第四章 都へ
翌日。帰京した凪と剛毅はその足で、姫神子のおわす神殿へ向かった。
昨日の報告と、成り行きで引き取った子をどうするか、姫神子の沙汰を申し受けるためである。
簀へ座り、姫神子が来るのを、土下座して待っていた二人は、御簾の向こうに姫神子の気配を感じ取った。
衣擦れの音を耳にし、姫神子が上座に腰かけたことを知る。面をあげよと命を受け、二人は身を起こした。
「御苦労でしたね。二人とも」
高く澄んだ声が二人を労った。
「子を、連れ帰ったようですね。妖魔の印を持つ子を」
何も言う前から、姫神子は分かっていたようであった。
それとも、遠見の能力を使って知り得たのか。
「凪よ」
「はっ」
凪が、目を伏せると御簾の向こうで、姫神子が言った。
「おまえが引き取りなさい」
「は?」
思わず素の声が漏れてしまった。
隣で剛毅が、仮面に覆われていない口元を震わせている。
いつも堅い表情を崩さぬ凪の、いつもと違う反応が面白かったのであろう。笑いをこらえているに違いなかった。
「おまえが連れて来たのでしょう? その子のことはおまえにまかせます。残念ながら、あの子の印はその妖魔を倒さねば消えぬもの。その妖魔を倒すまで、おまえがその子の面倒を見なさい」
凪は、言葉が出てこなかった。
まさか、そんな展開になるとは思っていなかったからだ。
正直、凪は子どもが苦手だった。子どもだけではない。人づきあいが下手なのである。
七つの時に、口減らしで親に捨てられて以来。余り人と関わることなく生きてきた。そんな自分に、子どもの世話など出来るはずもなかった。
「しかし」
凪が、恐る恐る反論しようとした時、姫神子は間髪いれずにこう言った。
「二言はありません。分かりましたね、凪。……私たちにあのような不敬を働いたそなたを拾ったあと、私は、ちゃんとおまえが仮面呪術師として育つまで面倒をみましたよ。あのような不敬を働かれたのは、後にも先にもおまえだけだというのにねぇ。私は何て慈悲深いのでしょう」
凪は、反論する言葉を封じられた。七つの頃親に捨てられた凪に目をとめ、拾ってくれたのが誰であろう、ここにおわす姫神子と、この国の帝であることは事実だ。
それにしても、今ここでそれを言うか。
苦々しい思いが口元にあらわれた。
「おまえが、連れて来たのでしょう、凪。おまえは、その子と寝食を共にすること。町の中に住まうは周りに危害を及ぼす危険性があります。人里離れた場所に家も用意しておきました。そこでその子を守り、暮らしなさい。これは命令ですよ」
姫神子の声が、先ほどからどこか楽しげなのは気のせいだろうか。
否、気のせいではないだろう。凪の反応を見て面白がっている。
凪は昨日腹に受けた傷が疼く気がして、顔を顰めた。
自分はもしかして、とんでもない物を背負い込んでしまったのではないか。
そう思っても後の祭りである。
凪は腹を括った。
「御意」
凪は深く頭を下げると、姫神子に気づかれぬよう溜息をついたのだった。
白い神輿の中。子どもはいくつもの悲鳴を聞いた。
白い布に覆われた神輿の布が、悲鳴と共に、一部赤く染まった。
外で何が起きているのだろう。
子どもは恐ろしくて、恐ろしくて。
外へ出ることができなかった。
ただ、ただ、震えていた。
そして、神輿が倒れた拍子に、神輿から転び出て見たものは……。
子どもは悲鳴を上げて、目を開いた。
眠っていたのだろうか。身体に上掛けがかけられており、それを強く握り締めていた。胸が大きな音を立てている。汗をびっしょりとかいていた。
「大丈夫か」
声が聞こえて、子どもはゆっくりと首をめぐらせた。
そして、また悲鳴を上げる。
「うわぁ」
半身を起し、壁際まで後退した。上掛けを握ったままである。
壁に背を預けて、子どもは辺りを見回した。
見慣れぬ部屋だった。
一体ここはどこで、この人たちは誰なのだろう。
生贄になったはずなのに。
なぜ、こんな所にいるのか。
「失礼な奴だ。助けてやったのに」
立派な体躯をした、奇妙な格好の者がそう言って、ガハハと大きな笑い声をたてた。
その大声に思わず身体が震える。
「馬鹿、怯えているだろうが。それにこいつを助けたのは俺だ」
大柄な男と同じような仮面をつけた人物がそう言って、そっと仮面をはずした。
子どもはその顔を見て、放心する。
今までに見たことのないくらい、綺麗な顔立ちをしていたからだ。
短くまっすぐな黒髪。小さな顔。大きな目を覆う睫は長く、鼻梁は綺麗な形を描いている。大きすぎも小さすぎもしない唇は艶めかしい曲線を描いていた。
「お姉さん?」
しばらく見とれた後、仮面を取った人物に尋ねた。それを聞いてか、まだ仮面をつけたままの大柄な男が、急に笑い出した。
笑っている意味は分からないが、怖い人たちではないらしい。少し安心して、子どもは首を傾げた。
「俺は凪。男だ。声を聞けば分かるだろう。ちなみにこの大きな男は剛毅という」
凪はまだ笑っている剛毅の足を踏みつけて、黙らせた。
「でも、綺麗な顔をしているよ」
子どもが言うと、せっかく静になった剛毅が発作を起こしたように笑いだす。
凪は渋い顔で笑っている剛毅を無視すると、子どもの前で膝をついた。
「行くぞ」
そう言って、子どもを抱き上げる。
急に抱きあげられた子どもは、驚いて凪の首に腕をまわした。
「どこへ行くの?」
「これからおまえと俺が住む家にだ」
「ぼくは、お兄さんと住むの? 地下のお部屋は?」
また尋ねると、凪は面倒臭そうに、後で話すと話を切り上げた。
山の中腹にその家はあった。
二人で住むにはちょうどよい大きさの家だ。
少し古くはあるが、使えない程度ではない。
家は簡素な板垣で囲まれている。
その板垣が、結界の役割を果たしていることは、呪術師の凪にはすぐに知れた。
板垣の木戸を開き、ずっと抱き上げていた子どもを庭に下ろした。
すると、子どもは急に、凪の袴を掴む。つい、引き剥がしそうになった手を止めて、凪は尋ねた。
「どうした」
子どもは、より一層凪に身を寄せて、凪を振り仰いだ。
「ぼく、お外に出ていていいの?」
先ほどからずっと外を歩いて来たのに何を言いだすのか。そう思ったが、不意に彼の言わんとすることを理解した。
忌み子として育てられてきたこの子どもは、ずっと地下の部屋にいることを命ぜられてきたのだ。
「この庭ならな」
「叩かれないの?」
「外に出ると叩かれるのか?」
尋ね返すと、子どもは小さく頷いた。凪は子どもを哀れに思った。
そのことに少し驚く。思いを隠すように、凪は口を開く。
「この庭の中ならいい。この板垣の外には決して出るなよ。おまえのためだ」
子どもは小さく頷いた。凪が家に向かって歩き出すと、子どもは凪の袴を掴んだままついてきた。