123:あと一歩
鷹緒の手が沙織の頬に触れる。泣き出しそうだった沙織の瞳から、涙が零れた。
「沙織……」
そう呼ぶ鷹緒の手は、小さく震えていた。なぜここまで苦しんでいるのか、沙織には理解出来なかった。
震える鷹緒の手を、沙織が取る。
「……どうしてそんなに辛そうな顔をするの?」
「……」
「鷹緒さん?」
鷹緒は目を伏せた。
「臆病なんだ。おまえを傷つけることも、自分が傷つくことも嫌だから……あと一歩が踏み出せない……」
それを聞いて、沙織は一歩を踏み出した。そして、そっと鷹緒に抱きつく。
「じゃあ私がもっと踏み出す。もう、こんなところで傷つくのは嫌なの」
互いの温もりが伝わり、鷹緒も沙織を抱きしめた。
「馬鹿だな……こんなバツイチで仕事人間な男を選んでも、幸せになんて……」
「馬鹿はそっちだよ。私の幸せは、鷹緒さんと一緒にいることなの。だから私が鷹緒さんを幸せにする。鷹緒さんは、そのままでいればいいんだよ」
沙織の言葉に、鷹緒は小さく微笑んだ。そして、きつく沙織を抱きしめる。
「ちゃんとしなくちゃな。俺も……」
「え……?」
きつく沙織を抱きしめたまま、鷹緒は目を閉じる。不安はあった。年も何もかも違う沙織を、このまま受け止められるかはわからない。だが、沙織を手放したくないと思った。
鷹緒は何かを心に決めたように、静かに目を見開く。もう迷いはなかった。
「沙織……」
その声に不安を感じて、沙織は更に抱きつく。そんな沙織の額に、鷹緒はキスをした。
「クラクラする……」
沙織が言った。鷹緒は静かに微笑む。
「風邪だろ?」
「もう。ムードぶち壊し……」
「……沙織。どこか行こうか」
突然、鷹緒が言った。沙織の顔は一気に明るくなる。
「いいの? でも、あんまり寝てないって……」
「今日は十分寝たから平気」
支度をして、鷹緒は手を差し出した。ゆっくりと沙織も手を伸ばしていく。二人の繋がった手から、温もりが伝わる。
「行こう」
鷹緒はそう言うと、沙織とともに事務所を出ていった。
二人はそのまま、近くのレストランで食事をすると、鷹緒の車でドライブへと出かける。大して会話もなく、沙織は緊張していた。
(鷹緒さん……私たち、つき合ってるんだよね? もう恋人なんだよね?)
そう聞きたいが、否定されたり怒られるのではないかと思うと、沙織は恐くて聞けない。
「で、どこか行きたいところないの?」
黙り込んでいる沙織に、いつもの口調で鷹緒が尋ねた。
「え? うん……じゃあ、遊園地!」
「今から? 俺、混むところ嫌いなんだよな……」
鷹緒の言葉に、沙織はがっかりした。
「うん、嫌いそう。駄目なら……」
「じゃあ、千葉方面でも行くか」
突然、鷹緒がそう言ったので、沙織は顔を上げる。
「本当?」
「たまにはいいよ」
渋滞を介しながらも、二人は遊園地へと向かった。
年は少し違うものの、恋人同士に見える二人。なにより沙織ははしゃぎっぱなしで、鷹緒も久々の遊園地を楽しんでいた。