118:想い
互いに引き寄せられるように、二人は何度もキスを重ねた。
鷹緒の大きな手が、沙織の頬を撫でる。沙織の髪を解かす。そして鷹緒の唇は、沙織の頬や額をも捉える。やがて、もう一度唇を重ねた。
「鷹、緒さん……」
観念するように、沙織が呼んだ。
コツンと、鷹緒の額が沙織の額にぶつかる。
「……止まらなくなる……」
鷹緒の低い声が響いた。一瞬躊躇ったような、伏し目がちの鷹緒の顔が、沙織の目に映る。鷹緒はなぜか辛そうに、自分の頬と口を片手で押さえている。
「鷹緒さん?」
「……ごめん」
その言葉に、沙織は必死な目をして、鷹緒の腕を掴んだ。
「どうして! どうしてそうやって逃げるの? 私……」
「頼むから、そんなこと言うなよ……」
完全に顔を逸らして鷹緒が言った。沙織は離れていく鷹緒の前に立ち直す。
「そうやって向き合ってくれないんだね。どうして? 私、もう傷なんかつかないよ。恐いものもない。私はもう子供じゃないし、前より大人だよ。鷹緒さんがそばにいてくれたら、他に何にもいらないの」
わかってほしい……必死の目で沙織が鷹緒を見つめる。
そんな沙織に首を振って、鷹緒は目を反らすことしか出来ない。
「俺は恐いよ。おまえを好きになるのが……」
静かに鷹緒がそう言った。
沙織はやっと鷹緒の本音を聞けた気がした。そして次の言葉を待つ。
「大人なら、わかれよ……なんでだよ。俺なんかのどこがいいんだ? おまえは、俺のすべてを知ってるはずだろ。過去も、なにもかも……」
沙織はそっと頷いた。
「そうだよ。その上で好きなんだよ?」
「アホか。なんでよりによって、こんな男に引っかかる必要があるんだよ……あんなトップスターと別れてまで、つき合うのが俺か? それに、おまえの相手が俺じゃ、おまえの両親にだって申し訳が立たないだろ」
依然として苦しげにそう言った鷹緒の手を取り、沙織は口を開く。
「それで……それでそんなに拒むの? なんで、そういうふうに思うの? 私、鷹緒さんの知らないこと、まだたくさんあるんだよ。だけど、知ってるところは全部好き……お母さんたちだってきっと喜ぶよ。それに、ユウは私を理解してくれた。だから私は逃げるわけにはいかないの。それだけすごい人なの、鷹緒さんは!」
沙織はそう言いながら、止め処ない涙を流していた。鷹緒に振り向いてほしい、この気持ちが真剣なことだけはわかってほしい、ただそれだけだった。
「遊びでもいい……捨てられてもいい。一度でいいから、こっちを向いてよ……」
溢れる涙に酸欠状態になりながらも、沙織はそう言った。涙で滲んだ瞳に、未だ辛そうにこちらを見ている鷹緒が映る。
「アホか。遊びだなんて……そんなこと、出来るわけないだろ。俺だって、おまえが……好きなんだから……」
ゾクッという感覚が、沙織を包んだ。
鷹緒は言葉を選ぶように、途切れ途切れにゆっくりと、そう口にしていた。そんな鷹緒を見つめながら、沙織は震える唇で、なんとか言葉にする。
「い、今……なんて?」
やっとのことでそう言った沙織の涙を、鷹緒の手が拭う。ハッキリと見えた鷹緒の顔は、静かな微笑みを向けている。そして何かを吹っ切ったように、鷹緒は沙織をもう一度抱きしめた。
「俺も好きだよ……」
抱きしめられた沙織は一瞬、何が起こったのかわからなかった。
「う、嘘……」
信じられないといった様子で、沙織は鷹緒の腕の中にいる。鷹緒を見上げる表情は不安気だ。
形勢逆転といった形で、鷹緒は苦笑した。そしてもう一度、沙織にキスをする。
「嘘じゃないよ……」
「じゃあ……もう一回言って」
「アホ。そんなポンポン言えるか……」
呆れたように、少し顔を赤らめて鷹緒が言った。
鷹緒の腕の中で、沙織が飛び跳ねる。
「嫌だ、もう一回だけ! お願い……」
あまりに切実な目で見るので、鷹緒は目を逸らして、小さく溜息を漏らした。そんな鷹緒に少しだけ傷つきながらも、沙織は見つめることをやめない。
やがて意を決したように、鷹緒は沙織を抱きしめ、沙織の耳元で囁いた。
「愛してるよ……」
とろけるような幸福感が、沙織を満たしてゆく。くすぐったいが心地良い。
やがて合う目線に、二人は縺れ合うようにして床に倒れ込んだ。もう、何も妨げるものはない。本能の赴くまま、二人は愛を確かめ合うのだった――。