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◆自殺するくらいならバックレ伝説!◆

作者: 山田相州

かつてない、雇用状況の悪化と、職場環境の悪化により、働く人の体調は昔に比べ悪くなっている。それでも社会は自らを省みることなく突き進んでいる。壊れた人が働くとどうなるか実験してみたので、その結果を報告する

 このたびは、日立川先生のお取り計らいにより1年間スイスに留学し、その後財団法人に就職して現在は市営住宅の設備点検などをする仕事をしています。これまでの経緯を説明することによりいままでお世話になった人々へのお礼とさせていただき、いわゆるブラックバイトやブラック企業というものの減少に貢献できればいいなと思っております。


 私は県立平安高校を卒業後、20年間実家で家事手伝いをしながら、ハローワークにかよっておりました。初めて就職した企業は大手飲食チェーン店でした。アパートに引っ越し、初めて働く職場に期待しておりましたが、店長に些細なミスで怒鳴られたり、同僚に切れられたりして、1年目にして、精神的に追い詰められてきました。また、一人のお局さんに目をつけられて、仕事上で必要なことも連絡してくれなかったり、無視したり、私の前で舌打ちをしたり、「ああ~○○(私)死んでくれないかな」と大きな声で言ったりしており、私はショックで、夜も眠いのに眠れなくなってきました。寝ないで仕事に行くのでさらにミスが重なり、遅刻や欠勤が多くなり、週に3日ほどしか出勤できなくなってしまいました。脳は鉛が入っているように重くなり、頭の中では言われた罵詈雑言がぐるぐると回り、自動的に自己否定をしているような感じになり、「死にたい」「死んで楽になりたい」と思う気持ちが強くなりました。そしてとうとう私は買い置きしてあった市販の睡眠薬を20錠ほどすべて飲んでしまいました。飲む前は妙に安らかな気持ちで、最後に高校のバレーボール部の友人である川田さんにさよならメールをしました。


 しかし、私は死にませんでした。目を覚ますと大きな病院でたくさんの点滴につながれていました。病院の看護婦さんの対応が冷たかったのは、二度とこのようなことをしないようにとわざと冷たくしているというのを聞きました。病院の先生に「精神的な病気にかかった可能性があるので仕事は2年ほど休職しなさい」と言われました。先生はその場で診断書を書いてくれて、郵送で送るように指示してくれました。私は店長と手紙でやり取りをして、休職手続きをして、休職し、傷病手当金をもらってアパートで休養生活に入りました。しかし、いったん調子が悪くなった体はすぐにはよくならず、いのちの電話を47都道府県登録して電話をかけまくったりしました。でも、ほとんどつながらず、つながっても涙があふれて話しになりませんでした。時間が進むのがゆっくり感じられて、一日に何度も時計を見ました。当時飲んでいる薬はリスパダールをメインにした処方でしたがすぐには効きませんでした。そこで、SSRIとNaSSaを併せて飲むカルフォニアロケット処方をインターネットで見つけて先生にお願いして処方してもらいました。しかし、今度は気持ちが悪くなってきたので、カルフォニアロケット処方は私には合わないと判断して、一週間でやめにしました。


 そして引き続きリスパダールで療養していくことにしました。やがてリスパダールの副作用によりものすごく眠くなるようになり、一日中寝ているようになりました。そうするうちにだんだんと脳の疲れが取れてきました。そして復職への道が見えてきたので、リハビリにと近所のコンビニでアルバイトをすることにしました。これには傷病手当だけでは生活が苦しかったのもあります。しかし、意識高い系のフリーター店長に「常に、フルコミットでミッションするように」と、つねに言われ続け頭が可笑しくなりそうでした。店長は、県立進学校出身のFラン中退でコンプレックスがあるらしく、バイトの同期の有名私大生のバイト店員の須賀君をひどくいじめていました、須賀君は名門商社に内定が出ているので店長はことあるごとに「学歴がすべてではない」とねちねち嫌味を言っていました。あるひ、須賀君は切れてしまい、「うっせー、このハゲチャビン」と叫ぶと、トイレに入って私服に着替え「あばよ」と家に帰っていきました。あとで、トイレが汚いとクレームがありトイレに向かうと、そこには大きなうんこが床に落ちていて、須賀君の社員カードが真ん中に刺してありました。まるで、ブッシュ・ド・ノエルのようでした。店長は、午後はくそまみれになって働いていました。私も店長のパワハラに辟易してきてしまい、フルにシフトを埋めた状態で、突然限界が来ました。出勤してすぐに店長に「ブタまんとビールください」と告げて、その場で辞意を伝え、公園まで行って、ブタまんを食べながらビールを飲みました。新緑の季節でとてもさわやかでした。


 そこで、川田さんに電話で傷病手当だけで暮らせるところは無いかと相談したところ、一ヶ月5万円くらいで泊まれる簡易宿泊所を紹介されました。私はそれまで、ネットカフェを考えていたので、初めて聞く簡易宿泊所に興味を持って、見学に行きました。一ヶ月3万円くらいのところはあまりにも汚く、お風呂もついていなかったので、一ヶ月5万円くらいの少しいい簡易宿泊所を見たところ、部屋は3畳ほどですがエアコン完備、テレビつきで、電気水道ガスおよび風呂トイレは共同で家賃に含まれていました。一応ホテルになるので毎日掃除もしてくれ衛生的だと思いました。近所には安い定食屋さん、労働基準監督署、図書館、ネットカフェ、交番そして病院があり、安心だなと思いました。アパートにはあまり物がなかったのですが、すべて売り払い、簡易宿泊所に引っ越しました。引っ越してからは格段に生活費が安くなり傷病手当だけでゆっくりと安心して静養できるようになりました。


 休職して1年がたったころ、川田さんに簡易退職届(http://www.ipad-zine.com/b/2457/)があることを教えてもらい、先にそれをポケットに忍ばせてから、アルバイトを始めました。アルバイトはハローワークで見つけた保険の営業でした。常に外回りで、体力的には大変でしたが、会社内の人間関係に煩わされないので私には向いていました。営業成績もよく、お給料もよかったのでだいぶ貯金することができました。そのころちょうど復職の話も出ていたので、バイトは円満に退職して、元の大手飲食チェーンに復職しました。家は簡易宿泊所の楽な生活に慣れてしまったのでそこに住み続けることにしました。最初はバイトのような簡単な仕事からだんだんと負荷のかかる仕事になって行き、しんどくなってきました。リスパダールは相変わらず飲み続けていたのですが、ある日店長に些細なことで叱責されて、頭がパニックになり、お客さんの席に嘔吐してしまいました。私はそのまま逃げるように簡易宿泊所に逃げ帰り、お風呂で体を洗いました。部屋に帰ると、簡易宿泊所の女将が、さっきお宅の店長が来たよと告げるので、私は体調が悪いので会わないと告げると、女将はそのままフロントに戻っていきました。店長の話を聞いたらしい、隣の部屋の山家さんがなぜかビールを一本分けしてくれました。かかりつけの病院にいき、新しくもらった診断書と休職願を店に郵送し2回目の休職生活に入りました。


 3ヶ月くらい傷病手当で休んでいましたが、「お金をためて資格を取ろう」と思い至り、また保険の営業のバイトをすることにしました。そこで半年くらい働いた後、営業成績がよかったので、正社員にならないかと誘われました。私は、休職中の飲食店に辞表を提出すると、保険の営業事務所で正社員として本格的に働くことになりました。営業事務所では営業事務としてオフィスワークをすることになり、また人間関係が心配になってきました。しかし今回は、「お金をためて資格を取る」という目標があったので、少々いやなことがあっても乗り切れそうでした。簡易宿泊所と営業事務所を往復する日々が一年ほどつづきましたが、また結局他社員のいじめを受けるようになり、体調を崩したので、また、病院にいって新しい診断書を書いてもらい、1年間休職して傷病手当で生活することになりました。休職したものの、このころは貯金がずいぶん多くなりどの資格をどこで取るか考えるようになりました。そこで、LecやTacのような予備校に通いながら行政書士の資格をとってのし上がろうと考え、川田さんに相談したところ、私の場合、オフィスワークになると人間関係でつまづき体調を崩すので、行政書士のような資格より、技術系の資格はどうかと勧められました。技術系の資格は失業中に給付金をもらいながら職業訓練校に通えるのでそのときにとったらいいと勧められました。そして、今は、数学や物理の勉強をしたほうがいいといわれたので、図書館にこもって数学や物理の勉強に励みました。体調も回復してきたので昼はハローワークで見つけた配線工のアルバイト、夜は図書館で数学や物理の勉強に励みました。配線工のチーフは電気工事士の資格をもっていました。少し厳しいものの、私にはかっこよく見えました。それまでボイラー技師を考えていましたが、チーフをみて電気工事士もいいなと思うようになり、よりいっそう数学物理の勉強に励むようになりました。


 休職から1年が経ち、傷病手当がきれたので、保険の営業事務所に辞表を提出しました。顧客情報の入ったメモリーカードを返さなくてはいけなかったのですが、隣の山家さんに貸していたので、返すことができませんでした。その後何度か催促の電話がありましたが、ほうっておいたら静かになりました。零細IT企業に勤める山家さんはメモリーカードを貸してくれたことを大変感謝してくれ、退職祝いに一緒に八丈島に旅行に行きました。八丈島では珍しいフルーツなどが食べられてとても楽しかったです。


 旅行から帰ってくるとすぐにハローワークに行き離職票を出して、電気学科のある南部職業訓練校を受験しました。勉強を十分にしていたので、余裕で合格しました。そして、給付金をもらいながらの訓練校生活が始まりました。給付金は少ないので心配でしたが、簡易宿泊所暮らしでは十分でした。昼は訓練校の電気学科で勉強に励み、夕方は訓練校のバレーボール部に入ったので毎日2時間くらい汗を流し、やはり運動は体にいいと思いました。秋季の専門学校杯ではベスト8になりました。高校時代は運悪く、初戦敗退だったのでとてもうれしかったです。ただ、このころ、部活に熱を入れるあまり勉学がおろそかになっていたので、電気工事士の資格は一発では取れませんでした。2回目の受験でなんとか電気工事士に合格し、楽しかった訓練校生活もあとは就職活動だけとなっていました。


 しかし、バレー部の仲間がそれぞれ資格を生かした仕事についていく中、私はなかなか就職活動がうまくいかず、焦りから体調を崩してしまいました。藁をもすがる思いで、フロムエーをひらいて、「経験不問!みんな仲間です!体育会系歓迎!」という、大手飲食チェーンに応募し、就職することになりました。しかし、働いてみると、思ったように、同僚は仲間という感じではなく、また、やけに威勢のいい声を出さなければいけない社風だったのでついていけないと思い至り、一ヶ月働いて、また新しい診断書を病院でもらって、一年間の傷病手当生活に逆戻りしてしまいました。そのころ、無事資格を生かした仕事に就いた、バレー部のキャプテンだった、金田さんの家でバレー部の仲間で飲んでいたところ、突然、私の働いている店(休職中)で二次会をやりたいということになり、結局5人で私の働いていた店に入り、二次会を始めました。さいしょは、店員などの人目を気にしていましたが、酒が入るにつれて気持ちが大きくなり、「ビールもってこい!」「ソーレソレソレ」「○○さんのちょっといいとこみてみたい」と完全に体育会系ノリノリでオーバーナイトしました。翌日、二日酔いで頭が痛かったです。携帯にはたくさんの着信がありましたが、簡易宿泊所の隣の住人である山家さんがうるさいと言うので、電源を切り、ゆっくりと休むことにしました。


 その後3ヶ月くらい傷病手当で休養していると、金田さんがこんな求人があるけど、どう?と学校法人設備部門の契約職員の求人を持ってきました。就職活動で苦杯をなめた私としては、受けてもどうせだめだろうと筆記試験の会場に行ったら、受験者は私を含めて2人でした。藁をもすがる思いで筆記試験を受けていると、ふと受験者は自分ひとりになっていることに気づきました。契約職員の合格発表まで2~3ヶ月かかるというので、合格発表までハローワークで見つけた工作機械メーカーのアルバイトを始めました。アルバイトなのでアシスタントですと、求人表には書いてあったのですが、いきなり工作機械の開発を任されました。「アシスタントではないのですか?」と主任に聞くと、「甘ったれるんじゃない!」と罵倒されました。仕方がないので、頼まれていた圧力鍋の企画書を作ったのですがなにぶん素人なので、あまりいいできばえではありませんでした。案の定、主任に「これで仕事をしているつもりか!」と罵倒され、企画書をビリビリに破かれました。私はとても悲しく、一週間くらい寝込んでしまいました。その間、隣の山家さんが定食屋に連れて行ってくれ、おでん定食をおごってくれ、「君は悪くない、悪いのは社会で、我々は社会に迷惑を掛けられているんだ!」と励ましてくれました。私は被害者なんだとコペルニクス的転回を味わいました。


 私はネットカフェでほかの工作機械メーカーの特許をプリントアウトして、復帰後に、その特許を企画書に丸写ししました。これなら主任は許してくれるかなとおもったら、「よくできるじゃないか」とほめてくれました。とてもうれしかったです。しかし、主任は開発者の名前を私でなく主任の名前に変えてしまいました。私も頑張ったのだからせめて連名にしてほしいと訴えましたが、「アルバイトが生意気なことを言うなと」一蹴され、企画書はその後、知財部に行き、特許申請がされました。申請をしたのは同じ年の小椋君でした。圧力鍋のアプリケーションがほしいというので、私はまた、インターネットにあった羊骨ラーメンスープの特許を企画書に丸写ししました。しかし、また開発者の名義を主任に奪われてしまいました。私が作ったものなのに本当に腹が立ちました。その頃、小椋君につきあってほしいといわれたので、簡易宿泊所から小椋君の住む市営住宅に転がり込みました。二人の収入を合わせると、市営住宅の入居基準をオーバーしてしまうので、私は、辞表を提出して工作機械メーカーを辞めることにしました。主任には「忙しいときに辞められると迷惑だ」と罵倒されましたが、今度は私は「うるせぇ泥棒野郎!」と言い返してやり、さっさと、家路につきました。まもなく、小椋君はなぜか機械工作メーカーをクビになってしまい、二人で簡易宿泊所のやや大きい部屋に移りました。


 小椋君は給付金を得て、職業訓練校に通い始め、2級建築士になるべく一年間授業を受けました。訓練校のサッカー部にも入りとても楽しそうでした。訓練校を卒業した小椋君は建築事務所で働き始めました。半年ほどして、小椋君は上司の耐震偽装を指摘してクビになってしまいました。事務所のドアの前で「警察に訴えてやる、やられたらやり返す、倍返しだ!」と叫んでいるところを警察に取り押さえられて簡易宿泊所に戻ってきました。小椋君は一か月くらい部屋に閉じこもっていましたが、山家さんに誘われて、山家さんの部屋飲みをして盛り上がり、私が昔山家さんに貸した顧客情報の入ったメモリーカードを振りかざして「一攫千金だ!」と叫んでいました。


 私はやがて学校法人の合格発表の日が来て、無事合格して、学校法人の電気工事士として働くことになりました。仕事は毎日設備のメンテナンスと点検で単調ながらも自分には合っていると思いました。一年ほど電気工事士の仕事を続けていると、研究室のアシスタントもやるようになりました。ほどなく、日立川先生と的場先生のご厚意により、スイスのヴォーデンヴェルギスタィン電子専門学校に一年間研究室の経費で留学することになりました。スイスに旅立つ前に定食屋で山家さん小椋君と訓練校のバレー部の仲間で壮行会をしてくれました。とてもうれしかったです。小椋君には少しさびしい思いをさせるけど元気にやっていってほしいと伝えました。


 スイスではより深く電気について学ぶことができました。勉強だけでなく、スキーや登山にも積極的に行い、充実した一年間でした。


 スイスから帰ってくると、小椋君は小さなNPO法人で働いていました。簡易宿泊所に住む人々にビジネスマナーを教えて訓練校のサポートを請け負っていました。山家さんはもう簡易宿泊所には住んでいませんでした。小椋君はあまり話したがらなかったけど、どうやら、一儲けして青森に大きいお家を買って生活しているみたいでした。


 私は、学校法人で引き続き働きながら正社員の道を模索し始めました。まず、市役所の電気職初級をめざして、昼は働き、夜は図書館で勉強しました。参考書は研究室のものを借りました。市役所試験は専門の電気は比較的よくできたのですが、一般教養の出来が悪く、受験は失敗してしまいました。落ち込んでいる私に日立川先生は「こんな求人あるけどどう?」と市の外郭団体の受験案内を持ってきました。電気職の募集は2人でしたが、頑張って受験してみると、受けに来ている人が4人くらいしかいませんでした。問題は専門も教養も難しかったですが、無事合格し、面接も通過して無事財団法人の職員になることができました。

小椋君は私をうらやましく思ったのか、NPOで働きながら、市役所の建築職初級を目指して頑張っています。

現在も簡易宿泊所に小椋君と二人で住みながらいつか二人でどこかスイスに似ている十日町に大きいお家を買うべく、お仕事を頑張っています。

先週は一週間お休みをとって小椋君と石垣島に旅行に行ってきました。


 最後になりますが、今まで、私を支えてくださったたくさんの方々に深謝いたします。本当にありがとうございました。


 


我々に続くバックラーを募集します。年令経験不問 時給不明

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[気になる点] バックレじゃなくて、自殺失敗談じゃね?って思ったのは僕だけかなw たしかに、自殺するぐらいならバックレたほうがマシですよね。 実のところ、相談さえすればなんとかなることってよくありま…
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