った。そんな広樹に、母親は頷いた。
「わかりました。主人とも話し合って、それからお返事します」
「お願いします。では、突然お邪魔して申し訳ありませんでした。我々は、これにて……」
広樹がそう言って立ち上がると、鷹緒が名刺を母親に渡した。
「事務所の住所変わったから、これからはこっちに連絡して」
名刺を差し出しながら、鷹緒が沙織の母親に言った。
「わかったわ。鷹ちゃん……本当にうちの子、モデルなんてやっていけるの?」
心配そうに言った母親に、鷹緒は優しく微笑む。
「まあ、本人のやる気次第だと思うよ」
鷹緒がそう言うと、沙織が手を差し出した。