第五章 生活
都の空は今日も穏やかに晴れていた。宮中の様子もいつも通り、穏やかな空気に包まれている。
そんな中、とある場所では、宮中の雰囲気に似合わぬ会話が交わされていた。
「あの妖魔、追ってくると思うか?」
「印をつけたのだからな」
仮面呪術師が集う詰所。そこでは、数名の仮面呪術師がそれぞれの作業をこなしている。詰所にいる全員が一様に仮面をつけているその光景は、一種異様な雰囲気を醸し出していた。
仮面一つ一つには、それぞれ模様がついている。線で描かれた模様は、五色の色があり、色によって、その者の使う呪術の種類が分かるようになっている。
複数の色で模様付けされた仮面を身につけている者は、それだけ多くの呪術を操れるということである。
凪と、剛毅の面には、五色全ての色が入っていた。
このように全ての色の線が描かれた仮面を持つ者は、姫神子に仕える仮面呪術師の中でもごく僅かしかいない。
「水妖だから、水を伝って移動してくるか……もしくは、印を使ってなんらかの接触をはかってくるだろうな」
「それにしても、何だって、あの子どもに執着するのかねぇ。あの妖魔は」
剛毅が頭を掻きながら苦々しげに言葉を口にする。
「少なくとも、忌み子として育てられたというのが影響しているのだろうな。人の暗い心根を一身に受けて育ったのだ。妖魔には格好の餌だろうよ」
淡々と凪が語る言葉を聞いて、剛毅は仮面に覆われていない口元を歪めた。
「嫌になるな」
そう吐き捨て、思い出したように話を変えた。
「そう言えば、凪。おまえあの子と上手くいっているのか。子どもが子どもの世話しているのかと思うと、面白くてしかたねえ」
言いながら、くくくと剛毅が笑った。
「失礼な奴だな。誰が子どもだ」
「おまえだよ」
間髪いれずに返されて、凪は気分を害した。
「俺はもう十八だぞ。そりゃ、六つも年上のおまえに比べれば子どもかもしれんが」
「拗ねるな、拗ねるな。今度、遊びに行ってやるよ」
剛毅は、凪の頭に手をやって軽く二度ほど叩く。それを払いのけて、凪は立ちあがった。
公務の終わる時刻になったのだ。
「いらん。来るな。絶対に」
凪は剛毅に背を向けるとさっさと詰所を後にした。
その背に、剛毅の笑い声を聞きながら。
夕闇が辺りを覆う頃。凪は子どもと暮らす家の扉を開けた。
「おかえりなさい」
するとすかさず子どもが立ちあがって、こちらへ近づいてくる。
まだ一日寝食を共にしただけなので、どこかぎこちない雰囲気が辺りをしめている。
土間に入り、上がり框に腰かけ、草履を脱ぐ。
「変わったことはなかったか」
草履を脱ぎながら問うと、子どもは頷いた。
「うん。それと、これ。ちゃんと、剥がさなかったよ」
そう言って、子どもは細く小さな手を上げて凪に見せた。
妖魔の印が付いた腕に、痣を覆い隠すように白い紙が巻きつけられている。姫神子から賜ったお札だ。
これを巻きつけていれば、印の力を弱めることができるという。
凪はそうかと頷いて、子どもの頭を撫でようと手を伸ばした。なんとなく、そうした方が良いと思ったからだ。
すると、子どもは怯えたように身をすくませ、頭を庇うように両の手を置いた。その行動の意を察し、凪は溜息をついた。
「大丈夫だ。殴ったりしない」
凪はそっと子どもの頭に手を置いて、撫でてやる。
子どもはほっと胸をなでおろし、凪を見上げて笑顔を作った。
大きな目が印象的の可愛らしい顔立ちをした子どもだ。
こんなに小さいのに、殴られるのが当たり前の生活をしてきたのだな。
凪はそう思って、もう一度子どもの頭を撫でた。
「飯にするか」
その言葉に、子どもは嬉しそうな顔を見せた。
火にかけた鍋から雑炊を掬い椀に入れると、囲炉裏端に座った子どもに手渡した。
子どもはそっとそれを受け取り、子どもの手には大きすぎる箸でそれを口にした。
「あっつい」
少し目を離したすきに、雑炊を冷ましもせずそのまま口にしたらしい。口から出した舌が真っ赤になっている。
「そのまま食うからだ。熱いに決まっているだろう」
凪は微かに苦笑して、茶碗に水を汲んで飲ませてやった。子どもが水を飲んでいる間に、自分の椀に入れた雑炊を床に置くと、子どもの隣に座った。
子どもの手から椀を取り上げると、雑炊を箸ですくい、ふうふうと数回息を吹きかけて、嫌がる子どもの口に入れた。
子どもは驚いたように目を見開いて、口をもぐもぐと動かしながら凪を見た。
「あ、そんなに熱くない。でもちょっと痛いや」
「舌を火傷したのだろう。しばらく痛いだろうがそのうち治る。いいか、熱い物はこうやって、冷ましながら食うんだ」
もう一度実践して見せてから、子どもに椀を返す。
「僕ね、今までこんなにあったかいご飯食べたことなかったの。いつもね、ご飯は冷たいの。熱いと煙がでるんだね」
湯気の事を言っているのか。そんなことも知らずに育ってきたのかと思う。
親に捨てられた過去を持つ凪自身よりも、この子の方がよっぽど酷い扱いを受けてきたのだろうか。
凪の綺麗と評判の顔に、一瞬、憂いの表情が浮かんだ。
「そうか……あったかい方が美味いだろう」
「うん。美味しい」
凪の問いに元気に返事をして、慣れぬ手つきで子どもは箸を使った。凪に教えてもらった通り息を吹きかけながら、雑炊を食べ始める。
熱心に凪の作った雑炊を食べる子どもを見ながら、凪は自分の椀を手にとり、一緒に食事を始めたのだった。