100:君に囁くラブソング
二人の間に、緊張が走った。そして沙織が口を開く。
「あの。ひとつだけ、聞いてもいいですか?」
『うん』
「ユウさんは有名だし、カッコイイし、それなのにどうして私なんかを……」
沙織は疑問をぶつけた。
全国規模のコンテスト準優勝者とはいえ、ユウが出会ってきたはずの芸能人たちと比べれば、自分は大した顔でも体系でもないことは自覚している。
『なんだ、そんなこと?』
緊張する沙織に反して、電話の向こうから聞こえてきたユウの声は、呆れたような、明るく笑った声であった。
『人を好きになるのに、理由なんかないでしょ。そりゃあテレビに出てる芸能人みたいに、顔が可愛いければ可愛いほどいいかもしれないけど、そうそう自分と合う人間っていないよ。それに沙織ちゃんは可愛いじゃない。もっと自信を持ちなよ。シンコン準優勝者の君でも、そんなふうに思うんだね』
そんなユウの言葉は、沙織の不安を一気に吹き消したような、そんな気がした。
「ユウさん。私、ずっとユウさんに憧れてました。だから……本当に、私なんかでよかったら、その……」
言いにくそうに、沙織はそう言った。
『それって、もしかして……いいの?』
「は、はい……」
『やったー!』
電話の向こうで、ユウが絶叫する。本当に嬉しそうだ。
「ユ、ユウさん?」
『あ、ごめん。なんか一人で盛り上がっちゃって……でも、よかった。フラれるんだとばっかり思ってたから……』
「そ、そんな……」
嬉しそうなユウに、沙織も微笑む。恥ずかしさと嬉しさが混じり合う。
やがてユウが尋ねてきた。
『でも、事務所の人には言ったの? 大丈夫?』
「あ、はい。うちは恋愛とか自由なんで……でも相手がユウさんだから、新人の私にはいろいろ不利だろうって。だから、公表は……」
沙織の言葉を聞いて、ユウは静かに口を開く。
『そうだね……まだ沙織ちゃん、学生だもんね。わかったよ。僕も忙しいし、あんまり二人きりで一緒にいるとかは、実際出来ないと思うんだ。事務所の人の意見は正しいと思うし、時期が来るまで公表は控えようか』
すべてを察してユウが言った。その心遣いが、沙織はとても嬉しかった。
「ありがとうございます……」
『いいよ。僕は君とつき合えるってだけでいい。でも、あんな記事書かれたんだ……何かあった時も、これからは堂々と君を守れる』
まるでラブソングを囁かれているように、沙織の心は解されていった。
その日から、沙織とユウの秘密の交際が始まった。
しばらくマスコミの目から離されることはなかったが、実際にユウが沙織と会っている暇もないほどに忙しかったため、その報道は次第に激減していく。それと同時に噂も消えるようになり、沙織も以前と同じように仕事を続けていった。
また、ユウが心配していたような過剰な報道もそれほどなかった。沙織は学校の同級生などから、真相を聞かれたりはしたが、答えられるはずもない。
沙織とユウは、二人きりで会うことなどほとんど出来なかったが、毎日のメールや電話のやりとりで、その交際を続けていった。
それから数ヵ月後、沙織は無事に高校を卒業し、都内の短期大学へ通うこととなった。それと同時に、本格的に芸能活動をするため、事務所近くに一人暮らしを始める。
「よし。これでなんとか暮らせるかな」
最後のダンボールを片付け、新居となる部屋を見渡して、沙織が言った。
すると、携帯電話が鳴る。
「はい。あ、ユウ?」
電話の相手は、未だ順調に続いている、恋人のユウである。二人はもう、呼び捨てで呼び合える仲となっていた。今では、たまに二人きりで食事に行ったりもしている。
『沙織? 引越しは終わった?』
「うん、今」
『ごめん、手伝えなくて』
「いいよ、そんなの。それに、ユウが引越し手伝う姿なんて、想像つかない」
笑って沙織が言う。それにつられるように、ユウも笑った。
『あはは。そうかな? それより今日、久々に早く終わりそうなんだ。一緒に食事でもしない?』
「うん、するする!」
『じゃあ迎えに行くよ。七時半に』
「オーケー。あとでね」
沙織は電話を切った。
つき合ってみると、ユウは普通の男性で、人気歌手とはまったく違った顔を見せる。そんなユウが、沙織はたまらなく愛しかった。