114:傷あと
「この写真、俺の原点なんだ……」
鷹緒が笑ってそう言った。
「え……?」
「俺が高一の時かな……伯父さんに古いカメラもらって、いろいろ撮ってた。だけど被写体といえば風景とかしかなくて、人を撮る気にもならなかったんだ。だけど夏におまえたちが遊びにきて、コロコロ変わる表情が楽しくてさ……おまえが最高に笑った時、泣いた時、それを収めたくて楽しくなってた。それからカメラに興味が湧いてね……だから、これが俺の原点。沙織がきっかけなわけ」
鷹緒の言葉に、沙織は驚いた。
「この写真、持ち歩いてるの?」
「うーん、お守りみたいなものかな。カメラマン辞めようと思ったことは何度もあるけど、なんかこれ見ると、楽しいことしか思い浮かばないんだよな」
笑ってそう言う鷹緒に、沙織も微笑んだ。知らなかった事実に嬉しくなる。
「私が、原点?」
「そうだよ……すぐにカメラマンになろうとは思わなかったけど、興味が湧いてた時に近くのスタジオでカメラマンアシスタントのバイト募集してて、そこでバイト始めたんだ。そこで茜の親父さんに会って、ヒロとも出会って。カメラの技術教わって、モデルの仕事までやらされて……いろいろあったけど、原点はやっぱりそこだな」
「ありがとう。嬉しい……」
自分を元気づけようと、そこまで話してくれた鷹緒に、沙織は微笑んだ。
そう言う沙織の顔を、鷹緒が覗きこむ。
「……おまえは? 大丈夫なのか? 仕事とか。ユウとはうまくやってんの?」
突然、鷹緒がそう尋ねたので、沙織は頷いた。
「うん、平気。交際宣言してからは、マスコミもそんなに騒がなくなってきたし……時々嫌がらせとかはあるけど、ユウがちゃんと守ってくれるし、誰かそばにいるから平気だよ。仕事も順調」
「そっか、それなら一安心だ。頑張れよ」
笑ってそう言う鷹緒の手を、沙織が掴む。
「……鷹緒さんは? もう、頑張らないの? 家族に憧れなくたって、恋人くらい……」
沙織が言った。その問いかけに、鷹緒は静かに微笑んだ。
「うん、頑張らない。頑張れない……もう、そういうことは考えられないんだ……」
その言葉は、沙織の心を貫くような衝撃があった。鷹緒が今まで傷ついてきた、深い傷跡が見えた気がする。もう恋に頑張れないほど、鷹緒は臆病になっている。
それを知った今、沙織の瞳からはまた涙が溢れ出した。
「なんだよ。変なやつだな……」
その涙を見て、鷹緒が苦笑して言う。
「ごめんなさい……」
か細い声で沙織が言った。大声で泣きたい気分だった。しかしそれを抑えて、沙織は涙を流し続ける。
そんな沙織を、鷹緒は引き寄せた。そして鷹緒は、ベッドにもたれこむ沙織を、そのまま抱きしめる。
「……泣き虫のままだな……」
「鷹緒さん……鷹緒さん!」
堰を切ったように、沙織は鷹緒に抱きついて泣きじゃくった。
「馬鹿だな……人の過去なんて覗こうとするからだよ。おまえは基本的には幸せなんだろ? そういうことに、免疫ないんだからさ……」
「ごめんなさい……」
「俺はもう、吹っ切ってるのにな……」
そう言う鷹緒の顔は、沙織には見えなかったが、きっと辛そうにしているに違いない。
しばらくして、鷹緒は沙織を引き離した。
沙織は大分落ち着いた様子で、腫らした目を拭いながら、鷹緒を見つめる。
「……大丈夫か? 泣かせて悪かったな」
鷹緒の言葉に、沙織は首を振る。
「ごめんなさい……」
「いいよ。それより、いい加減、もう帰った方がいい」
「うん……ごめんね。熱があるのに……」
「なにを今更……大丈夫だって」
笑って鷹緒が言う。
沙織はベッドから降りると、頭を下げた。
「いろいろ、ごめんなさい」
「もういいよ。気をつけて帰れよ」
「うん、ゆっくり休んでね。病院にも……」
「わかった。明日行くから、心配すんな」
「うん。じゃあ……」
「おやすみ」
「おやすみなさい……」
鷹緒を寝室に残して、沙織は鷹緒の部屋を出ていった。
まだドキドキしている。これは一時の感情ではない。鷹緒のことを思えば思うほど息苦しい。
沙織は懐かしいまでのこの気持ちに、自分の本心に気付かざるを得なかった。
「どうしよう。今はユウがいるのに……鷹緒さん……鷹緒さん!」
また止まらない涙を流しながら、沙織は家へと帰っていった。