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夕凪の庭  作者: 愛田美月
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第六章 訪問者

 凪が子どもと暮らし始めて三日目となった。

 その日、参内はなく、凪は子どもと共に部屋の掃除で午前中を潰した。

 疲れて子どもが寝入ってしまってすぐのことであった。家の木戸が大きな音で叩かれた。

「おーい。凪。いるか」

 戸を叩く音と共に、聞き慣れた声が凪の耳に届く。

「開いている。入ってこい」

 凪も声を張り上げて、外にいるはずの剛毅に答えた。結界を超えて木戸を叩いたのだ、妖魔の類ではない。

「邪魔するぜ」

 言いながら、木戸を開いた剛毅の目に、座った凪と、その横で寝息を立てている子どもの姿が映った。

「おっと、昼寝していたか」

「ああ。疲れているのか、ちょっとやそっとじゃ、起きやしない」

 凪が呆れたように言って、自分の横で寝息を立てている子どもを見下ろした。

「そうやっていると、親子みたいだな」

 剛毅が草履を脱いで部屋に上がってきた。

「俺にこんな大きな子はおらん」

「知っている」

 にっと笑った剛毅の顔に、今日は面が付けられていない。

 大きな身体に似合いの精悍な顔立ちであった。

「にしても凪よ、せっかく土産持参で来てやったのだから、戸くらい開けてくれてもよいだろうに」

 凪はふっと息を吐きだすと、ある部分を指さした。それを見た剛毅が笑い顔になる。

「ははは。なるほど。掴まれていて動けんかったか」

「そういうことだ」

 子どもは、凪の袖をしっかりと握りしめて眠っていたのである。これでは身動きがとれない。

「おまえでも、そう言う優しい気遣いを見せることがあるのだなぁ」

 しみじみとした剛毅の言葉に、凪は眉を寄せる。

「失礼な奴だな。まったく。まぁ、おまえに向ける優しさを持ち合わせていないのは、確かだが」

「お、何気に酷いやつだな、おまえ。色々世話してやった恩を忘れたか」

 凪は剛毅から顔を背けた。

「忘れた。そんな昔のこと。今じゃ俺が世話をしている」

「何を。それこそ失礼な話だ」

 剛毅は豪快に笑い声をあげ、ふと気付いたようにその笑いを止めた。

 じっと、子どもを見つめているところを見ると、眠っている子どもが起きることを心配したのだろう。

 だが、子どもは起きる気配をみせない。

「印の影響か、疲れやすくなっているようでな。もともと、体力もなさそうだし」

 凪の言葉に、剛毅が頷いた。

「そういや、凪。この子、名はなんと言うのだ」

 聞かれて、凪は目を見開いた。

 その反応に驚いた剛毅が、こちらも目を剥いて声を上げる。

「おまえ、聞いてないのか」

 長年の付き合いである。凪が目を見開いた理由をしっかりと言い当てた。

「必要性を感じなかったものでな」

「普通はまず、名を聞くのが礼儀だぞ」

 剛毅はこれ見よがしに額に手を当てて、大きく溜息をついたのだった。




 子どもは真っ白な世界にいた。

 その世界では、水面だけがはっきりと見えた。

 子どもは水辺に立っていた。

 ここはどこだろう。

 そう考えたとき、不意に声が聞こえた。

『おいで』

 女の声だった。

『おいで、坊や。こっちへおいで』

 どこか懐かしい感じがする。子どもは声のする方へ顔を向けようとした。

 その時。

『だめ。そちらを見てはいけない』

 先ほどとは違う、どこか澄んだ女の子の声が、子どもの耳を打った。

『戻っていらっしゃい』

 その声を耳にした時、子どもは白い世界から現実へと戻ってきた。




 ゆっくりと目を開けると、囲炉裏が見えた。

 頭を動かし、顔を上げると、凪が横に座っていることに気付いた。

「おはよう。凪」

 一緒に暮らし始めた最初の日。凪に様をつけて呼んだら嫌がられた。凪と呼び捨てにしろと言われた時は戸惑ったが、今ではもう慣れてしまった呼び方だ。

「おう。目を覚ましたか」

 凪とは違う声を聞いて、子どもは飛び上がるようにして起き上がり、凪の背にその身を隠した。

「怖がられているぞ、剛毅」

 どこかおかしそうに、凪が言う。

 凪よりもずっと大きくて、怖い顔をした大人が、凪たちの前に座っていた。

「なんだい。一度会っているだろうに」

 そう言われて、子どもは記憶をたどった。

 そうか。分かった。

「今日は仮面付けていないの?」

 子どもはそう尋ねた。

「お、分かったか」

 言われて、頷いた。凪と初めて会った日。凪の隣にいた大男が、この人物だと気づいたのである。

 子どもは、恐る恐る凪の隣に腰を下ろした。

 大男は、人の良い笑みを浮かべる。

「俺は、剛毅ってんだ。凪の奴、おまえに名を聞いていなかったらしいな。おまえ、名は何と言う」

 聞かれて子どもは首を傾げた。

「名はないです」

「何だって?」

 素っ頓狂な声を上げた剛毅に驚いて、子どもが身体を震わせる。凪が綺麗な顔を顰めて煩いと窘めた。

「僕には名前ないです。僕は忌み子だから。死んでいたはずの子に名前はいらないって」

 凪と剛毅は黙ってしまった。何かまずいことを言ったのだろうか。当たり前のことなのに。

 子どもが少し不安になる程の間を置いて、剛毅が口を開いた。

「そうか。名はないのか」

「うん」

 頷く子どもから目を離し、剛毅は凪に目を止めた。

「凪よ。おまえつけてやれや。この子に名前」

「は?」

「なあ、名前欲しいだろう」

 聞かれて、子どもは躊躇いながら頷いた。

「凪に付けてもらいたいよな」

 有無を言わせぬ声音で言われ、子どもは凪を横眼でそっと見てから、はっきりと頷いた。

「つけてくれるの?」

 袖を引いて、凪を見上げれば、綺麗な顔に苦笑を滲ませた凪が軽く頷く。

 子どもは笑みを浮かべた。

「いいの? 僕名前つけてもらっていいの」

「ああ、考えとくよ」

 なぜか一度溜息をついて、剛毅を睨んだ後。凪はそんな風に言った。


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