122:複雑な感情
「鷹緒さん……」
「……おまえ、どうしてここに?」
鷹緒が驚いて尋ねた。昨夜のことは、広樹と話していたところまでしか覚えていない。
「ヒロさんが呼んでくれたの。鷹緒さん、具合が悪いからついててやってくれって……」
「あいつ……」
沙織の言葉を受けながら、鷹緒は起き上がった。
昨晩。沙織のもとに広樹から電話があった。鷹緒から電話を待っていた沙織は、広樹からの電話と知り、少し落胆した。
「沙織ちゃん。鷹緒のことなんだけど……」
突然聞こえた鷹緒という名に、沙織は電話を持ち直す。
「は、はい……」
「実は、鷹緒が事務所で寝込んでるんだ。あいつ、ここ数日まったく寝てないからさ……よかったら看病しに来てくれないかな。僕はもう帰るところなんだ。調子の悪い鷹緒を置いていくにも気が引けるし……」
広樹がそう言った。沙織は目を泳がせる。
「あ、でも、私……今、鷹緒さんとは……」
沙織は渋ってそう言った。今、鷹緒とは会う気にはなれない。鷹緒から連絡が来るまでは、待っていたかった。
「聞いたよ。ユウさんと別れたんだって?」
「……鷹緒さんから?」
「うん……なんとなくだけどね」
「ごめんなさい。急にこんなことになってしまって……社長のヒロさんには、逸早く言うべきなのに……」
電話越しにお辞儀をしながら、沙織は謝った。
「うん。でも、プライベートまで管理するつもりはないよ」
「……鷹緒さん、どうですか? 連絡くれるって言ってたのに、一度もくれなくて……なんかもう、会うのが恐いんです……」
正直に言った沙織に、広樹は静かに口を開く。
「ここ数日、あいつが電話する暇もなかったのは事実だから許してやって。とにかく、気が向いたら様子見に来てやってよ。ぐっすり眠ってるけど、起きて君がいたら嬉しいと思うし、誰もいないから……それに明日、あいつは休みだから、ゆっくり出来ると思うよ。鍵は開けておくから。じゃあ、またね」
一方的にそう言って、広樹は電話を切った。
「あ、ヒロさん! 私……」
そう言うものの、すでに電話は繋がっていない。
沙織は事務所に行くかどうか悩んだが、意を決して、鷹緒に会おうと思った。会いたくなった。
そのまま沙織は、夜の街へと走り出した。
「ふう……」
沙織の話を聞きながら、深呼吸のような溜息をつく鷹緒。それを不安そうに沙織が見つめている。互いに、何を話したらいいのかわからなかった。
「あの、ごめんなさい。勝手に……」
やがて沙織が言った。鷹緒はそっけなく立ち上がる。
「べつに……ヒロが呼んだんだろ?」
「……鷹緒さん!」
背を向けた鷹緒に、沙織が呼び止めた。そして不安をぶつけるように口を開く。
「本当は後悔してるんでしょ? いいよ、本当に遊びでも……だけど、そんなふうに拒まないで。せめて今まで通り、ただの……親戚として……」
「……今まで通りなんて、思えないよ」
自分で言って悲しくなっている沙織に向かって、鷹緒がきっぱりと否定した。
「え……」
「なかったことに出来るほど、俺は器用じゃない。だからといって……悪いけど、これからのことなんて、まだ考えられないんだ。軽蔑するなら、していいよ……」
「……」
「ごめんな。電話も出来なくて……」
沙織の心は深く傷ついていた。このまま前に進めなくなりそうだ。
「ず、ずるいよ、鷹緒さん。なんなの? わけわかんないよ。私は、好きか嫌いか、ただそれだけ。そばにいたいだけなの!」
必死の形相で、沙織が言った。鷹緒は立ち止まったまま動かない。
そんな鷹緒の腕に、沙織の手が触れた。二人に緊張した空気が張り詰める。やがて沙織の腕を、鷹緒が掴んで離した。
「……悪い」
そう言うと、鷹緒はまたも沙織に背を向ける。
「鷹緒さん……」
「……どうしていいのかわからないんだ。感情のままにおまえのこと受け入れたって、きっとおまえを傷つける……恋愛なんてまるっきりしてないし、今までしてきた恋愛だってうまくいかなかったと思う。おまえのこと、絶対傷つける決まってる」
沙織は、鷹緒を見つめた。
「……いいよ? いいよ。鷹緒さんになら、どんなに傷つけられたって……好きなのに想いが届かないより、好き合って傷つけ合うほうがいい。傷つけたら……癒せばいいんじゃない! 鷹緒さん、好きだよ……」
そう言った沙織に、鷹緒は振り向いた。