17:嵐の前の静けさ
「誰から?」
その時、テレビを見ていた母親が尋ねた。
「あ、鷹緒さん」
「そう。なんだって?」
「今日は助かったって。あの人の電話、いつもそっけないんだよね……」
少し不満げに、沙織が言う。
「まあ、昔からクールな子だったわよ。それより沙織が出るっていう雑誌、いつ出るのよ」
「え? さあ……」
「さあって……」
「そんなこと、いいじゃない。恥ずかしいし」
「よくないわよ。娘の晴れ姿を、ちゃんと見るんだからね」
「ハイハイ。今度聞いておくから」
沙織は苦笑しながらそう言うと、母親と話を続けた。
次の日。沙織は、また事務所へと足を運んだ。事務所入口の近くにある応接スペースでは、鷹緒が書類を広げているのが見える。
「あ、沙織ちゃん」
受付に座っている牧が出迎える。その声に、鷹緒は顔を上げた。
「おう」
「鷹緒さん……事務所に居るなんて、珍しいね」
沙織はそう言って、鷹緒のそばへと歩いていった。
「まあな」
鷹緒はそっけなくそう言い、仕事を続けている。
「沙織ちゃん。紅茶でも入れるから、座ってて」
受付から立ち上がり、牧がそう言った。沙織は慌てて牧に駆け寄る。
「いいですよ、牧さん。自分でやります」
「いいのよ。沙織ちゃんは、撮影現場を助けてくれた恩人だもの。事務所としても、仕事がストップしないで本当に助かったわ」
牧がそう言って給湯室へと入っていったので、沙織は鷹緒の前に座った。
少しすると、牧が紅茶を沙織に差し出した。
「ありがとうございます」
「いいえ。もう、鷹緒さん。ここで仕事するのやめてくださいってば。来客用のスペースなのに」
口を尖らせながら、牧が鷹緒に注意する。
「んー……」
そんな鷹緒は生返事で、話を聞いていない様子だ。。
「もう、鷹緒さんったら」
「……もうすぐ終わるから」
鷹緒はそう言うと、真剣な眼差しで仕事を続けている。
「牧さん。今日は何か手伝うことありますか?」
鷹緒の態度に苦笑している牧に、沙織が言った。
「うーん、今日は大丈夫みたい。みんな風邪でダウンしてるから、仕事も手がつけられないのよね。ゆっくりしていって」
牧はそう言うと受付に戻り、自分の仕事にかかり始める。沙織はソファに座ったまま、そばにあった雑誌を取り、時間を潰した。
しばらくして、鷹緒がテーブルの上の書類たちを片付け始めた。
「終わり?」
見ていた雑誌から目を離して、沙織が尋ねる。
「一通りな」
「ねえ、お寿司は?」
「今日か?」
沙織の言葉に、鷹緒が言った。
「駄目?」
「いいけど……じゃあ、もう少し待てるか?」
「うん、いいよ」
「じゃあ、ちょっと待ってて。牧。俺、JM雑誌でチェックしてから、印刷会社へ入稿してくる」
「わかりました」
鷹緒は牧にそう言うと、事務所を出ていった。
「鷹緒さん、いろんな仕事あるんですね……」
残された沙織がぼそっと言った。牧は仕事を続けながら、苦笑している。
「まあねえ。鷹緒さんは、カメラマン業だけじゃないから……あんまり助手も使わない方だしね」
その時、沙織の携帯電話が鳴った。画面には、彼氏である篤の名が浮かんでいる。沙織はすぐに電話に出た。
「もしもし」
『沙織? 俺』
「うん。どうしたの? バイトじゃなかったの?」
篤は毎日アルバイトをしていて、沙織とは学校以外で会うことはほとんどなかった。学年も違うため、最近はあまり会う機会もない。その分、沙織はこのところ、頻繁に事務所に顔を出していたのだった。
『バイトだったんだけど、今日は早上がり出来ることになってさ。これから会わない?』